ノート:挹婁

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112.138.167.244氏へ[編集]

  • あなたはなぜ脚注にて出典を明記しないのでしょうか。
  • 古い情報は出典にならないのでしょうか。
  • 否定されたのはいつ、どこででしょうか(少数意見の可能性はないのでしょうか)。
  • 「日用品や居住形態、食生活の類似=言語が同じ」となるのでしょうか。
  • ノート:高句麗の議論が終了するまでツングース関係の記事は書きかえないでください。
  • 書物には『』をつけましょう。

--トムル 2011年8月15日 (月) 12:43 (UTC)[返信]

  • あなたはなぜ全てに脚注を施し出典を明記するわけでないにもかかわらず人には要求するのでしょうか。参考文献の確認をする程度の労力が惜しいのか、それとも何か他に書くに足りる理由があるのでしょうか。
  • 古い情報が新しい情報(史料は古いですが)により否定されている場合(女真は朱里真や朱理申の契丹訛り)、出典にならないのは自明の理だと思いますが、反論あるでしょうか?
  • あなたは喧嘩している小学生若しくはそれに類似する存在なのでしょうか?「いつ、どこで」という問は、出典を要請するものではないし、目的がよく解らないのですが。
  • 当然の前提条件として存在する金史の記述「粛慎挹婁勿吉靺鞨は女真の祖先である」を読んでいるにもかかわらず何故意図的に除外するのか理解に苦しみます。都合がよくないのでしょうか?
  • 残念ですが、参考文献の情報した内容に編集及び差し戻しを繰り返す方が居るため訂正が必要になりますから、ご要望には応えられません。
  • トムルさんの編集した記事はどれも情報の質量共に良好だと感じていましたが、何故高句麗挹婁の編集ではこの様な愚かな行為に及ぶのか理解に苦しみます。--112.138.167.244 2011年8月16日 (火) 13:01 (UTC)[返信]
「粛慎系=ツングース系説」に偏った編集はひかえてください。ここ(言語系統)はあくまで中立的に書いてください。--トムル 2011年8月16日 (火) 12:30 (UTC)[返信]
「穢系=ツングース系説」に偏った編集は控えてください。言語系統の項は自らが好ましく感じる説を廃棄物の中から掘り起こして利用するのではなく、トムル氏が中立的な立場から編集できるよう祈ります。--112.138.167.244 2011年8月16日 (火) 13:01 (UTC)[返信]
  • 脚注が必要な部分とそうでない部分があります。ここでは「何年の誰による発掘調査で、誰の論文発表によって挹婁がツングース系かもしれないとしたか」が知りたいのです。
  • あなたはよく「否定されている」とおっしゃいますが、本当に世間一般的に「否定」されているのでしょうか。高凱軍やその他の一部の研究者が否定しているだけではないのでしょうか。これは濊系=ツングース系説にも言えることです。この件(ツングース問題)に関しては「否定されている」と断言するのはまだ早いような気がします。私が思うに半々だと思うので、「○○説もあれば、○○説もある」というように、両論併記が望ましいと思います。
  • 言葉が足りなかったようですね。「否定された」というのは「何年の誰による否定論文に始まり、何年の誰による論文によってそれが支持され(複数)、今ではその否定された説を唱える人は誰もいなくなった」という状態をいうのだと思います。わたしはこれがわかる一文もしくは情報源がほしいと言っているのです。でないと、いつまでも粛慎系=ツングース系説の信憑性が問われてしまいます。
  • 『金史』の「粛慎、挹婁、勿吉、靺鞨は女真の祖先である」は載せます。
  • 「残念ですが、参考文献の情報した内容に編集及び差し戻しを繰り返す方が居るため訂正が必要」→話し合いましょう。
  • 私が激戦区であるツングース問題に手を出したのは、長引く論争を終息させるためでした。私の言っていることは偏っていることはないと思います。あくまで両論併記を目指し、2つの説を理解しようとしているだけです。むしろ私は粛慎系=ツングース系説支持者です。ですが、濊系=ツングース系説を理解しないと、先に進むことはできません。私が望む情報がそろえば、もしかすれば「濊系=ツングース系説は否定された」と書けるかもしれません。--トムル 2011年8月16日 (火) 14:07 (UTC)[返信]
  • ご存知の通り、正面切って批判する場合もあるけど、従来の仮説と異なる有力説が出て誰も反駁出来ないまま消え去るケースも多いからどうなんでしょ。取り敢えず近年出た文献で濊系=ツングースを主張してる人は居ないんじゃ?今挙がってるのは古いものばかりだし。あと、基本は遺跡発掘などの出土物発見による成果らしい。
  • 粛慎系=ツングースの肯定が直接に濊系=ツングースを否定しないのが面倒なのと、又引なのがアレですが一応。粟末水流域の発掘調査『考古学報2006年第1期、黒竜江綏浜同仁遺址発掘報告』『黒竜江区域考古学P54-56』『黒竜江文物従刊1982年第2期、呼蘭河中遊考古調査簡報』などによって、粟末水流域の主要な遺跡に関して上限年代504~684年、下限年代994~1186年とする範囲で住居,炊事器具,食器,家畜の種類,農作物や魚食の種類,漁労道具,船の形状など広く連続性があり、勿吉までは女真の祖先で確定とされ。 粛慎,挹婁は、靺鞨人が来朝した際に女真を自称した事と金国人の自称の音訳を朱里真や朱理申と記録する文献、及び蜿蜒河流域の発掘調査『黒竜江区域考古学P54』『考古1975年第3期、東康原始社会遺址発掘報告』『東北師大学報、従最新考古学成就看歴史上的粛慎挹婁人』などによって、同じく住居,炊事食器物,食糧にした動物の種類,農作物の種類,漁労道具.武器などが上のそれとよく類似し同時代の扶余の物とは異なる、ってことみたいですね。--59.85.39.195 2011年8月18日 (木) 12:06 (UTC)[返信]

