ノート:嘗糞/過去ログ1

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中国にもあるんじゃないの? 儒教絡みの伝統らしいけれど。--以上の署名のないコメントは、222.3.72.50会話/Whois)さんが 2004年6月11日 (金) 02:51 (UTC) に投稿したものです。

どの点が「観点」上の問題であったか不明確なようでしたので、改めて説明します。 私は2005年1月26日 (水) 12:21の版での要約欄で述べたように、「事実」である証拠の提示を求めています。今回の編集では「朝鮮時代まで続いた」という記述に関して証拠を求めます。次に中央日報のリンクについて。これは「嘗糞」の主題にした記事ではなく、1センテンスのみの言及に過ぎません。また、どの時代、どこの地域においてのことであるかの言及がありません。このようなリンクを貼ることが適切であるとは思えません。Cinnamon 2005年2月17日 (木) 04:24 (UTC)

http://home.pusan.ac.kr/~discuss/Paper/KangMyungkwan_010426.htm
「弱者に加えられた道徳の残虐性、非合理性」という話の中で、道徳書『続三綱行実図』を取りあげていますが、その中の「孝行説話」中にはっきりと「嘗糞」「断指」「割股」に関する言及があります。
http://www.ndl.go.jp/exhibit/50/html/catalog/c022.html
『続三綱行実図』は中宗の命で編纂されているので、「朝鮮時代」という表現に問題は無いものと思われます。 「観点」を外してもよいかと。--以上の署名のないコメントは、61.194.39.115会話/Whois)さんが 2005年2月17日 (木) 08:00 (UTC) に投稿したものです。

『続三綱行実図』ではなく『三綱行実図』とありますが。『三綱行実図』は世宗が編纂を命じており、李氏朝鮮の初期に成立したものといえるでしょう。「(李氏)朝鮮時代」は大韓帝国成立まで続くわけですから、適当な記述であるとはいえません。加えて、『三綱行実図』に収録された内容が「風習」であったことを証明する必要があります。作り話であるかもしれないし、李氏朝鮮以前の時代の故事であったかもしれません。どうしても朝鮮に関して記述したいのであれば、「世宗が編纂を命じた儒教的な教訓を纏めた書、『三綱行実図』に孝行の一例として挙げられている」くらいが適当でしょう。しかし、「断指」「割股」を差し置いて「嘗糞」の項目のみを作成すること自体、おかしな事であると思いますが。(次回からはIPであっても署名をお願いします)Cinnamon 2005年2月17日 (木) 09:22 (UTC)

地方官に申告することによって褒賞の出た行為、とも書かれていますし(ですから「弱者に加えられた道徳の残虐性、非合理性」と事実として扱っているのでしょう?)、 それらが「風習」でないのなら何と呼称するのですか? 「孝行説話」における「孝行」は「李氏朝鮮期に推奨された行為」であることは史実なのですから、風習であるかどうかの証明が必要だの、それは作り話かも知れない、と言うのは難癖に近いものを感じます。
あなたは「事実である証拠」を持って来い、と書いています。問題のこの行為が李氏朝鮮期の史書に記載されている、すなわち概念として存在していた、という事は事実です。
この一連の話の流れの「何が」中立的ではないのか理解できません。--61.194.39.115 2005年2月17日 (木) 11:35 (UTC)

おっしゃるように「孝行」は「李氏朝鮮期に推奨された行為」ですが、「嘗糞」がそうであるとはどこにも言及がありませんよ?また、『三綱行実図』は史書ではなく、儒教の教科書のようなものです。「そのように記載されている」こと自体が「事実」であっても、記述されていることが実際に、その時点で、その場所で風習として存在していたことは「事実」かどうかは定かではありません。不確かなことを「事実」であるかのように記述するのは明らかに中立的ではないです。
次にHermeneusさんにお尋ねしたいのですが、中央日報の記事を読んでも嘗糞が「朝鮮時代まで続いた」とは読み取れません。何か他に史料でもあるのですか?Cinnamon 2005年2月17日 (木) 11:50 (UTC)

http://chack.7979.to/hyo-2.htm にもある。

イヒボクなる人物にまつわる故事があることはわかりますが、それが「風習」であったとはどこにもありませんね。むしろ奇特な行為であったゆえに記録が残されたと考えるのが自然ではないですか?ところでこのURLの引用元はどんな史料なのですか?時代や地域の限定ができないと記述のしようもないと思うのですが。(引用はたとえ議論のためであっても著作権上の問題が発生するのでお控えください)Cinnamon 2005年2月17日 (木) 12:29 (UTC)

その韓国語のサイトに「孝行」の実例として「嘗糞」「断指」「割股」が名指しで取り上げられているのに、(その三つは孝行の象徴だった、とまで書かれていますね)「孝行は李氏朝鮮期に推奨された行為だけれども嘗糞がそうであるとは限らない、だから事実かどうかわからない」というのは詭弁じゃないですか。 また「奇特な行為であったゆえに記録が残されたと考えるのが自然」というのは100%貴方個人の主観で根拠がありません。そう主張するのであれば当時この行為が「奇特」とされていた客観的な証拠を提示してからにしましょうよ。

http://japanese.joins.com/php/article.php?sv=jnews&src=opi&cont=opi0&aid=20010816224024100 もあるし。

誤解なさっているようですが、私は別に「そのような風習はなかった」などと書く考えは全くありませんよ。最新版のように勝手な拡大解釈で記述するくらいなら何も書かないほうがましであると申し上げているだけです。「風習」とするからには一般に膾炙していたという客観的証拠が必要です。ところが、そのような史料は今までのやり取りで一切提示されていません。むしろ、誰でもできることでないゆえに「象徴」なのではないですか?
ところで私は誰かの利益を代表しているわけでもなんでもなく、ただ中立的観点から事実を記したいだけですから、「詭弁」などという誹謗を受けるのは心外です。取り消していただけないですか?(重ね重ね申し上げますが、議論の際には必ず署名してください)Cinnamon 2005年2月17日 (木) 14:00 (UTC)

Cinnamonさん。あなたが求めているのはいわゆる「悪魔の証明」ですよ。これ以上詭弁を弄するのは止めて下さい。 韓国の大新聞社がデマを載せるのですか?

