ノート:在日特権/過去ログ5

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定義文の書き換え案[編集]

現状の定義文について、出典は11日間待っても明記されず、わたしの推測では、永遠に明記される可能性がない。よって定義文の書き換えを提案するが、どのように書き換えるかによって、編集合戦が行われかねない。編集合戦によってウィキペディアのサーバーに負担をかけることは、わたしの本意ではない。そのため、ここで定義文の書き換え案を議論し、1人でも賛同者の多い案を採択したい。2つ以上の案に、それぞれ2人以上の賛同者がいた場合、また決議のルールを決めてから議論したいと思っている。

では、わたしの定義文の書き換え案を発表する。

定義文:在日特権とは、在日韓国・朝鮮人だけが特別に持っていて、他の在日外国人は持っていない権利である。

この書き換え案に賛成・反対する意見や、他の書き換え案を募集します。--Brackcandy 2010年3月4日 (木) 17:14 (UTC)

右の定義文だけでは、日本人も持っている権利が、在日特権から除かれてしまう場合がある。したがって次の付帯条件も提案する。

付帯条件:日本人と在日韓国・朝鮮人に共通する権利であっても、同じ在日外国人である韓国・朝鮮国籍以外の外国人が持っていなければ、在日特権とする。

また、全ての在日韓国・朝鮮人が持っていない権利が、在日特権から除かれてしまう場合がある。したがって次の付帯条件も提案する。

付帯条件:全ての在日韓国・朝鮮人が在日特権を持っていない場合がある。

--Brackcandy 2010年3月4日 (木) 17:26 (UTC)

私の意見としては、この在日特権というのは一部団体が主張しているにすぎず、よって定義も「○○が主張する在日韓国・朝鮮人だけが特別に持っていて、他の在日外国人は持っていない権利を表す言葉である」という感じのもののほうがいいのではないかなと思います。
ただし、まだそれは決定的なことではありませんから保留です。
さらに、今回のコメントアウトで、中身がすかすかであることが分かったので、これを主張する団体の記事に統合する案(というかこの記事を削除する案)も検討しています。--グラン 2010年3月4日 (木) 21:16 (UTC)

定義文は今の定義文でいいと思います。過度の優遇かどうかに争いがあるのですから。在日朝鮮韓国人がその特権を持つものとして俎上にあがることは多いですが、実際は、特別永住資格などに付随するものですから、それ以外の人も少数ですがいるわけです。(たとえば台湾出身者とか)。そのこともきちんとカバーできていると思います。Nakata88 2010年3月4日 (木) 21:56 (UTC)

そういうことをウィキペディアが独自に定義することはできません。過度の優遇があるというなら、信頼できる報道機関に発表してからウィキペディアの記事にしてください。すでに発表されているなら出典を明記してください。--Brackcandy 2010年3月4日 (木) 23:37 (UTC)

  • 別冊宝島『嫌韓流の真実! ザ・在日特権~朝鮮人タブーのルーツから、民族団体の圧力事件、在日文化人の世渡りまで!~』 (別冊宝島) 野村 旗守 (著), 宮島 理 (著), 李策 (著), 呉 智英 (著), 浅川 晃広 (著)
  • 反日韓国人撃退マニュアル (晋遊舎ブラック新書014)桜井 誠 (著)

に、在日特権を韓国・朝鮮国籍以外の外国人の特権だという記事はありません。この定義文は、個々の事例が在日韓国・朝鮮人だけの権利ではないことが暴かれだした際に、個々の事例の記事を無理やり維持しようとして編集者がひねり出したものです。そのような独自研究は、ウィキペディアに掲載してはなりません。--Brackcandy 2010年3月5日 (金) 18:01 (UTC)

もしBrackcandyさんのおっしゃるように、在日特権が在日朝鮮人の特権以外をあらわすものでないとしたら、そうではないと既にこの記事に書かれているものは削除すべきでしょう。しかし、もしそれが在日特権関連の資料に書いてあった場合どうすればいいんでしょうね。
定義を在日朝鮮人に限定した場合、それらは取り除かなくなります。かといって、在日特権を主張する人々が在日朝鮮人に限定できないものを在日特権だと主張していた場合、これは事実として「在日外国人も可能なものである」という風に書けばいいんでしょうか。
定義文は確かにBrackcandyさんのものが明快でいいと思いますが、こういう微妙な事案が出てくるとまたややこしくなりそうです。--グラン 2010年3月6日 (土) 05:57 (UTC)
Brackcandy氏へ。独自研究とは何か?を知らない発言となっております。今一度、方針をお読みください。--清涼里588 2010年3月6日 (土) 17:39 (UTC)

現在の定義文は、Wikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるかの、「既存の用語に新たな定義を加える」に当たります。--Brackcandy 2010年3月7日 (日) 03:53 (UTC)

在日特権だと書かれていないものは全てコメントアウトしました[編集]

見てもらえば分かりますが、ほぼすべての記述がコメントアウトされました。 節全てが要出典ならば、その節を残しておくべき理由がないとの理由からです。 また、個別の節には明らかな独自研究もありましたし、事実をただ書いているだけのものもありました。 特に事実を列挙しただけのものが多かったのですが、はたから見ればこれは単なる事実の列挙記事で、在日特権というタイトルがついていなければ何の記事なのか良く分かりません。

今までこのような記事が放置されてきた理由は、個別のものが「出典つきの検証可能性を満たしたもの」であったからだと思われます。 ノートを見る限り、様々な人がこの問題について言及していますが、無視されたり、あるいは決めつけ「特権にきまってる!」というただの主張でなぜかうやむやにされており、何年もの間、このようなスタブ記事が残り続けてきたことに驚きを隠せません。 出典つきであるため、批判者はコメントアウト出来ないと思い込んでいたということでしょう。しかし、個別の事実とそれが在日特権であるという主張は、並べるだけでひも付けは出来ないものです。

在日特権は、今までのところ学者が定義したものではないし、メディアでの言及もありません。(詳細につけられたこの記事の出典の中に、在日特権だとするメディアの批判記事が一つもないことから明らかでしょう)

また、コメントアウトされた中に存在する事実について特権だと主張する著名人は存在しない(今のところ) これはつまり、この記事全体が、「事実を列挙することによって巧妙にカムフラージュされた独自研究」であることを意味します。 また、参照方法というタグを貼らせてもらいましたが、このタグが示す意味で明らかなように、参考文献が挙げられているにも関わらずどう引用されているのか確認できないため、これは単に文献を挙げてさも在日特権には出典が存在するかのように見せかけているだけだと判断します。 IP58.93.199.185さんが2月21日に挙げたことについて誰ひとり出典を明記しないということは、現在のところ出典がないのだと判断させて頂きました。--グラン 2010年3月4日 (木) 20:57 (UTC)

追記。民団への課税免除についての記事はこちらにあります

大量に削除をせず、在日特権だと主張するソースがないというなら、まずソースを要求してください。それでしばらくして(一月程度)、ソースがなければ、削除の要件を満たします。このような無警告の大量削除は非常に破壊的です。すぐに大量に削除しないでください。Nakata88 2010年3月4日 (木) 21:49 (UTC)

削除していません。コメントアウトしただけです。なぜなら、これらの記述はたびたびノートで疑問が提示されているにも関わらず表に出たままになっていたからです。
それに、このような「単なる事実だけを並べた」記事は在日特権の記事としてはふさわしくありません。特権だと一言も書いていない(書いていても編集者が勝手に書いただけ)節を記事に残したままにしておくことが良いことだと思いますか。
こういったことをすることは、上でIPさんがおっしゃっているように、「ある一つの観点」へと誘導する効果があります。それらしい情報を挙げ、それらしい記事があるだけなのに、まるでそれが確実に存在しているかのような印象を与えます。特にこの記事は、たくさんの事実(と独自研究)が羅列されており、一目見て「確からしい」記事だと判断される恐れがあります。
また、在日特権で検索(グーグル)するとこの項目が一番上にきます。グーグルは、「在日特権」というキーワードにおけるもっとも重要なページとしてこのサイトを選んだということになります。グーグルの世界シェアは60%を超えています。[1]ですから、在日特権について検索してきた人々に与える印象は絶大であり、しかも私のこの行為はもっと以前にされるべきだったのにずっと(何年も前から)グーグルで一番上の検索結果に表示され衆目にさらされてきました。
もしnakata88さんがこの記事の重大性を否定し今のように「事実の羅列だけがある状態」を肯定されるならば、コメント依頼をしにいきます。--グラン 2010年3月4日 (木) 22:04 (UTC)