119.83.172.190の「言語系統」の編集に関して[1]。勝手に「以前は」などと三上などの主張を「過去」のものにしないでください。過去のものにしたいのならば、現在は三上らの主張が否定され、それが主流であるとする出典が必要です。学者の意見を勝手に操作しないように。それは独自研究に当たります。--218.217.157.228 2011年8月28日 (日) 17:33 (UTC)[返信]

既に過去のものなんですわ。考古学調査が進み、女真となった時代の出土物と6世紀初頭以降の出土物には連続性があり、同一文化を保持した集団が居住し続けたことが明らかになったので「粛慎系=女真の祖先」を疑う余地が無くなった。--202.215.161.172 2011年8月29日 (月) 07:21 (UTC)[返信]
すでに現在では世間一般・学会で「過去の論」とされているという証明をしてください。あなたの感覚での「過去」「現在」の解説は必要ありません。--218.217.122.101 2011年8月29日 (月) 09:36 (UTC)[返信]
4段上に書いた文章が読めませんかねえw証明されても納得しないんじゃ対応しようが無いよ、somaさん--112.138.46.198 2011年8月29日 (月) 10:35 (UTC)[返信]
えーと、はやく高句麗=ツングース説が、すでに「過去の論」であるという証明を出してください。4段上とやらのアナタの主張はその証明になっていません。独自研究により勝手に過去(以前)にしないこと。somaさんってなんでしょうか?--218.217.122.101 2011年8月29日 (月) 10:42 (UTC)[返信]
理解出来ないのかしたくないのか。高句麗=ツングース仮説は全て挹婁、勿吉、靺鞨がツングースじゃない事が大前提になってる、上の考古調査によって粛慎系民族がツングース民族に確定したので「過去の論」となった。現実問題ここ20年で高句麗=ツングースとした研究者の名前は挙がってないよね、そんな奴居ないだろうし。--112.138.46.198 2011年8月29日 (月) 10:59 (UTC)[返信]
それのどこが「過去の論になった」の証明なのですか?あなたの出している出典の内容が学会や世間一般の主流となっているという根拠を提示してくださいと言っているのです。それがなければ、ある専門家の論を「過去のもの」にはできません。あなたの主張を見ると単に一つの説が出ただけです。あなたの出している説を加筆して併記すれば良いだけであり、かってに過去の論としないこと。あと「somaさん」とは何かを聞いてますのでお答えください。--218.217.122.101 2011年8月29日 (月) 11:11 (UTC)[返信]
誤誘導しないように。考古調査の結果中国の研究者が発表したのは、説でなく確定した見解「粟末水流域の主要な遺跡に関して上限年代504~684年、下限年代994~1186年とする範囲で住居,炊事器具,食器,家畜の種類,農作物や魚食の種類,漁労道具,船の形状など広く連続性があった。同じく蜿蜒河流域の発掘調査によって、住居,炊事食器物,食糧にした動物の種類,農作物の種類,漁労道具.武器などが非常に類似している事が判明。よって、粛慎系集団は女真の先祖で確定」。 あと何故に、出典にならない世間一般を含めたのか、どう見ても言い訳の為の言い訳。--112.138.46.198 2011年8月29日 (月) 11:57 (UTC)[返信]
あのね。見解と説の違いは難しい。あなたの出した考古学の研究からの一つの説であり、一方で研究からツングースとする説がある。一方は事実確定で一方は単なる主張という判断は私達にはできません。一方が事実で一方は単なる主張としたいのならば、それを述べている多数派の見解の出典が必要になります。一つの出典のみにあなたは頼り信じすぎではないでしょうか。アナタは「過去となった」という出典を未だ提出できていません。--218.217.122.101 2011年8月29日 (月) 13:25 (UTC)[返信]

