ノート:口語訳聖書

ナビゲーションに移動 検索に移動

2005年7月および2006年1月の投稿[編集]

「文章としてはいずれをとってもきわめて冗長かつ文学的香気にうすく、「戦後すべての翻訳は戦前よりよくなった。ただし聖書以外は」という評すらある。」

文学作品でも、元の文体を変えてしまう事は基本的にないはずである。ましてや聖書は内容を変えてはならず(私の意見ではなく聖書に書いてあるため)仮に翻訳自体に問題があり事実であるとしても、聖書の翻訳作業は一般のものとは違うと思われ。また他の聖書翻訳者が口語訳を評してこのように語っているとは思えないため、ここに移動しました。--以上の署名の無いコメントは、220.108.101.133会話投稿記録)さんが 2005年7月2日 (土) 05:20 (UTC) に投稿したものです(Lmk2019会話)による付記)。

  • 聖書に「神の権威」を求める人にとっては、確かに口語訳には不満があるかもしれませんね。これは文語と口語のそれぞれの時代背景から考えれば納得がいくと思います。春野秋葉 2006年1月30日 (月) 10:05 (UTC)

1955改訳??[編集]

現在の記述の傍証をお持ちの方はいらっしゃいますか? 私は「新約聖書」が1954年に出て、1955年に「旧約聖書」とその合本である「聖書」(新・旧約のほうを分冊と呼ぶべきだという意見は措いといて)とが出たことを詳しくない方が勘違いされたのだろうと思って(この記述、最初から有るんです)直したんですが、戻された方がいらっしゃいます。私は(さすがに当時生まれてませんが)そのようなことがあったことを存じ上げませんし、口語訳新約聖書に1954年1年間だけの版があるならそれにプレミアがついててもおかしくないように思うのですが、そういう話も聞いたことが有りません。当時のJBSにそのような余裕や底力が有ったとも考えにくいですし(外資?)、ものすごく詳しい方による貴重な証言なら、その方が旧新約時間差刊行や後の不快語読み替え措置について触れていないのも不可解です。JBSが1955年に口語訳新約に対して誤植修正以上の何かをした、と言う資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら提示願います。LR 2006年2月13日 (月) 10:28 (UTC)

宣伝?[編集]

2010年1月23日 (土) 20:56 に追加された、DT Worksヘの外部リンク はどう見ても宣伝だよね。しかも当事者のリンクっぽい。オリジナリティがあるわけでもなし、聖書協会が提供している機能以上のものを提供しているわけでもなし。削除するべきでは? --Jovanni 2010年2月15日 (月) 03:53 (UTC)

確かに利用者:Theologiaさんの履歴からみると、怪しいですね。ことにこの初期の編集なんか露骨な宣伝ぽいですし。まー、Theologiaさんの会話ページに、
  • あなたはDT worksの西原智彦さんご本人もしくはその関係者でしょうか?もしそうであれば、Theologiaさんの一連の編集は「自分のことは書かない」というWikipediaの原則から外れます
  • Theologiaさんが関係者で無いとしても、DT worksはWeb作成業や書籍販売も兼ねた商用サイトと見なされるので、一連の編集によるリンクの書き込みは、商業目的の編集と見なされ問題だと思われます
  • DT worksの著作者らしい西原さんには、検索したところこの方面の著作が無いように思われます。この場合、DT Worksで書かれてあることは、出典として認められないのでTheologiaさんが昔、アブラハムでやったようなDT worksを出典とするような書き方は認められていません。
  • ただし、信頼性があって検証可能で中立的な出典を元にした記述は常に歓迎されます。Wikipediaの各種ガイドラインを熟読の上、編集に参加されることをお願いします。
みたいな話を書いておくのがよろしいのではないでしょうか。--おーた 2010年2月15日 (月) 15:45 (UTC)

「読み替え一覧」節および「ISBN」節について[編集]

読み替え一覧」節および「ISBN」節は内容過剰と思われます。すべて除去してもよいのではないでしょうか。本記事の該当節だけでなく「新共同訳聖書#ISBN」および「新改訳聖書#ISBN」についても同時にご検討ください。--Lmk2019会話) 2019年12月4日 (水) 07:08 (UTC). --Lmk2019会話) 2019年12月4日 (水) 08:53 (UTC)

