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ノート:名字

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2006年8月15日 (火) 16:27 (UTC)から始まる議論

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この名字の項目では明治以前までの名字を扱うことにしているようなので、「日本の主な名字」の小見出しについては、現代の苗字を扱うの項目に書くのが適切と思われますが、如何。Obto 2006年8月15日 (火) 16:27 (UTC)[返信]

日本の主な名字を「姓」のページに移動しました。

「苗字」なのか「名字」WIKI内では統一したほうがいいのではないでしょうか。私としては「苗字必称義務令」からも「苗字」と思いますが、いかがでしょうか。--緑はるか 2007年3月15日 (木) 14:10 (UTC)[返信]

故・丹羽基二氏は主に「名字」の方を使っていましたが、これは読みやすいようにした為で生前に「苗字の方が合っている」と色々な書物で述べている。--みょうじ 2007年5月3日 (木) 10:41 (UTC)[返信]

苗字への項目名変更はどちらでもいいと思っています。

それと「主な珍しい名字」の項目ですが、これは際限のないただのリストになってしまうのと、この名字の項目では明治以前までの名字を扱うことにしているようなので、削除するか現代の苗字を扱うの項目に書くのが適切と思われますが、如何。Obto 2007年5月19日 (土) 08:51 (UTC)[返信]

ではタイトルを「苗字」に変えてよろしいですか?。それと、主な珍しい名字を姓の項目に移動したほうが適切だと思います。--みょうじ 2007年5月20日 (日) 22:01 (UTC) 珍しい名字の項目を姓の項目へ移動しました。--みょうじ 2007年5月23日 (水) 03:02 (UTC)[返信]

履歴継承なき転記が行われたため削除依頼提出済。--やきとり 2007年5月24日 (木) 01:43 (UTC)[返信]


現在は「名字」が公的に使用される字ですが、この項目の内容であれば「苗字」でも良いと思います。

あと「主な珍しい名字」に関してですが、これからも相当数増えていくと思われるので、新しい項目として作成してはいかがでしょうか。余談ですが、その中に幽霊名字がいくつか混じっているようです。念の為書いておきました。--221.245.243.210 2007年5月29日 (火) 11:44 (UTC)[返信]

『主な珍しい名字』を書く必要性を全く感じません。上のかたの中にも削除を提案している人がいる模様なので、削除します。もし必要だというかたがいれば、それはのほうの項目に転記して(もちろん履歴継承あり)そこでのノートで話あって下さい。--Annogoo 2007年5月30日 (水) 13:31 (UTC)[返信]

「名字」と「苗字」について調べたところ、名字という概念が作られた中世においては「領地の名」という意味合いの「名字」が正式に使われ、江戸時代には「出自を表す名」という意味の「苗字」という字に変えられて正式なものとされたそうです。その後「苗字」は終戦まで使われ、戦後からは再び「名字」が正式となりました。「苗字帯刀」や「苗字必称義務令」はそれぞれ江戸、明治のものなので「苗字」が使われています。乱文ではありますが議論の参考になれば幸いです。--221.245.243.210 2007年6月1日 (金) 06:54 (UTC)[返信]

221.245.243.210 さん、ご苦労様です。非常に説得力のあるお答でであり、この項目名に大きな理由づけができそうです。ただ、できればあなたの意見の元となった書物等のタイトルを提示していただければ、よりあなたの意見に裏付けがとれそうです。あと、「主な珍しい名字」についてですが、日本の珍姓一覧という項にどうやら転載されたようですね。しかしこれについては現在、削除の提案がされており、また個人的にもこのような項目はあまりにも曖昧であるため、必要なのかなとおもってます。もし、「主な珍しい名字」を記載するならローカルルールなどを決めていかなければなりません。--Annogoo 2007年6月1日 (金) 12:19 (UTC)[返信]

