ノート:朝鮮半島南部の前方後円形墳

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平成28年10月5日の私の編集について[編集]

本日(平成28年10月5日)、記述の差し戻しを行いました。要約欄に記載していることではありますが、理由は次の通りです。

  • 拳骨拓史の出典内容について
    前方後円形墳から金冠が出土したという事実は無いはずです。記載の出典を見ましたが、出典内ではいずれの古墳の出土かの記載すらありません。記載内では考古学者の辻秀人氏の名前が挙がっておりますので、出典内で参考文献として挙げている辻氏の『百済と倭国』にも目を通しましたが、そこにも(少なくとも辻氏の論文・発言には)金冠出土の記述は見つかりませんでした。拳骨氏は考古学者ではないこともあり、畢竟、根拠の確かでない政治的主張を取り上げるわけにはいきませんので、除去しました。
  • 大平裕氏の出典内容について
    1つの古墳に関する個別事項を総説記事たる本項で大々的に解説するにはあたらないと考えます(松鶴洞1号墳の項目に記載するなら別です)。また、記述自体も引用の体裁として不十分で(主の文が無い)、文章の無断転載にあたると懸念されます。かつ、これは過去の議論であり(近年の考古学者の書いた文献(記事内の参考文献)で引き続き議論が行われている形跡は無い)、非考古学者である大平氏(および保守系の『歴史通』)による政治的主張を誇張して掲載することは、中立性の観点からも不十分と考えます。本事柄はかねてより注釈にて言及済であり、今後もそれで十分と考えます。

以上です。--Saigen Jiro会話2016年10月5日 (水) 09:58 (UTC)[返信]

平成29年3月20日の私の編集について[編集]

本日(平成29年3月20日)、「日本列島から朝鮮半島への勢力伸長・文化移入」の記述について「日本列島と朝鮮半島の地域間交渉」への差し戻しを行いました。当該文についてはIP様と私の間で意見が食い違っており、IP様は「単なる「文化交流」でないことはすべての論者に共有されているはず」と述べられています。しかしながら、近年の研究を俯瞰する限り、これらの古墳については「在地系勢力が日本列島の形式を真似た」とする見解が主流ですので、勝手に真似たものを「勢力の伸長」と表現するのは不適切と考えています。IP様の会話ページの方で意見の一致を試みましたが(利用者‐会話:114.182.188.88)、応答を頂けませんでしたので、差し戻しにて失礼いたします。--Saigen Jiro会話2017年3月20日 (月) 00:36 (UTC)[返信]

差し戻します。この「地域間交渉」の特色はパワーバランスの非対称性であり、そのことを隠蔽するのは過度に党派的であり不適切ということです。あなたの今後の対応如何ですが、都出比呂志氏の具体的文言を引いて「覇権を拡大」とすること、前方後円墳体制論に則すなら、"論理必然的に"当該地域が前方後円墳体制の内側に含まれる旨を記すなど、考える次第です。そもそも「勝手に真似た」とは没交渉を意味しており、「地域間交渉」という語自体が不適切で支離滅裂なのですが。なお当方はWikipediaの編集は不慣れなのであしからず。--114.182.188.88 2017年3月20日 (月) 22:20 (UTC)[返信]

「雄略大王は官人制と軍事制の力を基礎にして有力首長連合体制を解体し、日本列島の南北端と朝鮮半島に対する覇権を更に拡大した」、「朝鮮半島への進出と交流が、倭の地位を高め、朝鮮半島の13基の前方後円墳を築かせるほどの影響を与えたと見てよい」といった記述を紹介しておきます。--114.182.188.88 2017年3月20日 (月) 22:31 (UTC)[返信]

どうもです。私は表のページを編集せず会話ページにて散々ご意見を待っていたのですが、それには応じずいきなりの差し戻しとは甚だ遺憾です。「党派的」の意味するところが分かりませんが、日朝関係史において「形」だけにとらわれる前方後円墳体制を至上とすること自体が近年の学説に沿っていないと申しているのです。朝鮮半島の前方後円形墳では、百済系の木棺が使用されていることや、副葬品に倭系・百済系・大加耶系の文物が混在することが判明しており、墳形だけにとらわれるのはもはや事の本質ではないと指摘されています(高田貫太 『海の向こうから見た倭国』 講談社、2017年)。ただ、栄山江流域は倭・百済・加耶諸国と地域間交渉/交流をしていたわけですが、前方後円形墳を「倭との地域間交渉の結果」のように記述するのは仰るように不適切ですね。その点で「倭との地域間交流の結果」に改めます、失礼いたしました。
なおご提示のうち、前者の雄略については当該項目の前時代なので、それを持ち出すこと自体ナンセンスです。後者については「影響」であって、現在問題としている「ヤマト王権の勢力拡大」を意味しないと考えます。いかがでしょうか。--Saigen Jiro会話2017年3月21日 (火) 03:29 (UTC)[返信]

党派的であるとは、イデオロギッシュであるということ、政治的であるということです。Wikipediaにおいては、あなたの文献史学(考古学については疑問)に関する学説状況についての把握や評価には何の意味も価値もありません。業績を有するオーソリティーが何といっているかがすべてです。それから。日本語能力を疑問視するというのはありがちなイチャモンのようになりますが、不可避ですね。雄略以前に覇権が拡大された状況があり、雄略の治世に至り、「更に覇権を拡大した」ということです。「影響」とはもちろん政治的影響であり、当該地域において首長墓/制が追従的に模倣されたという事実を踏まえれば、それを覇権と言い換えても本質的意味に変化はありません。なお、"副"葬品が"副"葬品たる所以は、それが本質的意味を有さないからですね。祭と政に別のない古代世界において、首長墓が決定的に重要な政治的意味を有することについては、論を俟ちません。--114.182.188.88 2017年3月21日 (火) 10:52 (UTC)[返信]