ノート:高句麗での議論が終わっていないにもかかわらず、挹婁夫余で編集合戦をしないでください。112.138.167.244氏は前にも言いましたようにこまめに脚注出典をしてください。脚注をつける場所は「~とされている」「~と考えられている」「~と思われる」「~という」などといった場所です。この記事で言えば「食生活の連続性が確認されているため<脚注>」「挹婁の呼称は、彼等自身の自称ではなく、鏃(yoro)、箭や後の牛禄(niru)、坑(yeru)などの音訳と考えられている<脚注>」です。こまめな脚注をつければ誰も文句は言えません。それと「粛慎系=ツングース系説」「濊系=ツングース系説」を断定した言い方にしたいのであれば、それなりの情報源が必要なので、それを持ってきてください。私も今探しているところなので、みなさんも探してください。そして議論はノート:高句麗でおこなってください。--トムル 2011年8月29日 (月) 14:31 (UTC)[返信]

アレな人が居るので、面倒ですが脚注は付けた方が良さそうですね、仕方ない。「粛慎系=ツングース系説」の情報源は上のもので十分、これで駄目なら何も出典に出来ない。「濊系=ツングース系説」は今のところ挙げられてる仮説が全て「粛慎系≠ツングース系」が前提なので自動的に否定されるかと、別の論拠に拠った仮説が挙がってくれば別ですが。--112.138.46.198 2011年8月29日 (月) 16:49 (UTC)[返信]
繰り返しますが「以前に」などと独自研究の言葉を入れないように。方針違反です。--218.217.122.101 2011年8月29日 (月) 17:22 (UTC)[返信]
はいはい、お気の済むように致しましょう。無駄ですがねw あと、脚注を消去し、数十年前の昔も主流な仮説だった挹婁をツングースとする見解を捻じ曲げるのは何故か、弁明はある?--112.138.46.198 2011年8月29日 (月) 17:30 (UTC)[返信]
まだまだ、独自研究が入ってますね。「論拠が崩れた」というのは一方の研究を信じ、一方の研究を信じない、あなたの独自研究です。ありのままを書けばいいのです。あなたの解説は必要ありません。--218.217.122.101 2011年8月29日 (月) 17:51 (UTC)[返信]
残念、多くの出土物から粛慎系=ツングースは確定したため、粛慎系≠ツングースを前提とする仮説の論拠は崩れた。独自研究ではなく、文字通り論拠は崩れたんですよ。--112.138.46.198 2011年8月29日 (月) 18:00 (UTC)[返信]
おかしいですね。論拠が崩れたのに、それについて説明する他の学者がいないし追認も見当たらない。百科事典でも現在進行で粛慎系≠ツングース説は書かれている。一つの出典を重視するのは危険なことです。だからこそ方針でも複数の出典に当たれとしているのでしょうね。--218.217.122.101 2011年8月29日 (月) 18:11 (UTC)[返信]
また失礼ですが、あなたの出している出典(『考古学報2006年第1期、黒竜江綏浜同仁遺址発掘報告』『黒竜江区域考古学P54-56』『黒竜江文物従刊1982年第2期、呼蘭河中遊考古調査簡報』)は検索してもヒットしないんですよ。私の検索の仕方が悪いのでしょうか?しっかりした出典ならば一つくらいヒットしてもいいくらいなのですが・・・。どうも信頼しがたいですね。この書物を日本人はどのように手に入れれば良いのか教えてください。日本人が手に入れることが不可能に近いと「検証の可能性」を満たしていないことになりますので、あしからず。--218.217.122.101 2011年8月29日 (月) 18:35 (UTC)[返信]
  • 上に挙げた発掘調査と研究発表に携わった学者その他、朝克、楊保隆、ハスパトル、張太湘、威玉籤、楊虎、譚英杰、張泰湘などが追認してるにも拘らず見当たらないとは、どういうことか?理解に苦しむ。しかも、出土物から判明した研究成果と仮定が前提のただの仮説を同等に扱えという主張がウィキペヂアの方針に反していると一向に理解しない。