221.245.243.210 さんが上に書かれたことは、日本史学の世界ではなかば常識的なことでありまして、例えば『国史大辞典』(吉川弘文館)の「苗字」項にも同様のことが説明されております。国史大辞典では、項目名に「苗字」を採用しつつ、平安中期に「名字」がおこり江戸期に至って「苗字」へ変じた経緯を記しており、「名字」「苗字」いずれについても記述しています。
ついでに書いておきますと、現在の本項目は「貴族の名字」を先に置き、「武士の名字」を後に置いていますが、これは歴史的経緯からしますと順序が逆ですね。この他にも多々修正すべき箇所がありますので、余裕があれば後で加筆編集などしておきます。--shimoxx 2007年6月1日 (金) 12:53 (UTC)[返信]

shimoxxさん、ご苦労様です。どうやら『名字』という表記が一番適当である、ということで決まりのようですね。改名提案のテンプレートはずしておきます。--Annogoo 2007年6月1日 (金) 13:37 (UTC)[返信]

う、いや、私の意図はそうではございませんで、「名字」「苗字」どっちでもいいじゃん派です。既に「名字」で項目が立ってますから、無理に改名せず、項目内で苗字のこともうまく記述すれば良いだろうと考えています。てえれば、『国史大辞典』(日本史分野では最も信頼されてる事典の一つです)は「苗字」を採用してますから、むしろ「苗字」の方が望ましいと言えるのかも知れませんが、ちょうど週末になったことでもあるし、参考程度としてちょっくら他の事典も調べてみましょーかねー。--shimoxx 2007年6月1日 (金) 15:15 (UTC)[返信]
そうなんですか、すいません。「苗字」か「名字」は難しい問題なんですね。調査結果待ってます。--Annogoo 2007年6月1日 (金) 18:57 (UTC)[返信]

失礼します、221.245.243.210です。私の至らぬ説明を補足・解説して下さったShimoxxさんに感謝です。「主な珍しい名字」に関しては研究者や事典も存在するので、百科事典のウィキペディアならば項目としてあっても良いのではないかという考えから作成しましたが、項目名など問題があるようで正直困惑しています。しかし難読・稀少な名字は存在しますし「難読地名」の項目もあるので、「珍しい」という曖昧なものではなく「難読・稀少」という明確なものであれば項目として存在していても良いと思うのですが、いかがでしょうか。少々乱暴な言い方で申し訳ありません。もちろんAnnogooさんが仰るようにローカルルールを決めた上での話です。削除や項目名変更などは皆さんにお任せします。--221.245.243.210 2007年6月2日 (土) 02:58 (UTC)[返信]

庶民の苗字

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「庶民の苗字の多くは、正確な由来を追跡することは困難である。」とありましたが、明治以降は「庶民の苗字」なるものは存在しませんので単に「名字」にしました。

また、「言われている」「思われる」「話もある」など出典や情報源に問題のある記述が多いようです。明治新姓を肯定/否定いずれにせよ、信頼できない記述です。 この辺りについて、情報をお持ちの方に修正していただきたい。--61.206.106.29 2009年6月15日 (月) 01:56 (UTC)[返信]

"丹羽の名字(苗字)研究(丹羽苗字学)を直接指導を受け、その苗字学を継承する研究者は、家系図作成を指導している名字(苗字)研究家の岸本良信であり、現在日本を代表する直系の苗字研究家なのである。"

寡聞にして存じ上げませんが、この記事に必要な記載でしょうか?——以上の署名の無いコメントは、Shinanonokamiノート履歴)さんが 2015年5月6日 (水) 15:23 (UTC) に投稿したものです(Aoioui会話)による付記)。[返信]

公家、武士の名字も庶民の名字も「父から子に代々継承する家名」であるが故に江戸時代に名字が家格を表すので庶民が公称できなかった史実があり、庶民の名字の性質が公家、武士と違うからではない旨わかるよう、井戸田博史の論文を追記。違いは庶民の妻が公家や武士と違い出自の家格が重要でなかった点。--ほろほろ鳥会話2023年3月16日 (木) 06:40 (UTC)[返信]

2024年6月13日 (木) 00:14時点における版を元に戻した理由。
出典の「苗字の名前と歴史」坂田聡著のP.148は"夫婦同姓が基本であった"という記述はありません。
また明治9年の夫婦別姓の記述も該当箇所は著者の考察でしかなく、その根拠として坂田は井戸田博史の図書を参考としてるが、
しかし、井戸田は「近世は夫婦別姓」と論述しているので 坂田の説は本文と矛盾するので坂田の該当図書の考察を記載する事は相応しくありません。
また、明治9年の夫婦別姓と明治31年の民法の夫婦同姓が法制化された経緯は明治以降の節で説明しているので二重になるので全体を元の版に戻しました。--ほろほろ鳥会話2024年6月19日 (水) 15:30 (UTC)[返信]