どうもです。「政治的」なのは、踏み込んだ記述をしてナショナリズムを喚起するIP様の方だと私は考えておりますけれども。申し訳ありませんが、こと日朝の考古学に関しては第一人者たる高田貫太氏の方が都出比呂志氏よりも精通しております。お言葉そのまま、IP様の学説状況についての把握や評価の拙さを露呈していませんか。あと繰り返しですが、雄略の時代(5世紀後半)は朝鮮半島の前方後円形墳(6世紀前半)の前です。『雄略の治世に至り、「更に覇権を拡大した」』ことと本項目は関係がないと申しております。棺という埋葬の根本たるものに百済のものが用いられていて、何が倭の王権勢力下なのか甚だ理解出来ません。「王権の勢力伸長」と書けば王権の主体性が明らかですが、間接的な影響はこれにあたらないでしょう。そもそもIP様は百済の棺が使われていることすら把握されていましたか。以上よろしくお願いいたします。--2017年3月21日 (火) 11:35 (UTC)
(追記) 編集者個人の学説状況についての把握や評価は価値がないという論旨でしたね。当該文を消しておきます。失礼。--Saigen Jiro会話2017年3月21日 (火) 12:07 (UTC)[返信]

当方が無党派的であるなどとは毛頭考えておりません。どちらがより党派的であるか、ないか、が論点です。事実を記すことと事実を隠蔽すること、どちらがより価値負荷的であるか、深く考えるまでもないことです。さて。当該文において都出氏のいう「覇権」についてのあなたの解釈は、「雄略の(しかも雄略の死によって霧消する)覇権」というものですね。しかし実際に都出氏が述べる所は、雄略以前に波及、雄略によって拡大、継体にまで継承され、そして失われる、朝鮮半島における「ヤマト王権(ないし前方後円墳国家)の覇権」ですよ。よくよく理解を。そして改めて確認すべきことは、Wikipediaにおいては、当方やあなたの学術的(?)考察、学界情報通ぶりには何の意味も価値もなく、それを記事化するなどもってのほか、「独自研究」は有害厳禁、ということです。簡単にいえば、どこそこの偉い人がこう言っているよ、という記述スタイル以外不要でありまた不適切である、ということですね。可視的であることの意味、可視的部分=外形の規模と被葬者の権威の関係、外形態における外来性の意味、「見せる王権」という表象と不可視化される棺の、どちらが墓制においてより本質的か、などなど興味深い論点は多々あるでしょうが、当方とあなたの議論考察には何の意味も価値もありません。では具体的にどのような記述とすべきか。「覇権の拡大とみる人がいる。「交流」とは異なる「進出」があったと見る人がいる。一方でそれへの批判がある(それがもしあるのなら)」というスタイル以外にないでしょう。それでもあなたにとって不都合だというなら、「地域間交流」におけるパワーバランスの非対称性、相対的に大国である倭と、相対的に小勢力群である当該諸地域の政治的関係(虎と狐の関係でしょうか)を隠蔽しない記述をあなたなりに考えてみてください。--114.182.188.88 2017年3月22日 (水) 02:47 (UTC)[返信]

