ノート:栄養士/削除

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外部サイトとの一致の指摘[編集]

記述が著しく類似するページがあるようです[1] が、どんなものでしょう。偶然の一致とは思えません。
事実の記述といえど、なんらかの配慮が必要と思います。Topkop 12:53 2004年6月24日 (UTC)

意見 百楽天[編集]

Topkopさま


略年表で、年代順に事実をならべただけなので、重なる部分があって当たり前です。転載したように指摘された年表は見ていません。これは、別に発表するつもりだったストック原稿を使ったものなので、よく見たらその痕跡もありました。

各年の出来事について、ここに書いたものと指摘された年表をどこまで比べられたのでしょうか。

以下、相違するところを書きます。


昭和20年(1945) 戦後すぐに厚生省の「栄養士規則」によって初めて栄養士が国家資格として位置づけられた。

栄養士規則及び私立栄養士養成所指定規則公布
大日本栄養士会設立
連合軍最高司令官の指令により栄養調査実施
栄養士が国家資格として位置づけられた、というところが重要だと思います。


昭和22年(1947) 栄養士法・保健所法・労働基準法・児童福祉法・食品衛生法公布。学校給食始まった年でもある。山口良忠判事の餓死事件があった。

栄養士法・保健所法・労働基準法・児童福祉法・食品衛生法公布
学校給食が始まった年で、山口良忠判事餓死事件があった。このような社会的な背景は、他の略年表の転載ではできないことです。

昭和25年(1950) 日本食品標準成分表  

社会保険制度拡充に伴い、病院における完全給食制度実施
この年の出来事では、両者それぞれが見落としていたことがありました。


昭和27年(1952) 栄養改善法公布。学校給食が拡大。

栄養改善法公布


昭和29年(1954) 改定日本食品標準成分表。学校給食法施行。

学校給食法公布
第1回日本栄養改善学会開催
転載であるように指摘された年表では、栄養計算の基準となる食品成分表の沿革については追っていないことがわかりますね。
学校給食法は6月3日に公布されて即日施行されたものです。


昭和33年(1958) 栄養教育としての「六つの基礎食品」の普及について厚生省から通達が出された。詳細は○○頁。

栄養教育としての「六つの基礎食品」の普及について厚生省から通達される
「完全給食制度」から「基準給食制度」へ名称変更
調理師法公布
全国栄養士養成施設協会設
ここで「詳細は○○頁」と書いたのは、ストック原稿をコピペしたことによるミスです。広島の役人が作った「三色」や女子栄養大学創始者の香川綾による「四群」との年代や内容を比較する必要があったからです。


昭和38年(1963) 第1回管理栄養士試験実施。三訂日本食品標準成分表

第1回管理栄養士試験実施


昭和41年(1966)。 日本食品アミノ酸組成表

記載なし


昭和52年(1977) アメリカ上院栄養問題特別委員会の5000ページにおよぶリポート(マクバガンリポート)提出。

記載なし


昭和60年(1985) 栄養士試験は廃止。栄養士免許は栄養士の養成施設(栄養学校)の卒業者すべてに与えられることになった。管理栄養士の登録は、管理栄養士国家試験に合格した者について行うこととなった。厚生省「健康づくりのための食生活指針」発表

栄養士法及び栄養改善法の一部を改正する法律公布(62年4月施行)
厚生省「健康づくりのための食生活指針」発表


昭和61年(1986) 改訂日本食品アミノ酸組成表

厚生省「肥満とやせの判定表・図」発表
加工食品の栄養成分表示制度始まる


平成3年(1991) 日本食品無機質成分表

外食料理栄養栄養成分表示制度始まる


平成7年(1995) 日本食品ビタミンK、B6、B12成分表

食品衛生法及び栄養改善法の一部を改正する法律公布(栄養強調表示制度の創設)


平成9年(1997) 五訂日本食品標準成分表(新規食品編)

厚生省「21世紀の栄養・食生活のあり方検討会報告書」を発表
介護保険法・医療法の一部改正公布


平成12年(2000) 五訂日本食品標準成分表。管理栄養士は登録制から免許制になる。 管理栄養士が行う「複雑又は困難な」業務の例として「傷病者に対する療養のため必要な栄養の指導」などが規定されるとともに、管理栄養士国家試験の受験資格の見直しが行われた。

栄養士法が一部改正され、管理栄養士が登録から免許へ(平成14年4月1日施行)
厚生省「健康日本21」スタート
厚生省・農林水産省・文部省、新しい「食生活指針」策定
介護保険制度スタート
科学技術庁「五訂日本食品標準成分表」発表


以上

百楽天 2004年7月4日 (日) 11:36 (UTC)[返信]

詳細な再検討[編集]

すでに削除依頼で議論が行われていますが長くなるので検討した結果をこちらに書きます。

  • 百楽天さんへ
違うところだけでなく同じ所も比較しないと検討にならないと思います。

1. 文章が比較的一致するもの

  • 大正15年・昭和4年・昭和13年
これらは登場する単語とその並びが類似しています。特に昭和4年のものは「において→で」「をもって→で」「として取り上げられ→としてあがった」「以後→以降、」「される→されることになった」と語尾の言い換えだけで文章の構造や単語の並び順が全く同じです。

2. 単語が一致するもの

  • 昭和22年・昭和24年・昭和33年・昭和37年・昭和38年・昭和60年
これらは単語レベルで同一の部分があります。単語の選択と順番が一致するものもあります(S22およびS33)