削除も、コメントアウトも、実際に見えなくするため同じです。そのような行為は、ソースを要求してから行ってください。実際に、在日特権かどうか争いがあるのは事実ですが、特権であるとの主張は、すでに出版された書物にもあるとおりその主張の存在は明白です。存在自体を否定すると、言論封殺をしているかのような外観を呈します。そのような外観はウィキペディアの発展にとっても、言論の自由の維持の観点からも非常によくありません。もし、そのような議論の存在をしらなかったなら、あなたはこのケースについて編集をすることをしばらくやめて、そう主張する本を何冊か読んでみてください。それに対して有効な批判があるのならそれを、探して追加することはウィキペディアにとっても有意義です。Nakata88 2010年3月4日 (木) 22:12 (UTC)

明白ならそのように詳しく出典を書いてください。IPさんがノートに出典を明記するようにお願いを書いたのは一週間以上も前の話です。
それと、出典要求が先というならそう書きます。私がコメントアウトした全ての記述について「在日特権」だと主張する信頼性のある情報源を挙げてください。--グラン 2010年3月4日 (木) 22:24 (UTC)

ノートに書かれていてもどこをさしているのかわかりませんし、ノートなど議論にならなければ使いません。削除が問題になるのは本文です。大量の削除を理由なしに、警告無くやるのは荒らしです。このことは繰り返し言っているような気がしますが、編集のルールを覚えてください。それから、ソースは、もう書きました。あなたは在日が地方税を減免されていたケースなどが報道されたときに全くそれを読んでいなかったのですか?かなり問題になりましたが。また、通名と名寄せの問題なども頻繁に報道されてます。どちらにしても知らない方が不思議なくらいの問題です。Nakata88 2010年3月4日 (木) 22:32 (UTC)

残念ですがこの話題にだけ異常なほど興味があるわけではないので知りませんでした。在日談義は2ちゃんねるなどで大いにやればいいと思いますけどね。あぁ最近はニコニコ動画のほうが扇情的で面白いかもしれません。在日特権というズバリな本があるようなので読んでみます。--グラン 2010年3月4日 (木) 22:48 (UTC)

知らない項目については、編集をしないことがウィキペディアでは推奨されてます。また、知らなくてもどうしても編集したい場合には、検索をかけることもできます。在日特権というのが少なくとも、出版物で議論される程度には、存在が明白な言葉であることは検索でわかるはずです。編集する前に、そのくらいはするように心がけてください。また、自分のしっていることでも、ウィキペディアは論争のどちらかの肩を持つのではなく、一般的な議論を両方書くことを推奨されてます。これらのことは編集の基礎的な約束のはずです。WPの編集についての解説を読まれることをおすすめします。Nakata88 2010年3月4日 (木) 23:14 (UTC)

他人に対する思いやりを持てる人間でありたいものですね。--グラン 2010年3月4日 (木) 23:22 (UTC)

あなたにはまったくないとおもいますよ。残念ながら。特権とはもし事実なら、特権を持たないものから見れば差別なんですよ。わかってますか?Nakata88 2010年3月4日 (木) 23:26 (UTC)

ま、最も独自研究の疑いの濃いものから、一つ一つ消していきましょう。ノートで提案してから本文を編集することは、何一つ悪いことではありません。提案や要出典テンプレートの貼り付けから、何日間待つべきかの定義は人それぞれですが、わたしは。グラン さんの編集が破壊的だとは思いません。ともかくNakata88 さんに関しては、もうこのノートを読んだのですから、他の節の出典の要求を「知らなかった」などとは言わないでください。グランさんもただ議論を白熱させるだけの言葉は使わないようにしましょう。--Brackcandy 2010年3月5日 (金) 17:47 (UTC)

論争のあるものを急にコメントアウト(除去に等しい)は荒れる原因となり、少し強引だったのではないかと思います。また、ノートで提案すれば良いというものではなく、合意を得て本文をいじっていくことが正当なやり方ですので、Brackcandyさんは勘違いなさらぬようお願いします。さて、参考文献で指摘されているものは目次を見ただけでも

●在日と脱税①民族系金融機関の架空口座●在日と脱税②商工人団体と国税庁との五項目合●通名と本名●公務員への登用 ●朝鮮銀行への公的資金投入●指紋押捺制度の廃止と復活●教育面での優遇措置●総連、民団、プロ市民の圧力事件●外国人地方参政権●韓国人ビザ免除恒久化●生活保護と在日●社會保障費、公共料金の免除疑惑●日本のフロスボーツと"在日枠"●戦後の土地不法占拠●朝鮮総達施設の滅免税特権●韓国籍なのに兵役免除とはいかに 

などなど指摘されているものがあり、在特会とかいう団体なども含めて世で「在日特権」と指摘されている事例を記載し、そして実際はどうなのか?を個々に記載すれば良いのではないでしょうか。--清涼里588 2010年3月6日 (土) 02:26 (UTC)

確かに強引だったと思いますが、私としては大胆な編集をしなければどうにもならないという思いがありました。
まぁそれはいいとして、在特会の主張の場合、自主公表された情報源は使用できないから注意が必要です。とりあえず主張を記載し、それに対する実際を書くというのは私も考えていたしそれでいいと思います。しかしその前に、Brackcandyさんの提案する定義をなんとかしないといけないでしょう。--グラン 2010年3月6日 (土) 06:02 (UTC)

現在井戸端にて意見を募っていますが、私は強引だったと思っても荒らしと言われるようなことだとは思っていません。 井戸端に寄せられたご意見の中でも、荒らしとは呼べないというものもありますし、nakata88さんのいうような「一月待って」というのも、一月待たなければ荒らしになるという風になっているわけでもないし、コメントアウトは編集画面からは見ることが出来ます。 議論のある項目であることは理解しているし、コメントアウトの理由もきちんとノートで示しました。

無警告、とありますが、IPさんが2月21日から出典要求していたのを、ノートは議論の時以外は見ないから見てなかったというのはあまりに無茶苦茶です。wikipediaのWP:RSには情報源が提示されていない物は誰でも取り除くことができます。とあります。 この後に、そうした記述はすぐに除去するのではなく、ノートページに転記するか、要出典 テンプレートを問題となっている単語や文のあとに付けるか、ページの先頭に未検証 や出典の明記 を追加することで記事をタグ付けすることが推奨されます。とありますが、 私が行ったコメントアウトというのは、ノートページに転記する行為と同じ配慮であり、仮に全てを除去していたら、間違いなく問題だったでしょうが、私はそうはしていません。 nakata88さんや清涼里588さんは、コメントアウトした行為を荒らしまたは荒れる原因とみなしていますが、井戸端の意見やBrackcandyさんの意見はそうではないし、ページの白紙化や理由を書かずに(事後報告もせずに)記述を大量に除去する行為などのような誰がどう考えても荒らしと思われる行為とは違うようです。荒らしというレッテル貼りによるリバートは、明らかにそうであると判断できないような事例においてやるべきではないでしょう。理由もなしに(ノートで出典要求などを誰も行っていない)問題が無い記事を白紙化するのとはわけが違うと私は考えます。

「出典のない記事を事後報告つきでコメントアウトする行為」が荒らしだとしてリバートすることの是非、についてコメント依頼を行います。--グラン 2010年3月6日 (土) 12:40 (UTC)

グラン氏へ。私も名指しされているようなので返答しますが、IPさんへの返答を私がしており、その返答を待っている中で、急なコメントアウトというのが私から見たグラン氏の行動でした。私は「荒らし」とは言いませんが、やはりそれは強引だったのではないかと。特に荒れやすい記事ですので、荒れる原因となる行動はひかえて、ノートで話が落ち着いてから本文をいじることが良いのではないでしょうか。ちなみに同じような出典要求タグは一つで十分理解できますので、取り除いたほうが可読性が良いものと思われます。--清涼里588 2010年3月6日 (土) 17:39 (UTC)
問題のある記述を残しておくことが荒れない方法だというのはどうにも納得いきません。まるで、早いもの勝ちの論理ではないですか。--グラン 2010年3月7日 (日) 10:42 (UTC)
コメント依頼からまいりました、編集合戦を防ぐためにも異論のある記事はまずノートで合意形成をめざしそして編集してください。しかし一番重要な方針として出典の具体的な明記はWikipedia:検証可能性という'Wikipediaにおける公式な方針'です、ですので出典要求タグを貼り付け、これは私の主観ですが1~2週間ほどしてから出典が具体的に明らかにされないものについては除外してください。もちろん除外された記述についても具体に出典があれば記述してかまいません。--218.41.197.205 2010年3月7日 (日) 04:16 (UTC)

