ノート:攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX

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その他重要人物(「笑い男事件」関連)の笑い男の説明に

>アーネスト・瀬良野を誘拐し真実の公表を迫り、一時期姿を消したものの、再び活動を開始し、隠蔽された真実を公に知らしめようとする。

とあります。これは総監暗殺事件のことを言ってるのだと思いますがあれは警察の自作自演で笑い男は傍観していただけだと思います。実際大堂警視総監も 「始まったか」 と言っています。なのでこの説明はおかしいと思うのですがどうでしょう?

一部転記[編集]

『2nd GIG』の中にもスタンド・アローン・コンプレックスの記述があったので二重記述を防ぐために一部転記いたしました。--ヘチコマ 2008年2月27日 (水) 16:11 (UTC)[返信]

分割提案[編集]

本記事と攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Societyの三記事の登場人物の節を攻殻機動隊S.A.C.シリーズの登場人物として分割することを提案いたします。理由としては三部作として繋がっている本シリーズの登場人物を一つにまとめて分かりやすくするためです。例としては茅葺総理や久保田本部長が『S.S.S』の記事には名前のみ記述されていたり、米帝CAIスパイが『S.A.C』と『2nd GIG』の記事に散らばっているなど、これらを整理できます。--ヘチコマ 2008年3月1日 (土) 16:45 (UTC)[返信]

(コメント)ゲーム版も分割に追加いたしました。--ヘチコマ 2008年3月2日 (日) 16:03 (UTC)[返信]
(コメント)分割いたしました。また、ゲーム版の方は残しておいた方が分かりやすいので残しました。--ヘチコマ 2008年3月8日 (土) 14:39 (UTC)[返信]

2/14の編集説明[編集]

とりあえずノートに編集の説明を残しておきます。まず、概要に書いたように、あらすじに出典は必要はないです。ちょうど今週発生したノート:幼女戦記の議論を参照(プロジェクト:フィクション#一次情報の扱いなども参照)。そもそも話数を併記しており、なお問題ないです。

次に用語欄などの話ですが、私が手を入れる前は単純に、プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述などに照らして問題のある記事になっていたと判断します。具体的には「個々の作中要素の紹介は、適切な文脈に短い文章で組み入れられているのが理想であり、あらすじ中で一纏めに言及できるのであればまとめて記述してください。」の一文などが根拠になるかと思います。だから、ササニシキ氏の「無出典の「あらすじ」とやらで消す理由にならんでしょ」というのがそもそも認識が間違ってます。

あらすじが書いてあればそれで済むことを、それが無いばかりに用語や登場人物という形で不適切に補おうとするのは、悪文の典型かと思います。例えば、作中のキーワードである「スタンド・アローン・コンプレックス」が、物語に対してどういう意味を持つかまったくわかりません。1話で登場した用語とも読めますし、そうなると文脈がまったくわかりません。それに、ここは第一期の説明をすべき場所であって、直接本作と関係のない『2nd GIG』の説明ををするのは説明文としてブレていると言わざるを得ないです。授産施設の出典に基づく記述も、あらすじに含意することであって、解説書の出典で書くような内容ではありません。

マトリについても、公式のガイドブックなどにて、現実におけるマトリがモデルなど説明しているのであれば、まだわかるのですが、アサ芸の小向美奈子逮捕の記事を出典としてまで説明が必要なものだとは思いません。例えば過去の議論だとWikipedia:井戸端/subj/映画内容解説のページに、史実との違いを指摘し記述する事について。ノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六/過去ログ1などがそうですが、その作品の説明してある出典じゃないものを使って、現実のものと対比させ出典を用いるのは場合によって独自研究とみなされるものです。--EULE会話2020年2月14日 (金) 09:20 (UTC)[返信]