Cinnamon氏、断定や感想ではなくて「奇特な行いであった。つまり風習ではない」の理由付けをまず提出することから議論を始めていただけませんか?同時代で儒教者が嘗糞に対して否定的に述べている文献があれば、最もよいと思われます。おそらく「汚いものを嘗めるのは異常である。だから一般的ではない」という常識が理由のもっとも大きなものと思われますが、ネイティブアメリカンは糞(といってもバッファローのものですが)を屋内で燃やすための燃料にしますし、アフリカなどで家畜の糞を土の住居を立てる材料として使用する場所もあります。日本語にも「爪の垢をせんじて飲ませたい」という言葉があるように、しかるべき理由があれば他人の排泄物を摂取する行為も正当化されるのです。--Revth 2005年2月17日 (木) 15:19 (UTC)

Cinnamonさん、仰っていることが当初と変わっていますよ。
「朝鮮時代まで続いた事が事実かどうかの証拠を求める」のであれば「朝鮮時代の書籍に嘗糞は孝行の具体例として書いてあるよ」「朝鮮時代、孝行は褒賞の出る推奨された行為であると書いてあるよ」と指摘されている時点で話は終わっています。Cinnamonさんはそのふたつを肯定してるじゃないですか。
そのふたつは朝鮮時代の話なんですから「朝鮮時代まで続いた事は事実」で合意とれてますよね。
そのうえでCinnamonさんが主張している「確かに嘗糞は孝行のうちに入っていて、確かに孝行は推奨された行為だけど、嘗糞は推奨された行為かどうかわからない」という話は「朝鮮時代まで嘗糞が続いた事は事実かどうか」とは関係ないじゃありませんか。
その証拠に「嘗糞は孝行のうちに入っていて、孝行は推奨された行為だけど、嘗糞だけは推奨された行為じゃなかった」としても「嘗糞は孝行のうちに入っていて、孝行は推奨された行為で、嘗糞も推奨された行為だった」のどちらが事実であったとしても、それは「嘗糞は朝鮮時代まで続いた」事と矛盾しませんよ。
また、Cinnamonさんは何か意見が出される度に「事実であるかどうかわからない」→「風習であるかどうかわからない」→「誰でもできることでない象徴かもしれない」と証拠を出さずに主観だけの仮定を持ち出して論点をずらして続けています。
「論点をすりかえる」「仮定を持ち出す」という手法は詭弁術の手法です。--61.192.163.144 2005年2月17日 (木) 15:46 (UTC)

何度も申し上げますが、私は「風習ではなかった」と記述する考えはありませんから、それを証明する責務は私には生じません。また、「奇特な事例であった」とも書く考えはありません。あくまで私の推測ですから。反面「風習であった」と記述したいのであれば、それを証明することが必要となり、少なくとも「そういう風習があったことを裏付ける○○という文献がある」ということを示すのが当然でしょう。『三綱行実図』には孝行の事例として挙げられているだけで、「風習」として敷衍していたことを示すものではありません。
例を挙げれば、「檀君が存在した」と書かれた書物があるからといって本当に檀君が存在したかは誰にも証明できません。ですから百科事典的には「檀君が存在したと書かれた書物がある」としか書きようがないわけです。
この場合も同じように「世宗が編纂を命じた儒教的な教訓を纏めた書、『三綱行実図』に孝行の一例として挙げられている」としか書きようがないのです。
わからないことはわからないと書くか、何も書かないしかないでしょう。現状の記述は明らかに事実の枠を超えて憶測に偏っています。Cinnamon 2005年2月17日 (木) 16:09 (UTC)
何にどのように書いてあれば、あなたは風習として認められますか?Revth 2005年2月18日 (金) 04:32 (UTC)
いかなる証明であっても、それ相応の判断材料があって初めて判断できることです。あるかないのかもわからない判断材料に関して、私が仮定を設定することはできません。強いて申し上げれば、そもそも500年以上前の「風習」に関して断定調で物事を書くだけの証拠を集めることは、いかなる国のことであっても困難だと思います。Cinnamon 2005年2月18日 (金) 05:00 (UTC)
あるかないかは探してみてわかることですので、判断材料として必要な情報を集めるにあたって、まず何らかの限度を設定していただけませんか?考えのみで議論を続けられるのでしたら、それは『闘声』に他なりません。「タイムマシンを作って過去にさかのぼれ」といった実現不可能なものはともかく、現存する資料や研究を総合して、判断することに問題を見出すのなら、過去の風習を記述することは不可能です。
「そもそも・・・だと思います」の主張をなされるのでしたら、いかなる国の「風習」に対して同じ姿勢で臨むことを確約していただけますか?夜に候補を挙げさせていただきますので、全てに対して記述の変更、およびPOVの主張を行ってください。そうなされるのでしたら、その立場を尊重することに何も問題はありません。Revth 2005年2月18日 (金) 05:22 (UTC)
社会通念に照らし合わせて「風習であった」と断定調で書けるだけの材料があれば、それを提示なさればいいことです。別に私の伺いを立てる必要はありません。第二段落でおっしゃっていることはオフトピだと思いますが、私はウィキペディア上の全ての記事を網羅できるわけではありません。しかし、いかなる国に関する項目であってもこのケースのような問題のある記事を目にすることがあれば、問題意識を持つことでしょう。Cinnamon 2005年2月18日 (金) 05:35 (UTC)
こんな難癖が許されるのなら、Wikiediaにある記事の大半は掲載するに値しないことになりなります。詭弁の極みでしょう。資料は十分にそろっているし、今の記述に特に酷く歪曲、誇張されているような箇所も見当たりません。そもそも朝鮮に或る変わった風習があった、というだけの事実を歪曲や誇張すべき理由がありません。なぜそこまで躍起になって消そうとするのか理解に苦しみます。222.3.78.218 2005年2月18日 (金) 06:39 (UTC)

確かに現状、ウィキペディアには裏づけの表示がないのに断定調で書かれている歴史関連項目は存在していますが、「大半」ということはないでしょう。問題は一つ一つ解決していくべきです。今回のやり取りでは、『三綱行実図』という書物で言及されていることが明らかになり、本文に反映されました。これはウィキペディアの正確性を高めるのに役立ったと言えます。しかし、現状の記述に関し「資料は十分にそろっている」とおっしゃいますが、私はそう思いません。Revthさんはそうした主張の一部を汲んで関連史料を探して頂けるそうですが(誤解でしたらすみません)、もし見つかれば文献の裏づけを持った項目となるでしょうし、見つからなければ正確性に問題のある記事となると考えています。「難癖」と受け取られるのは残念ですが、決して非生産的な歪曲行為であるとは思いません。(以後は史料に基づいた議論を望みます。私個人の資質に関して問題があるとお考えならば、私の利用者ノートにてご指摘ください)Cinnamon 2005年2月18日 (金) 07:26 (UTC)

