ノート:弥生時代

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大量渡来説と炭素年代法[編集]

埴原は、人口学の推計によれば弥生時代から古墳時代にかけて一般の農耕社会の人口増加率では説明できない急激な人口増加が起きていることから、この間、100万人規模の渡来人の流入があったはずだとする大量渡来説も提唱していた。

とありますが、この説は1991年であり、その後、1996年頃より、炭素年代法で、弥生時代は大幅に開始年代が早くなっています。これを明瞭に記載する必要があると考えています。植原の計算の骨格が崩れてしまっているからです。

この点をきちんと説明する必要があります。

新たに追加する必要があるのは、次です。

しかし、1996年頃より、炭素年代法と、年輪年代法により、弥生時代の開始時期が大幅に、早くなった。古い弥生時代の開始時期よりも数百年弥生時代の開始時期が早くなっているため、植原の仮説、計算は根拠を失っている。

以上です。 --240F:73:24B3:1:E88F:8E81:27B8:F807 2020年10月12日 (月) 16:19 (UTC)[返信]

文献の追加です。、大量にありますが。 手短には、例えば、 春成秀爾 見直しがすすむ弥生時代  「科 学」 Jan. 2008 岩波書店 https://www.iwanami.co.jp/kagaku/harunari0801.pdf --240F:73:24B3:1:E88F:8E81:27B8:F807 2020年10月12日 (月) 17:21 (

半保護が良く分かりません[編集]

以下を追加したい。私が弥生土器に書き込んだものです。 弥生時代の位置付けには、書き加える価値はあると考えています。 一応、項目だけを書き加えておきます。内容は、しばらくしてから書きます。 問題があるなら、消去してください。

朝鮮半島での弥生土器の大量出土と交易の確立[編集]

縄文土器と同様、弥生土器も朝鮮半島南部で発掘されている。初期には、金海地域を中心に出土し、交易がおこなわれていた事が解る。

前期後半から増え、特に中期、朝鮮半島、勒島では大量の弥生土器が見いだされ倭人が交易に出かけた様子がうかがえる。これは、勒島と壱岐の原ノ辻との間に集約され確立された交易ルートである。原の辻では、無文土器も出土している。弥生時代後期、勒島の弥生土器は減り、金海地区との交易に移った。[1][2]--列島会話) 2021年4月19日 (月) 21:27 (UTC)[返信]

なお、この時期、弁韓の鉄鉱山の発掘現場からも弥生土器が発見され、倭人が弁韓の鉄を採ると言う魏志倭人伝の記述が検証された。この鉄鉱石採掘場は、周りが周囲から閉鎖された場所であり、その中から弥生土器が発見された。必要があれば、倭人は朝鮮半島の内陸部にまで出かけて鉱山開発に直接携わっていた事が解る。

稲作遺伝子の割合 ノートの記述は明確に誤り[編集]

https://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000116_all.html 稲のたどってきた道 静岡大学農学部助教授  佐藤 洋一郎 氏 これで、遺伝子の割合が解ります。 朝鮮半島に無く、日本にあるイネの遺伝子は、大陸では、6割に達します。 記述が誤っています。 著書では、他の遺伝子の割合もあります。日本の2大遺伝子の内、大陸の遺伝子の序列は、やはり1,2位を占めています。 ページの説明は明確に誤りです。

参考 佐藤洋一郎の著書  稲の来た道--列島会話) 2021年4月19日 (月) 22:20 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ 勒島貿易と原の辻貿易 -粘土帯土器・三韓土器・楽浪土器からみた弥生時代の交易-白井克也 http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2001a.html
  2. ^ 石丸あゆみ朝鮮半島出土弥生系土器から復元する日韓交渉file:///C:/Users/user/Downloads/kouko2503%20(3).pdf

弥生時代 編集中ですので、書き込み、修正に問題があるのは理解しています。[編集]