グランさんが「在特会の主張の場合、自主公表された情報源は使用できないから注意が必要です。」とかかれてますが、これは間違いです。在特会の主張として資料が公表されていればそう書くことはできます。もともと、特権かどうかは争いがあるケースがほとんどですから、資料があるかないかだけの問題です。確認まで。Nakata88 2010年3月7日 (日) 04:42 (UTC)

いや、資料があるとかないとかの問題ではないでしょう。その主張なり発言なりに第三者が介入しているか否かですよ。在特会のホームページは在特会のメンバーが作っているページですから、資料をもとに主張をされても、それを使うことは出来ないでしょう。自費出版と同じです。自費出版でいくら資料をもとに正しいこと(じゃなくてもいいですが)を書かれても、それは著者が第三者を通さずに出版したものなのだから、著者の記事においてしか使用できないはずですよ。--グラン 2010年3月7日 (日) 10:42 (UTC)

グランさん、お久しぶりです。コメント依頼から来ました。まず、今回グランさんが取った行動は乱暴です、廻りを見渡しても問題のあるユーザや荒らしを除いてこのような行動を取られる方はおりません。記事の精度を高めるためにすべきなのは『要出典タグ』の添付です。それを見つけた初期記述ユーザが出典の添付を行ってくれるのは他記事でもよく見られる光景です。ユーザの中にはいちいち脚注として出典を添付せず、参考文献にまとめておかれる方もいらっしゃるようですので、脚注がないから消去としてしまうのではあたら有意義な記述を消去してしまうことにも繋がりかねません。ご注意ください。--Arstriker 2010年3月7日 (日) 10:16 (UTC)

要出典タグに限界があると感じたからコメントアウトしたのです。要出典とは、つまりは「それが誰によってどの資料において主張されたもの」なのか分からない時です。しかしこの記事の構成では、在日特権であると誰も主張していない(ように見える)事柄についての事実のみ(たとえば、センター試験のある言語の平均点が高かったとか)を書いています。事実なので要出典をつけるとおかしなことになってしまいますよね?その記述についての出典は既になされているからです。これがこの問題の難しいところなのです。「という主張がある」と付記すれば良いという意見もあるかもしれませんが、私がコメントアウトしようとした記述の多くはそのようなことが出来ないもので、ただ単に「このような事実があります」と書いているにすぎません。そこに主観も主張も何もないので、コメントアウトして見えなくする以外に対応のしようがないのです。
これを踏まえた上でコメントしてください。--グラン 2010年3月7日 (日) 10:42 (UTC)
追記。要約すれば「在日特権だと誰も主張していない事実の列挙に要出典タグを貼りつけるのはおかしいと思い、一時措置として代わりにコメントアウトを用いた。この行為が荒らしとなるのか否か」となります。
さらに追記。「参考文献にまとめておかれる方もいらっしゃるようですので」とありますが、これは問題でしょう。参考にしていなくても参考文献として平気な顔をして載せられることになってしまいますよ。ただ参考文献として載せただけでは不十分です。私が貼った参照方法というテンプレートに書いています。それに、何度も言いますがコメントアウトしたのは読者から見えなくするためで、編集者は容易に閲覧できるので消去ではありません。見えなくしたことを「削除荒らし」と判断したことの是非を聞いているんです。--グラン 2010年3月7日 (日) 10:55 (UTC)
そのような場合は、ノートにて議論を持ちかけてください。コメントアウトして見えなくする以外に対応のしようがない、と思っているのはグランさんだけかもしれないからです。即時一人でなにもかもやる、というのではなく、長い目で皆さんに協力を求めていった方が結果として良い方向に行くでしょう。そしてそれがWikipediaの基本的な考え方だと思います。--Arstriker 2010年3月7日 (日) 11:08 (UTC)
(追記)自分だけの考えで大量の削除(例えコメントアウトでも)を行ったのですから、「削除荒らし」と判断されることもあるでしょう。グランさんの手法にも問題があったのですから、そう判断をした方のみが非難されるべきではないのは明らかです。--Arstriker 2010年3月7日 (日) 11:13 (UTC)

インデント戻します。出典があるものを「これは出典があるけどこんなものは除去すべきだ」として除去(私がしたのはコメントアウトですが)するような行為は、ノートでの議論を求められるでしょうし私だってそうします。しかし今回は出典が存在しない記述です。

それに、ノートでの最近の議論を見てもらえば分かりますが、IPユーザーが出典の明記をするようにノートにて提案をしています。にも関わらず、それについて誰も出典の明記をしませんでした。一週間が長いか短いかは意見が分かれるところでしょうけど、「議論がある」記事にも関わらず一週間以上誰も出典の明記をしないということが、コメントアウトする理由としては不足しているとお考えなのでしょうか?また、協力ではないにしても、私はIPユーザーの提案をもとに独自の見解も踏まえてコメントアウトを行ったのだから、一人で勝手にやった、と言われるのは納得できません。

事後報告でも載せていますが、私が大半の記述をコメントアウトという、やや強引な編集を行ったのには理由があります。それは、IPユーザー58.93.199.185さんがこのノートで書いておられる「本記事「在日特権」は「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」であり、これは典型的な独自研究の定義のひとつです。」を参考にしたものです。私の場合、おそらく出典がなされるだろうという認識は持っているので独自研究だとは断定していませんが、特定の観点を推進する、つまり読者をある一つの観点へと誘導する可能性があると判断しました。無論、この観点とは、これら列挙された事実が在日特権であるという観点です。

このように、一週間以上前に他のユーザーによってなされた提案を、私は参考にしています。一週間以上ですから、誰かが出典を明記するチャンスは十分あったと思いますし、IPユーザーの意見に反応する方も何人かおりました。だからこそ、何らかの措置をとらなければいけないと思い、コメントアウトしたのです。

WP:RSでは「情報源を探す機会を与えずに本文の記述を除去すると、抗議する編集者もいます。特に、本文の記述が不適切または、不条理、有害なことが明らかではなかった場合です。」とあります。 私が行った行為は、情報源を探す機会を潰してはいないし(IPユーザーからの提案から一週間が経過している。さらに、それ以前からこの記事は放置されたままになっていた)、本文の記述を除去しているわけでもありません。私の編集をリバートしたnakata88さんは、ノートの議論でも明らかなようにコメントアウトを除去と勘違いしたわけではなく、除去する行為と同じだとしてコメントアウトをリバートしています。

つまり、井戸端でも書きましたが、WP:RSをもとにして、私は情報源が見つかった場合を考慮にいれてコメントアウトしたのです。その考慮を含んだ行為が、荒らしと断定されリバートされて当然なのかどうかが問題点です。--グラン 2010年3月7日 (日) 11:54 (UTC)

ノートに問題提起があったのであれば普通はノートでの結論を待って記事を編集するでしょう。そしてそうであればこんなにケンケンガクガクにならずとも済んだのです。IP氏がノートに書き込んだのは何故ですか?合意を得る為です。まず、問題は合意を待たずに編集されたあなたの行動にあると認識してください。それがなければ先には進みません。--Arstriker 2010年3月7日 (日) 12:07 (UTC)
合意を待つ必要があるのは、多くの編集者によって出典が明記され「除去される必要がない」と判断されたものを除去または大幅に書き変えする場合だけでしょう。何度でも書きますが、コメントアウトした事実の列挙が在日特権であるとどこにも書かれていません。つまり、いくら事実だろうが出典が明記されていないことには変わりないのです。
アイテム課金においても私は同様のこと(合意を待たずにコメントアウト)をしましたが、WP:RSには出典のない記事を除去することに合意が必要だとは書いていません。それに、コメントアウトは除去ではないと何度も書いています。コメントアウトの措置であれば記述を復帰させることは容易です。この配慮(WP:RSにあるように、抗議する編集者への配慮でもあります)があったにも関わらず、あなたは私の行為が問題があるとおっしゃるのでしょうか。それならば、そういう意見であると認識しますが、合意を待たずに編集したから問題だというのであれば、それは認識に誤りがあると言わせていただきます。--グラン 2010年3月7日 (日) 12:28 (UTC)
『合意を待つ必要があるのは、多くの編集者によって出典が明記され「除去される必要がない」と判断されたものを除去または大幅に書き変えする場合だけでしょう。』これはあなたの主張に過ぎないのではないですか?まして議論中の話です、『出典が明記されていないことには変わりない』のであれば議論でそう主張すれば反論もなくすぐに合意が得られるでしょう。そうではなかったから議論が継続中だったのではないですか?『コメントアウトは除去ではない』そうですが、表面上はコメントアウトも除去も変わりません。そもそもコメントアウトというのは無効化するということですから除去と大差ありません。除去という文言がお気に触るのでしたら「議論中における合意を待たずの大量編集」でも宜しいです、これはこれで大いに問題です。どうもあなたの行動は強烈な独り善がりに見えてなりません。--Arstriker 2010年3月7日 (日) 13:16 (UTC)
Wikipedia:合意形成#目的著作権法違反や存命人物の伝記に関連する特定の問題というような内容の問題は、主にそれが内包する訴訟の危険性のために、通常は議論や合意の対象ではありません。しかし、それが関係しないところでは、合意はウィキペディアにおけるルールです。』--Arstriker 2010年3月7日 (日) 13:39 (UTC)