いい加減にしていただけませんか?
元々私の提示した韓国語URLのテキストは「朝鮮王朝期に行われた非合理で残酷な道徳上の行為」の解説ではありませんか。
その具体例として、朝鮮王朝期に広く普及されたという道徳書に「孝行」として推奨された行為に「嘗糞」が挙げられている。
(「嘗糞」は「断指」「股先」に比べまだましであった、「孝行」よりも「裂女」はより惨たらしいものであった、との記載もありますね)
また、そのテキストの引用元、参照元として 『朝鮮王朝実録』も用いられている。
お答えいただいていないようですので繰り返し質問しますが、これを「風習」と呼称しないのであれば何と呼称するのですか?
それを「風習であるとは限らない、記録があるかわからない、判断材料があるかないのかもわからない、だから事実かどうかわからない」という論理は全く以って理解不能です。
これ以上そのような主張をなさるのであれば、先にこの「解説文」が全面的に間違っているか、あるいは信憑性に非常に問題があると判断できる史料を提示してからにしてください。--61.194.39.116 2005年2月18日 (金) 10:42 (UTC)

重ね重ね申し上げるように『三綱行実図』に記録されたことは「風習」ではなく「事例」です。330名の特に賞賛すべき忠臣・孝子・烈女について纏めたものなのですから。特殊な330名(しかも多くの中国人を含む)を以って当時の朝鮮全体の風習を語ることは不可能でしょう。ましてや大韓帝国成立までを指す「朝鮮時代」まで続いたという記述は明らかに誇張です。これで私の懸念をご理解いただけたでしょうか?Cinnamon 2005年2月18日 (金) 11:34 (UTC)
それはあなたの考えでしかありませんので、反駁になっていません。「大韓帝国成立まで…」は、あなたの勝手な思い込みです。ハン板で、事前に私はあなたがどんな史料を突きつけられても、「400年間続く李氏朝鮮のいつの時期か特定できないので風習ではない」と言い出すと予告しておきました。予想通りの言い訳で残念です。日露戦争で旅順要塞を落とした乃木将軍をご存知でしょうか。彼は殉死する理由として「連隊旗を取られた」と書き残しています。責任を取って自殺する例は日本ではこの例以外、私は知りません。では、連隊旗を取られたことを恥じる風習は存在しなかったのでしょうか。そうではないでしょう。戦前、二宮金次郎の銅像が各地に立てられていました。彼は働きながら、学校に通い、勉学を身に着けました。では、彼のように偉大な人物は偶然の事例で、働きながら学校に通う風習はなかったのでしょうか。そうではないでしょう。事例であって、風習ではないは別の史料で示していただけないと成り立ちません。
Cinnamon氏、申し訳ありませんが、あなたの朝鮮文化、韓国文化に対する知識をテストさせて頂きました。ハン板では見ることがある単語でしょうが、『闘声』という言葉を普通の日本人は知りません。これは李氏朝鮮時代の宮廷で行われた「相互に罵り合い、言い返せなくなったほうが間違っている」という一風変わった議論のしかたです。私の文章を読んで、なぜ疑問に思わなかったのですか?これは推測ですが、あなたは専門的に韓国語た文化を勉強した日本人、あるいは民族学校に通った経験のある韓国系日本人ではないでしょうか。過去に行われていたことを、民族の恥と考えて、隠蔽しようとなさっているのではないですか。もし、そうであればそういった間違った見解を改めていただきたいと思います。
李氏朝鮮時代の医術は極めて後れていました。医者はいませんでしたし、日本や中国で知識を伝承し続けた寺も弾圧を受けて、隔離されていました。海外貿易が事実上存在しなかったため、野山に生えた限られた草木から記憶と伝承に頼って漢方を作るしかなかったのです。朝鮮人参は中国への朝貢品として、厳格に管理されており、一般庶民が手にできるようなものではありませんでした。国内の物資の流通もほとんど存在せず、ひとたび病気になってしまえば、栄養があるものを食べさせるのも困難でした。6年以上嘗糞をし続けた息子の話というのは、その限られた選択肢の中から、自分が行えるありとあらゆる手段を尽くして両親の面倒を診たという美談なのです。現在の日本に当てはめれば、危険な副作用があると報告されている国内未承認の薬をなけなしの金を使って海外から個人輸入して、両親の病を治そうと試みるようなものです。これを『三綱行実図』に載せることを決定した世宗は、歴代朝鮮王朝の有数の名君として知られており、私は載せたことは儒教から見ても名君に相応しい正しい行為だったと思っています。その世宗がまとめた資料とその中の行為を限られた地域で、しかもそれより前の時代だけに行われた怪奇な行為とでも思っているのですか?江戸時代に、そしてたびたび現在も日本で行われる水垢離や、黒死病のときに流行した自らを鞭で打ち、傷つける行為のように真剣に良くなることを信じて行ったことです。現在の倫理観に反するからといって、過去を抹消しても何も生まれません。Revth 2005年2月18日 (金) 12:39 (UTC)

いいえ、理解できません。あなたは私の書いた文章の端々を摘むだけで、提示したテキストをお読みになっていないのですか?
『三綱行実図』に記載された道徳行為を行った人間やその人達に対する褒賞に関する記述の解説が『朝鮮王朝実録』を史料として記述されているではないですか。
また、テキストには「朝鮮王朝が滅亡するまで『三綱行実図』の道徳を置き換える新しい道徳は出なかった」「道徳の内容は次第にエスカレートしていった」「朝鮮王朝はこのような間違った論理で民を500年間支配した」と解説されています。
「ましてや大韓帝国成立までを指す「朝鮮時代」まで続いたという記述は明らかに誇張」というのであれば、先に「誇張であることが理解できる史料」即ち、『この様な道徳は朝鮮時代途中で衰退して復活することが無かった』ということが明らかに示されている史料を提示してからにしてください。
こちらは信頼に足ると思われる資料を提示しているのに、あなたは何の資料も提示せずにご自分の主観を根拠無しに「明らか」と断じてまでこちらの資料の内容を否定している。あまつさえ「史料に基づいた議論を望む」とまで仰る。はっきり申しまして非常に不快です。
あなたは先に私の示したテキストの内容が不正確で不適切であると判断できる「ご自分の主観」以外の資料を用意してください。 --61.194.39.116 2005年2月18日 (金) 12:50 (UTC)