  • また、現実に粛慎系≠ツングース説を主張する近年の刊行物は何故か挙がってこない。頑張って挙げればこちらの論拠は崩れるが、しかし一向に挙がらない。8つの出典があるにも拘らず一つの出典を重視とは、どういう意味か?一般人には理解出来ないと思われるので是非とも説明願いたい。
  • 結局、ウィキペヂアの方針に反してでも、一次資料の成果を基に研究発表された信頼性の高い刊行物に信頼性の低い百科事典をぶつけ、編集合戦を起こす以外やれる事が無いのは解るが、その荒らし行為は有害無益。
  • 検索の仕方が悪い、何処でどう検索したか書けば原因も解るんじゃないかな。書籍はAmazonCNで買えば送って貰える。--112.138.46.198 2011年8月30日 (火) 09:31 (UTC)[返信]
あなたの挙げている『考古学報2006年第1期、黒竜江綏浜同仁遺址発掘報告』『黒竜江文物従刊1982年第2期、呼蘭河中遊考古調査簡報』とやらはどこで手に入るのか聞いているのですが?答えになっていませんよ。しかもあなたの説明によると、外国の一部の研究者しか挙がっておらず、「事実が確定した」ならば、そんな重要なことを解説する日本の研究者はいないのが不思議ですね。で、あなたが本文に出している出典を日本のamazonで検索したのですが、見つかりません[2]。日本人にとって大変に検証しづらいですね。そもそも共産主義の国家の研究者って信頼できるのでしょうか?またアナタの出典内容が「定説」ならばいくらでも日本の資料で見つかるはずですが、見つかりません。どういうことなのでしょうか?
百科事典だろうが専門家の署名入りの文章であり、信頼できる資料として出典として使用できるものです。それを除去できるというならば、その「方針」を提示してくださいな。ちなみに百科事典ついて「Wikipedia:信頼できる情報源#情報源」では、「『ブリタニカ百科事典』のように、信頼できる三次資料の宝庫もあります」「『ブリタニカ百科事典』、『ワールド・ブック』、『エンカルタ』の記事でも、著者の記名がないものは編集部員が書いたものであり、彼らは専門家とは限らないため注意してください。そのような記事は専門家の手によるものと同等の信憑性を期待することはできませんが、ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされます。」としています。専門家の署名入りの大手出版社の百科事典を「信頼性の低い百科事典」としている時点で、あなたの論理は崩壊しています。日本で検証しにくい一部の研究者の発表のみ頼り、他は「過去のもの」として切り捨てる行為は許されず、それはPOVであり、またORです。自身の気に入る文章のみ書き、自身に気に入らない研究や意見を強引に隠蔽したり、過去のものにしようとしても無駄なことです。方針通り、両論併記で記載すること。それに反する行為を強引に繰り返しても無駄なことです。--218.217.122.101 2011年8月30日 (火) 13:04 (UTC)[返信]
  • 研究水準が近いレヘルなら当事国の研究者が最も数多くまた成果豊富なのは自明。また「日本の研究者はいないのが不思議ですね」ではなく、粛慎系≠ツングース説を主張する研究者の名前や刊行物を挙げればよろしい。
  • 中国で手に入り税関も通過可能で持って帰れる。また、検索の仕方が悪いのにも拘らず「信頼しがたい」とはこれ如何に。https://www.kosho.or.jp/public/book/aimaisearchresult.do;jsessionid=8EEE755BF15E5F9617D03DE03DAEF580/ http://ishare.iask.sina.com.cn/ まあ好きな方を選んでね。さて、イチャもんにも心優しく対処した、こちらも「一次資料の成果を基に研究発表された信頼性の高い刊行物、と、信頼性の低いヤフー百科事典を同列に扱え」という要求の妥当性を納得出来るだけの理由が聞きたい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BA%90