特定人物を除去して別の特定人物だけを賛美する傾向について

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編集の一例、[1] [2] 複数のアカウントが入れ替わり立ち代り、このような編集を繰り返しています。--ボス弁顧客で自適生活会話2015年6月7日 (日) 22:56 (UTC)[返信]

丹羽氏の記述ですが、特定人物の業績を強調する必要はありません。名字を説明することと関係していません。--ボス弁顧客で自適生活会話2015年6月20日 (土) 06:52 (UTC)[返信]

ボス弁顧客で自適生活の削除項目には複数の苗字研究家の削除と特定個人1人のHPへの追加リンクがみられ、公共性に欠ける悪意あるものと判断でき、記録を確認することで証明されています。——以上の署名の無いコメントは、天店ノート履歴)さんが 2015年6月23日 (火) 01:37 (UTC) に投稿したものです(Aoioui会話)による付記)。[返信]

森岡氏と高信氏、岸本氏の活動比較

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上の方で、「特定個人1人のHP」などと書かれていますが、該当している方の森岡氏は単著53冊、全国ネットへのテレビ出演も多数なされており、名字に関連して代表する人物であることは疑いよう もありません。それに対して、何度も加筆を企てられている岸本氏を見ると、単著1冊、活動範囲は北海道のみ、学歴・学位は非公開で、高等教育機関での活動実績もありません(文化センターの先生というの市民向けの生涯教育であり高等教育機関での活動ではありません)。--ボス弁顧客で自適生活会話2015年6月23日 (火) 06:31 (UTC)[返信]

苗字研究の第一人者出もある丹羽基二氏の弟子である、高信幸男氏などもテレビ出演、講演などは実績多数であり、森岡氏のみを表記するのは、むしろ、バランスに大きく欠如している。丹羽基二氏の弟子であり、正統な日本の苗字研究家を記載することは、苗字研究において大切なこと。——以上の署名の無いコメントは、ヤギャマットノート履歴)さんが 2015年6月23日 (火) 08:04 (UTC) に投稿したものです(Aoioui会話)による付記)。[返信]

↑署名付けてください。私は高信幸男氏の名前由来ネットについては削除しておりません(★追記、系図では名前由来ネットを削除しましたが、関連性が無いためであり名前由来ネットだけを削除したのではありません)。 あなたの編集内容[3]を見ても、ここで主張していることとの整合性がとれておりません。いずれにしても岸本氏のページを削除するものには反論がないものとして、今から手続きを致します。--ボス弁顧客で自適生活会話2015年6月23日 (火) 08:15 (UTC)[返信]

定義付けの再確認「この項目では、近代以前の日本における名字について説明しています」

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このページ、名字の冒頭には、「この項目では、近代以前の日本における名字について説明しています」と示されています。ページ全体としてもそのように構成されているため、ましてや

  • 「家系図作成を指導している名字(苗字)研究家の岸本・・」

などという記述は完全に不要なのです。--ボス弁顧客で自適生活会話2015年6月24日 (水) 13:11 (UTC)[返信]

夫婦同姓の記述の加筆について

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Ropewield氏の加筆の出典 『婚姻法成立史序説』p126-127.熊谷開作.酒井書店 の該当頁にも該当書籍にも加筆分の同様な記述や相当する内容はありません。よって削除し、加筆以前の版の記述に戻しました。--ほろほろ鳥会話2020年10月19日 (月) 07:20 (UTC)[返信]

見出しを女性の名字から、女性名と夫の家の名字に変更

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史料にある女性名は実名ではなく、当時の名称なので女性名とした。

読者に女性にも独自の名字があったように誤解を避ける為。--ほろほろ鳥会話2022年9月11日 (日) 08:34 (UTC)[返信]

夫婦同名字の事例の一部削除

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中世に夫婦同名字の事例があるので近世では夫婦別名字の事例を出してバランスを取り近世は夫婦別名字と同名字が混在しているとの記述により、野村望東尼[18]、梁川紅蘭[19]、勾田香夢、只野真葛の個々の夫婦同名字の事例名は削除。--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 08:57 (UTC)[返信]

