ノート:明智憲三郎

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呉座勇一氏について[編集]

この一連の編集呉座勇一氏の著書による記述が信頼性の乏しい資料として排除されていますが、呉座氏は中世史の専門の研究者であり、媒体が新書であるとはいえ、WP:RSに抵触するとは考えられません。該当の編集は利用者名からしても明智憲三郎氏の関係者による不都合な記述の除去とも思われますし、該当の記述の復帰を提案します。--伊佐坂安物会話/履歴2021年5月13日 (木) 08:53 (UTC)[返信]

チェック 記述を復帰しました。--伊佐坂安物会話/履歴2021年6月1日 (火) 11:57 (UTC)[返信]

自明のことと考えたため、前回の編集理由には挙げませんでしたが、誤解されたようなので編集理由を「存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する記述」に変更させていただきます。 なお、「信頼性の乏しい資料」としたのは、著作が学術書でなく「新書」であることを問題にしたわけではなく、著作の内容が「存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する記述」それも何の根拠もない(=信頼性の乏しい)著述であったからです。 特にこのWikipediaにおいては、ウイキペディアンに対して誹謗中傷するような人物の著作を出典とするのは避けた方が良いのではないでしょうか?  --A.Akechi会話) 2021年7月17日 (土) 08:29 (UTC)--A.Akechi会話2021年9月7日 (火) 10:20 (UTC)A.Akechi  [返信]

ご本人が問題を起こされたことと、当該の方の学術面での意見の信頼性は何の関連性もないと思います。また、Wikipedia:自分自身の記事もお読みください。--伊佐坂安物会話/履歴2021年8月15日 (日) 05:56 (UTC)[返信]

「ご本人が問題を起こされたことと、当該の方の学術面での意見の信頼性は何の関連性もない」ことはあり得ません。日文研の3月の「お知らせ」では「研究者として到底容認されない発言を繰り返していた」としています。  仮に「何の関連性もない」としても、当該記述は「存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する」ものですから、削除します。  また、7月の繰り返しになりますが、ウィキペディアンである北村氏に対して誹謗中傷する人物の著作を出典とするのは、ウイキペディアの記述としては極めてl不適切です。  なお、「Wikipedia:自分自身の記事」は、この件には「何の関連性もないと思います。」  ----A.Akechi会話2021年9月7日 (火) 10:23 (UTC)A.Akechi[返信]

利用者:さえぼーさんのことだと思いますが、ここで引き合いに出すのはまったく筋違いだと思います(さえぼーさんにとってもご迷惑なことでしょう)。とりあえずコメント依頼に出します。そしてA.Akechiさんは関係者の方ということですね? また、特別:投稿記録/106.168.38.185はA.Akechiさんでしょうか?--伊佐坂安物会話/履歴2021年9月7日 (火) 10:34 (UTC)[返信]
  • 私の件とこの記事は全く関係ありませんので、正直申し上げてCzechiaさんにおかれましては私を引き合いに出さないで頂きたいです。専門の研究者が書いた著作を引用することに何か問題があるようには思えません。--さえぼー会話2021年9月7日 (火) 13:06 (UTC)[返信]

さえぼー様には失礼いたしました。 ただ、「研究者として到底容認されない発言を繰り返していた」人物を「専門の研究者」とするのは如何かと思います。また、「専門の研究者が書いた著作」だとしても「存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する」記述は許されるものではありません。 なお、特別:投稿記録/106.168.38.185は私ではありません。--A.Akechi会話2021年9月7日 (火) 13:38 (UTC)A.Akechi[返信]

誰でも任意の利用者名を登録できますから、A.Akechiさんが明智憲三郎氏の関係者であるかどうかは、わかりようがありませんが、『ただ、「研究者として到底容認されない発言を繰り返していた」人物を「専門の研究者」とするのは如何かと思います。』とのご主張は対人論証でしかありません。--市井の人会話2021年9月7日 (火) 14:08 (UTC)[返信]
コメント依頼から来ました。A.Akechiさんの言動は、まさに対人論証そのもので、これは提案者の信用を失わせる目的で個人攻撃を行う場合を指します。論点をすりかえるために人格攻撃論法をしているのです。明らかな論理上の虚偽詭弁です。さらに、A.Akechiさんが誰かはともかく、これはWikipediaの個人攻撃はしない原則に反します。そのような行為はやめるべきです。--奈良たかし会話2021年9月8日 (水) 04:10 (UTC)[返信]
そうなのですか? 私の記述は「対人」ではなく、「存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する」記述に対するものでしたが… --A.Akechi会話2021年9月8日 (水) 10:37 (UTC)[返信]
A.Akechiさんに各種方針やガイドラインを説明しご理解いただいた上でないと話し合いがままならないのですが、とりあえず聞く耳を持っていただかないと「各種方針の熟読期間」として投稿ブロックを受けてもらうことになるでしょうし、事実そのような報告はあがっております。で、日本語版ウィキペディアの方針やガイドライン、特にWikipedia:中立的な観点は『この文書で説明している中立的な観点の方針は「交渉の余地のないもの」とされ、その基盤となる原理は、他の方針やガイドラインによって、または利用者同士の合意によって覆すことはできません。』とされています。ですので他の方針であるWikipedia:存命人物の伝記に基づき編集画面でも表示される「潜在的に論争となりうる(特に存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する)記述」を盾に取って編集を強行するのではなく、また、一般論や特定の観点で根拠を述べるのではなく、では、なぜA.Akechiさんの編集が差し戻されるのかということをご理解いただきたいです。
今回の件はWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けが根拠になると私は考えております。考え方によっては本能寺の変には裏があったとの数多くの説の中の1つに家康黒幕説があり、どうやら明智憲三郎氏はそっちのようだ、程度というのもあるかもしれませんが、それで済むならGoogleのナレッジパネルにしっかりと表示される「本能寺の変について家康黒幕説を主張することで知られるが、この説については複数の歴史学者からまったく成立する余地がないと批判されている。」を導入部に記述するほどではないでしょう。特筆性というのは「対象とは無関係な信頼できる二次情報源」による言及が決め手になります。すでに全国紙などで「歴史研究家の明智憲三郎さん」とされていることで対象としての特筆性はありますが、記事として書くには批判的に分析も忘れてはならないです。
とはいっても「存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する」と考えられるほど法令に違反している可能性があれば、除去や場合によっては削除が必要ということもあると思います。ですけど、中立的な観点や他の方針・ガイドラインでは、信頼できる情報源による出典があり独自研究ではないのが前提にあるのですから、そうでもない記述を除去したり書き換えたりするほうが問題になるということです。それでも「存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する」と主張されるのでしたら、投稿ブロックの理由にもなるWikipedia:法的な脅迫をしないにご注意いただき、明智憲三郎氏の関係者がWikipedia:OTRSに問い合わせをするなりしていただければよいことです。--市井の人会話2021年9月8日 (水) 12:36 (UTC)[返信]