  • 全文を読めば、Yahoo百科事典が一次資料の成果を基に研究発表された信頼性の高い刊行物に対抗出来ないこと、仮定が前提にある古い仮説が一次資料の成果を基に研究発表された信頼性の高い刊行物の断定的見解に対抗出来ないこと、この2つは特に異論が出るとは思えないのだけど。
  • 挙げられた大手出版社の百科事典に研究者の署名は入っていない、何故ウソをついたか説明よろしく。ヤフー百科事典は信頼できる三次資料に挙げられず書き手も専門家とは限らない。--112.138.46.198 2011年8月30日 (火) 14:31 (UTC)[返信]
まず、挹婁≠ツングース説を主張する研究者の名前や刊行物はすでに挙がっています。あなたの主張内容が定説ならば、主流派の意見となっているはずです。そんな苦労してまでしか手にはいらない一部の刊行物をもって定説・事実としないでください。そんなものは主流ではない少数派の意見と言えますし、少なくとも一つの研究結果として記載できるのみです。
そもそも共産主義国家の研究って信頼性あるんですかねえ。自国の方針に都合の悪いことは発表できない国ですからねえ。北朝鮮の研究を信頼できないのと同じように。どうも胡散臭い。
で、前回、私は百科事典がwikipediaにおいて、あなたの言う「信頼の低い資料」とされていないことを証明しました。百科事典が「信頼の低い資料」と主張した根拠ある説明を求めていましたが、あなたの返答を見ますと、見当たりません。二次資料があることはスバラシイことです。しかしそれをもって「信頼できる資料とされる専門家の署名入りの大手百科事典」の出典を除去する理由になっていません。どちらが正しい説なのかは不明であり、両論併記をすることがwikipediaのルールです。ちなみに百科事典に署名している護雅夫などは、残念ながら歴史学者(しかも古代アジア史専門)であり、誰がどう見ても専門家です。他の人に聞いてみたらいかがでしょうか?--218.217.122.101 2011年8月30日 (火) 18:17 (UTC)[返信]
何度も書いたように挹婁≠ツングース説は否定された。護雅夫の仮定を前提とする仮説も、前提が覆り仮説は誤っていた事が判明。--112.138.46.198 2011年9月1日 (木) 15:22 (UTC)[返信]
アナタの説が定説となった証拠が提出されていません。いとつの説のみを事実として記載することは、POVですのでお止めください。--218.217.22.160 2011年9月1日 (木) 15:40 (UTC)[返信]
はいはい、何度も説明書いたの読んでるでしょ。ノート扶余に更にもう一度書いたから読んでね--112.138.46.198 2011年9月1日 (木) 16:18 (UTC)[返信]
「粛慎系≠ツングース系は各種研究から確定」ならば、それが定説となっていることを示す証拠を出してくださいな。wikipediaでは「少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。Wikipedia:中立的な観点)」となっております。アナタの主張が定説ならば、それが定説(多数派・主流)の見解であるという証拠を出してください。意味不明な中国の書物のみ出されても、その内容を「事実」「定説」「多数派」のものとして記載することはできません。定説ならば日本の学界でも語られているはずです。現在の状況では一つの見解があるという書き方しかできません。--218.217.22.160 2011年9月1日 (木) 16:58 (UTC)[返信]
そもそも幾つもの史書で粛慎系=女真(ツングース系)の先祖と書かれている。粛慎系≠ツングース系を主張したのは218.217.22.160が縋る大昔の数人の学者に過ぎず、しかもそれは何度も書いた通り発掘調査の成果により破綻した。--112.138.46.198 2011年9月2日 (金) 09:19 (UTC)[返信]

一旦、議論の場所を一か所にしませんか?ノート:高句麗で。--トムル 2011年9月2日 (金) 09:58 (UTC)[返信]

定説とする根拠の提示がないため112.138.46.198の記載はPOV確定。自身の編集を実現したいならば、定説・主流派と証明する出典を出してください。それがないままでは、ルール違反な編集であり、強引なことをしても一生アナタの編集は実現できない。-218.217.115.116 2011年9月2日 (金) 15:08 (UTC)[返信]
粛慎系=ツングースは定説じゃあなく確定した見解。ノート挹婁その他に挙げた文献群を既に読んでいるにも拘らず、定説とする根拠の提示が無いと強弁するのは無謀だと、あなたも頭では理解している筈。また、金史、両唐書、魏書、北史その他史書が、粛慎から女真へ繋げる系譜の記録も知っている筈。【編集者は複数の情報源の信頼性を評価し、できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から、出典を幅広く選ぶようにして下さい】そもそも粛慎系≠ツングースを仮定した研究者は乏しい手掛かりにしか依拠してない、って事も既に理解している筈。ルール違反だPOVだと強弁しても、多くの史書や引用の参考文献がある以上通りはしないと解っている筈でしょう、無駄なことはお止め下さい。--112.138.46.198 2011年9月2日 (金) 18:55 (UTC)[返信]
あなたの挙げている出典によれば、考古調査により生活様式等が類似していることの調査結果を発表しただけであり、「粛慎系=ツングース」「粛慎系≠ツングース系」と書かれているわけでもない。また、「事実」とするには専門家の多数の追認が必要です。アナタの主張が「事実」ならば、日本の研究書でも見つかるはずなのです。まさに【編集者は複数の情報源の信頼性を評価し、できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から、出典を幅広く選ぶようにして下さい】をコチラは求めているのです。「事実」ならば、いくらでも幅広く出典を提出することができるはずだが、アナタは中国の数個の出典しか出せていない。アナタの出典のみでは「中国の考古調査により生活様式等が類似している」と書けるのみであり、「粛慎系=ツングース」「粛慎系≠ツングース系」などと書くことはできません。出典に書かれてないことを編集者が書いてはいけません、それは独自研究であり、POVというのです。簡単なことです。「事実」であることを証明すればいいのです。いくつかの日本の専門書などでの専門家の追認を提出してください。--218.217.42.92 2011年9月3日 (土) 13:56 (UTC)[返信]
私の挙げた出典では1,50,52ページで「粛慎系=ツングース」と断言されている。また、専門家の多数の追認がされている。そう参考文献と学者の名前をを挙げて説明して挙げたはず、読んでるよね?8つの文献があっても、気に食わなければPOV、気違いとしか言いようがない、ちゃんと本を買ってお勉強しましょう。その際にはまず1,50,52ページを読み反省すること--112.138.46.198 2011年9月3日 (土) 18:32 (UTC)[返信]