中世に対して、近世には名字の父子継承原理もあった事と女性の名字の記録自体が稀な事を加筆しました。--ほろほろ鳥会話2022年9月17日 (土) 15:25 (UTC)[返信]

柴桂子の批判は大藤氏の夫婦別名字事例の説明では無く、夫婦別姓慣習への疑問で個別の事例は名字と関係ないので省略して記載位置を移動。--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 08:57 (UTC)[返信]

近世の女性名の一般的な具体例をあげて家長と関係性で記録されていた史実から、現代的な人名概念はまだなかった主旨を加筆。--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 10:33 (UTC)[返信]

明治以降の名字について

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名字の許可から義務化に至る理由を追加--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 10:40 (UTC)[返信]

明治4年の姓戸不称令について引用元の史料は明治23年の話で姓戸不称令の説明とは全く違う内容の記述だったのでこの部分は削除--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

明治8年の石川県伺いは「嫁が家督などを継ぐなど、夫家の氏とせねばならぬ場合はどう示すか」という記述はないので修正--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

明治9年の夫婦別姓の太政官令の理由を史実(法制局議案の夫家の名字を称すること不可とする三つの理由)に沿ったものに修正--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

旧武士など夫婦別姓の慣習は当時も存在していたので夫婦同姓だけの観点からの記述は削除や表現を修正をしました--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

日本の実態と法学者の見解の話なので外国法の説明は省略--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

個別の事例で故人で生前の記録ではないので削除--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

個別の事例で明治9年以降の記録例ではないので削除--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

明治23年の民法は普通婚姻(嫁入り婚)に対して特別婚姻(婿入り婚)と慣習を分けた認識をしたのが理由--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

名字の女系継承とあった婿養子は妻の父と養子縁組しているので女系継承ではないので、その部分の関する説明や具体例は削除--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

明治以降との見出しなので戦後の民法750条の説明も追記--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

非専門家の別の人との議論の一端の引用ではないかと思われる部分は、そのままでは百科事典の性格として馴染まないので削除しました--ほろほろ鳥会話2022年9月18日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

辞書として基本的記述が必要

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明治以降の妻の氏については、 明治9年に明治政府が夫婦別姓として後、 明治31年の民法で夫婦同姓となった基本的な歴史が読者に対して必要です。 その上で必要な説明を付加しています。 諸説ある場合は両論併記にも全体のバランスと理解しやすさが必要かと思います。--ほろほろ鳥会話) 2022年12月25日 (日) 00:15 (UTC) ただし、名字の説明から離れ夫婦別姓か同姓かの議論になる場合は、いっそのこと女性の名字に関しては一喝削除して 版を2020年の8月以前に戻す案も考えられるかと思います--ほろほろ鳥会話2022年12月25日 (日) 01:37 (UTC)[返信]

2022年12月24日 (土) 22:45時点における版 修正内容補足説明

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明治時代以前既婚女性は「家長との続柄」で表示するのが通例であり、稲毛の女房もそれに該当し、これに立場の違いはないので記述を元の版に戻した。--ほろほろ鳥会話2022年12月25日 (日) 22:44 (UTC)[返信]

柴桂子の個々の事例は名字についての記述ではなく妻の婚姻家への意識でしかないため割愛。 夫婦別姓慣習への疑問や婚家への帰属意識から夫の名字を称する女性も現れていたの記述に集約し、元の版に戻した。--ほろほろ鳥会話2022年12月25日 (日) 22:44 (UTC)[返信]

久武綾子は著書「氏と戸籍の女性史」P.99で「妻の改姓を考えたのは大陸法制を継受したとはいえどこの国か特定しにくいようだ。しかし父姓を名乗る父権制を脱していないが、夫婦一体的なキリスト教的法理受容といえよう。」と記述しているので真相は不明との記述は削除。元の版に戻した。--ほろほろ鳥会話2022年12月25日 (日) 22:44 (UTC)[返信]

当時の慣習は夫婦別姓も無視できないので、嫁入りと婿入り婚とがあった観点の旨、元の版に戻した。--ほろほろ鳥会話2022年12月25日 (日) 22:44 (UTC)[返信]