3. 一致が殆ど見られないもの

  • 昭和20年・昭和25年・昭和27年・昭和29年・昭和41年・昭和52年・昭和57年・昭和61年
これらは内容が別なものです。

検討

  1. 一致した理由は実証的にはわかりませんが、1.の例は偶然の一致とはちょっと考えられません。しかし百楽天さんは指摘のサイトはご存知無いとおっしゃっています。考えられるのは、もともと厚生省などが発表した資料があり、指摘のサイトと百楽天さんがともにその文章を資料として用いたという可能性でしょうか。ご自分で取られた取材メモを用いてお書きになったということですが、メモを取られる際にWikipediaでGFDLにより公開することを前提にメモを取られたのでしょうか? 意識せずに表現をそのまま書き写した可能性は無いでしょうか? 少なくとも百楽天さんは以前にもそういう事情で特に悪意はなくとも外部ソースのある文章と類似する記事を投稿してしまった経験をお持ちです。失礼ながら今回もそういう可能性は無いでしょうか。
  2. 一致した元の記述の創作性については議論が可能だと思います。私はT15、S4、S13、S22、S33以外は単なる事実の記述であり、誰が書いても同じになるといっても通ると思います。残るの5件のうちS4を除く4件は一致の度合いが高いものの創作性はやや低くぎりぎり事実の列挙という気もします。しかしS4は誰が書いてもこういう表現になるとは言いきれないように思います。ここに掲げられた組織や役職者、指示内容を研究してそれを説明したならまた違う文章になる可能性があるのではないでしょうか。よってここは転載と見なされる可能性があると感じます。
  3. この判断はかなり安全サイド(疑わしきは侵害とみなす)に振ったものですから(そうする理由については削除依頼の7月2日分、天皇などの写真の転載の項で書きましたのでご覧ください)他の人は違った解釈をするかもしれません。実際、問題なしという判断をされたかたもいらっしゃいます。とりあえずこれは私の判断基準による判定なので、他の方の意見も参考に最終的な結論を出して頂きたいと考えます。
  • 付記するならば、この比較からはTopkopさんの削除依頼とKIZUさんの賛成意見があながち無茶なものとは言いきれないと思います。また、削除依頼はあくまでも議論の提起であって、単なる決め付けでも投稿者の人格批判でもないことにご留意ください。毎日数多くの著作権侵害事例が見つかっている現状を踏まえれば、だれもがボランティアで気づいた問題点を提起することが推奨されますし、そうでないと問題が見過ごされてWikipediaにとっては重大な法的リスクを発生させかねないからです。せっかく投稿された記事が侵害ではないかと判断されたことについて、お気持ちは察するものがありますが、どうか以上のことをご理解頂き、問題提起したかたやそれに対し意見を述べた個人に対して、批判をされることは避けていただくようお願いします。反撃されることをおそれて削除依頼をためらう結果は、参加者全員にとって望ましくないことですから。
  • 以上、多少気に障る点はあるかもしれませんが、削除依頼の運用方針などをご理解頂きたいと思いすこし立ち入って書いてみました。ご意見をお待ちします。sphl 2004年7月12日 (月) 16:48 (UTC)[返信]



詳細な再検討ありがとうございました[編集]

sphlさま

17項目にわたって詳細に比較検討していただき、ありがとうございました。百楽天 2004年7月12日 (月) 20:47 (UTC)[返信]

栄養士に書いた年表のもとネタは、20年ほど前につくったものに継ぎ足ししていったもので、つい最近のことまであります。
元ネタは栄養士に書いた何倍もあり、資料としたものは2つ3つの年表ではなく、栄養学・食文化などに関する書籍、法令集および関連する雑誌(栄養学だけではない)。当時の新聞まで参考にしています。

それぞれの項目について何を参照したかは、最近のものなら覚えていますが、昔のものは記憶にありません。しかし、どこかの年表をそのままもってくるようなことは、やったことがありません。というのは、年表はあてにならないことが多いのですよ。その好例が生類憐れみの令です。私は時代考証もやってますので、どこかの年表だけでものを書くような危険なことはしません。

何十かの資料をすべて示して説明するのが理想だとは思いますが、すでに手元にないもの、国会図書館などで書き写してきたものなどもあり、ご期待にそうことはかないません。しかし、盗用を疑われた年表[2](△マークで記載)だけでは、検証にはあまりにも物足りないので、手っ取り早いところで、ネット上で別の年表[3](☆マークで記載)をみつけてきました。3者の比較と、自分なりの感想を書きますので、ご意見いただければ幸甚です。

3つの年表の比較[編集]

1. 文章が比較的一致するもの(3件)[編集]

大正15年
○栄養学校の第1回卒業生、「栄養技手」の名で世にでる。

△栄養学校の第1回卒業生15名「栄養技手」と呼ばれ世に出る

☆(昭和2年)栄養技手誕生。各府県の栄養改善事業始まる。

※ ☆では昭和2年になっていました。佐伯栄養専門学校にメール問い合わせ中です。

昭和4年
○警察部長会議、衛生課長会議で安達謙蔵内務大臣名で「国民栄養の改善に関する件」が指示事項としてあがった。以降、栄養士が各地方庁に設置されることになった。