どうもです。IP様が無党派だと自覚されていないとの旨、承知しました。私もそのような自覚はしてませんが、踏み込んでいない私の記述の方にのみ一方的にレッテルを貼るのはおやめ下さい。また「Wikipediaでは」を語るなら、Wikipediaのルールを根拠にしてお語り下さい。少なくともWikipediaにおいては「中立的な観点」のルールがありますから、踏み込んだ記述をする・しないで言えばしない方が妥当です。「事実の隠蔽」と申されますが、ご主張内容が広く考古学的に「事実」と共通認識されているということをIP様は全く証明されていません。同様の主旨として、IP様は過去にも『単なる「文化交流」でないことはすべての論者に共有されているはず』として「勢力伸長」の表現を差し戻されていますが、その論拠をお示し下さい。1つの説を持って「事実」と断言するご発言に説得力は全くございません。私は論拠をもってIP様との対話にあたっておりますのに、それを「独自研究」とは笑止千万。先にも紹介しました第一人者の高田貫太氏は、
  • 「氏都出比呂志氏を指すの提言は批判的に継承していかなければならない」、「栄山江流域社会が前方後円墳体制に組み込まれていたとみることもできない」(『海の向こうから見た倭国』 講談社、2017年、pp. 278-280)
と明確に否定されています。他にも主な方々として、
  • 白石太一郎氏「当時の朝鮮半島西南部の栄山江流域がヤマト王権に属していたなどというようなことではなく」(『発見・検証 日本の古代II 騎馬文化と古代のイノベーション』 KADOKAWA、2016年、p. 165。)
  • 田中俊明氏「それらの地域の首長たちは、倭とも百済とも関わりをもっていた。いわば等距離的な関係を保ってきた」(田中俊明 『古代の日本と加耶(日本史リブレット)』 山川出版社、2009年、p. 82)
の発言もございます。日朝の考古学を専門分野としない都出比呂志氏の説(というかそれを基にしたIP様の拡大解釈)を第一義に載せること自体が不適当です。--Saigen Jiro会話) 2017年3月22日 (水) 04:45 (UTC) (修正)--Saigen Jiro会話2017年3月22日 (水) 04:48 (UTC)[返信]
(追記) とここまで書きましたが、「勢力の伸長」でなく「文化の伸長」ならまだましですかね。最適解とは言い切れませんが。--Saigen Jiro会話2017年3月22日 (水) 04:57 (UTC)[返信]
コメント 続けてすみません。「業績を有するオーソリティーが何といっているかがすべてです」ということですので、せっかくですから、取っておいた資料から関係するところをもう少し書くことといたします。
  • 『韓国の前方後円形墳 -早稲田大学韓国考古学学術調査研修報告-』 岡内三真編、雄山閣出版、1996年、pp. 79-80
    百済西南部の前方後円形墳は、こうした歴史の躍動の中で百済に生活の根拠をもった百済西南部の在地首長たちが、倭との交流を深めるなかで構築したものである。
  • 西谷正氏( 「韓国の前方後円墳をめぐる諸問題」『前方後円墳と古代日朝関係』 朝鮮学会、2002年、p. 21)
    そのような倭人系百済官僚は、栄山江流域が新しく百済の領域に編入されたことを契機として、倭の墳丘形態を採用するとともに、百済の石室を築き、百済の文物を副葬したと考えたい。
  • 吉井秀夫氏 (「百済」『東アジア考古学辞典』 東京堂出版、2007年、p. 158)
    この時期の栄山江流域では、1辺30mを越える方形墳丘を持つ古墳や、前方後円形墳が築造される。横穴式石室の構造、埴輪と類似した円筒形土製品、須恵器などの副葬品に倭系の要素が見られるが、金銅製装身具・鐶座金具を持つ木棺など、百済中央勢力の要素が本格的に現れる時期でもある。
  • 朴天秀氏(『加耶と倭 -韓半島と日本列島の考古学-』 講談社、2007年、p. 119)
    栄山江流域の前方後円墳の被葬者である北部九州から有明海沿岸地域の複数有力豪族が、倭王権とともに百済王権に両属していたことを示唆している。
  • 禹在柄氏(「"任那日本府"の謎」『日本と朝鮮半島2000年 上 (NHK「日本と朝鮮半島2000年」プロジェクト)』 日本放送出版協会、2010年、p. 63)
    前方後円墳は百済が当時の危機を乗り越えるため、一時的に採用した百済の地方首長の古墳だと私は考えます。
  • 森公章氏(「"任那日本府"の謎」『日本と朝鮮半島2000年 上 (NHK「日本と朝鮮半島2000年」プロジェクト)』 日本放送出版協会、2010年、p. 70)
    この地域の人々はおそらく百済でも加耶でも倭でもなく、自分たちの地域を守るために、ある人は百済と手を結ぼうとし、ある人は倭や加耶の勢力を引き込んで、百済に対抗しようとするなど、さまざまな行動をとった。
  • 柳沢一男( 『筑紫君磐井と「磐井の乱」 -岩戸山古墳- (シリーズ「遺跡を学ぶ」094)』 新泉社、2014年、p. 83)
    このような状況下に倭系古墳が築造された背景には、漢城陥落と遷都にともなって動揺する百済中央と栄山江流域情勢の安定化、その後の百済への編成(領有化)の支援、さらに大加耶西部への進出をめざす百済からの要請のもとに、倭王権から派遣された九州中北部勢力を中心とする倭人勢力の存在が想定される。
  • 東潮氏(『発見・検証 日本の古代II 騎馬文化と古代のイノベーション』 KADOKAWA、2016年、p. 162)
    栄山江流域や蟾津江流域にしても、倭が領土としていたということはありません。
上でも紹介しましたが、Wikipediaにおいては「中立的な観点」のルール、すなわち「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」ルールがありますから、上記のうちから最も中立な記述を目指しませんか(私は本文に反映させたつもりなのですがね)。なお、IP様が申されるところの
  • どこそこの偉い人がこう言っているよ、という記述スタイル以外不要でありまた不適切である
  • 「覇権の拡大とみる人がいる。「交流」とは異なる「進出」があったと見る人がいる。一方でそれへの批判がある(それがもしあるのなら)」というスタイル以外にない
という論旨にはWikipediaのルールが何1つともなっておらず、「自分ルール」の域を出ません。そもそも「勢力伸長」は都出比呂志氏の記述からの意訳(拡大解釈)であり、「どこそこの偉い人がこう言っているよ」というスタイルさえもIP様ご自身で守られていない。そのような拙い「自分ルール」を強要される謂れはございませんので、ご承知おき下さい。以上、長文失礼いたしました。--Saigen Jiro会話2017年3月22日 (水) 14:53 (UTC)[返信]

やはりあなたはちょっと常軌を逸している。あなたは踏み込んでいるんですよ。当方よりも過剰に。都出氏の見解を独自の判断で"大胆に"オミットしているわけです。書かない=踏み込んでいない、ということにはならないのです。どうか自覚、理解を。そして繰り返しますが、あなたがどれだけ、「ロートルはそういっているかもしれないが、気鋭の誰それはそうは見ていない」、と気張ったところで、何の意味も価値もないのです。あなたの学界レビュー、学説レビューには何の意味も価値もない。肝に銘じてください。

ご紹介の各種見解はすべて例外なく、前方後円墳群の築造が「単なる文化交流」ではなく、政治的意味を持つ現象として把握されていると考えるより他ない記述ですね。なぜこれが当方への反論の根拠となると考えたのか甚だ疑問ですが、 当方の提案は現状の記述を改めることを前提にしているので、「勢力の伸長」にはもはや拘りはありません。