私個人の考えではなく、該当URLにもあることですが?「美談」であるというのはそれがやはり特例的な事例であるからでしょう。私の意図に関しての憶測は完全に誤りです。隠匿を意図するのではなく、正確な記述を望んでいるだけです。「風習」であるからには、どのような頻度でどのような階級でどのような時期に行われていたのか明示していただきたいだけです。
「事例」であるか「風習」であるかはデジタルに線引きできるものではありませんが、複数の事例を以って「風習」と認めることは可能であると思います。「500年に渡って恒常的に行われてきた」とおっしゃるなら複数の事例を提示することは困難ではないはずです。
Revthさんと61.194.39.116さんのおっしゃっていることは結局、新たな判断材料となる史料を伴っていないので、私同様のPOVに過ぎません。
これで3度目になりますが、私は「風習でなかった」と書く考えはありません。史料は積極的に記述したい側が提供すべきです。それこそ「悪魔の証明」のようなもので、私が「そのような風習はなかった」と証明することは著しく困難であり、実証責任は書きたい側が負うべきです。
具体的には
    • 「嘗糞」が恒常的に行われてきたことを補強するような事例、研究
    • 『三綱行実図』に「嘗糞」を記載したことへの専門家の評価
    • 『朝鮮王朝実録』における褒賞に関する記述で「嘗糞」がどのように扱われているのか
このいずれか一つでも、またこの範疇でなくともあなた方の論説を補強するような資料、史料でもかまいません。新たな判断材料なきままに議論を進めることは非生産的なので以後控えていただきたいです。
(ところで私の人格や環境に関しての指摘はやめていただけないですか?完全に議論の軌を逸しており、事態の複雑化とリソースの無駄を招いています)Cinnamon 2005年2月18日 (金) 17:34 (UTC)
ですから、いつになったらあなたが反論として史料を出すのですか?Revth 2005年2月19日 (土) 06:18 (UTC)
短すぎたので追記。こちらは史料を提出しています。積極的に否定したい側も史料を出してください。あなたは議論にすら応じていません。Revth 2005年2月19日 (土) 06:28 (UTC)
私は積極的に否定はしていませんが?私は最初から一貫して「風習であったかどうかわからない」と申し上げています。つまりニュートラルです。あなたは「民族の恥と考えて、隠蔽しようとなさっているのではないですか」と決め付けていらっしゃっていますが、それも含めてあなたの誤った先入観です。Cinnamon 2005年2月19日 (土) 07:27 (UTC)
じゃあ、「嘗糞という習慣があった」と書くことに反対しませんね?Revth 2005年2月19日 (土) 09:57 (UTC)
まず、「習慣」を国語辞典で調べてください。「習慣であった」と書くのであれば、どのような頻度でどのような人によってどのような時代に渡って行われていたかを明示してください。Cinnamon 2005年2月19日 (土) 10:01 (UTC)
風習とは「風俗習慣」という意味もあるのですよ。言葉尻を捕らえてどうするつもりですか?じゃあ、喫煙について、17世紀ごろからヨーロッパでは、習慣としていましたが、どのような頻度で、どのような人によって、どのような時代にわたって行われていたかを明示してください。それとも切腹にいたしましょうか?江戸時代だけ、限定させていただいてもいいですが、どのような頻度でどのような人によって行われていたかを明示してください。過去では証明が難しいから、Eメールにしましょうか?それともバレンタインデーにチョコレートを送る習慣にしましょうか?いい加減に証拠を自分から出してください。Revth 2005年2月19日 (土) 10:08 (UTC)
誤解を受けやすいような表現は避けるのが当然でしょう。敢えてあなたの例えに乗るならば、現在の表記は「Eメールの利用は現代の習慣である」のようなものです。これを「日本においてEメールはインターネットが一般に普及した1990年代以降、会社員には業務の道具として、若年層には交友手段として習慣的に使われる」というようにして下さいということです。Cinnamon 2005年2月19日 (土) 10:37 (UTC)

「孝行と認識」=「風習」か?

記事内の「風習」が「嘗糞そのもの」を指しているのか、「嘗糞を美化すること」どちらを指しているのかが曖昧に思えます。 Cinnamon氏は前者と解釈していて「嘗糞そのもの」を行なったという人間が数人しか記録されていない現状では風習とは言いがたいと主張しているのに対し、他の方は後者と解釈していて「嘗糞を美化すること」は政治的に行われて大衆に受け入れられており、風習として確立していると主張しているため議論がうまくかみ合っていないのでは無いでしょうか?219.102.230.222 2005年2月19日 (土) 08:27 (UTC)

なるほど。目から鱗が落ちる思いです。「嘗糞を儒教精神に則った孝行として捉えることが」「朝鮮時代まで続いた」と記述するなら理解できます。そういう意図を持って編集されていたのでしょうか?もしそうであるならば、妥協点を探ることは可能であると思います。Cinnamon 2005年2月19日 (土) 09:54 (UTC)
横レスご無礼します。219.102.230.222氏のご意見をもう少し整理すると、「嘗糞が孝行であると多くの人が認識していた」ということと「嘗糞が孝行として風習化していた」というのは別のことである、ということですよね。世宗期の前掲書などから考えれば、前者についてはある程度その通りだといえるし、ここでもひとまずそのラインに沿った記述をしていけばよいかと思いますが、いかがでしょうか。
(ともあれ韓国の民俗学者などによるこういった研究はおそらくあるはずで、長期的にはそのあたりが反映していくといいとは思いますが)Aboshi 2005年2月19日 (土) 14:26 (UTC)

みなさん、こんにちは。miyaです。横からちょっと失礼して、一般論としての感想を述べさせてください(つまり、これが朝鮮の項目であろうと、日本あるいは西欧の項目であろうと同じ感想になる、ということです)

「風習」とは、「そうすることが当たり前」の状態を指すはずです。それだったら地方官はわざわざ「褒賞」を出したりしないでしょう。ですから「地方官に申告することによって褒賞の出た行為」は「風習」とはいえないのではないでしょうか?
まぁ、それをうらやんで「右へ倣え」する人が続出することはありえないではないけれど、それが「あたりまえ」になったら褒賞は出なくなるだろうし、出なくなったらやめてしまいそう。こういうのは「風習」ではなくむしろ「流行」とか?
「当時この行為が「奇特」とされていた客観的な証拠」は「褒賞」それ自体です。「誰もがすること(=風習)」でないからこそ、賞賛されるわけです。今で言えば・・・男性が職をなげうって自分の親の介護に専心する とか。賞賛はされるでしょうが、誰もができることではありませんね?これを「日本の風習」と言い切ることは出来ないでしょう?
だったら、
朝鮮では、6年以上父母の糞を嘗めつづけ看病し病気を治した孝行息子の話などの記録があり、指を切って血を飲ませる「指詰め供養」や内股の肉を切って捧げる「割股供養」などと共に、親に対する最高の孝行の一つとされた。
世宗が編纂を命じた儒教的な教訓を纏めた書、『三綱行実図』にも孝行の一例として挙げられているように、嘗糞を儒教精神に則った孝行として捉えることが朝鮮時代まで続いた。
と記述すれば、全て丸く収まるのではありませんか?miya 2005年2月19日 (土) 14:57 (UTC)
つまり、親孝行の人がする風習ということでいいんじゃないかな。風習だからって別に全員がやらなけりゃいけないわけでもないだろうし。

