ノート:和製漢語

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

参考文献の原語表記について[編集]

すみませんが、Wikipediaルールのどこで決められているか教えていただけないでしょうか。無いとか疑っているわけではありませんが、正直非常に奇妙なルールに思えるのです。中国史・中国哲学・中国文学といった日本における中国関係の学会の論文・研究書ではこのようなルールは見あたらないので。むしろ京大系などは簡体字を繁体字にわざわざ直しているほどです。参考資料China3[1] このルールで行くと、朝鮮半島出版のものもハングル表記となりますが、Wikipedia参加者に広範に支持され守られているルールなのでしょうか。お手数ですがご教授ください。--Tears for Asia 2007年5月28日 (月) 15:30 (UTC)[返信]

中国語・朝鮮語文献の脚注については詳しいルールはないように思います。作るべきですね。
文献のタイトルは、検索者の便宜を考えれば、原語のままの記載を原則とするのがよいと考えます。たとえば、『콘사이스日韓辭典』という辞典を『コンサイス日韓辞典』と表記してしまうと、日本の辞書のようで、原書にたどり着きにくくなります(特にもとの言語を知らない人にとっては)。同様に、『中国插图艺术史话』とあれば簡体字文献であることが分かりますが、『中国挿図芸術史話』とあれば日本語文献かと思います。原語のままの表記は、こういった混乱を避けることになると思います。--Hamlet 2007年5月29日 (火) 05:42 (UTC)[返信]
中国語参考文献に関するルールがないので有れば、指針を設けた方がよいということには賛同します。
ただタイトルはやはり日本語で使用されている漢字を使用すべきと考えます。まず原著にたどり着きにくいという点については、ISBNを必ず付記すれば問題ないでしょうし、あるいは()内に原著名を付加するようにすれば良いと思われます。また現在の日本語環境において、中国系書物について原語表記する慣習はほとんど見あたりません。上で学会での慣習について触れましたが、これは何も一般でもそうであって、試みに一般向けの中国関係の文庫・新書や『中国の歴史』シリーズの参考文献リストを見てもらえれば分かりますが、どれもわざわざ簡体字や繁体字表記をしていません。たとえば歴史系では『世界歴史大系中国史』のシリーズや堀敏一『中国通史』、文学系では竹内実『北京』など、枚挙に暇がありません。少なくとも出版されているもので原語表記をしているものにお目にかかる方が希でしょう。学会や一般での慣行に従うべきかと思います。ご一考ください。
あとWikipedia‐ノート:出典を明記するでも、質問しているのでそちらも見ていただけるようお願いします。--Tears for Asia 2007年5月30日 (水) 03:48 (UTC)[返信]

人民[編集]

It' not japanese made chinese character,check the link [2],which present one paragraph of 明史 --以上の署名のないコメントは、193.54.193.1会話/Whois)さんが 2007-08-05T13:26 に投稿したものです。

共和[編集]

共和国 is not japanese made chinese words,chek the 1777 founded en:Lanfang Republic,there was already the chinese 共和国 --以上の署名のないコメントは、193.54.193.1会話/Whois)さんが 2007-08-06T12:43 に投稿したものです。