そして。意訳、要約縮約は問題にはなりませんし(引用だらけ、盗用だらけの方が問題ですから)、拡大解釈の指摘は当たりません。大体、都出氏は「覇権」、また「交流」とは異なる「進出」を用いており、当方の意訳は拡大解釈どころではなく、過度に党派的なあなたでも受け入れられるよう配慮し、マイルドな表現にしたものです。それでも納得できないという過度に党派的なあなたに釘を刺しておくべく、では都出見解のより直截的な表現にしよう、ということです。

一方、あなたのやっていることは各種見解の意訳、要約縮約ではないんですよ。あなたの、学説状況の把握という「独自研究」に基づき、勝手に取捨選択、総合折衷してしまっているわけです。しかもおそらく、意図的にではなく無自覚にね。例えば 高田氏を「第一人者」であると思い込むのはあなたの独自の価値判断なのです。頭を冷やして省みてください。あなたにとって高田氏がカリスマなのは、Wikipediaにとってはどうでもいいことです(無論当方にも)。

「〜スタイル以外にない」は当方とあなたが納得できるスタイルとして提案したもので、Wikipediaが要請していると述べているわけではありません。とにかく誤解が多すぎますね。反省してください。

特定の観点に偏らず、中立的な観点に沿うべく、都出見解の要約縮約とそれへの疑義の要約縮約を併記、ということでよろしいですね? 各種見解の総合的折衷は、当方とあなたの共同研究(笑)にしかなりませんから、これ以外にはないんですよ。--114.182.188.88 2017年3月23日 (木) 07:53 (UTC)[返信]