推測だけで議論をするなら、例えばこんなのはどうですか?
「6年以上父母の糞を嘗めつづけ看病し病気を治した孝行息子に褒賞を出した」という記述から、「嘗糞は特殊な行為であって風習ではない」という結論を導くことはできません。なぜなら、この事例には「6年以上」という条件がついているからです。同じことを喪について当てはめてみるとよく分かります。「親の死後3年間喪に服し続けた孝行息子に褒賞を出した」という記述から、「喪は特殊な行為であって風習ではない」という結論を導くことはできません。断指と割股は、一回、または高々数回しか行えませんが、嘗糞は何度でもできます。要するに、長期に渡り継続的に行なわれたのではない嘗糞が見落とされている可能性があるのです。一度でも嘗糞を行った人の数は、記録に残っているものよりも、少なく見積もっても桁一つ大きいと推定できます。だからどうだということもないのですが、史料を出さない議論は不毛ですね。--Nanshu 2005年2月27日 (日) 14:55 (UTC)

Nanshuさん、初めまして。「6年以上」と言う条件と「喪」との比較、なるほどと思いました。よくある「風習」だったとしたら、ひょっとして今でも田舎の方には残ってるんじゃないでしょうか? もし残っていないとしたら、廃れたのはなぜなんでしょうか? そのあたりの説明もあると嬉しいと思います。miya 2005年3月2日 (水) 22:44 (UTC)


長くなったので区切り

「褒賞」があると、日本人としては、そう考えるでしょうけど外国の文化だからそう単純にまとめられないのです。現在の韓国では「賄賂を贈られたら、それを申告することで倍の報奨金をもらえる」という制度があるんです。つまり「正しい風習」を徹底させるために、褒賞を出すというのは、ありえない話ではないのです。別の例として、寄付を挙げましょう。日本では寄付をしても特別に税制上の特典はありません。ですが、アメリカでは寄付をすると税制上の優遇処置があります。でも、アメリカのほうが風習として寄付が定着しています。外国の文化は、外国の倫理観や法制観を考えないと、実態を把握できないのです。Revth 2005年2月19日 (土) 15:40 (UTC)

寄付について日本でも税制上の特典は設けられています。ただし、特定の条件下についてのみです。 例えば、こちらのリストに挙げられている法人への寄付については各種税法上損金となることがあります。 http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/koueki.htm ご参考までに。


「それが正しいことか、どうか」というのと「広く一般に行われていたか」ということとは、切り離して考えるべきではないでしょうか。このノートでの話では、嘗糞という行為が、孝行の例として賞賛されるものであったという認識に違いはないでしょう。ただ、それを多くの人が行う、いわゆる風習ととらえられるのかどうかで見解の相違があるということであって、219.102.230.222の方が2005年2月19日 (土) 08:27 (UTC)でおっしゃったとおりです。Revthさんのおっしゃる「正しい風習」という考え方には疑問があります。インドのサティーの様な、今から考えるとよくないこととされることであっても、広く行われていれば「風習」と呼ぶわけですから。
それから、本筋ではありませんが、日本でも寄付に対する控除は存在します[1]。ただし、これは「寄付を奨励しよう」という趣旨と言うよりも、寄付として本人のために使われなかった金銭にまで課税を行うべきでないという立法意図に基づいているように思います。--sketch/ 2005年2月19日 (土) 16:00 (UTC)
Revthさんのおっしゃることに一理あるとは思いますが、「風習が徹底」したかどうかを論証するには現在ここに出ているものだけでは資料としては不足ですし、そもそもこういった内容は文献学的領域だけでは論証は難しいところです。以前も書きましたが、あとは先行研究にどんなものがあるかを調べるか、証明可能なくらい画期的な文献資料を出すか、どちらかを行わないとこの先は難しいかと思います。Aboshi 2005年2月19日 (土) 23:47 (UTC)
「正しい風習」というのは、当時の倫理観と支配的な宗教観に合致しているから、正しいと述べています。「風習が徹底していたか」を疑いの余地なしに論証するのは、きわめて困難です。現在の日本では「通勤電車の中で寝る」という風習があります。これを疑問の余地なく、論証することは可能でしょうが、それをウィキペディアで詳細に論証することを求めるべきでしょうか。西洋人は挨拶として握手をするという風習がありますが、詳細に検証することを求めるべきでしょうか。可能な限り行うことは問題ないでしょうが、検証目的をすでに離れていて、単に否定したいだけの場合はそうではないと思います。
さて李氏朝鮮は、いくつかの階層では文盲率が50%を大きく越えていました。両班は文盲率は低かったものの、彼らが読み書きしていたのは、漢文です。住民の大半を占める常民と白丁は、基本的に文盲です。このことをまず、頭に入れておいてください。ほぼ同時代の江戸時代の日本なら寺、村の長や有力者などの文献を調べることで風習を調べることができます。しかし、李氏朝鮮はそういった地元レベルでの史料を掘り出すことはできません。地方では記録をつける風習がなかったからです。キムチを例に挙げます。これに関しては、料理に興味を持っていることもあり、かなりの文献を読んできました。でも、未だにどのあたり、現在の道のどれが発祥で、李氏朝鮮のいつごろに広まり、何を漬けはじめたのが最初か、まったくわかりません。キムチの前段階として、薬効を目的とした山菜のキムチがあり、それが野菜の塩漬けの沈菜(=水キムチ?)と融合したと考えるべきだと個人的には思うのです。日本ではマイナーだったカレー粉がご飯と結びついて、カレーライスとして爆発的に普及したのと同じように、メジャーと結びつくことで普及すると考えれば、納得がいくと思います。様々な人物が普及に関わってきたため、日本では精緻に記録されているので、過程を追うことができます。でも、キムチに関しては、本当に何も出てきません。そのため、これは現段階ではただの推論です。どこかに資料があるかもしれませんが、まとまったものを見つけることができていません。
過去の事象は、同時代に生きていない以上、見つけられた文献から推測を行って、結論付けるのはやむを得ません。出された史料で、否定的なものがない以上、当時の風習だったと結論付けることに問題があるとは思えません。ですから、私はずっと否定的な史料を出すようにと呼びかけ続けているのです。Revth 2005年2月20日 (日) 05:38 (UTC)