内容過剰の資料を拝見しましたが、読み替えやISBNは無差別に収集した情報というより、筋道を立ててまとめられた有益な情報でしょう。それらの聖書をひもとく者にとっては特にそうです。なお、資料には4つの例が挙げられていましたが、フィクション作品におけるあらすじのみの解説はそもそも当てはまらないでしょう。聖書とフィクション作品とを同列に扱うわけにはゆきませんが、あらすじのみの解説はおろか、あらすじに触れてさえいません。歌詞のデータベースで問題となるような著作権侵害もないでしょう。読み替えに関しても、著作権者の設けたおよそ250節という範囲を大幅に下回っており、著作権法でも認められています。ウィキソースにはすでにパブリックドメインとなった聖書が収録されていますが、本件について移転先とするには、むしろ適さないでしょう。統計の過剰な記載についても、統計でもなければ過剰でもありませんが、明確な方向性と説明文はあります。変更履歴やリリースノートの小規模なバージョンアップを逐一記載したようなものとも、趣が異なるでしょう。--西瓜提灯会話) 2019年12月7日 (土) 21:37 (UTC)
西瓜提灯さんは「内容過剰」に上げられている例にこだわられてしまったようですが、例示されたものは「網羅的ではありません」(WP:NOTEVERYTHING)ので、「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」あるいは「ウィキペディアは百科事典です」(「Wikipedia:五本の柱」)の趣旨をよくお考えになっていただきたいです。ウィキペディアは「Wikipedia:五本の柱」で言うように「単なる情報やデータを無差別に収集する場所」ではないのです。そこで西瓜提灯さんと私の見解の違いを考えますと、「読み替え一覧」節および「ISBN」節などの情報は、「無差別に収集した情報」なのかそれとも「筋道を立ててまとめられた有益な情報」かという点になります。私もこれらの情報は無益とは思いません。しかし「有用であるとしても、それだけではウィキペディアという百科事典に掲載すべきだという根拠にはなりません。」(WP:NOTEVERYTHING)。また、「無差別」かという点については、一つのテーマに沿って集められているのである意味「無差別」ではないとも言えるとは思います。しかしながらこのウィキペディアというプロジェクトの根本・基本に戻って考えますと、これらはやはりおよそ百科事典にふさわしくない情報の収集と言えるのではないでしょうか。いくらウィキペディアが「量においても史上最高の百科事典を目指」す(WP:WELCOME)としても、このようなやり方で情報を百科事典に掲載するのは大いに疑問です。--Lmk2019会話) 2019年12月8日 (日) 21:30 (UTC)
たしかに例をひとつひとつ慎重に吟味するあまり、こだわってしまい、圧倒的にそっちのほうが長くなってしまいました。それらの例や無差別に収集うんぬんが当てはまらなければ、内容過剰の疑いはお許しいただければと思うのですが、そもそも本件自体よくよく考えると、そこまで疑問にお思いになるほどのこともないのではありませんか? --西瓜提灯会話) 2019年12月8日 (日) 22:48 (UTC)
広く皆様のご意見を求めるために「コメント依頼」をしました[1][2]Lmk2019会話) 2019年12月8日 (日) 21:43 (UTC). Lmk2019会話) 2019年12月8日 (日) 22:02 (UTC)
あの…あらかじめ謝罪しておきます。カチンとくる言い方だとは思いますが…素朴な第一印象を申し述べます。本質的には「無差別」かという点ではなく「差別」かという点で削除したいのかなぁと。そこをずらして問題提起なさるのはお人柄の穏やかさなのかもしれませんが、天然パーな私のような者は、直球で問題意識を打ち出していただいた方が言葉遊びのような迂回をせずに済むような気がしました。これが素朴な第一印象です。次に有用なものか無駄な列挙かという「表題」的な感触(これも理屈ではなく感触にすぎません)では「聖書研究をする人(学者ではなく、駅前にパンフレット持って立っている人たちも含む)にはきっと便利なんでしょうね。」でした。次にようやく理屈の方に脳みそが近づいて連想を開始するわけですが、某レコード会社所属のアーティストが出すCDは初回限定版と通常版とDVD付属版とライブ会場物販限定版があって、収録曲が1曲ずつ違い、品番も異なる、というのを弁別できるように曲目もいちいち挙げたリストで品番も列挙して掲載するのも「無差別」になってしまうのかなぁと、不安になりました。このようなぼんやりとした印象からは、このままでいいのではないでしょうか?です。/もちろん、我々が編集する時に確認したりする「差分」の一覧画面と同じように、旧民法と新民法を左右対称比較して差分部分を挙げたものが民法のwikipediaの本文にあったら、やはりそれはやめてくれよ、とも思うような気もします。ですから「表題」的に仰るところの違和感のようなものは、もちろん私も理解致しております。/ちなみに、ウィキペディアは「何ではないか」は言いますが、何であるかは宣言していません。百科事典と言いましても、大項目主義と中項目主義と小項目主義とがありまして、編集方針は全然別物です。一口に言えばウィキペディアは自己定義から逃げている、ということです。そんな場所に何となく三々五々に集った単なる物好きな一般人である自称編集者たち(我々)には、軽々しく「およそ百科事典にふさわしくない」などと言う権利は「(たぶん)ありません」。出版社で編集や校閲を仕事としたり、そういった出版社の編集者と自著の出版で校正作業をやったことすらない人がほとんどなのですから、そこは軽々しく言ってはいけないと思います。所詮は素人の編集ごっこだ、と自分に言い聞かせるくらいがちょうど良いのではないでしょうか。ガイドラインで寛容性を口うるさく言っているのはそういう諦念のようなものがどこかしら、(アメリカでの)発足当初から漂っていた、ということなのではないでしょうか。記事に対する寛容性という観点からはまぁセーフじゃないかなぁとも思いますが如何でしょうか。--タピオカヤスジ会話) 2019年12月13日 (金) 16:01 (UTC)

コメント コメント依頼より参りました。聖書に関しては門外漢ですが、第三者としてコメント致します。

ISBNについては、なんとも言えません(そこだけを抽出すると量が量なので過剰には見えます)が、「読み替え一覧」は「読み替え」節で説明されている部分で充分に感じます。一覧表は脚注にもあるリンクなどにお任せで良いのでは。
ただ「読み替え」節そのものが、出典不足で独自研究部分の目立つ節ですので、そこも合わせて編集が必要だと思えます。--デタラメ歯車会話) 2020年1月7日 (火) 08:03 (UTC)