夫婦別姓の墓碑銘は洞氏のみの場合ではないので、記述を元に版に戻した。--ほろほろ鳥会話2022年12月25日 (日) 22:44 (UTC)[返信]

中立性の問題について

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Wikipedia:中立的な観点では

  • 意見を事実として記さない
  • 深刻な論争がある主張を事実として記さない
  • 判断を下さない言葉遣いを好んで選択する
  • 対立する観点との相対的な勢力差を示す

というルールが明文化されていますが、現在の版ではかなり問題があるように思われます。例えば

1、本姓との区別

本項は「名字」のページである以上、本姓源平藤橘)と名字(北条足利徳川)は区別されなければならないというのがこのページのキモであるはずです(苗字との異同の記述は準備中)。

ところが、明治4年には本姓は姓として廃止されているので法律用語としても歴史用語としても不正確・非中立との批判があるにもかかわらず(井戸田、坂田)、本文中「明治31年(1898年)に(中略)夫婦同になった」と書かれ、以降も廃止されたはずの「姓」が何度も出てきます(消しても戻され、苗字と本姓の区別を指摘する立法資料も削除されている)。

2、近世の妻の苗字

  • (1)確かに墓碑名では夫婦異苗字で書かれることもあるが、
  • (2)日常生活上は同苗字を名乗っている、との幕末生まれの元武士の証言(横田国臣

に対して、

  • (1)'墓碑名では夫婦異苗字で書かれているから近世は夫婦異苗字だった

と言ってみても何ら説得力がなく、それならせめて松尾多勢子の例によるべきだと別の学者に名指しで批判されているし(大藤1998,181-185p)、 その多勢子の例も柴桂子により批判されているのは本文のとおりです。

にもかかわらず「江戸時代以前については「法律家の誤判」だという後世の歴史家の指摘もある(洞富雄)」と断定するのは、「意見を事実として記さない」「深刻な論争がある主張を事実として記さない」に反します。よしんば抜書きしたとしても、「その資料は論点や問題関心における対立、強硬な見解、そのほか報告内容を特徴付ける偏見を含んでい」ない保証はありませんWikipedia:信頼できる情報源より引用)。文章全体のバランスはもちろん必要ですが、それを名目にした中立性破壊はすべきではありません。

3、近世夫婦同苗字の事例

何度書いても消されていますが、前近代はあたかも夫婦異苗字だったのが「事実」で、反対事実は一部学者の「主張」に過ぎないかのように書くのは中立的ではありません。

明治5年以前は一人複名主義であり、同苗字と異苗字は矛盾しません。現代日本でいう「本名」(=戸籍名)は存在せず、通称も人名です(むしろ通称とセットで使うのが前近代名字の原則かつ本質。これも準備中)。現代の人名の常識に過去を無理やり当てはめて論じることは強く批判されています(大藤、坂田、尾脇、高橋)。妻とか女房もその「通称」に当たる(梅、高橋、坂田)か否(大藤、熊谷、井戸田)かが争われている以上、「婚姻により名字が変わる・変わらない」という観点がなかった」という本文中の記述も、「主張」であって「事実」とはいえません。

4、条約改正のためのキリスト教的夫婦一体論?

夫婦別氏を採るフランス・オランダのように、夫婦の氏はキリスト教圏でも多様だったことは久武綾子も指摘し、家族法については外国法を丸写しする必要が無いことは明治初期から認識されていたというのが法制史学上の現在の通説です(江藤新平民法典論争など参照)。夫婦同氏(同苗字)が当時の実務や庶民感覚にも適合していたことは結論的に学者も一致しています(井戸田、熊谷、坂田、久武、近藤、井上操、梅、富井、横田)。

5、日本の特殊性

西洋法と異なり前近代および明治日本において、妻ではなく夫が改氏(苗字)する場合や、苗字の女系継承のあることを何度書いても、婿養子は結婚改姓(苗字)ではないとの理由により消されていますが、その理屈は梅謙次郎により否定されており、次男以下が女戸主に婿入りする場合のように、「必ずしも婿養子ではない入夫もある」ことも指摘されています。

草案段階での変質により、婚姻によって氏を替わるのではなく、家が替わることによって氏が替わる(婚姻はその一原因に過ぎない)という日本的特殊性は熊谷、久武らが指摘しています。