「出された史料で、否定的なものがない以上、当時の風習だったと結論付けることに問題があるとは思えません」とおっしゃいますが、早計ではないでしょうか?疑問の余地のある記述はひかえるべきだと思います。 「通勤電車の中で寝る」ことについて、通勤電車に毎日乗ってそういう習慣を持つ人が多いのを知っていればそう書いてよいでしょうが、知らなければ書くべきではありません。百科事典には、「実際に見て知っていること」および「きちんと調べられること」のみを記述すべきであって、調べられないこと、推測したことを書くべきでは無いでしょう。ここは百科事典であって個人のホームページではないのですから。学者の間で一定の説が受け入れられているなら「こういう説が支持されている」と書けばいいわけですが・・・Revthさんが朝鮮研究の第一人者だとしても、他の研究者の支持が得られていない説は、やはり書くべきではないと思います。miya 2005年2月20日 (日) 06:18 (UTC)

うーん・・・まず、219.102.230.222氏以降の意見の流れをご参照ください。既出の史料は嘗糞に対する「認識」は示しても、「風習化していた」ことを示しておりません。Revthさんは「否定的」な資料を出すように要求なさっておりますが、現状では「風習化していた」ことに対して、「肯定的」「否定的」双方の史料がそもそも提示されていないのでどちらにも書きようがなく、すなわち現状では「嘗糞」に対する認識に言及すること以上のことはできようがないということです。また、投稿者を肯定・否定で色分けなさっておられますが、219.102.230.222さんも私もMiyaさんも、Sketchさんもそもそも「風習化していた」かどうか肯定も否定もしていない(どちらを示す史料もないという判断から)ことにご留意ください。
くどいですが、「風習化」の成否を問うのでしたらあとは私どものような素人が判断するのではなく、プロによる先行研究を探すしかありません(Revthさんが研究者でしたら、ご無礼をおわびします)。Revthさんは否定する方にばかり史料を要求されますが、もし韓国語が読めるのでしたら、Revthさんも探してみませんか?ここは肯定・否定の対立の構図を作る場ではありませんし。(投稿が重複しましたが、このままいかせていただきます)Aboshi 2005年2月20日 (日) 06:49 (UTC)

対立は本意ではありませんので、Revthさんのおっしゃりたいことがどうやったら誤解無く読者に伝わるか、考えてみました(今現在の記述では誤解されてしまう虞が大きいと思います)。例えば「風習」(実際に行われていた行為)ではなく「風潮」(人々の考え方[2])あるいは「傾向」([3])という言葉を使えば、より正確に伝わるのではないかと思います。

  • (案1)・・・などと共に、親に対する最高の孝行の一つとされた。こうした風潮 は朝鮮時代まで続いた。
  • (案2)・・・などと共に、親に対する最高の孝行の一つとされた。こうした傾向 は朝鮮時代まで続いた。
  • (案3)・・・などと共に、親に対する最高の孝行の一つとされた。こうした考え方 は朝鮮時代まで続いた。

ところで、「朝鮮時代まで」というのはかなり幅がありませんか?「朝鮮時代の初めまで」「・・・中ごろまで」「・・・終わりまで」のどれとも取れそうな気がするのですが。miya 2005年2月21日 (月) 01:08 (UTC)

そのテキストは「弱者に加えられた道徳の残虐性、非合理性」という要旨で「実際に行われた行為」の解説がなされているテキストなのですが。ですから資料として提示したのです。
このテキストに仮に齟齬がないのであれば「風潮」だの「傾向」だのと書き換えるのは逆に歪曲にあたります。
ですからそういう表現を用いたい人はそのテキストに齟齬があることが理解できる資料を提示してくださいと書いているのです。
(「私は齟齬があると思う」と言うのは止めていただきたい、と何度書かせるのですか)
後、時代についてですが「この道徳は朝鮮時代が終わるまで改まることはなかった」と解説されていますので、この解説に間違いが無いのであれば「朝鮮時代すべて」でよろしいのではないでしょうか。--61.194.39.116 2005年2月21日 (月) 10:35 (UTC)

(コメントアウトで他者への罵言を行うような卑劣な行為はお控えください)
私どもが気にしているのは、「風習」という言葉を使うのであれば、実際どのくらい「嘗糞」が行われていたのかについて、既出の該当論文がどこまで言及しているか、ということののみです。もし、そちらについて言及がないのであれば書くことができませんし、そもそも現在は論文一本が根拠というのも百科事典に書くには弱いです。
恥ずかしながら私は韓国語は読めません。そうした言及について、該当論文がどこまで書いているか、教えてもらっていいですか?:(Revthさんは切腹と比較されますが、切腹の実例は鎌倉時代から三島由紀夫までふんだんにあり、一方で嘗糞は実際どうなのか?ということなのですが)Aboshi 2005年2月21日 (月) 11:12

(UTC) 横レスすみません。とりあえず私が示しておきます。[4]のことですよね?このテキストにおいて『朝鮮王朝実録』を引用しているのは

  • 世宗
    • 晋州で起きた親殺し事件のこと
    • それに関し世宗が会議を開いたこと
    • 『孝行録』が編まれたこと
    • 『三綱行実図』の全身となる書が漢文で編纂されたこと
    • 『三綱行実図』が編纂されたこと
    • 『三綱行実図』が全国各所に普及されたこと
  • 成宗
    • 『三綱行実図』の一部を国文(ハングル)に訳し、各地に下賜したこと
    • 『三綱行実図』が少なくなったために、地方官が縮約本を作ることを請願したこと
    • 翌年それが刊行されたこと
  • 中宗
    • ソウルでは家長が、田舎では長老が村を渡り歩いて女性への教化を行ったこと
    • 『三綱行実図』を2940部刷ったこと
    • 『三綱行実図』に中宗時代に死んだ孝子を加えた続編が作られたこと
    • 『三綱行実』を普及させる方針が示されたこと
    • 『三綱行実図』の活字の大きさなどの指示までされたこと

「嘗糞」への直接的言及は少なくとも『朝鮮王朝実録』からは引いていませんね。つまりこのテキストにおける嘗糞の記述の引用元は『三綱行実図』からのみだと思います。(見落としがあれば「第○段落に」という形でご指摘ください)Cinnamon 2005年2月21日 (月) 12:04 (UTC)

とりあえず、現時点での調査結果をまとめます。調査した本は、李家正文『糞尿と生活文化』、大野盛雄・小島麗逸『アジア厠考』です。その他、メモしていませんが、いくつか調べています。糞にまつわる文化は、嘗糞を含めて3つの系統に分化します。