インデント戻します。何度でも書きますがWP:RSには合意を得る必要があるとは書いていません。では、Arstrikerさんは、除去される必要がないと判断されている記述を大量に除去したらそれは問題ないとでもいうのでしょうか?出典が明記されているにも関わらず、です。

私がコメント依頼を出したのは、まさにあなたがおっしゃっている点で、「『出典が明記されていないことには変わりない』のであれば議論でそう主張すれば反論もなくすぐに合意が得られる」はずなのにそうではなかったからです。出典が明記されていないことは明らかですし、それはIPユーザーさんに意見していた人もそう言っています。私の行為を問題視しているのはひとえに「表から大量の記述を見えなくした」からです。この行為が、wikipediaのルールに基づいた正当なものであるにも関わらず、です。だから私はコメント依頼をしたのです。明らかにルールを理解していない、もしくは故意に無視して私を荒らし扱いする人間がいると判断できるからです。

ましてや、私は復帰しやすいような配慮(通常であれば要出典タグをつけるのと同等)までしたのに、それをあろうことか「荒らし」と判断するユーザーがいた。これについて、本当に荒らしと判断するのが正しいのか、私の行為が間違っていないのか、それをコメント依頼しています。

また、IPユーザーさんは出典を明記するようにノートに書いたのであって、合意を得るためではありません。出典を明記してくださいとお願いしただけです。それに誰も応えなかった。議論がある話題にも関わらず。これは、出典が明記されていなくても良しとする、という意見がこの記事に関心を持つ編集者の間に渦巻いていると私が判断してもおかしくありません。つまり、私の行為へのリバートは「消されては困る」という、wikipediaのルールを無視した独りよがりな理由による荒らし行為ではないか。 私の行った編集を荒らしと批判するのはおかしいのではないか。そういう風に思っています。

議論中における、と書いておられますが出典が明記されているかされていないかの議論などありません。出典が明記されていないことは誰が見たって明らかですし、その点について異論をとなえている人はいません。

この記事に列挙された事実を明快に「在日特権だ」と書いている出典を誰も挙げていないため、「出典が明記されていない」と判断した私が間違っているというのであれば、どこがどう間違っているのか書いてください。 勘違いされているように見えるのでもっとはっきりと言いますが、私の行為を批判している人々は「コメントアウトしたことによって表から見えなくなった」ということを批判しているのです。つまり、wikipediaのルールにのっとって出典がないものを除去(コメントアウト)したその行為をおかしいと言っているのです。これは、Wikipediaのルールに従わない自分のほうが正しいと言っているのと同じです。清涼里588さんのように「少し強引だったのではないか」とたしなめる程度ならまだしも、nakata88さんのように荒らしと断定しリバートする行為が本当に正しいのでしょうか。

表面上は除去と同じ、とおっしゃられていますが、まさに表面上無効化する理由があると判断しての行動であり、それははっきりと理由として事後報告しております。この理由の大元はIPユーザーさんが一週間以上前に既に書いています。もしnakata88さんの行為が正当であるとお考えなら、何度も言ってますが「理由があり後の編集にも配慮した出典のない記述のコメントアウトを荒らしと判断」出来る根拠を挙げてください。--グラン 2010年3月7日 (日) 14:06 (UTC)

荒らしかどうかは別として、その行為には大いに問題があり、それを荒らしと呼ぶ人がいても驚きません。時系列に沿って見てみましょう。まず、2月17日あたりにIP氏などから、個々の事実を在日特権とする出典が無い旨の疑義が提出されます。このときはグランさんも、ページ全体の削除を検討すべし、とのコメントを書き込んでますよね。その後、清涼里588さんからこちら[2]の出典が提示され議論が継続されて来たわけです。この間、グランさんは一切議論には参加していません。そしていきなり、3月4日20:24の本記事編集[3]にてほぼ白紙化される編集を行ったのです。これが議論を蔑ろにした編集ではなくして一体何なのでしょうか。「理由があり後の編集にも配慮した出典のない記述のコメントアウト」とありますが、そんなのはあなたの一方的な見解でしょう。--Arstriker 2010年3月7日 (日) 15:18 (UTC)修正--Arstriker 2010年3月7日 (日) 15:19 (UTC)
荒らしかどうかを聞いているんです。これではコメント依頼した意味がありません。仮に荒らしであると断定したのがただ独自見解であり根拠のないものであれば、私はリバートを荒らしだと判断して差し戻すつもりです。別として、という風に言われても困るのです。
これもまた何度も言いますが、出典があるなら記事のほうを編集すればいい話です。議論云々ではありません。議論する必要のないことです。議論されているのは細かい定義などのことであって、私のコメントアウトした行為とは関係ありません。
出典がありそれを参照できるのなら編集すればいいのです。定義についての話し合いであれば、定義そのものを見直すような記事に、あたかもそれを示す証拠のような事実の列挙がなされている状況を好ましいと誰が思うんでしょうか。
一方的な見解ということですが、理由があるのは事実です。理由が無く適当にやったわけではありません。しかも、出典のない記述をコメントアウトするのが間違いだとはルールに記載されておりません。荒らしと呼ぶ人がいても驚かないのなら、ルールにのっとった行動を荒らしと呼ぶことが許されるとお考えなのでしょうか。
何度も書きますが、白紙化ではなくコメントアウトです。私の配慮を否定するなら、コメントアウトよりも除去するほうが正しい行為ということになりますがそのようにお考えなのですか。私は別に除去することが間違いだとは思いませんが。より配慮したというだけですので。
それと、私があることを書くとなぜかそれに答えず別のほうから批判するというおかしなことをしておられるようなのでもういちど書きます。
議論を蔑ろにしようがしまいが、出典のない記述を除去する行為は認められています。ましてや「出典があるかないか」など、議論の余地のないものであり、きちんと見れば分かりますがそういうことについて議論しているのではありません。私のした行為がwikipediaで認められているにも関わらず、荒らしと判断しリバートするのが正しいというのなら、その根拠を挙げてください。もう一度書きます。議論を蔑ろにしようがしまいが関係ありません。その時点で出典が明記されていなかったのだから、上述の理由に基づいてコメントアウトをしたまでです。
ざっとあなたの書いたコメントを見ると、議論すべき・ノートで書くべきと何度も主張しておられますね。そして私が合意を得る必要があるとは書いていない、出典のない記述は誰でも除去できるというWP:RSを提示すると、議論を蔑ろにするのは問題で荒らしと呼ばれてもおかしくないと言われました。すり替えを行っていますよね?合意を得る必要も議論する必要もありませんよ。これについて一度も答えていません。
もっと簡単に言いなおしましょうか。ある記述が真であるかを判断するのは簡単ではありません。しかし、ある記述が「信頼できる情報源からの情報に基づいたもの」であるかは比較的簡単に判断できます。今回の記事、在日特権においては、ある事柄を「在日特権だ」と主張している出典がなければ記事に載せることは出来ないはずであり、いわゆる微妙な信頼性の情報源が出典としてあげられているのではなくそもそも出典がないのです。これをどう議論する必要があるというのでしょうか。あなたはとにかく議論しろノートで問題提起しろと主張しているだけです。
除去するよりも要出典タグを貼りつけたほうがいい、という風に確かにルールには記載されていますが、別にだからといって要出典タグをつけずにコメントアウトしたものを「荒らし」と判断することが許されるわけではないはずです。また、要出典タグを貼りつけるのが困難であることも説明しましたが、それについてノートで議論しなければならない義務はありません。なぜなら、困難なら記述を除去すればいいだけの話だからです。そして、私は記述が復帰しやすいようにコメントアウトという措置を選びました。私のこれらの配慮を含む行為を荒らしではないと言っておられる方もいます。私の編集が破壊的であるというnakata88さんの意見にそうでないとおっしゃった方もいます。それなのに、まるで「荒らしユーザーでなければやらない」というような一方的な決め付けをされたのは問題があると自分で思わないのですか。荒らし、とは議論の余地のない迷惑行為をする者のことです。理由もないページの白紙化や、連続リバート、無意味な記述の連続投稿、対話拒否など。これらに該当するものでしょうか?該当しませんよね。
出典もきちんと脚注などで明記されており、大方の編集者が除去する必要性を考えていないものを、私が独自の考えで消した場合は、荒らしと判断されてもしかたがないでしょう。しかし私は「出典のない記述」という除去することを認められた記述を除去(コメントアウト)しただけです。
nakata88さんの行為が正しいなら、ウィキペディアのルールにのっとった行為をリバートする正当性を説明してください。問題提起しなかったから、議論に参加しなかったから、いきなり白紙化したから、というのは説明になっていません。それは単にあなたが印象として私の行為を「荒らししかしない」と感じた理由であるというだけです。--グラン 2010年3月7日 (日) 17:03 (UTC)