どうもです。長くなりますが、ちょっと1つ1ついってみますね。
  • やはりあなたはちょっと常軌を逸している。あなたは踏み込んでいるんですよ。当方よりも過剰に。都出氏の見解を独自の判断で"大胆に"オミットしているわけです。書かない=踏み込んでいない、ということにはならないのです。どうか自覚、理解を。そして繰り返しますが、あなたがどれだけ、「ロートルはそういっているかもしれないが、気鋭の誰それはそうは見ていない」、と気張ったところで、何の意味も価値もないのです。あなたの学界レビュー、学説レビューには何の意味も価値もない。肝に銘じてください。
    → Wikipediaでは「中立的な観点」は『さまざまな「信頼できる情報源」を注意深く、批判的に分析し、それらの出典に含まれる情報を読者に明確かつ正確に取り次ぐこと』を意味しております。広く通説を探る作業を褒められこそすれ、批判されるルールはありませんのでご承知おき下さい。暴言は慎まなければいけないので、とりあえず「常軌を逸している」は褒め言葉と受け取っておきますが、ある記事はその分野の資料に基いて記すというのは当たり前の作法です。「ロートルはそういっているかもしれないが、気鋭の誰それはそうは見ていない」というのはIP様の勝手な曲解で、私は『いわゆる「前方後円墳体制論」は朝鮮半島の前方後円形墳に対しては学問的に広く共通認識として持たれていない』と認識しています。言っておきますが、上で挙げた白石太一郎氏などは大御所も大御所ですよ。ご認識は大丈夫ですか? 何度も申し上げるのは私も心苦しいですが、「前方後円墳体制論」が朝鮮半島の前方後円形墳において学問的に広く共通認識として持たれているというならば、証明されて下さい。あと、とりあえず「Wikipedia:中立的な観点」を守る気があるかないかについて、お答え下さい。
  • ご紹介の各種見解はすべて例外なく、前方後円墳群の築造が「単なる文化交流」ではなく、政治的意味を持つ現象として把握されていると考えるより他ない記述ですね。なぜこれが当方への反論の根拠となると考えたのか甚だ疑問ですが、当方の提案は現状の記述を改めることを前提にしているので、「勢力の伸長」にはもはや拘りはありません。
    → 「単なる文化交流」ではない、ということは私も承知しています。そこから1歩踏み込むと現状は百家争鳴であり、「書けない」のが現在の「中立的」だと私は認識しています。まあ、「前方後円墳体制論」を出してくる論者はほぼいませんから、少なくとも「前方後円墳体制論」のみが踏み込んでくるのは「中立的」ではありません。あと、私はIP様が「すべての論者に共有されている」として「勢力の伸長」の表現を差し戻したことを受け、「すべての論者が勢力の伸長と考えている」というようなIP様の誤解を解くことを考えていました。私が上に資料を出すことで、IP様が「勢力の伸長」の表現からは手を引くとご理解頂いたようですから、心から感謝申し上げます。
  • そして。意訳、要約縮約は問題にはなりませんし(引用だらけ、盗用だらけの方が問題ですから)、拡大解釈の指摘は当たりません。大体、都出氏は「覇権」、また「交流」とは異なる「進出」を用いており、当方の意訳は拡大解釈どころではなく、過度に党派的なあなたでも受け入れられるよう配慮し、マイルドな表現にしたものです。それでも納得できないという過度に党派的なあなたに釘を刺しておくべく、では都出見解のより直截的な表現にしよう、ということです。
    → 先の記述とご主張が一貫されていませんが、「勢力の伸長」からは手を引かれるということですので、指摘させて頂くのは控えましょう。それでですが、 IP様は相も変わらず証明なく「前方後円墳体制論」を出してきていますが、当該分野において「前方後円墳体制論」が広く共通認識として持たれているということを証明されてからにして下さい。上でもお聞きしましたが、証明することができない or 「Wikipedia:中立的な観点」を守る気がなければ、その旨の表明でも結構です。
  • 一方、あなたのやっていることは各種見解の意訳、要約縮約ではないんですよ。あなたの、学説状況の把握という「独自研究」に基づき、勝手に取捨選択、総合折衷してしまっているわけです。しかもおそらく、意図的にではなく無自覚にね。例えば高田氏を「第一人者」であると思い込むのはあなたの独自の価値判断なのです。頭を冷やして省みてください。あなたにとって高田氏がカリスマなのは、Wikipediaにとってはどうでもいいことです(無論当方にも)。
    → 批判するのは、私の上の引用が恣意的だということを証明してからにして下さい。また、自分の理解の及ばないものに対するレッテル貼りや、仮定に基づく批判を行うことはお止め下さい。IP様の発言が、Wikipediaの「善意にとる」というルールに沿わない、「個人攻撃」に相当して、投稿制限に至ってしまわれることを懸念します。
  • 「〜スタイル以外にない」は当方とあなたが納得できるスタイルとして提案したもので、Wikipediaが要請していると述べているわけではありません。とにかく誤解が多すぎますね。反省してください。
    → Wikipediaでは上下の別はございませんから、IP様から頭ごなしにスタイルを強要される覚えはないと申しております。そして反省を強要される言われもございませんので、ご承知おき下さい。
  • 特定の観点に偏らず、中立的な観点に沿うべく、都出見解の要約縮約とそれへの疑義の要約縮約を併記、ということでよろしいですね? 各種見解の総合的折衷は、当方とあなたの共同研究(笑)にしかなりませんから、これ以外にはないんですよ。
    → 3回目ですが、相も変わらず証明なく「前方後円墳体制論」を出してきていますが、当該分野において「前方後円墳体制論」が広く共通認識として持たれているということを証明されてからにして下さい。上でもお聞きしましたが、証明することができない or 「Wikipedia:中立的な観点」を守る気がなければ、その旨の表明でも結構です。あと、何故私が同意に至らないであろうことを承知で、「よろしいですね」と申されるのか。提案の仕方が稚拙ですが、とりあえずお断りです。勉強不足で「事実」と極言したり、「これ以外にはない」と絶対的表現をしたり、学問・議論を愚弄されるのもほどほどになされるとよろしいかと思います。
最後にお聞きしますが、IP様は「必ずしもWikipediaのルールに基づく義務はない」とお考えでしょうか。WikipediaではWikipediaのルールに従って編集・議論を行うのが常ですので、あまり身勝手な言動をなされていると投稿ブロックの対象になってしまうのではと危惧いたしますので、ご注進申し上げます。--Saigen Jiro会話) 2017年3月23日 (木) 09:17 (UTC)(微修正)--Saigen Jiro会話2017年3月23日 (木) 09:59 (UTC)[返信]
コメント (追記) 余談ですが、資料を見返していて重要なことを忘れていました。「前方後円墳体制論」が栄山江地域にあたらない根拠として、百済系木棺の出土、副葬品に倭系・百済系・大加耶系文物の混在を上に挙げたところですが、それに加えて「当該地域で営まれていたのは前方後円形墳だけではない」すなわち「前方後円形墳と大規模な在地系高塚古墳が併存した」の点をすっかり失念しておりました。まあ、近年朝鮮系ピラミッド形と判明した都塚古墳(蘇我稲目の墓が有力説)や、日本各地に残る朝鮮系の積石塚の存在をもってして「朝鮮半島の覇権の日本列島への進出」と表現したら、大バッシングですからね。これを抜きにして語っていたら、後からこのノートを見た人に笑われそうですから、念のため付記しておきます。再度「個人研究に興味はない」と言われてしまうと思いますから、IP様に向けた発言とはいたしません、悪しからず。--Saigen Jiro会話2017年3月23日 (木) 09:59 (UTC)[返信]
コメント (追々記)「踏み込まない」にばかり固執するのも印象が悪いですから、仰るところの政治性まで踏み込むとすれば、「墳形に加えて木棺・副葬品・周辺在地系古墳の様相から、当時の倭・百済・加耶地域と栄山江流域との政治的・経済的・文化的関係性を表象するものとして注目される(出典:森公章、高田貫太など)」といったところだと諸氏と食い違う記述ではないと思います。次の段落と重複しますが。もっと踏み込むと、「栄山江流域勢力による百済に対する牽制目的(出典:田中俊明、土生田純之、金洛中)、または百済による栄山江流域勢力の支配強化目的(出典:山尾幸久、西谷正、朴天秀、柳沢一男など)で築造されたものとして注目される」といったところですかね。こちらは次々段落と重複しますが。--Saigen Jiro会話2017年3月23日 (木) 13:07 (UTC)[返信]
コメント (追々々記)重ね重ね申し訳ありません。時間が経つと色々と思考が巡るもので、何か議論が腑に落ちないと思っていましたが、IP様は「偉い人が言うことは絶対」という世界で生きていらしたのですね。例えば学校世界では教師の発言に従わないといけませんが、こと研究世界においては、「説の有力性」は「その分野でその説がどれだけ賛同を得ているか」で決まるものです。Wikipediaのルールで言うと、
といったところでしょうか。文系の研究世界でも被引用文献が簡単に検索できれば楽なのですがね。。。そう考えると、IP様からは確かに私が常軌を逸した理解不能の行動をしたように見えますよね。私も色々と不遜な物言いしたかもしれませんが、そういった事情でしたら仕方ありませんので、その点は素直に謝りたいと思います。都出比呂志氏がカリスマなのはWikipediaにとってはどうでもいいことですから、以後は上の点を前提としてご議論いたしたいと思います。--Saigen Jiro会話2017年3月23日 (木) 14:12 (UTC)[返信]