以下は、弥生時代の修正で、ある方から、指摘(正当な指摘)があり、私、列島の返答です。何らかの時、助けになるかと考え、私の解答だけを、こちらにもコピーしました。

本文

もう少し、待ってください。 ご指摘のカ所は、以前の版に明らかな間違いがあったので、取りあえず修正しました。

稲の伝来は、過半が大陸から直接来たとしても、考古学の多くの資料は、半島由来を示しています。しかし、この大量の考古学の資料も、問題があります。

どう扱ってい良いか解りません。その為、抉り入り片刃石斧を、反論できない証拠として、稲のDNAと対比させる形で出しました。

あまり論じると独自研究になりますし、苦慮しています。

ただ、私の前の版には、要出典や要ページ数を貼り付けられておられない。ちょっと疑問です。

とにかくもう少しお待ちください。 お願いします。

集落とか、欠けがあり問題です。--列島会話) 2021年4月20日 (火) 23:57 (UTC)[返信]


注 指摘された事に対する、私の回答(上)への返信があり、それへの私のさらなる回答が以下です。

コメントありがとうございます。了解しました。つっけんどんで突っかかって申し訳ありません。
私が弥生時代に手を入れ出したのは、基本は次の2点です。
1.稲の遺伝子についての記載が明確に誤りである。
2.項目が分かれていず、時代区分から、いきなり炭素年代法が出て来るなど、混乱し、読む気が起きない。
この2点です。
私は、史料は過去に読みましたが、現在は大量の書物の山に埋もれ、探す事が出来ません。従って、本来手を出してはいけないのですが、少しは読みやすくできるかと考えて修正を行っておりました。
改良される方がおられれば、私の出る幕は無く、これで、基本終わりにします。
後は、お任せしたいと考えております。
無責任なようですが、私が独自に書いた部分はあまりなく、その関連は、責任があります。本をひっくり返すのも面倒(いい加減)なので、コロナが収束するワクチン接種があらかた終わる、秋に図書館に行き、該当箇所にページを書き加えます。予定、いい加減で申し訳ありません。
墓制や集落の構造や、環濠集落の構造など、改良点は多くある、まだまだよくなるとは思っております。
しかし、一応これで手を引きます。****さんの、さんづけですみません、改良を期待しております。
どうもいい加減な性格で、すみません。
ご指摘の方法で、ある程度まとまってから、書き込むようにいたします。まあ、1年位先でしょうが。年寄で、その時にまだ生きているか、
丁寧なご指摘、ありがとうございました。
失礼いたします。--列島会話) 2021年4月21日 (水) 09:02 (UTC)[返信]

--列島会話) 2021年4月21日 (水) 23:37 (UTC) --列島会話) 2021年4月21日 (水) 23:45 (UTC)[返信]

利用者サンドボックスは登録利用者用の拡張機能の一つです。ページ上部の個人用ツールバーの「下書き」からリンクされています。登録利用者一人に一つ、専用サンドボックスが用意されており、利用者ページと同様、比較的自由に使うことができます。--列島会話) 2021年4月22日 (木) 17:03 (UTC)[返信]

文献もなく不完全ですが、一応書き込みます。自由に消去、編集してください。[編集]

数日して書き込みます。これと、墓制について書き込めば終わりです。 縄文時代、詳しく書き込み、編成されていますので、それを期待しております。 断片的に追加しましたが、私も一定の構想があり、これを完結させます。

環濠集落と社会[編集]

弥生後期から、特に弥生中期大規模な環濠集落が発展した。 以下、環濠集落のあり様を、小規模を含め見て見る。

環濠集落の構造[編集]

大きさとあり様

発掘遺跡の住居跡の戸数が数十戸と多くても、同時代での生活を共にする戸数は少なく、2~3戸であたり10戸に満たない事が多い。 水田の近くに、住居跡がみられるのが普通で、静岡の登呂遺跡では、水田のそばの土手に、水田に平行に住居が並んで建てられていた。これらも環濠集落として構成され、周りに溝と土手が設けられた。[要出典]

クニの首都としての環濠集落[編集]

これは小規模な例だが、大規模な環濠集落も多くあった。特に前期末から特に中期以後、大規模な構造を持ち、地域の中心と見られる環濠集落が発展した。それは、小さいながらも、次第に発展していくクニの首都の役割を果たしていた。[要出典]

大規模環濠集落の構造と階層の分化

集会所か、宗教儀礼所の役割を果たす、大きな建物が、環濠集落の中心にあり、また、金属器や石器や玉類の手工業者の作業跡が集まる場所も環濠集落内にあった。この様な環濠集落が、北九州では見つかっている。そこでの墓所には、大量の鏡や玉類が見つかる例があり、そこには、王に相当する地位にある者が埋葬されていた。[要出典]

