ノート:広島抗争

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名称:「広島けん銃抗争事件」について[編集]

「広島けん銃抗争事件」は確かに警察による正式名称ですが、 ヤクザの抗争を扱う多くの書籍、映画では「広島代理戦争」もしくは「広島抗争」として記載している場合が一般的ですのでそちらで記載した方が良いと思いますが。

検索や引用(リンク)のしやすさを考慮すると、通称の「広島抗争」または「広島代理戦争」の方が便利だとおもいますが。検索エンジンのヒット数でも大きな差が出ると思います。 もし、原文(「広島抗争」)をダイレクトリンクをするのであれば、本文も適正に修正するべき箇所があると思います。

  • 「広島抗争」が適切だと思います。根拠としては、
    (1)本文の内容が、1行目を除いてほとんど「広島抗争」として記述されていること
    (2)「広島けん銃抗争事件」と「広島抗争」では、一般的な使用頻度に大きく差があること
    →(2)についてはリダイレクトとしても、「広島けん銃抗争事件」そして検索される回数自体が少ないと想定されるので、参照頻度を考慮して「広島抗争」を直接リンクとしたほうが良いと考えます。別途、第一次、第二次、第三次の区別は必要かもしれませんが。

1週間ほど待って反対意見が無いようでしたら、「広島抗争」として良いのではないでしょうか?。--KSSH7536 2005年12月7日 (水) 03:57 (UTC)[返信]

移動しました。--Ligar 2006年1月14日 (土) 20:45 (UTC)[返信]

広島抗争の記述について [編集]

  • 映画「仁義なき戦い」の第一部・第二部は、第一次広島抗争を描いているのではないでしょうか?第一次広島抗争と云うのは、呉市で起こった土岡組対山村組の抗争(「仁義なき戦い」第一部)と広島市で起こった村上組対岡組の抗争(「仁義なき戦い」第二部)の二つの抗争を指していると思います。警察が呼んでいる「広島けん銃抗争事件」とは、後者の村上組対岡組の抗争のみを指していると思います。
  • このような前提で記事を書き換えて宜しいでしょうか?--竜造寺和英 2007年1月5日 (金) 15:28 (UTC)[返信]
  • 「思います」と言うのではなく、具体的な根拠を示してください。どこのどういう記述や表現からそのように判断できるかを示す必要があります。その記述が正当な根拠となるのであれば、記載をする前に断る必要はありません。--KSSH7536 2007年1月23日 (火) 15:45 (UTC)[返信]

KSSH7536さん、おはようございます。すでに上記で論拠は示していたつもりだったのですが、わかりにくくてすみません。論拠は、「仁義なき戦い」第一部が、土岡組対山村組の抗争を描いているからです。「仁義なき戦い」第二部広島死闘篇では、村上組対岡組の抗争を描いています。また、「松江、八束建設業暴力追放対策協議会・暴力団ミニ講座36)四代目共政会」には「すなわち、終戦後、広島市内において博徒「岡組」と的屋「村上組」が縄張りをめぐって対立を続け、昭和21年11月に村上組が岡組の賭場をけん銃で襲撃したことに端を発し、以後、12年間にわたって血を血で洗う対立抗争を繰り返しました。 これが世間で呼ばれている『第一次広島けん銃抗争事件』です」と書かれています。この記述から、第一次広島けん銃抗争事件と表現されている抗争事件には、土岡組対山村組の抗争は含まれないことになります。--竜造寺和英 2007年1月27日 (土) 08:00 (UTC)[返信]