まず日本語で失礼。記事本文の日本語を正確に除去しているので書けなくとも読むことはできますよね。「共和国」についてですが、これ誤っていると思います。上のen:Lanfang Republicは漢字表記として「共和国」を用いたという意味ではないでしょう。典拠としている論文も「Low Lan Pak established a government, using his company name, changing kongsi(company) to republic」とだけあって、漢字表記として使用したとは書いていません。そもそも新漢語に関する専門研究でもないですしね。信頼性は、以下に挙げる研究と比較すると格段に落ちます。
「共和国」ということばは「共和」と「国」ということばから成り立っています。「共和」は『史記』周本紀にも登場することばですが、王が不在で貴族が合議制を布いた時代を意味し‘republic’の意味ではないことはご存じだと思います。通説では‘republic’に「共和」という漢字表記を与えたのは箕作省吾の『坤輿図識』だとされます。つまりこれは日本製の漢語です。「共和」を日本漢語とする説をとるものには以下のような新漢語に関する専門研究があります。
斎藤毅『明治のことば』(講談社、1977)、高名凱ほか『漢語外来詞詞典』(上海辞書出版社、1984)、馮天瑜『新語探源-中西日文化互動与近代漢字述語生成』(中華書局、2004)、Federico Masini'The Formation of Modern Chinese Lexicon and its Evolution toward a National Language'(Berkley 1993)
このように日本人研究者だけでなく、中国人研究者も和製漢語だと認めていますし、最後のマーシーニはイタリア人ですが、やはり同じく日本製だと指摘しています。以上は現在の研究成果ですが、近代中国に生きた人々も和製漢語であることを承知で使っていました。その端的な例が梁啓超の次のことばです。「全首皆良用日本訳西書之語句、如共和・代表・自由・平権・団体・帰納・無機諸語皆是也」(「夏威夷游記」『飲氷室専集』22、190頁)。
結論をいえば、当時の人も、現在の語彙研究者も「共和」を和製漢語と見なしています。よってリバートしますので、悪しからず。--Tears for Asia 2007年9月17日 (月) 16:40 (UTC)[返信]
私見ですが、「共和」「自由」など、日本で新しく英単語の訳語として使った漢文典籍にあった言葉については、日本が「作った」わけではありませんから「和漢語」ではなく「新漢語」「日本漢語」と呼ぶべきだと思います。たしかに上記の梁啓超の引用も「日本西書之語句」と書いてあります。日本ではありませんから。つまり厳密的に言えば、「日本で成立(定着)した翻訳語」と「日本で作られた言葉」は違う概念ですから。たとえば高島俊男氏の『漢字と日本人』という本でも「和製漢語」という言葉を使わなく、「新漢語」を使っています。なんとか区別したほうがよいではないかと。いかがでしょうか。--ButTaiwan 2009年1月1日 (木) 16:15 (UTC)[返信]
もう議論は終わっているのかもしれませんが、一言。「日本西書之語句」というのは、欧米の語彙を翻訳するときに訳語を作ったという意味に取るべきです。その意味で日本製です。
又、すでにリダイレクトされているようですが、個人的には「新漢語」とすると、『万国公法』伝来によってもたらされた中国製新漢語などが埋没するおそれがあるので、「新漢語」はそれだけで項を立てるか、「漢語新詞」といった項を立てるべきかなと感じます。ただそれをしろと言われても、私のような浅学の身では、ちと無理ですが。
最後に高島俊男氏の『漢字と日本人』などは語彙研究としては、ほとんど引用されない著作なので、学術論文や研究書に依拠した方がよいかと思います。無論、『水滸伝』研究などに関しては、彼の著作を参照すべきだとは思いますが。--獨頭 2009年3月1日 (日) 15:11 (UTC)[返信]
「日本西書之語句」すなわち「和製漢語」ではありません。当時、中国でも「中国訳西書之語句」が存在していたわけです。たとえば、economyの中国訳の資生と日本訳の経済が存在しており、両方とも中国で使われて、最後に中国語には経済が残りました。ほかにもlogicの中国訳の邏輯と日本訳の論理などの例があり、これは最後に中国語には邏輯が残りました。
「欧米の語彙を翻訳するときに訳語を作った」ではなく「欧米の語彙を翻訳するときに訳語として既存の言葉を当てた」ことです。「和製漢語」と「日本で成立した漢語の翻訳語」を明確に区別する必要があると思います。--But 2010年9月17日 (金) 08:52 (UTC)[返信]

統合提案[編集]

和製漢語新漢語の統合を提案します。内容が重複している上、和製漢語の主体は新漢語なので将来的にも分ける意義が小さいからです。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年4月17日 (木) 01:02 (UTC)[返信]