△警察部長会議、衛生課長会議において安達謙蔵内務大臣名をもって「国民栄養の改善に関する件」が指示事項として取り上げられ、以後栄養士が各地方庁に設置される。

栄養士が各地方庁に設置されるようになる。

※ 雑誌、あるいは新聞に書かれた記事を参考にしたように記憶しています。

昭和13年
○厚生省発足。栄養行政は内務省から厚生省に移管。

厚生省発足に伴い、栄養行政は内務省から厚生省に移管される

厚生省発足に伴い、栄養行政は内務省から厚生省へ移管。

※ 3つほとんど同じです。「どうして」といわれても。この程度までなぜ責められるのか、逆にお訊きしたいところです。

2. 単語が一致するもの(6件)[編集]

昭和22年
○ 栄養士法・保健所法・労働基準法・児童福祉法・食品衛生法公布。学校給食始まった年でもある。山口良忠判事の餓死事件があった。

△栄養士法・保健所法・労働基準法・児童福祉法・食品衛生法公布

☆保健所法施行令公布により保健所に栄養士配置が規定される。

※ 戦後まもなくで、GHQからの要請もあって新法が立て続けにできました。栄養士には、栄養士法だけ書こうかとも思いました。でも「そんな時代であった」ということで、栄養士に関連深いものから順にならべたように記憶しています。食品衛生法は、元ネタには後から追記したのかも知れません。
今となっては、これ以上は私として申し上げることはできません。いずれにしろ、この項目は元ネタを作った初期に書いています。20年前の書籍などから転載したといわれるならともかく、ネット上の年表などどれも最近のものですから、それから盗用したように書かれるのは正直申し上げて迷惑です。当該サイトに、その製作者がどの程度創作したものなのか、まずはご確認ください。

栄養士法(昭和22年12月29日、法律第245号)、保健所法(昭和22年9月5日、法律第101号)、労働基準法(昭和22年4月7日、法律第49号)児童福祉法(昭和22年12月12日、法律第164号)、食品衛生法(昭和22年12月24日、法律第233号)。「ララ物資」による学校給食は昭和22年1月より。山口良忠判事の餓死事件(昭和22年11月)。

思い出しました--このあたり、終戦直後(昭和20年、22年)のことは、昭和60年5月の連休に朝日新聞東京本社に出向き、当時編集長だった筑紫哲也氏の依頼で「朝日ジャーナル」(1985年5月24日号)の「こんなものいらない」シリーズの特集記事「ダイエットのウソ」を執筆したときに、朝日新聞の資料室から借りた資料で調べなおしています。同記事の最終原稿では、冒頭で「ララ物資」のことを書き、こういった時代もあった、とかるく触れただけでしたが。
「こんなものいらない」シリーズ(1985年3月8日号)には、大村政雄氏の血液型性格判断批判があります。Wikipediaの「血液型性格分類」に私が加筆したことは、大村氏の論文を読んでから自分なりに調べたことです。
なお、同シリーズの秀逸記事は『現代無用物事典』(朝日ジャーナル編/新潮社/ISBN 4-10-360901-X)に転載されています(それぞれの記事は書籍にする際、多少落とされている部分もあり)。『現代無用物事典』は20冊入手し、そのうち10冊は当時連載中だった柏市民タイムスの「百楽天の最新健康情報」読者プレゼントにして、10冊は持っていたのですが・・・最後の1冊は蔵書の山のどこかに。
『現代無用物事典』は、(文庫本にもなったので、大きな図書館ならば閲覧できると思います。


昭和24年
○第1回栄養士試験実施。

△第1回栄養士試験実施される

☆第1回栄養士試験実施

※ コメントは不要でしょう。


昭和33年
○栄養教育としての「六つの基礎食品」の普及について厚生省から通達が出された。詳細は○○頁。

△栄養教育としての「六つの基礎食品」の普及について厚生省から通達される 「完全給食制度」から「基準給食制度」へ名称変更 調理師法公布 全国栄養士養成施設協会設立

☆厚生省から、栄養教育としての「六つの基礎食品」の普及について、通知される。

※ このコメントも書きません。

昭和37年
○栄養士法の改正。管理栄養士制度が創設。

△栄養士法の一部を改正する法律公布(管理栄養士制度創設)

☆栄養士法一部改正(管理栄養士制度が発足)

※ これもコメントは不要ですね。

昭和38年
○第1回管理栄養士試験実施。三訂日本食品標準成分表

△第1回管理栄養士試験実施

☆第1回管理栄養士試験実施

※ これもコメントは書かない。

昭和60年
栄養士試験は廃止。栄養士免許は栄養士の養成施設(栄養学校)の卒業者すべてに与えられることになった。管理栄養士の登録は、管理栄養士国家試験に合格した者について行うこととなった。厚生省「健康づくりのための食生活指針」発表。

△栄養士法及び栄養改善法の一部を改正する法律公布(62年4月施行) 厚生省「健康づくりのための食生活指針」発表。

☆栄養士法及び栄養改善法の一部改正([1]栄養士免許は、すべての養成施設卒業者に与えるものとし栄養士試験を廃止、[2管理栄養士の登録は、すべて管理栄養士国家試験に合格した者について行う、[3]一定の規模の集団給食施設には、管理栄養士を配置する)。

※ なにを書いていいやら・・・

3. 一致が殆ど見られないもの(8件)[編集]