なるほど。ちなみに自分はこの記事の初版を書きました。皆さんが色々直してくれるので、うれしい限りです。ところで竜造寺さんは更新を頻繁にされるようですが、下書きを十分確認したうえで、投稿されることを心がけてください。更新する回数だけ、サーバーの資源を消費し、レスポンスの悪化、サーバーの増設等費用が嵩みます。有志の募金で賄われているので、なるべく負担を軽くするように心がけましょう。資源は無限ではありませんので。悪しからず。ちなみにリンク先の資料は投稿する前に承知の内容です。これは警察の捜査資料から書かれているようです。警察の資料だけが正当であることも無いですが、一つの参考にはなると思います。自分の方は複数の書籍の資料を取りまとめて記載しています。修正内容については、眺めて楽しんでいます。気兼ねなく編集してください。--KSSH7536 2007年1月28日 (日) 18:37 (UTC)[返信]


KSSH7536さん、おはようございます。何度も更新してしまい、申し訳ありません。今後、下書きをきちんと校正してから、投稿します。今後ともご指導・ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。--竜造寺和英 2007年1月30日 (火) 23:34 (UTC)[返信]


佐々木哲雄」と書かれていましたが、本堂淳一郎『広島ヤクザ伝 「悪魔のキューピー」大西政寛と「殺人鬼」山上光治の生涯』幻冬舎<アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40420-3では「佐々木哲彦」と書かれていますので、修正しました。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年5月28日 (月) 14:35 (UTC)[返信]

文章が読みづらい[編集]

文章の前後関係が分かりづらく、短文で単なる事実の列挙のみをひたすら繰り返すだけで、非常に分かりづらい。これでは誰も読まない。竜造寺和英さんの文章は全面的に編集しなおす必要があると考えています。どなたかパワーのある方よろしく。--210.197.240.216 2007年9月30日 (日) 05:26 (UTC)[返信]

  • 広島抗争を全て1つに纏めるのではなく、第1次と第2次と第3次を分けて記述すれば、わかりやすくなると思います。映画『仁義なき戦い』でも、第1次広島抗争は外伝的な扱いです。少なくとも、これは独立させた方がわかりやすいと思います。--天使の羽根 2008年1月20日 (日) 13:08 (UTC)[返信]

竜造寺和英は本当に迷惑。ほんと馬鹿じゃねえの?この文章を竜造寺和英が編集する以前に戻して欲しい。--210.197.244.34 2008年1月27日 (日) 02:58 (UTC)[返信]

  • 210.197.240.216と210.197.244.34は同じ地域のODNユーザーです。

出来れば、建設的なお話が出来ませんでしょうか?

警察の介入と抗争終結について [編集]

自分の出身が広島なこともありこの話は聞いているのですが、どうも状況が違うのではないかと思われるので、ソースが明かせないのですが一応参考程度にお願いします。 気になるのは打越信夫についての記述です。 少なくとも警察の介入によって終結したのではないとのことで、「報復に消極的な打越に対して山本は激怒し」の部分も含めてこれは初版を書かれた方の打越本人、もしくは山口組への配慮のためなのでしょうか?。--220.105.233.58 2008年1月29日 (火) 17:47 (UTC)[返信]

初版以降で検証可能な出典の明示のない記述について [編集]

そもそも、利用者:KSSH7536さん=利用者名: 61.116.222.184=利用者:210.197.240.216さん(ここここで初版投稿者だと明言されてます)が作成された記事から、検証可能な出典が明示されていません。Wikipedia:検証可能性では、誰でも自由に、検証可能な出典の明示がない記述を削除できることが明記されています。今、利用者‐会話:KSSH7536で、KSSH7536=61.116.222.184=210.197.240.216さんに出典の明示を求めています。もし、検証可能な出典の明示がなければ、Wikipedia:検証可能性 のルールに従って、その部分を削除し、記事をスリム化する方がいいと思います。--Daytrader 2008年1月29日 (火) 11:44 (UTC)[返信]

  • おっしゃることはまったくそのとおりですが、ただ実際には各引用元の真偽もどうなのか?