グランさん。私について言及されているのでお答えします。

  1. 在日特権の記述にソースを要求するのはルールとして正当です。ただし、これは、一般的な記述なので具体的な個人の名誉などに直接関連しないので、ソースを要求してから10日程度は削除を待つべきです。したがって、即時削除に対するリバートをした私の行為は正当だと思います。記事は多くの人の共同作業で作られるものですからグランさんが知らないソースがあるかも知れません。そのことを念頭に置いてください。
  2. このケースで、在特会のソースが自費出版と同じでソースにならないと書いてありますが、そもそも自費出版か否かはソースになるかどうかとは関係ありません。また、この項目はもともと、在日特権という論争を紹介したものなので、特権であるという主張が存在するケースで、あって、特権だという主張ではありません。項目の冒頭の「在日特権(ざいにちとっけん)とは、在日外国人が生活する上での便宜を図るなどのために整備された諸制度(それが「特別な権利(特権)」でないものも含む)に対し、これを「過度の処置」であると批判する際に、便宜上一まとめに括るための呼称。」という題目を読んでください。したがって、在特会の主張も在特会の刊行物、ブログなどで参照できる場合にはソース足り得ます。ソースが必要な対象は、「特権の実在」ではなく、「特権という主張」の「実在」であることに注意してください。Nakata88 2010年3月7日 (日) 17:37 (UTC)
1についてまず答えます。WP:Vを見れば分かるように、10日程度待つべきという規定はありません。IPユーザーさんは7日間のカウントというものをWikipedia:合意形成を参考にしてされているようですが、これは定義文の変更修正に関してのみ当てはまるものであり、出典のない記述の除去(コメントアウトでもいいですが)に合意形成など求められていませんしする必要もありません。現状では、私が荒らしとされる理由はないと考えます。
また、WP:Vには、このような記述もあります。
信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。しかし、もしも出典を示す機会を与えずに記述を除去すると、異議を唱える人がいるかもしれません。情報源を欠く記述について情報源の明示を求める場合、その記述をノートページに移動するとよいでしょう
このノートページに移動するという方法は、表から見えなくするというコメントアウトと同等です。読者がノートページまで参照するかどうかは人によって様々ですが、少なくともパっと見て記事から見えなくなるという点では同じです。しかも、私の行った編集のほうが復帰がしやすいようになっています。つまり、私が行った行為はこれらのルールに基づいて出典のない記述を除去しただけであり、何ら批判されるものではないと考えます。正当性の根拠を説明してください。もし説明できない・または私の説明に納得した場合は、謝罪してください。
次に2についてですが、概ね納得しました。私も特権という主張の実在について出典を求めていたので、私の上の記述は間違いでした。訂正します。--グラン 2010年3月7日 (日) 19:27 (UTC)

グランさん、それでははっきりといわせて貰いますが、あなたの取った行動はルールに則ったものとはいえず、その意味で荒らし的な行動であったと私は思います。出典がないとおっしゃっていますが、それはあなたの主張にすぎないでしょ?出典があるといってる方もいらっしゃるのですよ?にもかかわらずそれらの方々よりあなたの主張が議論を経ることもなく優先される理由を教えてください。なお、他の方があなたを支持しようと関係ありません、私は私の見解を述べるまでですので。ところで、あなたを支持された方は、私が2010年3月7日 (日) 15:18に書いたような経緯をご存知なのでしょうか? --Arstriker 2010年3月7日 (日) 18:30 (UTC)

上のnakata88さんへの回答でも書きましたが、ルールにのっとっています。出典が無いというのが私だけの主張ではありません。IPユーザーさんははっきりと「出典がないので独自研究の恐れあり」と書いていますし、それについて異議を唱えている方はいません。
また、出典を提示されている方は、実際に編集を行っておりませんし、出典があると強く確信したのなら脚注を使って明記すれば良いのです。それをしなかったということは、単に出典らしきものを見つけたという報告をしただけであり、それで出典があるということにはなりません。実際の記事に何も反映されていないのだから当然です。繰り返しますが、出典があるかないかは議論の余地がなく一目みれば確認できることです。
あるなら納得できる形で誰か(私がコメントアウトした事実の部分を記事に載せるべきと考えている人)が編集しなければならなかったのです。それがなされなかったことについて私が行動を起こしたのを、荒らしと言われるのはおかしいです。繰り返しますが、ルールにのっとった行為を荒らし行為と断定したnakata88さんを正しいと思うのならば、きちんと説明してください。
また、経緯を知っているか、理解しているかは私には判断できませんし、当人以外誰にも判断できません。井戸端には、この記事のノートで起きていることだと書いています。--グラン 2010年3月7日 (日) 19:27 (UTC)

信頼できる情報源欠く場合は最終的には削除で妥当ですが、情報源を要求するのが一般的の記述の場合には妥当な方法です。グランさんは他の人々と編集しているということの認識が足らないと思います。コメントアウトは情報源の要求の書き込みさえ見えなくなるため記事の改善の契機が失われます。グランさんは他の人々との協調的な行動、他の人々の行為を待つ謙抑性が欠けているのではないかと思います。即時に削除、あるいはコメントアウトを一般の記事で行うのはやめてください。Nakata88 2010年3月7日 (日) 20:22 (UTC)

なぜ私の行為を即時削除と決めつけるのか分かりません。IPユーザーさんが行った出典の明記の提案に誰も応えない(編集しない)まま一週間以上が過ぎたので、それなりの措置をとったというののどこが協調的でないと言うんでしょうか。私が何も言わずにコメントアウトしたというのは、表面だけを見ています。実際はIPユーザーさんが提案しているし、私はノートにおいてコメントアウトしたことをきちんと書いています。
記事の改善の契機が失われますとありますが、私は編集者が編集画面を見ればすぐにコメントアウトされた記事がみえるように配慮していますし、そのように表からいったん見えなくする方法はWP:Vでも推奨されていると書きました。WP:Vを無視してそのような主張をされるのならば、wikipediaのルールを無視してでも私の行為が批判されなければならない理由について納得のいく説明を求めます。
協調性が欠けているというなら、私の記事を即時リバート(しかも、荒らしであると決めつけ)したあなたの行動こそ、私の意見や考えを全く無視した協調性皆無の行為であると言えます。行為を待つ謙抑性、とおっしゃられていますが、コメントアウトし出典を明記できる編集者が現れるまで待つということが謙抑性が欠けていると判断できる根拠はどこにあるのでしょうか。私が「出典が明記されてないから全部消しました。この記述を復帰させるようなことはしないでください」といつ書いたのですか。そのような書きかたではまるで納得できません。言いがかりです。
それに何度でも言いますが、即時削除という認識そのものに誤りがあります。あれらの記述は一週間どころか1カ月以上前から存在し、放置されていたものです。それを私が除去するのは妥当な行為であり、ルールにも反しません。私がコメントアウトした記述は、私がコメントアウトする直前に書きくわえられたものですか?違いますよね。
またこれも何度か書きましたが、他の編集者に配慮すれば別にノートで告知を行う義務はないはずです。合意形成はきちんと出典が明記されたものを大幅に書きかえたり除去する場合に必要なプロセスです。要出典記述を削除するのにいちいち合意形成しなければならないのですか?
私はノートにおいて事後報告した上、除去するのではなくコメントアウトして、出典が見つかった場合記述の復帰がしやすいように配慮を行いました。これが配慮ではないというならその理由をご説明ください。これらのことについて説明出来ないのなら謝罪してください。--グラン 2010年3月7日 (日) 21:04 (UTC)

グランさんのいうIPユーザーの提案というのはノートのことですよね。それでは公示性に欠けるというのが批判されている理由です。ノートはふつう読みません。あなたの即時削除と等しい、コメントアウトの行為は協調性に欠ける編集行為として、指摘されているのがわからないのでしょうか?コメントアウトはかかれてあることがソースを見なければわからないので、ソースの要求とは言い難い行為です。。グランさんが、そのことを理解されず、同じことをくりかえされるのであれば、破壊的編集者としてやがて批判されていくことになると思います。他人の立場になって、あなたが他の人に同じことをされてもいい態様で、行動してください。Nakata88 2010年3月7日 (日) 22:10 (UTC)