嘆息とともに問わざるを得ません。当方がどこで、前方後円墳体制論に依拠して半島南西部の前方後円墳群を解釈し、その意義/意味を記述すべきだ、などと言っているのでしょうか。当方は「都出見解のオミットを許容しない」という立場で述べています。というか、これをいうだけで終わってしまいそうですね。あなたに誤解が多い理由は、単に冷静さを失っているからだと思われます。うんざりさせ萎えさせるという高等な戦術とは思われないので(笑)。とりあえず文章は複数回読んでください。虚心坦懐に。

そして懲りもせず「白石太一郎氏などは大御所も大御所ですよ」とは。あなたの独自見解にはなんの意味も価値もありません。何度言わせるのですか。学界の勢力図、学者のヒエラルキーを示す学術的文書でもあれば、あるいは「半島南西部の前方後円墳群に関する都出氏の見解を支持するものはほとんどいない」、「前方後円墳体制論は今日既に棄却されている」といった類いの学術的文章があれば別ですが、それがないならいい加減に慎んでください。「説の有力性」は「その分野でその説がどれだけ賛同を得ているか」をで決まるものであってあなたがジャッジするものではなく、有力説、通説としてWikipediaに記述するためには、「〜が有力説、通説である」という学術的文章が根拠として必要なのです。

基本に立ち返って。「対等で相互的な文化交流であった」という事実誤認を生じさせかねない記述ではダメですよ、それは党派的意図が明らかな隠蔽ですよ、ということ、これがそもそもの問題です。前方後円墳群の築造には政治的意味があり、また相対的に強者であるヤマト王権と相対的に弱者である当該諸勢力という基礎的条件が踏まえられた記述であることが必要なのです。

余談についても少し触れてみますか。「近年朝鮮系ピラミッド形と判明した都塚古墳(蘇我稲目の墓が有力説)や、日本各地に残る朝鮮系の積石塚の存在をもってして「朝鮮半島の覇権の日本列島への進出」と表現」できないのは、単に、ほとんど物理的な条件、人口や生産力の非対称性が自明であるからでしょう。文献上の根拠、傍証もありませんしね。「前方後円墳体制論」というハードな学説が存在する一方、「朝鮮系ピラミッド形墳体制論」というスケッチ程度の学説も存在しないのは、政治的理由ではなく、物理的理由です。「大バッシング」など生じないでしょう。相手にされないだけかと。--114.182.188.88 2017年3月24日 (金) 08:58 (UTC)[返信]

無視されたので再度。当該分野において「前方後円墳体制論」が広く共通認識として持たれているということを証明されてからにして下さい。上でもお聞きしましたが、証明することができない or 「Wikipedia:中立的な観点」を守る気がなければ、その旨の表明でも結構です。「極少数の人々にしか支持されていない理論には言及する必要がない」(Wikipedia:独自研究は載せない#理論に関する記事の扱い方)に相当するのかしないのか、とりあえず明らかにして下さい。取り上げられてすらいないものを示すのは困難ですが、Wikipedia:独自研究は載せないに則って、主要諸氏が批判こそあれ前方後円墳体制論に立脚した主張をしていない(賛同を示していない)ことを私はすでに示しました。しかしながら、誰が賛同しているのか現状さっぱりわかりません。IP様の被害妄想(1段落目)も、IP様の独善的解釈(3段落目)も、当該議論には不要な情報です。お返事が遅くなり失礼。--Saigen Jiro会話2017年3月27日 (月) 07:29 (UTC)[返信]

簡潔に。都出見解の記載に、「前方後円墳体制論」が広く共通認識として持たれているということを証明をする、という当方の独自研究は必要ありません。主要諸氏が批判こそあれ前方後円墳体制論に立脚した主張をしていない(賛同を示していない)ことを証明した、というあなたの独自研究が無意味であるのと同じ様に、それは無意味なので。「その分野でその説がどれだけ賛同を得ているか」についてのあなたの独自の調査研究はどうでもいいことなのです。(学説状況に関する)学術的文章のみを示してください。そして何度でも。「諸氏」が「主要」であるというのがあなたの独自の判断でしかないということに、いい加減に気づいてください。--223.218.50.9 2017年3月28日 (火) 03:56 (UTC)[返信]

「その観点がいかに顕著なものであるか、多数派に支持されているのか少数派に支持されているのかなど、その観点の背景に関する情報を提供」することはWikipedia上の独自研究ではありません(Wikipedia:独自研究は載せない)。方針を無視した独りよがりの主張はお止め下さい。私の発言の方がWikipediaの方針に沿わないものであればコメント依頼を出されて結構ですが、出されないのであれば方針に従って論拠をお示し下さい。--Saigen Jiro会話2017年3月28日 (火) 04:22 (UTC)[返信]

提供することと実際に記述することは違いますが、「もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ」そうですから、学説状況に関する学術的文章を示してください。あるいは、それが存在しないことを認めてください。あなたの独自の調査研究は不要なのです。 一方で、「もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない」とも。都出氏は、少なくともあなたはご存知のようですが。--223.218.50.9 2017年3月28日 (火) 10:38 (UTC)[返信]

しかしそもそも、「勢力の伸長」を除去した根拠は「在地系勢力が日本列島の形式を勝手に真似たとする見解が主流」という認識でしたね。ご紹介いただいた各種見解では築造主体、被葬者についての見解が様々であること、主流の不在を示している様にしか見えないのですが、この矛盾はどう説明されるのでしょうか。現状の記事ではあなたの考える「非主流」説も併記されていますね。--223.218.50.9 2017年3月28日 (火) 10:52 (UTC)[返信]