女性首長

この埋葬物から、ネックレスなどの装飾品が多くある場合、この墓制の主は女性であると推定されている。

同一社会からか首長の支配へ[編集]

この様に階層分化が進んでいた。そして、やがてふたつの大きな変化が尾と付れる。 首長の館の出現と、墓が大きな塚となり、一般の覇かとは別の場所に移る事である。これが古墳、特に前方後円墳の前兆となる。[要出典]

首長の館も環濠集落を出て、周りに溝を巡らし、柵を設けて、独立して行った。--列島会話) 2021年4月22日 (木) 19:20 (UTC)[返信]


墓についての追加[編集]

外部施設 支石墓など[編集]

縄文時代の支石墓

支石墓は朝鮮半島の墓制で、弥生の開始の前に、九州の北西にまず出現している。この支石墓の主は、漁撈者か、畑作を行う人々と考えられている。

この時代よりさらに遡って、漁業は、朝鮮半島中南部から九州を中心とした西日本にかけて大型の魚を取る漁具が共通して見られている。この様に、大型魚の漁業は縄文時代から発達していた。

この漁具は、縄文時代の初期に、日本の中部地方で発見されているが、それ以後見つからず、やがて朝鮮半島で多く見いだされ、それに続いて九州にも多く出現するようになった。

いずれにせよ、朝鮮半島から西日本からなる、漁業圏があったか、漁業の技術の交流があったとされている。この漁業者が、支石墓を取り入れたと推定されている。その理由は、朝鮮半島に由来する支石墓だが、その内部に縄文時代の特徴的に甕棺が収められていたからである。[要出典]

弥生時代の支石墓の広がり --列島会話) 2021年4月23日 (金) 06:45 (UTC)非常に不十分だが、これ以上追加するか不明です。[返信]

 要出典もなくいきなり消された 聖今上氏の行為  [編集]

聖今上氏の書き込み履歴を見ましたが、文献の一方的な解釈が多い様です。

特に、要出典もなく、いきなり消すなどの行為は目に余ります。

この聖今上氏は、5月から書きだし、ブロックされた人のなり替わりかと判断しています。 私はこれ以上、調べられません。調べられる能力のある方がこれを見られたら、申し訳ありませんが、調べていただ事を願います。

書き込みの詳細は、別の機会に行います。

出典を明記し、一方的に消されたものを復元し、さらに文献に基づき、追加しました。 --列島会話) 2021年5月15日 (土) 06:05 (UTC)[返信]


お手数ですが、出来れば、調べていただきたい。 書換の一覧(1週間か2週間後)を待っていただいてからでも、もちろん、かまいません。

聖今上氏(テコンドー?聖なる今は上?氏)のノートにも書き込む予定です。

語句を、修正しました。--列島会話) 2021年5月15日 (土) 06:12 (UTC)[返信]

縄文土器は朝鮮半島では一つも発掘されていない 聖今上氏  無茶苦茶、何とかして[編集]

聖今上 会話 投稿記録‎ 99,668バイト −411‎ 縄文土器は発掘されていない。また出典がない内容は削除。


  • 聖今上氏の書き込み
稲の品種が日本の稲の40%を占め、朝鮮半島由来は60%を占めていた。佐藤洋一郎は少なくとも稲の40%は中国南部由来じゃないかと主張している[1][2]。しかし、佐藤洋一郎によって中国中南部に由来する稲は確認されたがその稲の収穫に必要な中国式道具は全く発掘されていない。発見されたのは半島式の磨製石斧だけである。


  • 知らずに、調べもせずに書くのか、
1.抉入片刃石斧、だけが、朝鮮半島固有で、他は、大陸と朝鮮半島で、同じであり、区別できず、共通している。両方ある。山東半島から農具、水田技術が朝鮮半島に伝わったのだから、朝鮮半島と、山東半島で、共通します。当然でしょう。
推定ですが、聖今上氏は、何も知らず、読まず、抉入片刃石斧をここ、もしくは弥生土器で知り、すべての農具が朝鮮半島と主張した、しかし、朝鮮半島固有は、抉入片刃石斧だけです。元文献を読んでいない。読んでいれば、農具のすべてが朝鮮半島から来たと断言できない事が解ります。


調べもせずに書くのか。


農具が、朝鮮半島由来とできる理由はどこにもないのです。山東半島、朝鮮半島、どちらから日本に来たか解らない。(抉入片刃石斧だけは、朝鮮半島由来と確定できる。)