何度言えばわかるのでしょうか?2人とも挹婁を書きかえないでください。ノート:高句麗での議論は終わっていません。争うのが好きでしたら別の所でしてください。「いや、だってあいつが先に」とか「POVだから駄目だ」とかは無しです。どっちにしろ議論中にもかかわらず書いたものはすべて無効です。--トムル 2011年9月4日 (日) 12:31 (UTC)[返信]

112.138.46.198の挙げた出典に「粛慎系=ツングース」とされていたとても、「挹婁≠ツングース系」説が完全否定されているわけではない。完全否定されているというならば、、「挹婁≠ツングース系」説が完全否定されたという追認が必要です。完全否定されているならば日本の学界でも述べられているはずであり、それを提示しろということです。それをしない限り、112.138.46.198の書き方の実現は一生無理です。現在日本の研究者で見つかる論は両論があると述べられているものですので[3]、一方の説が完全否定され、他方の説が事実となったと追認している出典を出してください。--218.217.42.67 2011年9月4日 (日) 14:55 (UTC)[返信]
それは妙な物言いでしょうトムルさん、粛慎・挹婁・勿吉・靺鞨・渤海と扶余・高句麗は別の問題で、現に粛慎・挹婁の記述は218.217.42.67以外触ってこなかった。まあ、変なのが参加してきたので言いたい事は解るけども。
218.217.42.67へ、ふつう発表された中身に突っ込み所があれば批判される。近年の日本で挹婁について言及した文献を挙げればいい、一向に挙がってこないが--112.138.46.198 2011年9月5日 (月) 12:12 (UTC)[返信]
近年、一部の研究により「粛慎系=ツングース」とされたことをもって、「挹婁≠ツングース系」説が消えるわけではない。それぞれの説をあることを示している出典は近年どころか、現在進行で存在しているものである[4]。前者が事実で後者が事実であるとする、多数派の追認が認められない限り、一方のみを重点的に書くことは中立的観点に触れるものである。ところで「変なのが参加」などの暴言が所々で見られるが、Wikipedia:礼儀を忘れないという基本方針が守れないならば、wikipediaに参加すべきではない。謝罪と訂正を求める。--115.176.59.31 2011年9月5日 (月) 15:10 (UTC)[返信]
もう奇説は消えた。無駄な抵抗は止めて大人しくして下さいね いやなら、発掘調査でもして学界で成果を発表したら?w--112.138.46.198 2011年9月6日 (火) 14:16 (UTC)[返信]
説明・反論になっていません。議論放棄ならば、WIKIPEDIAからご退場を。--218.217.42.43 2011年9月6日 (火) 17:26 (UTC)[返信]
ではもう何度目かも忘れたが説明を。発掘調査及び研究により女真と挹婁の連続性が確認された、これは仮説じゃなく確定した見解。そして当該研究に携わった学者その他、朝克、楊保隆、ハスパトル、張太湘、威玉籤、楊虎、譚英杰、張泰湘なども、挹婁が女真の祖先であるとしている。そもそも史書に女真の祖先と書かれいるけどね--112.138.46.198 2011年9月8日 (木) 15:11 (UTC)[返信]
1つの説が完全否定されてるとアナタの勝手な判断をしたり、また脚注で隠さないように。--218.217.157.28 2011年9月8日 (木) 15:32 (UTC)[返信]
では、多数の出土物から導かれた見解を否定する、新たに出された説を頑張って提示しましょう。--112.138.46.198 2011年9月9日 (金) 10:42 (UTC)[返信]
こちらは「多数の出土物」が否定されているなどと書いていていませんので、新たな説を出す義務もありません。本文に「過去の学説」「すでに否定された学説」と書きたいならば、それを直接言及している出典の提示を求めています。出典は本文に書こうとする側に提出義務があります。資料から勝手にアナタが「過去の学説」などとする「情報の合成」はおやめください。--218.217.157.28 2011年9月9日 (金) 15:36 (UTC)[返信]
既に幾度となく教授した、上記7つの文献を参照のこと、また上記8名の見解も参照のこと。 更にあなたは、自分で矛盾した事を書いていると認識していませんか?あなたは多数の出土物から導かれた見解(女真時代と挹婁時代の連続性)を否定している。あなたの拘っている仮説は挹婁を古アジア系としているのですよ、理解出来ませんか?それとも理解したくないだけ?--112.138.46.198 2011年9月10日 (土) 03:29 (UTC)[返信]
どのような研究・説があったのかを淡々と書けばよいだけでしょう。編集者が「~は否定された」などと勝手な言葉を書く必要はないと思います。112.138.46.198さんの見解や解説は必要ないですから。--Space1 2011年9月13日 (火) 22:48 (UTC)[返信]
既に幾度となく載せた、上記7つの文献を参照のこと、また上記8名の見解も参照のこと。ある仮説への注釈であって解説でも見解でもありませんよ、新規研究の成果が参考に書かれているだけです。~仮説の前提が破綻した、というね--112.138.46.198 2011年9月14日 (水) 09:45 (UTC)[返信]
Space1氏に同意。一人で何度も強行編集しても無駄なことです。定説・主流派としたいならば、日本の出典もお願いします。簡単なことです。あなたが主張していることと同じ事を述べているいくつかの日本の出典を出せば良いだけなのですから。定説なら簡単にみつかるものです。それができないのであれば、定説の証明になっておらず、中国のたった8人の見解ということですわな。--218.217.38.142 2011年9月15日 (木) 15:21 (UTC)[返信]
119.83.179.123君に同意。かつて均田制や府兵制など唐代の制度に関して日本の学界で様々な仮説が出されたが、数十年前から下火になり今は多くの仮説が否定されているものの、日本人の研究者がわざわざ「否定されている」旨を書籍で書く事も無い。中国での出来事だからね、それに出土物の発見で状況が一変するのはよくあること。そもそも粛慎系をツングースでないとした日本人研究者が倍も2倍も居るのかどうか、ほとんど挙げられていない。--119.83.179.123 2011年9月15日 (木) 19:19 (UTC)[返信]
【ウィキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源を示すべきであり、常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用するべきです。これは、情報源の資料が正しく使用されたことを、日本語版の読者が容易に検証できるようにするためです。】(Wikipedia:検証可能性#情報源/ソース)。駄々こねてもダメ。ルールを破るわけにはいかないの。早く日本語の出典を出してね。定説ならすぐ出せるでしょ?君の中国の出典は後書きで十分なレベル。--218.217.41.207 2011年9月16日 (金) 01:28 (UTC)[返信]