人に質問する前に、ご自身に問われた質問に答えてください。--Saigen Jiro会話2017年3月28日 (火) 11:09 (UTC)[返信]

証明できるかどうかはわかりません。ただし当方は資料を持ち合わせておらず、また証明する気もなく、なにより前述の通り、証明の必要はないのです。中立的な観点は徹底的に守られるべきです。都出見解が少数意見であるかどうかは定かではありません。ただし「言及するのに意味がある」見解です。

これでいいですね。

ところで、この不毛なやり取りを振り返ってみると、あなたはずるずると後退するばかりで、もはや「勢力の伸長」すら否定出来ない立場になっていますね。都出氏の文章に関する解釈の誤りを明らかにされ、「単なる文化交流」でないことが学界の「通説」であることを明らかにされ(あなた自身も認めてしまいました)、最早なす術がない。さらに。ごまかしというにはあまりにも不合理ですが、「半島南西部の前方後円墳群に関する都出氏の見解」からなぜか唐突に前方後円墳体制論それ自体へと矛先を転換するという経緯は、混乱の極みであり、端的に無様です。あげく、「大御所中の大御所」に先だって雄山閣関連の賞を受けている都出氏の見解を価値なき少数意見としてオミットしようとは(笑)。--223.218.50.9 2017年3月29日 (水) 00:54 (UTC)[返信]

質問に回答して下さい。IP様の「証明する気」などはうかがっておりません。IP様は
基本に立ち返って。「対等で相互的な文化交流であった」という事実誤認を生じさせかねない記述ではダメですよ、それは党派的意図が明らかな隠蔽ですよ、ということ、これがそもそもの問題です。前方後円墳群の築造には政治的意味があり、また相対的に強者であるヤマト王権と相対的に弱者である当該諸勢力という基礎的条件が踏まえられた記述であることが必要なのです。
と発言されているのです([1])。主張されたのですから論拠をお示し下さいと申し上げています。--Saigen Jiro会話2017年3月29日 (水) 14:05 (UTC)[返信]

それは私が満足できる記述について説明したものです。こちらの問いにも誠実に答えてください。--223.218.50.9 2017年3月29日 (水) 17:04 (UTC)[返信]