昭和20年・昭和25年・昭和27年・昭和29年・昭和41年・昭和52年・昭和57年・昭和61年  




むすびの言葉[編集]

sphlさん、おかげさまで「栄養技手」の再確認が必要だとわかりました。
「国民栄養の改善に関する件」は長い記事の要点をまとめれば、同じようなものもできることがあるという好例でしょう。

管理栄養士もあわせてお読みいただき、ご批判いただきたく、お願いいたします。

わずかひとつ、参考資料を加えただけで、ほとんどコメントは必要なくなりましたね。
sphlさんも1度、他の年表を見ずに、文献だけでオリジナルの年表を作ってみてはいかがでしょうか。

それではよろしく。百楽天 2004年7月12日 (月) 20:47 (UTC)[返信]


百楽天さん、コメントありがとうございます。ですが、私の唯一心配のある昭和4年のものについては、新たに掲げられた資料では別な内容になっており、誰が書いても同じ文章になることの証明にはなっていないと考えます。
従って、私の分析結果は変わりません。さらに書き漏らしたことですが、類似点が認められるのは記事の前半に偏っており、その点からも系統的な理由があるのではないかとの印象を受けます。
提案なのですが、百楽天さんの文章力と背景知識があれば、外部と微妙に類似性のある状態よりも、あらたな状態に書きなおしてしまわれたほうが、いらぬ誤解を招かなくてよいように思いますが、如何でしょうか。
もちろん、押し付ける積もりはありませんし、疑いを掛けられたままそれに従うのは侵害を認めたように取られるのでできないということもあるかもしれませんが。
なお、余談ながら、私も年表形式の記述を書くことがありますが(放送衛星の歴史節やモーツァルトの生涯など)、基本的にはあちこちの資料から自分で書きおこしております。既存の年表を使うと、正確性云々より引き写しになる危険性があると感じるからです。
いずれにせよ、削除議論に付いては、別に私の意見が優先するわけでもありませんから、さらに他の人の確認を待ちたいと考えます。sphl 2004年7月13日 (火) 11:52 (UTC)[返信]

sphlさま。 Hanahanaと申します。よろしくおねがいいたします。
私は百楽天さんを個人的によく存じております。"Wikipedia"も百楽天さんに教えていただきました。

この上に、百楽天さんはご自身が雑誌などに執筆されたことなど書かれていますが、今まで百楽天さんが書かれたことは、どれだけ引用されたかわかりません。百楽天さんは栄養士の資格さえもお持ちではありませんし、職業もまったく違う分野です。でも、私たちにはとても及ばないものを持っていらっしゃるし、実績もあります。正直申し上げて、独学でやってきたという方で、もの書き家業でもない方に、栄養士を対象にした、しかも厚生労働省の関係機関からの執筆依頼があったなんて、はじめは私も信じられませんでした。でもそれはほんとうのことです。百楽天という筆名で書かれたものでした。私はこの目で確認しています。
Sphlさんがいま指摘されたことは、百楽天さんも十分承知していたはずです。百楽天さんは削除依頼のノートに次のように書かれています。

栄養士は、佐伯栄養学校の前身の卒業生からはじまったとはいうものの、公的資格として出発したのは終戦直後です。半世紀とちょっとの歴史です。それがわかっていれば、初期段階では、誰が書いても似たようになるのは当たり前のことでしょう。

これは人の一生を書いたものでも同じです。 小学生ころまでは、ふつうの人ならば、それほど多くのエピソードはないはずです。

sphlさんは、昭和4年のことをあげていらっしゃいますが、ちょうどよかった。

警察部長会議、衛生課長会議で安達謙蔵内務大臣名で「国民栄養の改善に関する件」が指示事項としてあがった。以降、栄養士が各地方庁に設置されることになった。

というところですね。
「栄養士が各地方庁に設置されることになった」ことは、3つの年表で共通しています。問題は、「警察部長会議、衛生課長会議で安達謙蔵内務大臣名で」というあたりだと思います。私は百楽天さんから、元ネタにされたものをいただいております。1年以上も前にいただいたものです。そのときわからなかったのが、ここの部分でした。
「なぜ警察部長会議、衛生課長会議なのですか」と、私はメールで質問しました。それに対する回答はこうでした。

衛生行政は、もとは警察の仕事だったのですよ。

「国民栄養の改善に関する件」は、元ネタには「国民栄養ノ改善ニ関スル件」と書かれていました。

それよりも、なぜこんなに百楽天さんを執拗に責めるのか、私には理解できません。ネットが普及する10年以上も前から専門分野で執筆活動をされている方なのですよ。 Hanahana 2004年7月13日 (火) 13:05 (UTC)[返信]

どんな業績をお持ちであろうとそんなことは関係ないでしょう。NiKe 2004年7月13日 (火) 14:44 (UTC)[返信]

書き忘れ。「安達謙蔵内務大臣名で」は、当時は栄養行政は内務省の仕事だったからです。昭和13年に厚生省が発足して栄養行政が内務省から厚生省に移管されたことは、どの年表にも書かれていますね。Hanahana 2004年7月13日 (火) 13:16 (UTC)[返信]