  • 食糞-刑罰と拷問の両方として用いられる。歴史的には中国では西太后、李氏朝鮮では14世紀末の記録があります。これは、家畜の豚に人糞を食べさせていたことから、人を家畜扱いするという観点から行われていたものと思われます。朝鮮日報の[5]を参照ですが、現在でももちろん違法行為ですが、行われることもあるようです。これで特に注目する点は、行為が今でも行われていることに対する批判があるということです。過去に行われていたことを暗黙の了解として、記事が成り立っています。
  • 漢方-「糞竜湯・黄竜湯・大黄湯・玄精・陳棄湯・還元水・人中黄」などと呼ばれているものですが、いずれも人糞、もしくは尿を加工したものです。『本草綱目』および『千金翼方』に記載されています。『本草綱目』は、散逸していると思われます。

ここまでの調査の結果から推測すると、どうやらこういった糞文化というのは、中国中部と北部を除く朝鮮で行われてきたものだと考えられます。拷問としてなら、現在の北朝鮮の強制収容所内でも行われていますが、これは単に拷問文化の発展の結果と思われますので、例外にします。つまり南部のように人糞が急速に腐る地方や、豚を飼うことのない北部では糞が身近なものではなかったため、文化が発展しなかったものと思われます。満州族・モンゴル族とタイ族・ベトナムの風習を調べてみれば、はっきりすると思います。ポイントとしては「糞を容器に溜める習慣がない」ことかと思われます。Revth 2005年3月5日 (土) 07:07 (UTC)

Revthさま。興味深くよまさせていただきました。
私自身がなかなか調べる時間がなくていけないのですが。ところで、よく引用される本草書には『本草綱目』のほかにも『証類本草』もあり、そちらかもしれませんね(引用書間違いなどもありうると思います)。
さて、Revthさんの乾燥地域と湿潤地域での差異での観点はとても面白いと思いました。一つだけ訂正かけると、満州族は豚飼い民族です。なお糞については、人間が出したものを犬や家畜に食べさせるという風習は遊牧民族に多くあり(それで人と動物とのつながりを深めたる役割もあったようです)、日本にも牛になどに食べさせる習慣が東北地方を中心にありました。逆にイスラム教徒が豚を忌むのは一説には人糞を食べるからだそうですね。
さて、嘗糞にはこういった「人糞」と生活に関わる問題の上に、儒教という規範がのっかって成立します。ゆっくり考えていけばいいと思いますが、そのリンクを短絡的にすると誤りそうで難しそうだなと考えております。そこらあたりの資料もあると面白そうですが。Aboshi 2005年3月5日 (土) 14:46 (UTC)

中央日報は、この件について「信仰から始まった習慣」とだけ書いている。『三綱行実図』は民衆へ儒教を浸透させる為に作られたものだろうからこれらが民衆に伝わる仮定で、伝説・信仰と変化し、朝鮮従来のシャーマニズム医療と結びついて民俗医療として定着したと言う所を調べないといけないのだろうけど、そこで膠着状態なのかな? [6] Nidarin 2005年9月24日 (土) 12:13 (UTC)

今村鞆さんの著作で国書刊行会発行の「朝鮮風俗集」をソースを挙げました。利用者:soboku 2005年10月28日--以上の署名のないコメントは、220.220.207.37会話/Whois)さんが 2005年10月28日 (金) 05:32 (UTC) に投稿したものです。

何時の間にか、書いたソースが消されている。利用者:soboku 2005年10月29日--以上の署名のないコメントは、60.41.238.42会話/Whois)さんが 2005年10月29日 (土) 02:53 (UTC) に投稿したものです。

『本草綱目』は李氏朝鮮では主流の書では無かったようで(東医宝鑑の参考文献としても使われていない)、『証類本草』が第一の書とされていたようです。『本草綱目』が朝鮮に入ってきたのは日本より遅い時代と言われており、後期から末期に多少使われていたようです。朝鮮では全般的に本草学はあまり発達しなかったようです。『本草綱目』は江戸時代の本草学のベースになっているので探すのは割と簡単です。国立公文書館にもあります。人糞もしくは尿を薬の材料にしていた事に関しては高麗時代の郷薬(朝鮮独自の韓方薬)を記した『郷薬救急方』に記述があります。高麗時代の『郷薬救急方』は李朝時代の郷薬書のベースに成っています。 - Nidarin 2005年12月5日 (月) 08:41 (UTC)

個人的な感想だけど似たような例として銀行強盗を取り押さえたら褒賞と賞金が出るかもしれないけどべつにそれは全国民にこの人のように勇気を持って銀行強盗に立ち向かえっていうのと違うと思う。どちらかと言うと銀行強盗を取り押さえた人の個人的な勇気を称えるためであり、勇気自体は素晴らしい素質でもあるけどだからって行為だけを真似るのは無謀にもなりうるわけだ。同じように嘗糞がほめられたのは当時としては真心から出た親孝行の行為であるからという理由であって嘗糞という行為だけを以って褒賞が出されたわけではないと思う。--75.119.226.51 2012年5月8日 (火) 04:33 (UTC)

Blogへのリンクの除去について

アノニでアクセスしていますが、Birth of Bluesなるブログの管理者です。 当ブログのリファラでウィキへ当該リンクが貼られている事を知りアクセスしましたが、既に削除済のようです。リンクを貼られた事、並びに削除行為について何も感慨もありませんが、Hermeneusさんによると削除理由が「個人Blog宣伝リンク」となっています。 管理者の意図を離れた第三者によるブログ記事の貼付行為を「個人Blog宣伝リンク」と名指しする言葉の定義をご教授願えますか? kingcurtis--以上の署名のないコメントは、219.105.39.165会話/Whois)さんが 2005年11月4日 (金) 11:01 (UTC) に投稿したものです。

本人であろうと他人であろうと、アクセス数稼ぎであろうと晒し目的であろうと、真の意図はどうあれ人寄せ目的にサイトのURLを貼る行為は「宣伝」であると私は解釈します。Hermeneus (talk) 2005年11月5日 (土) 00:59 (UTC)

言葉の定義、了解です。kingcurtis--以上の署名のないコメントは、218.110.231.93会話/Whois)さんが 2005年11月5日 (土) 11:20 (UTC) に投稿したものです。

お待ち下さい、Hermeneusさんの論理が正しければ、ウィキペディアの全ての項目のリンク先を消さないといけない事になると思うのですが?ポッキー 2005年11月12日--以上の署名のないコメントは、218.44.88.80会話/Whois)さんが 2005年11月12日 (土) 05:33 (UTC) に投稿したものです。