2.40%は朝鮮半島には無い稲です。残りの稲は、山東半島に存在し、それが朝鮮半島に渡った。従って、60%が、朝鮮半島由来とする理由は皆無です。残り60%は山東半島、朝鮮半島のどちらの可能性もある、当然の話です。これを、聖今上氏は、すべて朝鮮半島由来と主張する。あり得ません。


  • 以上から解る事。
  • 聖今上氏は、文献を読んでいない
1.縄文土器が朝鮮半島で発見される例は、多くの文献にある。数え切れない。しかし、記憶でしか無いので、ネット上で見られる例を最後の部分に挙げました。
2.こう言う、無茶苦茶なあり得ない事を、書く(独自解釈)のに対応するのは、時間の無駄です。
1.稲の遺伝子の60%は朝鮮半島から来た(40%は大陸にしかない。他は大陸と朝鮮半島に共通であるのに)山東半島から直接日本に来た可能性もあります、2.農具の由来(すべて朝鮮半島と主張、しかし、朝鮮半島独自は、抉入片刃石斧だけです。他は、すべて山東半島から朝鮮半島に伝わるか、北回りで朝鮮半島に伝わっています。朝鮮半島独自とする根拠は、どこにも無いのです。山東半島から日本に直接来た可能性もある)、3.縄文土器が朝鮮半島で一切出土していない。(東三洞遺跡では、縄文時代各期の縄文土器が出土します)


文献の例  韓国系の雑誌社での講演会の報道    東洋経済新報社 (創刊以来、在日社会の発展を目指しています。) <韓国文化>古代朝鮮と日本との交流 ――西谷正・九州大学教授  (朝鮮奨学会「古代史シンポジウム」から)[3]

対馬の縄文時代遺跡の出土遺物を見ると、その中にごく微量ながら櫛目文土器が含まれていたり、対馬には生息せず朝鮮に生息していたキバノロの牙製装身具が出土したりする。

 一方、朝鮮東南部の櫛目文土器文化の代表的遺跡として知られる釜山市の東三洞遺跡では、縄文時代各期の縄文土器が出土するばかりか、西北九州産の黒曜石およびその製品である石鏃(やじり)などが共伴している。また、朝鮮の南海岸地域にあたる欲知島では、縄文時代早期末の九州の轟式土器のほか、朝鮮で初めて縄文時代によく見る石匙(さじ)が出土している。

 これらの諸事実は、両地域の人々の間で何らかの交流が行われていたことを物語ってくれる。

ただし、その後、西谷は、考古学的には、弥生時代の稲作は、朝鮮半島由来と述べている。

  •  こう言う聖今上氏の書き込みに対応するのはかなわない。何とかしてほしい。

--列島会話) 2021年5月15日 (土) 08:05 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ 佐藤洋一郎 稲の来た道  日本古代史つれづれブログhttps://aomatsu123.blog.fc2.com/blog-entry-208.html
  2. ^ 佐藤洋一郎 稲の来た道  日本古代史つれづれブログhttps://aomatsu123.blog.fc2.com/blog-entry-208.html
  3. ^ http://www.toyo-keizai.co.jp/news/culture/2000/post_3605.php

ネット索引を追加--列島会話) 2021年5月15日 (土) 08:28 (UTC)[返信]

聖今上氏 無茶苦茶、5月から開始、なりすましと考えられます。こんな事を書いて、追放されないわけがない。そう考えています。

追放されたとしても、

追放後、再度書くのに、私は反対しません。きちんとルール通りにすれば。--列島会話) 2021年5月15日 (土) 08:28 (UTC)修正 再度修正--列島会話) 2021年5月15日 (土) 11:02 (UTC)[返信]


鉄の朝鮮半島と日本での開始に差はない[編集]

聖今上氏にあまりの偏向ぶりに、ちょっと書き過ぎた点があります。上がその一例です。

1.鉄の朝鮮半島と日本での開始に差はない

韓国の学者が、書いているのですから、現状では、正しいのでしょうが。

2.在日社会の発展を目指していますも、韓国系の雑誌ですから、あえて、挙げたのです。

事実を曲げていると思われては、編集合戦になりますから。あえて、在日の発展を目指す、書き込みました。

チョット精神的に耐えられない。事実になぜ向き合えない。

議論は歓迎だが、事実を曲げる、耐えられません。


--列島会話) 2021年5月15日 (土) 11:15 (UTC) --列島会話) 2021年5月15日 (土) 11:17 (UTC)修正[返信]