「犯人扱い」だの「執拗に責める」だの仰っていますが、著作権侵害の疑いあり として出される削除依頼は、他人を責めたり非難するために行われるのではありません。類似性などを根拠に、外部サイトあるいはwikipediaの外に居る人物から法的な責任を問われた場合に、実際問題として参加者の誰も対処できないということ、また、たとえば冤罪であると証明できても、失った信頼を取り戻すのは簡単ではなく、プロジェクトそのものが継続不能に陥る可能性が大きいことなどの理由から、wikipedia内部においてその法的訴訟の対象となりうるリスクを最大限取り除こうという趣旨のもとに行われるのです。
要するに、外の人にとって侵害と取れる内容が存在するのを看過しないでおこうと言うのが削除依頼の本分であり、内容が実際にオリジナルかそうでないかは重要ではないのです。繰り返しますが、だれも百楽天さんを攻撃するために指摘を行っているのではありません。ですから、ここでシロだと訴えることに必死になるまえに、外部からそのような嫌疑を掛けられないようにお互いに努力すべきなのです。百楽天さんやHanahanaさんに上で述べたようなリスクをwikipediaに負わせた状態にしておいて、万が一ことが起きてしまった場合に、責任が果たせるとお考えなら改められるべきかと思いますよ。--218.42.227.233 2004年7月13日 (火) 15:05 (UTC)[返信]
言い忘れました。wikipediaに投稿された全ての文章は、GFDLに従う限りにおいて、自由に利用改変できます。そうすると、仮にwikipediaにおいて著作権侵害の疑いが外部との法的やり取りになるような事態がひとたび起こったとして、その問題とされた記事あるいは一部の文章がwikipediaの外部において利用される場合というのが考えられるわけです。そして、そのwikipediaからすれば二次利用者に相当する方が、wikipediaの記事を信用して、きちんとGFDLに基づいて 正当な利用をしている(あるいは利用した)のにも拘らず、ある日突然知らない人間から著作権侵害を理由に訴えられるという事態を引き起こしかねません。さて、百楽天さんやHanahanaさんは、そういう二次利用者が被るかも知れないリスクについて、責任が取れるのでしょうか? そんなことはありえないような話だと一蹴するのは浅はかです。事が起こってからでは取り返しのつかない事態になりかねないのですから、そのような事態は想定されて然るべきことなのです。--218.42.227.233 2004年7月13日 (火) 15:20 (UTC)[返信]

218.42.227.233さま。ログインし忘れですか?おっしゃりたいことはわかりました。ひとつお願いがあります。あなたが見たかぎり、これが著作権に抵触すると思いますか。
私がこうして反論するのは、削除依頼の指示意見が非論理的だからです。
この程度で削除依頼を出されるなら、現状でも、いくらでもあります。
まず、著作権とはどういうものなのか。そのへんをよく理解していただきたいのです。
sphlさんは、次のように書かれています。

私の唯一心配のある昭和4年のものについては、新たに掲げられた資料では別な内容になっており、誰が書いても同じ文章になることの証明にはなっていないと考えます。

私はこんなことは著作権上問題になりえない、と思います。それでも、

新たに掲げられた資料では別な内容になっており

と、おっしゃるのでしょうか。私に言わせれば、同じ内容であるけれど、追加した年表では重要な部分を削ってしまったものです。
専門に勉強してきた人であっても、「警察部長会議、衛生課長会議で」と「安達謙蔵内務大臣」の意味を飲み込めずにいる人は少なくない。でも、ここのところは、非常に重要なところだと、私は思っています。

ご意見、お待ちしております。百楽天 2004年7月14日 (水) 03:47 (UTC)[返信]

こんにちは。僕はこの件の詳細については意見を言えるほどのことは知らないのですが、著作権について少し。僕もいろいろ調べたり読んだりしてきましたが、著作権は、何というか一筋縄ではいかない部分、常識的な感覚と合わない部分などが多々あるように思います。
例えば以下の判例でどのような類似・一致が著作権上問題になっているのかをご覧頂くと、多少わかるかと思います。[4][5]
いずれも高裁判決で、前者は掲示板のほんの短い書き込みの類をそのまま、あるいは少し手を加えて利用した件、後者は未完の職業別の電話帳の編集の仕方を別の会社の電話帳が無断利用したかどうか、それが著作権上問題かどうか、をめぐる争いです。前者について言えば、人によっては唖然とするようなごくありふれた文章が問題になっているのですが、判決文中では創作性があり、著作権保護の対象になると判断されています。「表現者の個性が何らかの形で発揮されていれば足りる」「決まり文句による時候のあいさつなど,創作性がないことが明らかである場合を除いては,著作物性を認める方向で判断するのが相当」などと意見が述べられています。また、後者については、「誰が行っても同じになるであろうといえるほどにありふれたものとはいえない」という理由で、電話番号の配列・編集の仕方に創作性があり、著作権保護の対象になるとされています。(但し、実際にこの件については侵害があったことは認められませんでしたが。)
削除の是非はいつも判断が難しく、厳しく判断すればそれだけウィキペディアでの執筆が不便になり、緩く判断すれば財団や管理者や二次利用者の法的なリスクが増えてしまいます。「これだけ守っておけば大丈夫」というような最低ラインを探してはみるのですが、そのラインは相当低いところにあるかも知れないというのが僕の印象です。
最後に、もし百楽天さんが既にこうした事情をご存知でしたら、蛇足をお詫びします。Tomos 2004年7月14日 (水) 15:05 (UTC)[返信]