編集合戦はやめてください[編集]

なにが楽しくて編集合戦をするのですか?世界の終りまで続けるつもりですか?どちらかの手を止めればどちらかの手も止まります。止まった所が気に食わない編集でもそれでいいじゃないですか。私からしたらどちらの編集も気に食わないですよ。今、ノート:高句麗で言語系統の書き方をみんなで決めようとしています。そこで決まった書き方で書いてもらいますので、今必死で書きなおしても無効です。

112.138.46.198氏へ、高句麗での議論も、ここでの議論もみな同じ“ツングース問題”の論争です。--トムル 2011年9月6日 (火) 17:47 (UTC)[返信]

まずあなたが管理者でも何でも無いことを自覚しましょう、史書の漢文読解にも難があるただの一編集者です。ところで『ツングース族系的興起』をお読みになられた筈ですが、全く言及がありませんね、一体全体どうしたことでしょうか? 文献主体の白鳥庫吉まで遡らずとも、大好きな史書の記述を裏付ける十二分に説得力のある材料が豊富に提示されてますが、何か都合が良くない事でもありましたか?--112.138.46.198 2011年9月8日 (木) 15:11 (UTC)[返信]

言語系統の書き方案[編集]

一旦ここでまとめてから、本文に反映させますので、以下に書いたものに足りないものがあれば書き足してください。--トムル 2011年9月22日 (木) 15:31 (UTC)[返信]

==言語系統==
挹婁の言語について、中国の史書は「容貌は夫余に似ているが、言語は夫余や高句麗と異なる」と記しており[1]、当時の東北アジアの中でも独特の言語を使用していたことがわかる。