あのですね、普通読まないからダメというのはそれはあなたが単に読んでないだけでしょう。前にもノートは読まないと発言しておられましたが、まさかそう言えば自分の正当性が保証されるとお思いなのでしょうか。
それに、私がコメントアウトすることを告知すべきと言うなら、その告知はどこに書けばいいのですか。ノートに書いてもあなたが読まないなら、記事の冒頭に書けばいいですか。そのような行為は普通ノートでやれという風になっているはずですが、ノートの機能も否定するつもりなのでしょうか。
それに、即時削除という言葉を使うのはやめてください。何がどう即時なのか、あなたは何も説明していません。私の意見を無視しています。
ソースを見なければ分からない、確かにそうでしょう。しかし、ソースを見ればわかるのです。ノートに移動するやり方も、ノートを見なければ分かりません。あなたは普通読まないと言っていますが、じゃああなたが普通ノートを読まないなら、WP:Vに基づいて「出典のない記述をノートに移動する行為」を否定するつもりでしょうか。WP:Vを参考にして同じような行為を行ったユーザーがいたら、あなたはそれを「協調性に欠ける。ルール違反」としてリバートし荒らし扱いするおつもりでしょうか。もしそうであれば、私はあなたが謝罪し非を認めるまで議論をやめるわけにはいきません。もし議論を拒否されるなら投稿ブロック依頼をしなければなりません。
他人の立場になって、破壊的編集者としてやがて批判される、のように感情論や印象論に持ち込むのなら、対話を拒否したと見なします。私が求めたのは説明です。説教してくれと頼んだつもりはありません。
1、WP:V等のwikipediaのルールを無視してでも私の行為が批判されなければならない理由について納得のいく説明を求めます。
2、コメントアウトし出典を明記できる編集者が現れるまで待つということが謙抑性が欠けていると判断できる根拠の提示を求めます。
3、私はノートにおいて事後報告した上、除去するのではなくコメントアウトして、出典が見つかった場合記述の復帰がしやすいように配慮を行いました。これが配慮ではないというならその理由をご説明ください。
もし、これ以上感情論で私のことを間違っている、破壊的な編集者、他人の気持ちが分からない等の非難を行った場合、対話を拒否したと判断しあなたを投稿ブロックしてもらうため依頼しにいきます。WP:BPにある投稿ブロックの対象となる行為「8.1 ノートページや各種依頼ページにおける議論の拒否や妨害」に該当します。--グラン 2010年3月7日 (日) 23:11 (UTC)

グランさん。非難は対話拒否ではありませんから、このあなたの発言「もし、これ以上感情論で私のことを間違っている、破壊的な編集者、他人の気持ちが分からない等の非難を行った場合、対話を拒否したと判断しあなたを投稿ブロックしてもらうため依頼しにいきます。」は、あなたによる対話を拒否する行為の予告そのものです。それがわかりませんか?あなたが求められているのは、急激な削除をせず、ソースを待つことをするようにということです。あなたが、対話を拒否するなら、あなたを投稿ブロックの対象として依頼しなければならなくなります。お気をつけください。Nakata88 2010年3月7日 (日) 23:27 (UTC)

WP:BPの投稿ブロックの対象となる行為の解説「個人攻撃を行ったり話題を逸らすなどの行為を繰り返した場合にも議論が成立しにくくなります。このような場合は編集を一時中断して議論に集中して貰うために「対話のための投稿ブロック」を行うことが必要です。」をお読みになっていないようですね。あなたの行為、つまり私が求めている説明に応じずに感情論で非難したり、揚げ足を取るような行為は十分話題そらしによる議論の拒否・妨害になります。
この文「急激な削除をせず、ソースを待つことをするようにということです」は、私の説明要求にこたえていません。単に自分の意見を表明しただけです。私はその理由を聞いているのです。Wikipediaのルールにのっとった編集であるにも関わらず急激な削除であり荒らし行為だと判断した理由、一時的に出典が存在せず特定観点を推進する恐れのある記述をみえなくしソースを待つためにコメントアウトした配慮を配慮でないとする理由、お答えください。話題そらしを続ける場合は依頼を行います。--グラン 2010年3月8日 (月) 03:27 (UTC)
コメント依頼から来た者です。まず始めにこのノートは編集者同士の謝罪や批判の要求または認定するものではありません。私が見るかぎりグラン氏の編集はすこし性急ありNakata88氏などの意見には一理あります、また上記で私が述べたように出典を明記するのはwikipediaの公式の方針であり、グラン氏の意見も一理あります。出典が必要という認識はどちらも共有してらっしゃいますので出典タグを貼り付け具体的に出典を探す作業に移るべきだと思われます。--218.221.24.21 2010年3月8日 (月) 01:50 (UTC)
私の立場は「正当な行為が荒らしと認定されたことは認められない」というものですので、荒らしと誤認定した本人の謝罪をもってこの議論は終了できると考えています。コメント依頼したのは、私の行為を「荒らし」だとしてリバートを正当化するnakata88さんの行為の是非です。
また、あなたの意見「すこし性急でありnakata88さんに一理あり」、というのは、Wikipediaのルールを無視してでもそう思えるということでしょうか。ルールを無視してでも性急な編集であれば荒らしと断定されて当然だというお考えでしょうか。であれば、Wikipediaのルールよりも個人の信条や気持ちが上にくる理由を説明していただく必要があります。
今の記述の仕方は、事実を列挙するというスタイルであり、そこに在日特権を主張するといういかなる主観も入っていません。ですので、出典タグをつけると、出典のある記述(事実の列挙)にタグをつけなければいけなくなってしまう、もしくは自ら「要出典タグをつける必要のある記述」をしてそれにタグをつけるということをしなければいけないという困難な状況なのです。要出典とは自分の記述につけるようなものではないことは誰でも理解しているはずです。そのような自作自演まがいの行為がWikipediaで許されるのかと。この問題が、私が出典タグをつけずにコメントアウトした理由の一つです。これを踏まえてご意見ください。--グラン 2010年3月8日 (月) 03:27 (UTC)

私の行為がなぜ正しいと思うのかについてWikipediaルールの観点から説明します。

まずはじめに、私が参考にしたルールWP:Vは、見てもらえば分かるように公式な方針とされています。公式な方針とは、「多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきだと考えられています」とあるように、Wikipediaのルールにおいてもっとも影響力をもつものであり、これに従った私が批判される理由は何もありません。あるとすれば、Wikipediaのルールなど無視してかまわないと考える荒らしの理由だけです。

また、性急な編集はしないということならば、ガイドラインのWP:SEがこれに当たる可能性がありますが、これは冒頭にあるように「Wikipedia:性急な編集をしないは、定期刊行物やアニメを発行(放映)毎に逐一継ぎ足すことを排除するためのガイドラインです。」とあり、私の記述とは何も関係ありません。性急だと感じたという気持ちは尊重されるべきですが、それによって私を荒らし扱いするほど個人の気持ちが影響力があるというならそれはWikipediaの公式な方針を蔑ろにするのと同じです。

そして、WP:Vと同等の影響力を持つもののなかに、nakata88さんがおっしゃるような「ソースを待たなければならない」というルールはありません。「協調しなければならない」のは確かにその通りですし、WP:CONがこれに当たるでしょう。しかし、何度か書いていますが出典が明記されていない記述を取り除くのに合意が必要でしょうか? また、除去まで何日間待つべきといったことはWP:Vには記載されていません。なぜなら、ノートページに移動するという方法を使えば、除去せずに表から見えなくすることが出来るからです。私がやったことは、コメントアウトという種類は違えど同じ行為です。これについて、今まで何ら批判されたことはないし、除去せずに編集によって復帰させやすくするという配慮のどこが問題があるのか私には理解できません。このようなことも考えて、ご意見をお待ちしております。--グラン 2010年3月8日 (月) 03:54 (UTC)

出典が明記されていない記述を取り除くのに合意は必要ではありません。しかし出典が出せるかどうかを待つのは書いたものに対する、WP:CONの求めるものとして配慮として妥当であり必要です。グランさんのような主張ならウィキペディアの出典のない記述はすべて、予告無く削除できることになります。ノートにおける議論の継続や、ノートの議論がなされていることなどがページの側から見えないままで、削除されていけば、ウィキペディアの記述はかなり頻繁に変動することになり、共同作業もままなりません。グランさんはソースを要求する要出典というタグが存在することは知られているわけですから、何故そのタグが存在するかを考えれば答えは明白なはずです。グランさんにとって気に入らない記述でもソースがあるかどうかのある程度の配慮をすることはウィキペディアの情報源としての価値を保つためには必要なことだと思います。そしてその同じことが、グランさんが読んでいるはずのWikipedia:出典を明記するにかかれています。(もしかしてグランさんはよまれていないのでしょうか?)私が求めているのは、まさにこれだけであることがわかると思います。