6、明らかな俗説誤説の扱い

日本の夫婦同「姓」はドイツ民法由来だという非専門家の主張が人口に膾炙し、他の項目にも争いの無い事実であるかのように書かれているのを目にすることがありますが、1888年のドイツ民法草案をどうやって1877年に参照するんでしょうね?そういう「ホロコーストはなかったと主張」する如きものを両論併記の美名の下あたかも有力な説であるかのように「「平等な妥当性」を与えると偽の均衡を作り出しかねない」ので、それが俗説の類に過ぎないと判断可能な情報は簡単にでも必要だと思います。

なお個人的には、夫婦同「姓」が確固たる日本の伝統だったなどという明治政府すら採らない見解を主張する立場ではないので念のため。妙なレッテル貼りはご勘弁。--Cincleat2781会話2023年3月3日 (金) 22:22 (UTC)[返信]

夫婦同姓と夫婦別姓に関しては現代の選択的夫婦別姓論争での意見と混同されるので、歴史上の女性の名称としての扱いが前提で、既婚女性を同姓か別姓かという論争については読者に現代の夫婦同姓や夫婦別姓が歴史的に昔から存在したと勘違いされないことが必要です。
また著者や資料から引用するためには名字のことを「氏」や「姓」を使用しているものもあるので、夫婦同名字や夫婦別名字だけに統一できない箇所もあります。
ノートでの夫婦同姓と夫婦別姓に関しては章を分けて説明しました。--ほろほろ鳥会話2023年3月5日 (日) 05:06 (UTC)[返信]
1.
氏(ウジ、本姓)との区別は現代の歴史家の解説がwikiの氏や姓の項を参照することで可能です。
明治の資料は明治民法に必要な為の資料であり現代語ではなく難読で読者の理解には適切ではないので省略しました。--ほろほろ鳥会話2023年3月6日 (月) 03:44 (UTC)[返信]
2.
明治の法学者達の証言は明治民法に必要な為の意見の集約であり、現代から見た歴史研究による説明ではありませんので明治の法学者達の証言そのままの利用は適切ではありません。
当時の妻が夫の氏を称したのを現代の夫婦同姓と同じと読者に誤解させてしまうので、現代の歴史研究家による当時の証言の解説が必要です。
墓碑銘は当時の記録として現在に至る歴史的遺物です。
横田国臣の証言は明治の民法編纂が目的の為の意見です。
後世の学者の史学的研究と明治民法編纂が目的の明治の民法学者の意見を同列に扱うのは間違いで後世の歴史家の洞、熊谷が明治の法学者達の意見である事を指摘しています。
中立性の対象はそれを"現代の歴史研究家の間で"解説のしたものについての意見の相違についてでしょう。
熊谷開作「婚姻成立史序説」p243ヨリ
法典調査会で横田国臣は「妻の氏」についてつぎのように発言している
....母ハ何々氏ト云フコトヲ書クノハ其出所ロト何処カラ来タト云フコトヲ明カニスル為メサウスルテアラウト思ヒマス....
もっとも、横田はつづいて「日本テハ実際其夫ノ氏ヲ名乗ツテ居リマス」といって、日本では妻が実家の氏を称するのは妥当でないと論ずるのだけれども、妻が実家の氏を称するのはその出所を明らかにするためだと指摘した点は貴重である。
(以上引用部)
妻の出自を重視していた歴史的事実があるのは横田国臣も認めています。妥当ではないと論じたのは当時の横田の意見です。--ほろほろ鳥会話2023年3月6日 (月) 03:53 (UTC)[返信]
3.
梅謙次郎、坂田聡、高橋英樹は「何某妻誰」というような妻が夫の名称続柄を称する事を言ってたり、それを夫婦同姓(同名字)と言ってたりしてます。またこれを妻の通称というのなら、通称は名字とは違います。
尾脇の著書からの例示と解説によって現代の人名の常識とは違う事は読者に伝わります。
現代のような夫婦同姓に見える稀な個別事例の列挙こそ読者に現代の常識との混同と誤解を与えます。--ほろほろ鳥会話2023年3月6日 (月) 03:56 (UTC)[返信]
4.
外国法を丸写しする必要が無いから日本の慣習であったとは言えません。それなら出自を重んじる夫婦別姓の慣習を軽視する必要がないからです。
夫婦別姓を採用しなかったのは当時の法学者達の考えと判断によるものです。--ほろほろ鳥会話2023年3月6日 (月) 03:58 (UTC)[返信]
5.
女戸主は男性とは違う女戸主についての歴史説明が必要なのに、それを除いて現代の妻の改姓と同じ夫婦同姓の例証の様に誤解を与えるのは間違いです。
婿養子や入り婿は妻の家を夫が継ぐので改姓しています。
妻が夫の家の名字を称するのとは違いがあります。--ほろほろ鳥会話2023年3月6日 (月) 04:02 (UTC)[返信]
6.
wikiは百科事典であり現代の選択的夫婦別姓論議の一方の言い分に反論する為の記録帳ではありません。
大学の研究論文でもないのに読者にとって難解で長文になり忌避されるのでは本末転倒です。
論争中の難解な情報の羅列よりも明治民法によって現在に至る夫婦同姓になった基礎的で簡潔な歴史観が読者に先に最も必要でしょう。--ほろほろ鳥会話2023年3月6日 (月) 04:05 (UTC)[返信]