分析の必要は無いでしょう、以後、説明なく修正します。説明していては、何倍も手間がかかります。他の部分への書きこもも同様にします[編集]

この遺伝子解析で、中国中南部に由来する稲の品種が日本の稲の40%を占め、朝鮮半島由来は60%を占めていた。佐藤洋一郎は少なくとも稲の40%は中国南部由来じゃないかと主張している[1][2]。しかし、佐藤洋一郎によって中国中南部に由来する稲は確認されたがその稲の収穫に必要な中国式道具は全く発掘されていない。発見されたのは半島式の磨製石斧だけである。


編集合戦になった場合、その時考えます。

--列島会話) 2021年5月15日 (土) 11:27 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ 佐藤洋一郎 稲の来た道  日本古代史つれづれブログhttps://aomatsu123.blog.fc2.com/blog-entry-208.html
  2. ^ 佐藤洋一郎 稲の来た道  日本古代史つれづれブログhttps://aomatsu123.blog.fc2.com/blog-entry-208.html

稲の伝来は、書き過ぎか、あまりの書き様に、筆が滑ったかもしれません。[編集]

少し間をあけて、冷静が戻ったら、文献を含め、書き直します。

とにかく話にならない。--列島会話) 2021年5月15日 (土) 13:09 (UTC)[返信]


ウィキペディアは宣伝の場ではない。[編集]

聖今上氏の記述


無文土器に影響を受けた土器は日本各地に発掘されているが弥生土器も朝鮮半島南部で発掘されている。


交易を示唆する、無文土器は、対馬などでごく少数、発掘されている。これが事実である。これだけ、

要は、交易に伴う土器の移動が問題で、また、それに伴う、土器の形をまねた土器の出土だけが問題になる。先の聖今上氏の、記述は、交易に関わる土器には何の関係もない。全国に朝鮮半島の人間が交易に出かけて来たのか。そのような文献は無い。皆無、


聖今上氏の記述は、単なる宣伝としか言いようが無い、先に述べたような、誤解を招く記述は尋常ではない。文献に根拠を持たない独自研究だろう。



--列島会話) 2021年5月15日 (土) 13:31 (UTC)[返信]

修正--列島会話) 2021年5月15日 (土) 13:34 (UTC)[返信]


文献を調べて、内容を曲げずに、書かれよ。

私も、少し、書き過ぎか、しかし、すべて文献を基礎にしている。 しかし、書き直す必要がある。 今までも、書きすぎを自覚しつつ書き、その後、修正した。

メモ帳で、十分練るべきだったが、あまりの曲げように、アドバイスを忘れていました。 アドバイスを頂いた方には、申し訳ない。 失礼します。

--列島会話) 2021年5月15日 (土) 13:41 (UTC)[返信]


太字を増やした。 --列島会話) 2021年5月15日 (土) 17:59 (UTC)[返信]

私はブロックされた人ではありませんが、あなたは多重アカウントの不正使用していませんか?在日社会とか青鬼なんとかさんが良く言ってましたけど。私が要請するのでお互い調査してもらいましょう。むしろ出典はない、見たいものだけみる、事実を曲げているのはあなたではないですか。--聖今上会話) 2021年5月15日 (土) 21:07 (UTC)[返信]


 努力が一切ない、文献を一切調べない、具体的な指摘とその基礎となる文献が一切ない、あるのは独断だけ   あり得ない、ウィキペヂアに参加の資格があるのか [編集]

とにかく、具体的に指摘をし、それを基に、議論を進める。それが無い。

私の書き込みの、1/20でしょう、あり得ません。


文献も調べず、勝手な憶測をする、中国南東部と朝鮮半島が共通するものを、すべて朝鮮半島だけにする。信じられん。

文献も多く上げ、ページ数を示しました。問題あるなら、まず、当該箇所に、要出典とつけるのが筋です。

そう言う努力、手続きが一切ない。私がどれだけ時間を割いたか、文献を調べたか。

ありえません。


議論できないと言う事です。自分の願望だけで、社会を動かすのか。きちんと自分の手で調べ、文献に書いてあることを、尊重し(両方解釈できるときは、それを書く、当然の義務です)、読者にそれを示す。