情報源の記載がない記事について [編集] 参考文献がまったく挙げられていなかったり、出典の明らかでない評価などの記述があったりしたら、記事や節の冒頭に 「出典の明記」テンプレートを置いておくのも良いでしょう。どの記述に出典が求められるかについて、ノート欄で指摘し、執筆者に出典を求めることで、すぐに解決するかもしれません。もしもあなたが良い出典をお持ちでしたら、ぜひご提示ください。

編集者の間で真偽を巡り対立が生じると思われる記述を見つけた時には、ノート欄で指摘し、話し合ってみてください。執筆者が参加しない場合や、議論の参加者の間では出典を示すことが困難であれば、このような記述を含む記事や節の冒頭に 「出典の明記」テンプレートを置き、出典を探していることを周知させてください。

いずれにしろ、このことを求めているわたしを、攻撃しだしたグランさんは少なくともウィキペディアの方針、あるいは一般的な編集における作業スタイルを理解されていないともおもえるので、ご一読願います。Nakata88 2010年3月8日 (月) 04:59 (UTC)

なお、グランさんは私のグランさんの行為が「一種の荒らし」だとう言葉の用法を問題にされてます。私としては、それほど間違っているという感覚ではないのですが、言葉の定義であらそうのは本旨ではありませんので、その件については撤回します。Nakata88 2010年3月8日 (月) 05:34 (UTC)

やっとお答えを頂けましたね。まず、合意が必要でないということ。これについて互いに合意を得ることができました。
次に、待つのは妥当であり必要であるということですが、これについては意味のある回答にはなっていないようです。私が主張する「IPユーザーさんによるノートの提案で、既に出典を明記する必要があると編集者には知られていた。また、私がコメントアウトした記述は少なくとも一カ月以上前から存在しており、その点について待つということが必要なら私は十分に待ったと言える。そして、除去するのではなく、ノートに移動するのと同等な行為であるコメントアウトをし、後に出典を明記できる編集者が現れた場合に復帰しやすいように配慮した」というものがどう間違いなのか何も答えてもらっていません。
それに、ウィキペディアの出典のない記述はすべて、予告無く削除できることになりますとありますが、WP:RSやWP:Vを見る限り、そのようなことを行っても問題にはならないでしょう。除去とコメントアウトについて、上のほうで私が何度も同じにしないでほしいと言っていたのはまさにこのことです。存命人物の伝記に関するほうでは、即時削除すべしとありますが、同じというならこれをコメントアウトで代用出来ますか?即時削除というのは、編集画面からもノートページからも消し去ることを強く求める意味合いを持っています。名誉棄損に当たる出典のない記述が放置されるのは問題だと運営側が判断した結果です。
であるならば、通常の出典不明の記事について、表から見えないようにし出典を待つというノートページへの移動提案と、私の行ったコメントアウトは同等の行為であると完全に証明されたことになります。何度も書いていますが、ノートページへの移動提案は、除去に反対する編集者への配慮としてWP:Vに掲載された公式の方針です。これでも私の行為がルールを無視したものであると言えるのならばきちんと説明してください。
また、ノートの議論がなされていることがページ側から見えないと前々からおっしゃられていますが、記事の冒頭に正確性という名前のテンプレートが貼ってあることを知らないだけなのではないでしょうか。要出典タグをつければノートで議論が行われていると考えるのはnakata88さんだけかもしれず、他の方がそうであるとは一概には言えないでしょう。しかし、この正確性というテンプレートには「詳しくはノートを参照してください」という文が挿入されており、ノートで何らかの議論があることは見ればわかります。その上、もう一つのテンプレートである独自研究には、出典を示すように書いてありますし、IPユーザーさんが出典のない記述の一群が独自研究であるとおっしゃっていたのとも通じます。
グランさんにとって気に入らない記述、という言い方は、あなたのただの主観です。私がその記述を好きだろうが嫌いだろうが、出典が明記されていないことは誰が見ても明らかであり、冒頭のテンプレートの群を見ても理解できます。ノートは見ないから、という言い逃れをするならば、今度は「記事の冒頭は見ないから」、と言うつもりでしょうか。
なにがいずれにしろなのか分かりません。一般的な作業スタイルという曖昧な言い方では分かりません。そのような、自分だけが正しいと思うルールを私に押しつけた結果が、ルールにのっとった編集を荒らし行為と決めつけることになったのではないですか。私の行為がWP:Vを無視したものであるという証拠を挙げてください。少なくとも現時点で、nakata88さんの行ったリバートを「独自見解に基づいた問題行為」であるとする私の見方は何ら否定されるものではありません。これについて他の方からも意見をお願いします。
追記。用法が間違っているから撤回する、だけでは足りません。私の行った編集を「リバートしたことが誤り」だったと認めてください。--グラン 2010年3月8日 (月) 06:11 (UTC)
  • グランさんは、『即時削除すべしとありますが、同じというならこれをコメントアウトで代用出来ますか?即時削除というのは、編集画面からもノートページからも消し去ることを強く求める意味合いを持っています。名誉棄損に当たる出典のない記述が放置されるのは問題だと運営側が判断した結果です。』『であるならば、通常の出典不明の記事について、表から見えないようにし出典を待つというノートページへの移動提案と、私の行ったコメントアウトは同等の行為であると完全に証明されたことになります。』とかかれてますが、これは全然証明されてません。A≠Bであるならば、A=Cであるといえるのは特殊な場合です。そもそも、ノートへの移動は推奨されてますが、コメントアウトを推奨した記述ありませんよね。ノートは一般的にみれますが、コメントアウトはソースを見ない限り見えないからです。
  • 私が一般的な協同的編集スタイルといっているのは、Wikipedia:出典を明記するるに書いてあるこの記述のことです。

情報源の記載がない記事について [編集] 参考文献がまったく挙げられていなかったり、出典の明らかでない評価などの記述があったりしたら、記事や節の冒頭に 「出典の明記」テンプレートを置いておくのも良いでしょう。どの記述に出典が求められるかについて、ノート欄で指摘し、執筆者に出典を求めることで、すぐに解決するかもしれません。もしもあなたが良い出典をお持ちでしたら、ぜひご提示ください。

編集者の間で真偽を巡り対立が生じると思われる記述を見つけた時には、ノート欄で指摘し、話し合ってみてください。執筆者が参加しない場合や、議論の参加者の間では出典を示すことが困難であれば、このような記述を含む記事や節の冒頭に 「出典の明記」テンプレートを置き、出典を探していることを周知させてください。

いずれにしろ、このことを求めているわたしを、攻撃しだしたグランさんは少なくともウィキペディアの方針にかかれている推奨される行為の一つを私が求めていることを独善的だとおっしゃっている訳なので、ウィキペディアにおいてはそのことはおかしいとは申し上げられます。
  • 『正確性』を求めるテンプレートが張ってあったから代用されているとおっしゃてますが、正確性はソースが足りないことではないので代用はできていません。
  • 以上のように、リバートはソースを求めるために表示する時間を作り出すための措置としてですので、必要かつ適切だと思います。いずれにせよ、荒らしというのは言い過ぎでしたね。表現がけんか腰になっていたのは問題だっとおもいます。Nakata88 2010年3月8日 (月) 04:59 (UTC)
ではコメントアウトと除去が同じだという証明をしてください。私はコメントアウトしただけでは除去にならないという例を挙げましたが、全然証明されていないの理由が不明確です。特殊な場合なら、特殊な場合が今回の件ではないことを証明する必要があります。少なくとも私は、存命人物の伝記における即時削除の措置が、コメントアウトでは代用できないという例を挙げています。これは掲載されていませんが、誰が見ても明らかなはずです。コメントアウトの推奨がWP:Vにおいてなされていないからコメントアウトはノートへの移動とイコールではないということにはなりません。
また、ノートは一般的にみれますが、コメントアウトはソースを見ない限り見えないからです。というのも無理があります。一般的に見れるとはなんでしょうか。一般的とは何でしょう。あなたは確か「表から見えなくすることは除去と同じ」と前におっしゃっていたはずです。ソースを見ない限り見えないというなら、ノートページに移動しない限り見えない、も同じことです。そして、コメントアウトはソースを見れば見ることが出来るのです。
あなたはWP:Vではなく出典の明記を持ちだしているようですが、私が出典の明記テンプレートを貼ったらはがされた履歴をご存じでしょうか。その理由としては、「類似タグあり一つで十分」とのことです。これは、既に出典の明記に相当するテンプレートが貼られていると判断しているユーザーが存在することを意味します。ということは、記事冒頭において出典を明記することが求められていると判断していたユーザーが少なくとも一人以上存在するということです。