貴重なご意見ありがとうございました。Tomosさんが著作権にお詳しいようなので相談しようかと思っていたところでした。私も著作権は、非常に難しい問題だと思っています。アメリカでは例のネズミのキャラクターなどの例もありますし。 幸いなことに、著作権侵害の対象とされた年表について当該サイトを管理している日本栄養士会から、

歴史的事実を並べただけで創作的なものとは思っていません。どなたが書かれても似たようなものになるはずです。したがって、著作権についてはなんら問題ないはずです。

Tomosさんにならば、日本栄養士会の連絡先と今回の件の回答者名を報告してもよいかと思っています。必要ならば、メールをください。

ところで、辞書や年表などはどうでしょうか。「アンカー・サンライズ問題」などはひどいものですが、同じ語を複数の辞書で比べてみると、非常によく似たものはいくつもあります。有名な辞書は、何人もの編集者や校閲担当がついて、何万語についてそれぞれ突合せをしている。それでもよく似た表現はでてきます。

たとえば私は「医食同源」のページに筆を入れ、その内容を「薬食同源」としました。もともと中国には「医食同源」という語はなく、中医学において「薬食同源」の考えが古くからありました。医食同源は日本でつくられた造語ですが、広辞苑の第四版に載ってからというもの、ほとんどの国語辞典に「古くから中国でいわれている」とか、「中国の古語」とか。

ほかにもいろいろ例があります。「かつぶしけずり」と称される箱型の鰹節削り器について、私が明治の終わりころに出たと書いたところ「辞書では江戸時代中期」になっているとのクレームがつきまして。それでは、それ以前は何で鰹節を削っていたのかとの質問があったので「小刀」と答えたところ、刀剣マニアから、「小刀」は刀につくいわばアクセサリーのようなもの。ペーパーナイフのようなものだから、鰹節を削れるわけがない。大工の切り出しのように小型の刃物を「小刀」と呼ぶようになったのは、明治以降である。というような質問がきます。[6]を見せてやったら、それ以上言ってこなくなりましたが、どれも「○○辞典(事典)」に載っていたものです。このような例は、いくらでもあります。

今回の件では、指摘されたことよりも、大正15年の「栄養技手」が気になっております。佐伯矩の創立下した栄養学校(私立)は初年度は1年制だけで、入学者は、当時の高等学校卒業程度の者たちでした。彼らは栄養学校を卒業して「栄養士」として世に出ましたが、栄養士が公的資格になったのは、昭和20年。終戦直後のことです。私は佐伯矩の栄養学校卒業生は「栄養技手」として世にでた、と書きました。この分野はもう20年も前から書いていますので、出典も明らかではありません。指摘されたサイト(日本栄養士会)の年表には、栄養学校の第1期卒業生15名が栄養技手として世にでたように書いてありました。

ん?、「技手」とは?
調べてみたら旧制の官吏のひとつでした。昭和20年に栄養士が国家資格になったとき、大正15年までさかのぼって資格を与えていることからも、佐伯栄養学校の情報からも、「栄養技手」は「栄養士」の間違いでした。私が資料としたものと、日本栄養士会の年表作成者が資料としたものは、同じものだったのか。日本栄養士会の担当者も、出典はわからないといいます。

そもそも著作権は、

著作物の創作者(個人または法人)が得られる財産に対する権利

だったはずです。しかも、"Wikipedia"において著作権法に抵触する可能性があるとして「削除依頼」を出されたものは、個人的に「疑わしいと思う」ということしか言えないと思うのです。したがって、著者の反論があれば、削除依頼を出した者、あるいは反論が出される前にそれを支持した者は、それについて意見を述べる義務があるはずです。裁判を例にとると、原告も出席せず、検事も裁判に出ないのと同じです。その状態で容疑をかけられたまま被疑者を拘束することはできるでしょうか。