あなたが書いた「あらすじ」ですが、はっきり言って高校生が適当に書いた視聴メモのようであり、これがあるから用語説明は不要になるとは思えません。この程度の「あらすじ」で、他の利用者が書いた用語説明を、出典のあるものまで削除するというのは理解に苦しみます。また、あらすじがあれば用語説明は出典がなくても良いとはどこにもありませんよね?
>直接本作と関係のない『2nd GIG』の説明ををするのは説明文としてブレていると言わざるを得ないです。授産施設の出典に基づく記述も、あらすじに含意することであって、解説書の出典で書くような内容ではありません。
↑これはあなたがそう思っているだけですよね?『2nd GIG』にも登場することが簡単に書かれているにすぎず、詳細まで延々と書いているわけではありません。授産施設の記述も、あらすじに適当に書けばいいというのはあなたの考えであり、公式資料集を参考にしたものを削除する権利はありません。
実際のマトリに関する記述は私が記したものではありませんので、無くてもかまいません。--ササニシキ会話2020年2月14日 (金) 09:39 (UTC)[返信]

(追記)EULEさんの過去の編集歴を見ましたが、あなたは出典を提示するという作業をほとんどされていないんですね。驚きました。映画やアニメを観て、その内容をWikipediaに無出典加筆されるのがあなたのスタイルなのですか?登場人物の説明も出典なしとは・・・・。--ササニシキ会話2020年2月14日 (金) 09:50 (UTC)[返信]

(再追記)私に対して何かしら返信を書かれているのでしょうが、100歩譲ってあらすじに出典は不要だとしても、あの「あらすじ」と同様に視聴メモレベルの用語解説を、出典のある記載まで削除して書かれるというのは理解に苦しみます(くどいようだが、実際のマトリの記載は削除しても問題なし)。私ならそのようなことできません。--ササニシキ会話2020年2月14日 (金) 10:25 (UTC)[返信]

ノート:幼女戦記を確認しました。EULEさんが

あと完全に蛇足ですが、仮にページ単位まで記載がなければあらすじを検証や編集できない人間がいたとしても、それはつまり、作品を読んでいない人間ということになります。あけすけに言ってしまえば、そのような人間の検証や査読、あるいは編集になんの価値もないです。むしろ作品の全体を知らないからこそ、俯瞰して見ることができず、全体のバランスを無視して些細なエピソードを細かく書きたがるなどの現象に繋がるのではないでしょうか。私個人としては、その作品をよく知らないのに、作品の(また、作品説明の)根本であるあらすじの編集や検証をしたがる人がなんでいるのか不思議です。 — EULEさん

と発言されていますが、その俯瞰して見た結果が、本項目の「あらすじ」であると、そういう認識でよろしいでしょうか?--ササニシキ会話2020年2月14日 (金) 10:44 (UTC)[返信]

まず、私の主張は呼んでいただけたでしょうか。Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)Wikipedia:あらすじの書き方プロジェクト:フィクションプロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述、そういったルールを踏まえた上で、そもそもの発端である、氏の「あらすじに出典が必要」と言っていることはまず間違っていることはお認めていただけたでしょうか。
次にあらすじの粒度として、適切な文量、文章というのは難しい問題で、過剰だと思う人もいれば、足りないと思う人もいるでしょう。別に私も自分のものがベストだとは思っていなくて、私より文章力や構成力のある人がより良いものに校正していく可能性は否定しませんし、そういう可能性があるものがウィキペディアであると思ってます。今回のあらすじに関して、過剰だと思う人がいることは否定しません。ただ、現状が、もともと物語としても複雑な部分もある中で、トータルでどういう話かまったくわからないです。逆に聞きたいのですが、私が手を入れる前の段階で、作品を見たことない人が、この作品がどういう話か理解できると思いますか?
そうした点を踏まえた上で、お前の説明は過剰だからスリム化していく、俺だったらお前の文量の半分で同じ効果を出せるというなら、それは別に構いませんし、むしろ、私も勉強になります。しかし、あらすじにも出典が必要だとか、登場人物や設定の記述があればあらすじは最小でいいとか、そういうのは違うという話です。--EULE会話2020年2月23日 (日) 10:02 (UTC)[返信]