それが無ければ、単なるプロパガンダです。


要は、信頼に足らない。もし自分は信頼に足る人間なら、それを示したいなら、きちんと文献を自ら調べ、その文献を必要なだけ読み、妥当な(反対の立場でも認める)判断をして、そして行動する。

それがあなたには無い。そう言う点が、あなたには、認められない。いちいち指摘しています。大変な手間です。そう言う手間をかけさせるなど、あり得ない。


私は、あなたに何を言っても無駄と判断しています。

もし、言う価値があるなら、それなりの努力の跡が見られるはずです。あなたは、非難だけ、憶測だけ、願望だけ、それ以外の論拠は無い。


とにかく、なぜ問題か、問題点を指摘し、その基礎となる文献も指摘して、さらに要出典とする、それが一切ない。

読んでいると、ほとんど歴史学の、考古学上の知識がない、そう思わざるを得ない。その点は、指摘しました。


基本となる筋書きの文献は私は示しました。一つだけ、後で書くとしましたが、重要な論点ではなかったはずです。記憶にすぎませんンが、

私は、過去にウィキペヂアで、その文献を指摘しています。だから後で捕捉すると書いたのです。


とにかく、一切努力の跡が無い。



仮にも、一般の人の目にさらされるものです。それを調べもせず、自分の願望を描くのか(具体的に指摘しています)。あり得ない行為です。


どうしてそう言う行為をするのか。信じられない。


そう言う行為は、自分の願望で人を自分の好きにする行為です。その人を、基礎の無い世界に追い込む。追い込むほうは気持ちがいいかもしれない。 しかし、許されるのか。許されはしません。

きちんとした基礎があれば、人を動かすのは構わない。しかし、基礎無く自分の願望で、人を動かすのは許されない。

なぜこれが理解できないのか。


ーーーー


在日は、経済新報社の書いたものをそのまま引用しました。まずかったかもしれません。

経済新報社は、韓国北朝鮮系と書き込みを見て思った。それで、韓国の学者の書いたものと同時に、その根拠としました。

それでも、まずかったのかもしれません。しかし、あくまで、韓国の学者などと同様、立脚点を示しただけです。それでも問題だったかもしれません。


ーーーー


いずれにしろ、具体的な点をひとつづつ詰めて行くしかない。

具体的に指摘してください。


そして、根拠なく、私の書いたものを消去されたのですから、ページを元に戻してください。文献が不足なら、要文献を貼って下さい。

それが、ウィキペヂアに参加する、義務です。自分の願望の場では、ウィキペディアはありません。その点をお忘れなく。


私がこれだけ努力しているのだから、あなたも努力してください

努力できないなら、書き込んだり、消去するのはやめて、参加を取りやめてください。

あり得ません。


自分の願望で、人を動かさないでください。


どれだけ迷惑しているか。


--列島会話) 2021年5月15日 (土) 22:43 (UTC)[返信]

私を侮辱してますよね?あなたが言った文献を読みましたが中国南東の内容は乗っていません。ブログにも書かれておりません。--聖今上会話) 2021年5月15日 (土) 23:27 (UTC)[返信]
報告 ご連絡をいただいたので、私の会話ページの方で返信いたしました。議論の流れを追えるよう、一応こちらでもご報告しておきます。--Jutha DDA会話) 2021年5月16日 (日) 01:56 (UTC)[返信]


3ヶ月経っても、修正が無い、他の人に修正を依頼したが、意図的な誤記は放置されたまま [編集]

私が修正を依頼した人は修正していただけない様です。 3ヶ月経ちました、仕方が無いので、修正しました。 なぜ放置するのか、理解できません。

--列島会話) 2021年8月8日 (日) 02:02 (UTC)[返信]

書き込みの場所が、時間順序と違っていたので、移動。--列島会話) 2021年8月8日 (日) 02:07 (UTC)[返信]

 交易と鉄の項目の詳細を復活と消去 文献が挙げられているのに消す根拠が無い [編集]

1.文献が挙げられているのに消す根拠が無い

2.消去  *交易と鉄の項目で、弥生土器の成立を書くのは、宣伝にしか過ぎない。従って、消去する。

朝鮮半島を起源とした突帯文土器は九州から西日本に発掘されている。[58][59]朝鮮の土器が北部九州など西日本で盛んに見いだされていて、弥生土器の成立にあたって,朝鮮半島の無文土器からの影響が認められている。[60]