どうもです。また1つ1つ答えて参りますが、質問がたまっておりましたので長くなる点はご容赦願います。
直近の回答について
回答をありがとうございました。「主張」ならば論拠を頂きたいところですが、「希望」ならばこれ以上の論拠は問わないことにいたそうと思います。IP様が都出比呂志氏以外の資料を持ち合わせないことは認識しましたが、それでは考古学的に「事実」とされているのか・考古学的に「基礎的条件」と認識されているのかが分かりませんので、参考情報と捉えさせて頂きます。今後また同様の主旨で主張をされるならば、判断出来るだけの論拠の提示をお願い申し上げます。
学説状況に関する学術的文章について
朝鮮半島南部の前方後円形墳に関する「学説状況を述べた学術的文章」のうち、まず研究史を主題とした文献としては、
  • 小田富士雄 「韓国の前方後円墳 -研究史的展望と課題」『福岡大学人文論叢 28-4』 福岡大学総合研究所、1996年。
  • 吉井秀夫 「栄山江流域の三国時代墓制と解釈をめぐって」『朝鮮史研究会論文集 39』 朝鮮史研究会、2001年。
  • 権五榮 「考古学資料からみた百済と倭の関係 -栄山江流域の前方後円墳を中心に-」『倭五王問題と韓日関係』 韓日関係史研究論集編集委員会、景仁文化社、2005年。
  • 小田富士雄 「韓国の前方後円形墳 -研究史的展望と課題-」『古代九州と東アジア 1』 同成社、2012年。
などが存在することを把握していますので、紹介いたします(前3本は持ち合わせません)。同様の研究背景については、他にも各氏の論文においてイントロ等にまとめられています。私は、
  • 高田貫太 「栄山江流域における前方後円墳築造の歴史的背景」『古墳時代の考古学 7 内外の交流と時代の潮流』 同成社、2012年。
を当記事立ち上げ時から底本として使用しております。理由は、読みやすく整理されている、かつ文献自体が新しいからです。
学説状況について
上に挙げました(高田 2012年)によれば、栄山江流域の前方後円墳については「特に前方後円墳の被葬者の性格について論争が本格化し、現在に至っている」状況であり、論の内容は論者の多い順に在地首長説・倭系百済官人(僚)説・倭人説に大別されるとあります。記述されております各論の内容・論者は、記事本文に記述しておりますので(朝鮮半島南部の前方後円形墳#現在の諸説)割愛します。私が在地首長説を多数派として紹介したのはこれによります。細かい点では分かれますから、IP様の目には「主流の不在」と映られたのかもしれませんが。倭系百済官人説については、載せる・載せないで逡巡しましたが、それなりに論者が挙げられていたので載せてみました。不適切でしたら除きます。
あと1点。冒頭でこの案件について私は「主流」と発言しておりますが、これは不適切なので「多数派」に変更いたします。この点は申し訳ありません。
都出比呂志氏の説の扱いについて
まず都出比呂志氏の説そのものについてですが、私の方でも、
「中央集権を推し進めた雄略大王、ついで継体大王の朝鮮進出と交流が、朝鮮半島の一三基の前方後円墳の造営につながったと見てよい」(都出比呂志 『古代国家はいつ成立したか』 岩波書店、2011年、p. 136)
とする記述を認めました。私の理解が浅かったことは明らかですので、この点に関する先の私の主張等は撤回してお詫びを申し上げます。「勢力の伸長」の表現については、依然一段飛躍があると考えていますが、IP様から拘りはないとご理解を頂いていておりますので、この件は収めたいと思います。
次に、学説状況を主題とする文献における、都出比呂志氏の説(前方後円墳体制論)およびそれに類する説の扱いについてです。まず上で紹介した研究史のうち(小田 2012年)では、(前方後円墳体制論に言及した他氏の論の引用中には見えますが)説としては取り上げられておりません。また研究背景をまとめた文献として、上で挙げました(高田 2012年)では取り上げられておらず、他に
  • 西谷正 「韓国の前方後円墳をめぐる諸問題」『前方後円墳と古代日朝関係』 朝鮮学会、2002年の「研究の歩み」節
  • 朴天秀 『海を渡った日本文化 -古代の韓半島と日本列島-』 鉱脈社、2006年の「研究史の検討」節
でも確認出来ておりません。先に前方後円墳体制論の朝鮮半島南部への適用について「取り上げられてすらいないものを示すのは困難」と表現した根拠はここにあります。
次いで、学説状況を主題としない文献として、(高田 2017年)の批判的な記述については先にお示しした通りです。また、
  • 杉山晋作 「6世紀に朝鮮半島へ渡った日本列島人たち」『文化遺産の世界 22号』 国際航業株式会社文化事業部、2006年。
  • 森下章司 『古墳の古代史 -東アジアのなかの日本』 筑摩書房、2016年。
に、批判的ではありますが言及が存在する旨を確認いたしました。
最後に、都出比呂志氏の説をどう扱うかについてです。先に私は
「極少数の人々にしか支持されていない理論には言及する必要がない」(Wikipedia:独自研究は載せない#理論に関する記事の扱い方
に抵触する懸念を示しましたが、上のように何点かは言及した資料が存在し、かつIP様のように前方後円墳体制論を知る読者様も少なからずいるのも事実ですから、本文中に載せるように方針を転換する方向で議論を落ち着けたいと思います。ただ、
「記事は公表済みの信頼できる情報源に基づいて、全ての大多数の観点と重要な少数派の観点を、それぞれの勢力差に応じて公平に執筆しなければなりません」(Wikipedia:検証可能性#中立性
に留意をしないといけません。学説状況は上でお示しした通りですので、全体の概略たる「朝鮮半島南部の前方後円形墳#概要」節では当該記述を「政治的・経済的・文化的状況」に改めました。(同意はしませんが)IP様の「対等と思わせる記述はアウト」には最大限留意したつもりです。代わって「朝鮮半島南部の前方後円形墳#現在の諸説」節で詳述するようにいたしました。出典は私が確認した2011年のみとしていますが、IP様が挙げられている1990年・1998年・2010年の文献にも記述がございますようであれば、「<ref name="tsude">」に出典を変更されて結構です。ご確認下さい。
その他の議論内容について
  • 私が白石太一郎氏をわざわざ「大御所中の大御所」と言及したのは、IP様の『「ロートルはそういっているかもしれないが、気鋭の誰それはそうは見ていない」、と気張ったところで、何の意味も価値もないのです』という言及が、IP様が「気鋭の誰それより、大御所の都出比呂志氏の論の方が有意だ」と申されていると聞こえたので、「白石太一郎氏も気鋭の若手とかじゃないですよ」と申し上げたのです。私の誤解であったことは明らかですが、再度読んでも誤解しそうです。他にも、『先だって雄山閣関連の賞を受けている都出氏の見解を価値なき少数意見としてオミットしようとは』なんて書かれるから、IP様が「先だって雄山閣関連の賞を受けた方が有能だ」と主張されているかのように誤解します。文章に揶揄が多いからこういうことになる(揶揄も本筋だと私が誤解する)ということは漸く分かってきました。右往左往する私も私ですが、さすがに揶揄も抑えて頂けると助かります。
  • 私は『前方後円墳体制論それ自体へと矛先を転換』はしておりません。いちいち「半島南西部の前方後円墳群に関する都出氏の見解」とか「前方後円墳体制論の朝鮮半島南部への適用」とか書くのがめんどくさかっただけです。日本列島における前方後円墳体制論(都出比呂志氏の見解)自体は、最近の一般書には頻出しますので、よく存じております。それが朝鮮半島ではどうか、という議論主旨は変わっておりません。その点は誤解なきよう。
  • 「後退」・「不毛」に関しては私も思うところがございますが、これも揶揄だろうかと思うので、争点化は止めておきます。
とりあえずこんなところでしょうか。議論も長くなりましたので、上の対応でご了承頂ければ私の方はもう議論を終えても構いませんが。--Saigen Jiro会話2017年3月30日 (木) 15:12 (UTC)[返信]

返答確認しました。長い返答に短いコメントで恐縮ですが(笑)、本編集内容で了とします。ご自愛ください。--223.218.50.9 2017年3月30日 (木) 23:42 (UTC)[返信]

終了 ご理解に感謝申し上げます。それではこれにて議論をクローズといたしたいと思います。なお、
  • 小栗明彦 「韓国の前方後円墳の研究成果とその魅惑」『文化遺産の世界 22号』 国際航業株式会社文化事業部、2006年。
にも前方後円墳体制論に対する言及があったことを見落としていました。念のため付記しておきます。--Saigen Jiro会話2017年3月31日 (金) 01:26 (UTC)[返信]