統合しました。新漢語を単にリダイレクトにしただけです。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年5月13日 (火) 12:57 (UTC)[返信]

Is 意識 really 和製漢語?[編集]

意識 first appeared in Chinese as 意識 (仏教), one of 六識 with the others 眼耳鼻舌身. Sorry I am just a beginner in Japanese. It might be better if I write this in English.--Tricia Takanawa 2009年2月25日 (水) 18:39 (UTC)[返信]

「意識」という語彙は、王充の『論衡』「実知」にも見える語彙ですが、これは「識見」というほどの意味で、哲学的・心理学的な意味や、状況を自ら把握するといった意味合いではありません。元々あった熟語に西周などが近代的な意味を付加したタイプの和製漢語です。たとえば『漢語大詞典』の「意識」の項でも元来の意味と近代的な意味を分けており、後者の典拠には近代以降の書物しか挙げられていません。語彙研究としては、余又そん(草+孫)「日訳学術名詞沿革」(『文化与教育旬刊』69・70、1935)や劉正埮・高名凱・麦永乾・史有為『漢語外来詞詞典』(上海辞書出版社、1984)にも取り上げられています。とりあえず和製漢語として扱ってもよいと思います。--獨頭 2009年3月1日 (日) 14:49 (UTC)[返信]

正確性[編集]

正確性タグを貼ったら「ノートを参照」と出たので書いておきます。上にも議論がありますが、熟語自体が「和製」なのか、同形語(文字列)が中国古典にあっても意味が新しいという「和製」なのかが曖昧です。また『万国広法』にある文字列と同じ文字列の熟語が日本で用いられたからといって、その由来が『万国広法』に唯一限定できるかどうかが不明です。タグを貼った理由は以上です。もう1点、中国側で「日本から輸入した」と認識しているからといって日本で製作されたとは限りません。記事にも書きましたが元ネタが漢訳洋書や英華辞典だったりするものがあるからです。日中でお互い「相手がそう言ってるからそうなんだろう」ということでいたずらに語彙集が拡大しているおそれについて陳力衛氏も指摘しています。その他怪しそうな部分について除去等行いました。--КОЛЯ 会話 2010年6月22日 (火) 20:20 (UTC)[返信]


再び表記の問題について[編集]

 記事本文では、次のような表記になっている。 [1]  1915年の時点において罵りを受けた言葉を、簡体字に表記するのは間違いといっていいのでは。

  1. ^ (本文から引用)当時、日本に留学していた留学生の彭文祖は強烈な反対派であった。彭は1915年『めくらがめくら馬に乗る 新語論』(中国語名:盲人瞎马新名词)という書籍のなかで、支那、取缔、取消、引渡、手续、目的、宗旨、 权利、义务、代价、法人、当事者、第三者、强制执行、亲属、继承、文凭、盲从、同化、场合、卫生など59個の 新語を「きてれつな」と定義した。中国人がこのような新語を援用することは「恥知らずな行為だ」、日本からの 新語の導入は「亡国滅族」だと罵った。

要加筆20110819[編集]

現在の版について問題点を列挙します。

  1. 日本語の語彙史における上代~近世にかけての和製漢語についての言及の不足
  2. 純粋な和製漢語と、和語における当て字や、和語の字音転換語の混同
  3. マテオ・リッチなどの来華宣教師による造語の存在の無視
  4. 英華辞書にみられる清朝末期における新漢語についての記載の欠如
  5. 開国以前の和製翻訳漢語と幕末~明治期にかけての新漢語の混在

このうち、3.4.5.についてはかなり抜本的な改稿が必要と思われます。新漢語や翻訳漢語は、一概に「和製」であるとは言えない側面があり、本項目では主に1.2.を強化し、将来的には新漢語あるいは翻訳漢語を新規立項して記載を隔離する必要があるかもしれません。--Damena 2011年8月18日 (木) 20:31 (UTC)[返信]