という部分がこの手の記述には常に付きまといます。事実を、ありのままに書けば、人権的な部分で触れるため、各引用元では、わざと違う事実を記載していることが少なからずあるからです。ベタな例えで申し訳ないですが、引用元があるからと言って本当に大山倍達が硬貨曲げができたのか、それについて検証するのはもはや無理です。広島抗争もほとんどが故人であり、それぞれの面子もあるので現状は「折り合いのいい事実」として広く伝聞されているに過ぎません。事実はひとつなのですが、引用元を当たれば事実の全部に当たれるかどうかに関しては、現状では半分と言ったところではないでしょうか? では、どうするかという部分なんですが、確かにスリムにするのもひとつの方法かつ現実的だと思います。 難しい方法としては、逆に増やして注釈などで判断を読み手に任せるということになるかと思います。広島抗争に関わった人間が一人じゃないだけにどこまで書いていいのかはやはり判断の分かれるところになるかとは思います。「ヤクザはカッコつけで、それぞれの思惑があるので、引用元も事実とは限らない」旨を了承の上での表記というのを、どう伝えるかですね。--220.105.233.58 2008年1月29日 (火) 17:47 (UTC)[返信]

    • 出典によって違ったことが書かれている場合がありますよね。例えば、村上組の二代目は誰かという点についてですが、「第015回国会 法務委員会 第19号 昭和28年2月4日(水曜日)」によると「高木達夫」となっていますが(村上正明は後見人)、正延哲士『最後の博徒 波谷守之の半生』幻冬舎(幻冬舎アウトロー文庫)、2001年、ISBN 4-87728-733-7によると「村上正明」になっています。明らかに異なる2つの意見があります。ただ、「高木達夫」と書く人がいても、「村上正明」と書く人がいても、それぞれが検証可能な出典(一方は広島県警の公式発表。もう一方は波谷守之の証言)を踏まえて書いているわけですから、問題はないはずです。「二代目は村上正明ではなかった」か「二代目は高木達夫ではなかった」と書かれた検証可能な出典が見つかれば議論は終結しますが、恐らくそのような資料はないと思います。従って、そのような場合は、両論を併記するしか、解決策はないと思います。人というものは、最初に見た資料を真実だと信じ込んでしまうような傾向があるように思いますが……。ただ、記事を書いている本人に責任はないですからね。あくまでも、検証可能な出典を元に書いているわけですから(というか、Wikipediaのルールでは、検証可能な出典に書かれていること以外の記述を禁じられています。検証可能な出典から明らかに導き出される結論でも、それが出典に書かれていなければ、独自研究(Wikipedia:独自研究は載せない)になってしまいます)。ところで、220.105.233.58さんは可変IPなんでしょうか?いや、上の60.33.237.9さんの記述に署名を入れていたからです。もし、可変IPならば、アカウントを作られた方がいいですよ。というのは、Wikipedia:多重アカウントというのがありまして、「議論において」1人の人が複数のIPで投稿してしまい、それが万が一自作自演とみなされてしまったら(本人にそのつもりはなくとも)、ブロックを受けてしまったり、意見を削除されてしまう場合があるからです。実際に永久ブロックを受けた人もいます。「李下に冠を正さず」です。今後ともよろしく御願いします。--Daytrader 2008年1月29日 (火) 21:45 (UTC)[返信]

記事の正常化について[編集]

この項目にかぎらずヤクザ系の記事が同一人物によるヤクザライターの著書からの時系列的な切り貼りに堕落しており、全面的改稿が必要です。ヤクザライターの著書は半ば小説というべきもので本来出典に値しないと思いますが、それ以前に単なる事実の切り貼りは辞典の文章とはとうてい言えない。広島抗争はたしかに項目を立てる価値はありますが、それにしてもかくも事細かな、小説や劇画を出典とした怪しげな事実の羅列で記事を埋め尽くすことは、記事の質も信頼性も著しく劣化させると考えます。一週間たって異存がなければ、この人物が編纂する前の状態に戻すことを提案します。--Suhuitoburaito 2009年2月19日 (木) 11:28 (UTC)[返信]