さらにいうと、今回の告発を支持した人は、

一部表現を変えているところ

がある、としています。「一部の類似した記述」というのだはない。これはまさしく「犯人扱い」です。

もしもこれが雑誌などに書かれたものならば「著者の名誉・プライバシーなどに関わる人権侵害」であるとして告訴されても文句のいえないところだと思います。

218.42.227.233さんは、次のように書かれています。

「犯人扱い」だの「執拗に責める」だの仰っていますが、著作権侵害の疑いあり として出される削除依頼は、他人を責めたり非難するために行われるのではありません。

いかがでしょうか。百楽天 2004年7月15日 (木) 13:19 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございます。僕は著作権に詳しいかどうか、まだ随分に自信のない部分も多いのですが。^^;) まずはこの件に関わりのある点から。
外部サイトと過去の版とをざっと見比べてみましたが、僕も昭和4年の部分が最も気になりました。この部分に創作性が認められるか(著作権保護の対象になりうるか)、というと、その可能性は十分あるのではないかと、前回挙げた判例などからも思いました。
事実の記述に徹しているのですが、そのような文章であっても、事実の取捨選択、配列、表現に創作性が認められるそうですし、また、問題となる部分が仮にこの部分だけであっても、量さえ少なければ著作権侵害が成立しないということにはならないようです。また、言葉遣いの多少の違いなどはあるものの、それは(改変ではなく)複製の内だと判断されることもあるようです。(改変であればあるでやっぱり著作権に絡むわけですが。)
ただ、百楽天さんは当初から一貫して、外部サイトの年表はそもそも執筆前に見たことがなかった、とも主張されています。ではこれは偶然の一致なのかというと、そうではなくて、何か第三のソースがあって、百楽天さんのものも、外部サイトのものも、その共通のソースを参考にして作成されたためにお互いに似ている、という可能性があるのではないでしょうか? 僕はその点が気になりました。
あるいは、かつて百楽天さんがどこか別の場所で公表された文章を先方が利用したという可能性はないでしょうか?
それに関連してふと思いついたのですが、百楽天さんの出版された文章は、全て百楽天さんが著作権者のままになっているでしょうか? それとも、出版社なり別の方なりに著作権を移転されたり、あるいは独占利用許諾を与えられたり、あるいは共著の形をとったりということもあるでしょうか? もしもそのようなことがあれば、そのような文章をウィキペディアでリリースしてしまうとトラブルを招く可能性もあるように思いました。これは特にこの件に限った話ではないのですが。(まあ百楽天さんはキャリアが長いようですから、今更なお話かも知れませんが。。)
また、ウィキペディアの関係者の法的リスクはどうなるのか、ということを考えてみたのですが、もしも百楽天さんがこれが偶然の一致であることを主張され、削除に反対された場合には、他に手がかりもありませんし、財団、管理者のリスクは日本法上はなくなるのではないかとも思いました。二次利用者の方(ウィキペディアのコンテンツを利用される方)のリスクは変わりませんが。
単に偶然の一致であった場合には、仮に先方(なり誰か第三者)に訴えられたとしても、例えば百楽天さんの執筆ノートなどを証拠資料として提出することでそれが偶然の一致であることを裏付けられれば著作権侵害がないという風に判断してもらえるのではないかと僕は予想します。百楽天さんのノートの元ネタになったのがどこかにもよるかも知れませんが。。
ところで、現在、ウィキペディアのコンテンツを利用しているサイト(多くは広告付きの営利サイトのようです)は100以上見つかっています。全てのサイトが日本語版のコンテンツを利用しているわけではなく、また、全てのサイトが現在でも存続しているわけではないのですが、ウィキペディアのコンテンツは実際に商業利用されるものですし、それはGFDLによって誰にでも許可されているので、万が一そこに著作権侵害にあたる文章や画像が含まれていればその分著作権者の方の被害は大きくなりますし、それらのサイトの運営・管理者が責任を問われたり、そのような大きな被害をもたらしたウィキペディアの投稿者の責任も問われる可能性が考えられるかと思います。
そうしたあれこれを考えると、そもそもあのサイトと似ているというのが、先方がウィキペディアの記事から部分的に無断転載したというようなことでもない限りは、慎重に扱った方がよさそうな気もするのですがいかがでしょうか?
最後に、Topkopさんの行動についてですが、著作権法については残念ながらかなり初歩的な部分で誤解をしている方(政府の資料なら転載してもいいとか)もいるようですし、細かな部分になると法律の条文を読んだだけでは判断がつかず、判例を読み込んでみてどうにかわかる、あるいはそれでもよくわからない、というようなものですから、特定のソースとの類似点があれば、それを指摘するのは重要だと僕は思っています。そのソースの著作権者の方のためにも、ウィキペディアの参加者のためにも、ウィキペディアの運営主体であるメディアウィキ財団のためにも、またウィキペディアのコンテンツを利用する方々のためにも。ただ、類似がないのにあるように言ったり、類似があるだけなのにあたかもそれが確実に転載であるかのように言うのは避けた方がいいですね。Topkopさんは明らかにウィキペディアの初心者ではないように思いますが、だとすると、ウィキペディアで毎月依頼が出るものの多くに外部サイトからの転載を含むページが多くあるのをご存知だったのではないかと思います。そうして、このページの内容もそうしたものの一つではないかと考えたのではないかと。外部サイトよりも、ウィキペディアの投稿が先にあった場合には話が違いますが、そういうことでもないようですし。以後お見えになっていないようですが、Topkopさんのされたことは大まかな方向としては間違いではなく、ウィキペディアや関係者の方のためになることだと思いますので、それを説明して百楽天さんの理解を得て、性急な判断で転載があったかのように書いた部分については素直にお詫びをする、というようにすればよかったのではないかと思いました。(ということになれば、百楽天さんがそれでTopkopさんを責めることも余りないのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか)。
ところで、僕も百楽天さんとは違う形でですが、専門家が書いて査読を通った論文でも思わぬところに初歩的な間違いが残っていたり、大学の学部生用の教科書がもう何度も版を重ねているのに、自分が専門にしている部分について読んでみると相変わらず間違いや的を外した表現が多いといった実情は目にしています。^^;) 逆に、書き手の側が驚くような点について事実誤認を指摘できるスタッフを擁した出版社もあったり、悲観材料ばかりではないとは思いますが、学術誌の査読制度などはそれを通せば質は上がる傾向があるとは言え、間違いがなくせるとか、質の高い論文は必ず審査を通って低い論文は必ず落とされるというような信頼性のシステムとは到底言えないなあ、というのが僕の率直な感想です。(し、分野によってはそういう見解が珍しくない場合もあるようです。)
それから、辞書について著作権がどのように適用され得るのかは僕も非常に興味があり、ウィキペディアにとっても関係が深い部分だと思いますが、アンカー・サンライズ問題については、そうしたチェック・校正の体制の有無について全く異なる意見を目にしたことがあります。業界体質として、多少の転用は常態化しているという見方です。定義については、「お城の定義事件」などと呼ばれる事件で、特定の立場から用語の定義を行った場合にはそれが必然的にある一定の表現になるならそれは著作権保護の対象にならない、とされた例があります。ノート:日本十進分類法/削除でOpponentさんから教えていただいたものです。Tomos 2004年7月15日 (木) 17:23 (UTC)[返信]