編集の要約に書いた通り、「当項目について書いてるだけの個人Blog宣伝リンク」は記載するに値しません。リンクを除去されたブログは、単にウィキペディアにある項目「嘗糞」について歴史学者でも何でもない無名の個人が感想を書いてるだけの日記エントリーでしかなく、嘗糞という風習自体について資料を提示しつつ客観的に解説してるようなサイトではありません。「外部リンク」のセクションというのは、参考文献同様、その項目で解説している事柄について更に詳しく知るのに有用な外部サイトへのリンクを貼るところです。仮に嘗糞という風習自体について解説するページであっても素人がお座なりに書いたような代物であれば拒否されるのが一般的であるのに、どこの馬の骨とも知れない素人がネット上で論争してるだけのログが百科事典であるWikipediaに掲載を承認されることはまずないでしょう。
なお、Wikipediaで署名をするにはチルダを4つ(~~~~)入力します。Hermeneus (talk) 2005年11月12日 (土) 06:38 (UTC)

そういう事ですか、了解しました。ポッキー 2005年11月12日(土)--以上の署名のないコメントは、61.198.59.178会話/Whois)さんが 2005年11月12日 (土) 07:23 (UTC) に投稿したものです。

>過去に、大韓民国の韓国放送公社でも放送された事があり

これだけでは、情報として曖昧すぎますのでこちらへ一時移動しました。 放送されたのはいつのことですか? KBSは複数チャンネルで放送してますから、どのチャンネルの何と言う番組で どういう風な紹介のされ方をしたのでしょうか? それから放送局名ですがKBS(韓国放送公社)という表記の方が望ましいです。--以上の署名のないコメントは、220.215.115.66会話/Whois)さんが 2006年11月24日 (金) 06:27 (UTC) に投稿したものです。

保護期間中のカテゴリ編集の提案

Category:民俗資料の整理のため、本記事に付与されている「Category:民俗資料」の削除を提案いたします。もし異議がありましたら、Wikipedia:保護の方針#単純な修正にしたがい3日以内に何かコメントをお願い致します。Category:民俗資料の整理については、Category‐ノート:民俗資料#カテゴライズされている記事の整理を参照願います。Sina 2007年8月19日 (日) 04:06 (UTC)


嘗糞との関連性が不明な点について

本文中に、嘗糞と結びつかない記載があるようなので、説明をします。
  • 「また、朝鮮王の中宗は、解熱剤として人糞を水で溶いたものを飲んでいたという(東亜日報 2005年8月22日)。」

「20世紀に入っても人間の大便を民間医術に使用する例があり、『最近朝鮮事情』には重病人に大便を食わせる例が載せられている。

  • 「また『朝鮮風俗集』には人中黄(冬期に竹筒に人糞と甘草を交ぜ地中に埋め、夏期に取り出し乾燥させて粉末にしたもの)と言う民間薬が載っている。」

 というくだりがありますが、全く関連性が無いように思えます。 嘗糞は孝行としての行為のようですが、これらは民間医療?なので、関連性や必然性に欠けるのではないでしょうか。 民間医療というのであれば、医療行為として行っていたという資料の提示をお願いします。

また、関連項目に朝鮮の民間療法がありますが、嘗糞は医療行為という説明や資料が提示されておりません。 カテゴリのリンクにも韓医学民間療法という嘗糞に関連しない項目も入っているようです。

これらについて、利用者が納得できるような異論が無ければ、該当部分の削除が相応しいのではないでしょうか。

--End19991231 2007年12月27日 (木) 17:16 (UTC)

なんでウンコなめてた人間のせいなんかでこないに言い争いせなアカンのや 以上の署名の無いコメントは、121.83.57.246会話/whois)さんが[2008年1月23日 (水) 14:43 UTC]に投稿したものです。

類似の行為についての簡単な説明がどうして「嘗糞と結びつかない記載」に当たるのか全く不明です。異を唱えるのであれば、まずそこのところを論理的に説明してください。話はそれからです。--60.237.47.87 2009年8月15日 (土) 02:20 (UTC)
んんん? どこが類似の行為なんでしょう? 人糞を薬にしたとか、人中黄なんて中国朝鮮日本と広く中国文化圏で行われていたことですよ。嘗糞なる朝鮮の風習は親孝行行為なんでしょ? 広く東アジアで行われていた医療行為は嘗糞と関係ないでしょう。 --Tonbi_ko会話2013年6月23日 (日) 06:51 (UTC)

保護解除提案

2007年5月より編集合戦として無期限全保護になりましたが、その後ノートにおいて長期間議論が止まっていることから保護の方針にある保護を解除してもいい場合の5.「しばらくの間議論がない、仲裁の試みが進行中など、解除しても問題が再発しないのではないかと思われる場合」に該当すると思われるため、保護の解除を提案いたします。特に反対が無ければ保護解除依頼を提出いたします。--Web comic 2009年4月12日 (日) 03:21 (UTC)

検証報告・ページ情報提供のお願い

参考文献として挙げられている文献に、該当する記述があるかどうか、文献現物で検証してきましたので、その結果をご報告いたします。

  1. 朝鮮医籍考 - 人糞を嘗める朝鮮人特有の遊び、という記述を探しました。全ページを精査しましたが、該当する記述は見つかりませんでした。
  2. 最近朝鮮事情 - 重病人に大便を食べさせる例に関する記述を探しました。目次から該当しそうな章節に当たりを付け、pp. 1-6, 113-118, 122-135, 264-267を精査しましたが、該当する記述は見つかりませんでした。
  3. 朝鮮風俗集 - 人中黄に関する記述を探しました。p. 435に発見しました。
  4. 三綱行実図 - 嘗糞が孝行の一例として挙げられているかを探しました。詳解三綱行実図研究のpp. 81-83に発見しました。

朝鮮医籍考と最近朝鮮事情について、該当するページ番号をご存知の方は、情報提供をお願いします。--Akaniji 2009年9月26日 (土) 11:42 (UTC)

最近朝鮮事情について、該当しそうな例は、P90 (NDLの57枚目)にそれらしいのがあります。 ◎更に驚くべく信じ難い程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗ひ、気目がよくなると謂ふて居る、又小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効じやと謂ふて之を用ゐ、又強壮剤じやと謂ふて無病のものでも飲んでいる、愈病気が重くて生きられまいと謂ふ時は、大便を食べさすといふとも聞いて居る、何んと驚かしいことではないかhttp://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766869/57 --烏帽子岩 2010年9月4日 (土) 13:35 (UTC)