プロジェクト:フィクションには、 「作品全体のあらすじや登場人物が物語にどう係わるかといった記述は、脚注等を用いて出典を示さずとも作品そのものを参考に書かれていることが明白であるため、検証は可能」とあるが、「しかし、登場人物の性格などの細かい設定に関しては、編集者の憶測が含まれていることも多いため一次、二次資料を問わず出典を明記することが推奨され、出典が示されていない場合は除去されるおそれもあります。」ともある。

Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)では、

  • 個人の見解・記事主題に対する解釈・一次情報源は、未出版であったり広く公表されていないものは使用できません。独自研究を避けてください。
  • 記事中のすべての情報は信頼できる情報源に基づいた検証可能なものである必要があります。またすべての情報源(一次資料を含む)は記事の中で適切に参照されていなければなりません。すべての情報に情報源を明示してください。

と言及されている。つまり、視聴メモレベルの「あらすじ」に正当性なんざ欠片もないし、用語説明から出典を消し、「悪文」に書き換える編集は不適切ということ。

>別に私も自分のものがベストだとは思っていなくて、私より文章力や構成力のある人がより良いものに校正していく可能性は否定しませんし、そういう可能性があるものがウィキペディアであると思ってます。

「可能性は否定しません」とは?

>逆に聞きたいのですが、私が手を入れる前の段階で、作品を見たことない人が、この作品がどういう話か理解できると思いますか?

「あらすじ」が不要とは言いません。それはあるに越したことはない。ただ、それを書くのはEULEさんではないほうが望ましいと思います。 あなたが書いた「あらすじ」の「村井ワクチンをめぐる陰謀」に「今来栖殺害の一件などで荒巻は速やかに新見の逮捕権を取り、身柄を拘束する」とあるけど、正しくは逮捕権ではなく逮捕状でしょ?こういうところに「視聴メモ」故の杜撰さが出ているように思えます。ちゃんと書けない人が、何の参考資料もなく書いたら余計におかしくなるのは自明の理ではないでしょうか。

>登場人物や設定の記述があればあらすじは最小でいいとか、そういうのは違うという話です

私がそんなことどこに書きましたか?--ササニシキ会話2020年2月23日 (日) 14:19 (UTC)[返信]

(追記)「利用者‐会話:EULE/過去ログ4#出典の明記をお願いできないでしょうかを観るに、EULEさんは映画やアニメ以外でも、大量の無出典加筆を行っている方であり、Aiwokusaiさんから「10年活動されているベテランの方のはずですが、これらの加筆を出典を明記せず(もしくは不足したまま)おこなわれたことには何か理由が存在するのでしょうか?」「Wikipediaでは真実よりも検証可能かが重視される、これは公式な方針であることは大ベテランのEULEさんであればご存知のはずであると思われます。」と苦言を呈されています。

また、Aiwokusaiさんからは「EULEさんは悪文という呼称を繰り返し主張されていますが、出典がない時点でそれをよいか悪いか個々の編集する側が判断するのは不適切といえます(スタイルマニュアルと明らかに異なる書式などは除く)。すなわち元が無出典の記述であろうが、加筆される場合は出典を明記する、ごくごく単純なお願いをしていることをどうかご理解し受け入れていただけないでしょうか?」とお願いまでされているのに、事実上それを拒否されているわけです。

私はこういう方が、たとえフィクション作品の項目であろうと無出典で大幅に加筆したり、出典を剥ぎ取る等の編集行為をされることは不適切だと考えます。もっと言えば、EULEさんにはこの手の編集から手を引いてもらいたいと思っています。--ササニシキ会話) 2020年2月23日 (日) 14:59 (UTC) --ササニシキ会話2020年2月23日 (日) 15:29 (UTC)[返信]