執拗に現代につきそれに値する出典を示すのでもなく夫婦同「姓」という誤解を招く不正確(と批判されている)な概念を使われているようですが、「姓」は明治3・4年に公称廃止されており、江戸時代以前が夫婦別苗字(名字)だったという立場をとる井戸田博史、熊谷開作ですら一貫して現代については夫婦同「氏」という概念を使っています。区別が困難なのは名字と苗字であって本姓(源平藤橘)と名字(北条足利徳川)ではないはずですが、本項は名字なので区別が困難だというなら夫婦同氏でなく夫婦別名字といえばよいだけです。読者云々の主張をされていますが、Wikipedia:中立的な観点は「「検証可能性」および「独自研究は載せない」とともにウィキペディアの三大方針としても位置づけられています」(Wikipedia:中立的な観点より引用)。これに同意できないなら個人ブログなりツイッターなりに専念しなければならないでしょうし、同一文章内で前後矛盾した記述が本当にわかりやすいでしょうか?政治的な目的で粗雑でアンフェアな議論をする人がたえませんが、かえって信用を損ない、逆効果だろうと思いますし、wikipediaがそういうものに加担するようであってはいけません(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。色々意見を述べておられますが、いずれも学術的裏づけの無い主観的な個人的意見に過ぎません。どうして学問的に学説が分かれるのか、理解できず自説の無謬性を主張するのだとしたら、wikipediaに参加する資格が無いということです。とにかく、夫婦同「姓」という不正確かつ日本語の文章としても前後矛盾した用語を用いることには一貫して強く反対させていただきます。--Cincleat2781会話2024年1月19日 (金) 22:12 (UTC)[返信]

明治4年の姓戸不称令は公文書の人名に氏(ウジ、源平藤橘など)と姓(カバネ、朝臣など)を表記せず名字を使用する事にしたのであって、以後「氏」と「姓」の文字を使用しない事ではありません。
本文中に明治10・11年の民法の草案では「妻は其夫の姓を用ふ可し」と規定と「姓」の文字を使用しています。
wikiの他の項目でも夫婦同姓や夫婦別姓の文言は使用されています。--ほろほろ鳥会話2024年2月5日 (月) 05:41 (UTC)[返信]

夫婦同姓と夫婦別姓という記述について

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まず、現代人が言う「夫婦同姓」とは妻または夫が結婚して改姓する(本名が変わる)事を言います。 しかし歴史家で夫婦同姓を主張する人は妻が結婚時点で改姓した史実を誰も述べていません。 妻が夫の氏を使用しただけでは妻の改姓の事実の証明にはなっていないという視点が欠けています。


史実は明治以前、女性は『家長との続柄』で表記するのが通例であり


「稲毛の女房」もそれに該当し高橋英樹はこれを夫婦同姓のように言うが、 "妻が結婚したら改姓した史実"を著書で全く述べていないので、これを夫婦同姓とするのが読者に誤解を与えかねない間違いで、これこそ著者の意見です。(本文では高橋英樹の主張として記述)

高橋英樹の著書全体を見れば著者の意見は北条政子の夫婦別姓の例に対する言い分と理解できるが、 読者は該当著書を読んではいないので、そのようには引用部だけでは理解できない。 柴桂子、梅謙次朗も同様で夫婦別姓に対する疑問であり、