3.高地性集落が交易と言う根拠となる文献は多数あるが、1例を挙げ、元に戻す。   寺沢薫 王権誕生 --列島会話) 2021年8月8日 (日) 10:02 (UTC)[返信]

この人物については、弥生土器のノートに書いております。参照していただきたい[編集]

1.誰かのなりすましと考えられます。

  そう考える根拠も書きました。

2.ウィキペディアを自分の願望、宣伝の場と考えています。

3.文献を挙げても、自分の主張に合わなければ消す。

4.異なる事を一緒くたにして、印象操作する。断定の文様に変える。

などです。

3ヵ月、様子を見ましたが、指摘の改善(何人かに頼みました)はありませんでした。仕方がありません。

--列島会話) 2021年8月8日 (日) 11:52 (UTC)[返信]

前にも書きましたが、書きかけです、もめごとが嫌でやめておりましたが、再開いたします。[編集]

一気に完全には書けません。ある見解を書き、次にその逆の見解を書く、こうして、百科事典的な記事にしていきます。

  このやり方は、前にも書きました。(縄文土器などで、また、この弥生時代でも)

  人に影響されず自分のやり方で書く、それしかありません。

無茶苦茶をやる、人もいるのか、そう思いました。

--列島会話) 2021年8月9日 (月) 12:30 (UTC)[返信]


削除された内容と、この人物の書いた要約 2(追加)[編集]

最新前 2021年5月6日 (木) 15:18‎ 聖今上 会話 投稿記録‎ 99,668バイト −411‎ 縄文土器は発掘されていない。また出典がない内容は削除。 取り消し感謝 タグ: ビジュアルエディター

1.なお、この時期、弁韓の鉄鉱山の発掘現場からも弥生土器が発見され、倭人が弁韓の鉄を採ると言う魏志倭人伝の記述が検証された。この鉄鉱石採掘場は、周りが周囲から閉鎖された場所であり、その中から弥生土器が発見された。必要があれば、倭人は朝鮮半島の内陸部にまで出かけて鉱山開発に直接携わっていた事が解る。

完全消去

2.縄文土器と同様、弥生土器も朝鮮半島南部で発掘されている。初期には、金海地域を中心に出土し、交易がおこなわれていた事が解る。

無文土器に影響を受けた土器は日本各地に発掘されているが弥生土器も朝鮮半島南部で発掘されている。初期には、金海地域を中心に出土し、交易がおこなわれていた事が解る。

  交易に関係しない土器についての記述は宣伝、プロパガンダ

3.中国との通交は渡来系弥生人に遡ることができる。近年、DNAの研究が進み、渡来系弥生人の多くは中国大陸の長江流域、江南地方から来たと言われている[1]。更に遡ると現在の中国の青海省付近にまで遡ることができるという調査結果がある[2]

渡来系弥生人の一部は中国大陸の長江流域、江南地方から来たと言われている

4.縄文人とは違った人間が朝鮮半島を経由してやってきて、縄文人と混血して弥生人になったと考えた[3]

→、縄文人とは違った人間が朝鮮半島からやってきて、縄文人と混血して弥生人になったと考えた[4]

  この人物の願望に基づく、文献の改竄、限りが無い。文献皆無、文献を挙げても、気に入らないと完全削除

まだあります。

--列島会話) 2021年8月11日 (水) 04:43 (UTC)[返信]

  • 独自研究と誹謗、差別主義の発言はやめてください。偏った情報で日本と中国だけの影響を誇張して、ある特定の国を嫌う行為はご遠慮ください。他の利用者も検討可能な出典をお願いします。ネットのブログは個人の意見も書いており、出典に適当ではないと思います。

--聖今上会話) 2021年8月30日 (月) 14:15 (UTC)[返信]

  1. ^ 中国江南・江淮の古人骨-渡来系弥生人の原郷をたずねる-山口 敏・中嶋孝博 2007年
  2. ^ 日本人のルーツと Iron Road の接点を求めて
  3. ^ 金関の渡来説”. 九州大学総合研究博物館. 2013年4月19日閲覧。
  4. ^ 金関の渡来説”. 九州大学総合研究博物館. 2013年4月19日閲覧。