  • ツングース系説…挹婁がのちの女真族(ツングース系)であること、比較言語学的研究により粛慎系の語彙がツングース系に近いということ[2]から、古くから支持されてきた説であり、現在では発掘調査による出土品から日用品や居住形態、食生活の連続性が確認されているため[3]、挹婁は女真の祖先であり、言語系統もツングース系とされる。ただし、史書において粛慎系と言語が異なるとされる夫余や高句麗も、日本の学説や事典ではツングース系とされることがあるので[4]、両系統(粛慎系、濊系)ともツングース系の可能性もある。
  • 古シベリア(古アジア)系説…その独特の言語、習俗から、挹婁はツングース系ではなく、ニヴフ(ギリヤーク)などの古シベリア系ではないかとする説。過去にシロコゴロフ[5]や三上次男[6]などが提唱した。

==脚注==

  1. ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝「其人形似夫餘、言語不與夫餘,句麗同。」、『後漢書』東夷列伝「人形似夫餘、而言語各異。」
  2. ^ 白鳥庫吉「粛慎考」、「穢貊は果たして何民族と見做すべきか」(『白鳥庫吉全集 第4巻』1970年、岩波書店)
  3. ^ 高凱軍『通古斯族系的興起』(2006年、中華書局)
  4. ^
    • シロコゴロフ著、川久保悌郎・田中克巳訳『シロコゴロフ 北方ツングースの社會構成』(1942年、岩波書店)p285-p287「鳥居龍蔵氏は彼らを北朝鮮の強国、夫余及び高句麗の建設者と見做し、彼等をツングースであろうと考えている。」
    • 『白鳥庫吉全集 第4巻』(1970年、岩波書店)P536「『穢貊は果たして何民族と見做すべきか』穢貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう。」
    • 井上秀雄、他訳注『東アジア民族史1-正史東夷伝』(1974年、平凡社)p103「(高句麗、夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明・朱蒙伝説)の類同によっても推測できよう。」
    • 加藤九祚『北東アジア民族学史の研究』(1986年、恒文社)p156「高句麗は北扶余から発したとされるが、その北扶余がツングース・満州語族に属することは定説となっている」
    • 三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』(1989年、山川出版社)p161「Ⅱ(夫余、高句麗、濊、東沃沮)の言語はツングース・満州語の一派か、またはそれに近い言語と思われるが、むしろ朝鮮語と近い親縁関係にあるか、詳しく調べてみなければわからない。」
    • 鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』(1992年、中央公論社)「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の濊族によって建国」
    • 『Yahoo!百科事典』「【濊貊】前3世紀ごろモンゴル系民族に押されて朝鮮半島北東部に南下し、夫余(ふよ),高句麗(こうくり),沃沮(よくそ)を構成したツングース系の諸族を含むのである《浜田耕策》。【夫余】古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族が建てた国名《村山正雄》」
    • 諏訪春雄「高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族(学習院大学教授 諏訪春雄通信)」
    • 南出喜久治「私の見解では、高句麗は、建国の始祖である朱蒙がツングース系(満州族)であり、韓民族を被支配者とした満州族による征服王朝であつて、韓民族の民族国家ではないと考へている。(いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の五›日韓の宿痾と本能論)」
  5. ^ シロコゴロフ著、川久保悌郎・田中克巳訳『シロコゴロフ 北方ツングースの社會構成』(1942年、岩波書店)
  6. ^ 三上次男『古代東北アジア史研究』(1977年、吉川弘文館)

トムル氏のテンプレを再編集--112.138.166.212 2011年9月22日 (木) 20:55 (UTC)[返信]

こちらのトムル氏の版ならば、同意します。--218.226.121.140 2011年9月23日 (金) 00:01 (UTC)[返信]

ノート:勿吉での話し合い(合意)により、この体裁で粛慎系の言語系統を書かせていただきます。--トムル 2011年9月30日 (金) 14:56 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

先日までWikipedia:記事名の付け方ではJIS X 0208外の漢字の使用制限がありましたが、この度緩和され、JIS X 0213に収録されている「挹」も記事名に使用できるようになりました。よって、本記事を「挹婁」へ改名することを提案いたします。--こんせ会話2020年8月3日 (月) 03:24 (UTC)[返信]

報告 移動依頼を提出します。--こんせ会話2020年8月10日 (月) 01:40 (UTC)[返信]

宇山卓栄氏の言説を削除することについて[編集]

ノート:宇山卓栄において歴史学の非専門家である宇山卓栄氏の言説を削除することを提案しています。--らりた会話2022年11月30日 (水) 12:10 (UTC)[返信]