また正確性ありのテンプレートは、記事が不正確であるという時に使われるもので、それは出典が明記されておらずそれが事実であるか判断できないという風に解釈することも可能です。あなたが正確性テンプレートはそういうものではないというのもまた一つの解釈にすぎません。

ソースを求めるための時間は、何度も言いますが十分にありました。1年前からあるものを、ソースを待つのにまた1年必要だとでも言うつもりでしょうか。何年待ったら納得出来るのですか。そのような個人の考えに寄るものを理由として挙げるのはおかしいです。
それと、出典を明記するというのは考慮すべきガイドラインです。考慮すべきガイドラインの説明にはこうあります。
編集者はガイドラインに従うよう推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません。ガイドラインが公式な方針と衝突する場合には、通常は公式な方針を優先します。
状況をまとめるならば、私がWP:Vにしたがって「出典のない記述を、編集者に配慮した上で一時コメントアウト」したものを、nakata88さんはWP:CITEで推奨される協調的編集を行わずに不当に除去したと判断しリバートしたということになります。
意見が衝突した場合、公式な方針であるWP:Vを優先させなくてはならないはずです。あなたのした行為があなたの中だけにおいて適切であっても、その対象が私の「WP:Vに従い記述したもの」であるならば、リバートしてはならないのです。--グラン 2010年3月8日 (月) 07:26 (UTC)
重要なことを忘れていました。nakata88さんのリバートがWP:CITEを守ってないとする理由の行為であれば、私の書いた「独自見解に基づく問題行為」というのは誤りだったということになりますね。その上で、WP:Vの記事の除去を認めそれについて告知やノートでの議論が必要ないという私の見解は、ウィキペディア内の意見対立において優先されることになりますので、どちらも誤りではないが私の行為のほうが優先される必要があった。これで決着でしょう。今更差し戻しを要求するようなことは行いません。nakata88さんが納得すれば、議論は終了しコメント依頼も取り消すことにします。--グラン 2010年3月8日 (月) 08:07 (UTC)

「出典のない記述を、編集者に配慮した上で一時コメントアウト」とされていますが、記述に対する出典を求めるのに、方針にないこのようなやり方でやられるのはご勘弁いただけないでしょうか。理由はnakata88さんがおっしゃっているように公示性の欠如です。通常、編集者も記事を閲覧するのにわざわざ編集モードで閲覧するわけではないので、このようなやり方で出典が要求されていても気付きません。グランさんの編集履歴を見ますと、桜井誠 (作家)でも3月4日の編集[4]で大量のコメントアウトを実施、3日後の3月7日の編集[5]で先だってコメントアウトされた記述の一括削除を行われていますが、この間、表立って当該削除箇所に対する出典を求めるアクションはされておりません。これでは実質、即時削除と同じです。WP:Vに基づいているというならば書いてあるとおりにノートページに当該箇所を移動してください、そのほうが遥かにましです。そしてあなたが真に「編集者に配慮」されるのであれば要出典タグを添付するに留めてください、出典を持ったものが修正する場合、容易に修正できます。--Arstriker 2010年3月8日 (月) 09:01 (UTC)

方針においては除去することも認められています。私は除去せずにコメントアウトという措置をとったのだと何度も書いています。そして、要出典タグをつけるのが困難であること、公示性を示す要出典テンプレートを貼ったところ類似タグが存在するとしてはがされたことから、既に出典を求めるように公示はなされていたと考えます。困難な状況の場合、要出典タグをどうやってつけるのか教えていただけないでしょうか。
それに方針にないやり方がご不満なら、方針において認められている記述の除去を行ったほうが良かったのでしょうか。私が行った配慮は無駄で、そのように全て除去すべきというならそうおっしゃってください。
また、存命人物の伝記における即時削除は認められております。要出典タグをつけたりコメントアウトしたりして誰かが見れるようにしておくことを推奨していません。[6]においてジミーウェールズは、ソースの出せない情報は積極的に取り除くべきだと発言しています。
私が要約で記したように、要出典タグつきで載せているのは特に影響力が大きくないと思われる趣味・嗜好などです。なぜこのような配慮を行ったのかといえば、論争の元になるような記述は除去すべきとなっているからです。政治思想や宗教に関する発言などは、趣味・嗜好と比べてそれが間違いであった場合その人物の名誉を傷つける可能性が高くなります。特に桜井誠は政治活動を行っており、慎重になるべきです。そこで、コメントアウトしたものも含めて除去しました。--グラン 2010年3月8日 (月) 09:32 (UTC)
なるほど、桜井誠 (作家)については了とします。一般論において、出典がないケースについては除去も許容されておりますので、あなたの責において、あなたがそのようにされるのはご自由です。私はあなたが「編集者に配慮」とおっしゃっていたので穏当な方法を紹介したにすぎません。但し、今回のケースについてはこちら[7]が参考文献として記事中にはじめから付記されており、今回の議論中でも提示されておりますので独断での除去はできないものと考えます。では、あなたはどうすべきだったのでしょうか、繰り返しになりますが、議論に参加し合意を得てから行動に移る、というのがルールではないでしょうか。--Arstriker 2010年3月8日 (月) 10:06 (UTC)修正--Arstriker 2010年3月8日 (月) 10:09 (UTC)
在日特権の概念。まずこの認識から始めましょうか。在日特権はメジャーな概念ですか?それが存在すると、テレビ、雑誌、論文などでとりあげられたことがありますか?それを主張する著名な学者は存在しますか。辞書などに載っていますか。
答えはいずれもノーです。ということは、これはつまり、マイナーな概念、一部の人だけが主張しているものということになります。nakata88さんが、在特会の主張を載せても自主公表された情報源であるから除去ということにはならない、と上で書いております。理由は、在日特権は主張だからです。それが、たとえば物理概念や物質、あるいは著名な学者によって言及され常識化しているものとは違い、単なる主張なので自主公表された主張をとりあげても問題はないということです。
ですので、主張しているという出典をあげなければなりません。それが、参考文献にただ載せているだけでは全く不十分です。脚注を使ってきちんと、どのように主張されているか書かないといけません。
しかしこの記事においてはそうはなっていません。それどころか、単に事実(と独自研究)が挙げられているだけです。これは、主張していることにならず、文献があげられていても無意味(デタラメの可能性がある)ということです。
だから、IPユーザーさんはノートにおいて出典(情報を在日特権だと主張しているもの)を挙げるように求めていたのです。これらの記述は、長い間放置されてきました。
議論において提示されても、編集しなければ無意味です。大体、議論されているのは定義文のことであって、私がコメントアウトした記述に情報源がないことなど誰が見ても明らかです。ただの事実を列挙しても、主張とは結びつかないと私は書いています。
また、公示性の欠如というならなぜ議論に参加することを求めるのか。議論がなされていることを認めるなら、既にIPユーザーが出典の明記を明確に要求していることを理解すべきです。他人の言っていることに迎合し自分の意見にしても何にもなりません。
それと、私はこれ以上この話題をする気はないということをご理解ください。あなたに対して書いていることは、すでにもうnakata88さんと議論したことです。--グラン 2010年3月8日 (月) 10:22 (UTC)

私は記事内容を議論にしているのではありません。在日特権が主張であるというご意見に反駁するつもりもありません。あなたはここで記事内容について議論するつもりですか?では、はじめから議論に加われば良かったのです、順番が逆です。IPユーザさんの提議から長い間かかったかもしれませんが、現在は議論が行われているのでしょう?問題ないじゃないですか、正々堂々と議論で決着をつけてください。あなたがこれ以上あなたのとった行為について私と議論したくないのであれば、それも結構です。私も大概疲れましたので。ただ、あなたのとった行動は問題のある行動でした、と明言しておきます。--Arstriker 2010年3月8日 (月) 10:36 (UTC)

帰国生対象入学試験[編集]

慶応大学帰国生対象入学試験 実施概要 文学部、医学部、薬学部は日本人と永住者、特別永住者。経済学部、法学部、商学部、理工学部、総合政策学部、環境総合学部には国籍、在留資格の制限はありません。しかし、これを在日特権だという出典はありません。--Brackcandy 2010年3月5日 (金) 00:16 (UTC)

ノートの過去ログ化の提案[編集]

あと約20行で1000行に達します。もはや、新しい編集者が全てのノートを読んでから議論に加わることは不可能です。白熱した編集者同士の議論に水を入れるためにも、ノートの過去ログ化を提案します。--Brackcandy 2010年3月8日 (月) 13:14 (UTC)