史実として夫婦同姓しか認めないのではない。

その点を読者に誤解を与えないように夫婦同姓の記述に対しては夫婦別姓に対する疑問や異論でしかない点として注意する必要があります。--ほろほろ鳥会話2023年3月5日 (日) 03:55 (UTC)[返信]


また名字は歴史的に家名であり 家名(かめい)は、父から子に父系に代々継承される永続性を持った個々の家に付けられた名称。 とwikiで説明しており、妻が夫から結婚時点で継承するのではありません。明治民法より前に夫婦同姓(同名字)をいうのは歴史的な名字の意味を読者に誤解させます--ほろほろ鳥会話2023年3月7日 (火) 05:58 (UTC)[返信]


1.夫婦別名字、夫婦同名字が正確ですが用語として夫婦別姓、夫婦同姓が一般に通用しています。この場合の「姓」は名字を指します。名字を現代は姓(セイ)と呼ぶのは読者にも理解されています。--ほろほろ鳥会話2023年3月5日 (日) 04:12 (UTC)[返信]


2.読者には歴史的な慣習原則に対して異論や例外があるとの理解が必要で、結婚時点での妻の改姓の史実が無いので夫婦同姓(同名字)を明治民法以前に使用するのは読者に間違った認識を与えます。

昔は現代と違い「人名表記には多様性があった」という理解が絶対に必要です。

古文書の人名の個々の事例を解説するのが本来ですが専門的な歴史の知識が必要になるので、 尾脇秀和の著書「氏名の誕生」からの「百姓儀右衛門女房 しげ」の例示やその旨まとめて説明した部分の引用が適切です。--ほろほろ鳥会話2023年3月5日 (日) 04:12 (UTC)[返信]


3.既婚女性を「妻」や「女房」と自身の名前が変わったと理解するのは無理があります。

誰それの妻や女房と昔は呼ばれたのであり、これを夫婦同姓(同名字)のように言うと妻や女房が現代でいう、その人の固有名称と読者に誤解を与えます。

仰せの通り多様性があったのであり、夫婦同姓だけとの誤解を与える記述は避けるべきです。誰それの妻や女房の記述を夫婦同姓(同名字)という解釈をしている研究者もいるというのが事実です。--ほろほろ鳥会話2023年3月5日 (日) 04:12 (UTC)[返信]


4.キリスト教が夫婦同姓であったのではなくてキリスト教的な夫婦一体感です。これは明治10・11年当時の民法の第一草案の話です。後の民法典論争のものではありません。

江戸時代からの庶民感覚に適合する事と、明治の法律の目的は違います。--ほろほろ鳥会話2023年3月5日 (日) 04:12 (UTC)[返信]


5.婿養子、入り夫は妻の家を継ぐための夫の改姓であり、入り嫁は夫の家を継ぐのではないので概念が違います。

家を継ぐので自身が改姓するのと、住む家が変わりその家の氏を便宜的に称するのとでは全く違います。 明治9年の太政官令で夫婦別姓の原則の中で、"夫の家を継いだ妻のみ"は夫の氏を称する例外規定がそれを表しています。

梅謙次朗らは明治の法学者であり現代の歴史研究家ではありません。その言説は当時の当人のおかれた弁明の必要性によるものです。--ほろほろ鳥会話2023年3月5日 (日) 04:12 (UTC)[返信]


6.本文にはドイツ民法という記述はありません。 日本の夫婦同「姓」はドイツ民法由来だという主張がある事が一般の人に広く知られてるわけではないので、読者はそれだけではいったい何のことかわかりません。

一般の読者のレベルの関心と理解に合わせるのが辞典の主旨であり 自身の知識のレベルを網羅し記録するのが目的ではないので、 巷の選択的夫婦別姓論議で一部論争になるような項目の一方の反論だけを掲載するのは相応しくありません。

もし記載するのではあれば中立的にドイツ民法由来だという主張側の意見と両論併記が必要ですが、それは名字の説明から外れる現代の夫婦別姓論議になるのでこの項での記載は相応しくありません。--ほろほろ鳥会話2023年3月5日 (日) 04:12 (UTC)[返信]