こんにちは。
「結びの言葉」から読ませてもらいました。
>衛生行政は、もとは警察の仕事だったんですよ。
今で考えると、警察が何故、と思ってしまいますが、栄養行政上で警察権限が必要なことでも何かあったんでしょうね。もっと他に理由があったのかも知れませんが。警察は内務省の管轄だから内務大臣名が出てくるのは理解できます。行政の移管ということ一つを取ってみても、その当時の食生活や食糧事情が段々と変化していく事情が分かるような気がします。勉強になりました。次に、問題になっている「栄養士の年表」が、著作権法に抵触するのであれば、ウィキペディアに掲載されている他の多くの歴史関連年表はどうなるのかと心配しています。だから、「反対」票を投じたわけです。歴史上で起こったと考えられている史実などを書いた歴史年表についてもこの際議論しておいて欲しいという希望を持っています。「栄養士の年表」が他のサイトの年表と同じ内容を持っているということで、削除するかどうかが中心点だと思うのですが、「栄養士の年表」も歴史関連年表であると考えるのですが、どうでしょうか?議論の中心から離れているかも知れませんが。
ところで、百楽天さん、栄養士には、栄養士の説明と沿革が書かれているのですが、はっきり言って、何かもの足らない気がします。個人的には、栄養士の資格があるとどのような利点(?)などがあるのかも知りたいのですが。そのほかにも、資格があればいろいろな利点(?)があると思います。そういうことを加筆したらどうでしょうか?無理にとは言いませんが、知りたいところです。そのついでと言っては何ですが、年表に出ている「食品標準成分表」が5回ほど改訂されましたね。改訂するには、やはり、その当時の食糧事情の変化か何かに伴って改訂されたのかも、・・・全然知らない分野ですので、見当はずれのことを言っていると思いますのでご容赦ください。その改訂の時には、おもしろい話や珍しい話があれば、後学のために知りたいところです。百楽天さんの文章力や知識から言えば、年表に表すよりも文で書いた方が、栄養士が素晴らしくなると思います。秀逸に選ばれたタレが、みんなから賞賛されているのを知っています。
長々と必要でもないことを書いたことをお詫びして、この辺で失礼します。Yomibitoshirezu 2004年7月15日 (木) 02:57 (UTC)[返信]


Yomibitoshirezuさん、はじめまして。
「栄養士」は、かんたんにいえば、「栄養指導をすることができる能力」を認めた「お上の看板」です。栄養士の資格を持たない人が栄養に関することを語っても、法には違反しません。たとえば「○○大学医学部教授」の肩書きで栄養学関係の雑誌に病理学について書いた先生を知っています。医学博士ではありましたが、医師免許も栄養士の免許さえ持っていませんでした(笑)。私などは、執筆依頼がきたときには、百楽天の署名を条件にお受けします。もちろん「無免許ですけどいいですか」とのことわりもいれます。
「肩書きはどのように?」「肩書きなしではまずいですか」。そのまま肩書きなしで通ることもありますが、「こちらのほうで考えます」と先方で肩書きをつくってしまうことも(笑)

栄養士管理栄養士の違いは、銀看板と金看板くらいの差といえるでしょう。しかし、私が知っているだけでも20年も前から、資格を称しての栄養指導を栄養士から管理栄養士に移行させようとの考えが、当時の厚生省にありました。そのうちに管理栄養士は国家試験合格者に与えられる資格となり、これまでは登録制度でしたが、来年からは管理栄養士も免許制になります。老人社会に突入し、国家予算上、医療費はばかにならない。そうした背景から、栄養指導も医療の中に深く入っていく時代となります。百楽天 2004年7月15日 (木) 13:19 (UTC)[返信]

百楽天さんが書かれた栄養士の記事のなかで、。sphlさんとTomosは、昭和4年の項目の記載が類似しているとのことですが、百楽天さんがあげた第3の年表でも同じことを書いていますね。また、昭和13年の項には「厚生省が発足したこと」「栄養行政は内務省から厚生省に移管されたこと」が、3つの年表に共通して書かれていることを百楽天さんは示しています。
内務省は地方政府と警察を所管していましたが、昭和13(1938)年、国民の体力向上を目指した陸軍の強い要望によって厚生省が設立され、この時、内務省の社会局と衛生局が厚生省に移管されたようです。「栄養士」に関する年表には、ここまで詳しく書くこともないでしょうね。(参考・池上直己、J.C.キャンベル著『日本の医療』中央公論社 ISBN 4-12-101314-X )。
栄養ということに限らず、医療全般をみても厚生省ができる前の時代の情報はそれほど多くないので、書くことも限られると思います。Kimiko 2004年7月18日 (日) 06:06 (UTC)[返信]

横槍失礼します。最近の判決で、新聞の見出しのようにごく短く表現形式に制約がある中での事実の列挙は著作物に当たらない、というのがありましたね。[見出しは著作物にあたらない] 今回のに即適応できる話ではないとは思いますが。 Naruto 2004年8月18日 (水) 00:14 (UTC)[返信]