ノート:反革命十字軍

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出典と記事名にまつわる問題提起[編集]

多少意地悪かなとは思いましたが出典を要求しましたところ、迅速な改善をいただきました。ありがとうございました。ただ、私が懸念しているのは、これが世界史の記事でありながら、非学術系の日本人による著作にしか拠ることができないところです。たしかに、この出典は存在しています(実は『北欧悲史』は確認済みです)。しかしながら、たとえば、アメリカあたりのもの書きが日本の戦国時代について「第六天魔王討滅戦」など言い出そうものなら、我々は、言いたいことは理解しながらも、しかしまともには請合わないでしょう。とりあえず、テンプレートはTemplate:単一の出典に切り替えますが、本質的には改名、あるは他記事への統合などがのぞましいと思います。--枯葉会話2012年4月2日 (月) 06:31 (UTC)[返信]

ノートでの参照とのことでこちらに書かせていただきます。この項目名としての参考文献としてはやや弱いですが、百瀬宏、熊野聰、村井誠人著の『北欧史 (世界各国史)』 (山川出版社)、「第5章 近代への序曲」の「北欧の国際関係」においてグスタフ3世が反革命運動を指導していたことは事実なようです。ただしこちらは「反フランス同盟」という名称のようなもので、「十字軍」とはありませんが。いずれにせよ、軍事を含めたグスタフ3世の反革命政策なので、武田氏による思いつきの物語ではないと思います。問題なのは、「十字軍」という名称がどこから来たのか、です。もし氏以外でこの名称が使用されていないのだとしたら、何らかの改名は必要となるのではないかと思います。ロシアとのフランス革命打倒の合意による講和、フェルセンの暗躍、グスタフ3世自身による反革命貴族(エミグレ?)との接触など他記事との統合はいささか乱暴すぎるのではないかと個人的には思います。ちなみにヴァレンヌ事件による記事の中でグスタフ3世は、フランス貴族が行っていた「神聖王政連盟」の結成に対して具体的に支援を約束していたとのことなので、当時のスウェーデンの外交政策は、少なくともグスタフ3世の存命中は「反革命政策」なるものは、行われていたものだと解釈しています。Libertas 2012年4月2日 (月) 08:00 (UTC)

私としましても本記事の内容そのものについて否定する材料を持ちません。ご理解いただけているとは思うのですが、「十字軍」という言葉には特別な意味がありますので、そのあたりに危うさを感じるわけです。そこでどうするか、という点につきましては残念ながら私にはあまりよい思案がありません。ヨーロッパ史全体として見たときに反革命勢力としてスウェーデンが国として果たした役割はかなり小さく(フランス革命戦争)、もっとも主導的な役割を果たしたのは、おそらくイギリスであろうと考えます(J. M. ロバーツ『世界の歴史:革命の時代』)。となるとあまり大げさな記事名をつけられませんので、改名するとすればグスタフ3世の反フランス革命政策といういまひとつな記事名しか思いつかず、であれば(これも個人的に好むところではありませんが)グスタフ3世 (スウェーデン王) に統合するという考え方もあるのかな、と。私の歴史に関する知識不足もあり、判断がつきかねるところです。--枯葉会話2012年4月2日 (月) 17:48 (UTC)[返信]

枯葉様の言うとおりでしょうね。当時のスウェーデンは小国ですし、『北欧史 (世界各国史)』でも国際的地位や経済不況もあってグスタフ3世の行動も思うようにならなかったとあります。後に対仏大同盟となるというような大きな同盟はまずイギリスの存在が欠かせないですから。ロシアのエカチェリーナ2世がこの同盟に関心を示していたか、それとも賛同していたかはこちらとしても確認は取れていませんし。おそらく前者に止まっていたでしょうけどね(当時のロシアは露土戦争中)。この記事とは関係ありませんが、スウェーデン語版には、「グスタフ3世のクーデター」という項目があります。記事名にはやはりグスタフ3世が付くのではないしょうか(スウェーデン語版には、この日本語版の記事に相当するような記事はまだありません)。十字軍に関しては特にヨーロッパ(スラブ圏を除いて)に影響を残しているので個人的はなくはないとは思っていますが、やはり危うさはあります。ただカテゴリに軍事同盟が入っているように、それが成功したか失敗したかいかんによらずそのような名目を持っていたとするなら単なる外交政策上の行動ではないでしょう。統合するというのも一つの考え方でしょうが、自分としても記事が残ってほしいという願望はあります。また、改名するとしても単なる外交政策なのか、軍事同盟に関わるのかで記事内容が変わってしまうのではないかと思います。自分もこれと思うような記事名は思いつきません。改名するか統合するかはしばらく待ってみるのも手ではないしょうか。Libertas 2012年4月3日 (火) 03:56 (UTC)

了解しました。早急にどうこうできる能力もその意思もありませんし、(無責任なようですが)私個人として知りたかったこと(出典)は満足させていただきましたので、当面静観することに同意します。閲覧者に注意を喚起する意味で Template:単一の出典は維持しますので、その点だけご理解ください。--枯葉会話2012年4月4日 (水) 01:55 (UTC)[返信]
ありがとうございます。出典に関しては片手落ちのようなものでしたから、広く注意を喚起することに異論はありません。出来れば全ての記事に出典が補完されていれば理想的なのですが、この記事のように北欧以外の記述も絡んでくれば、北欧史のみの文献では不十分である事は認知しています。出典を明らかにすることはその記事の信用性を高めることにもつながって来るので、テンプレートの貼付はやむを得ないものとして理解しておきます。Libertas 2012年4月4日 (水) 08:00 (UTC)
この「反革命十字軍」の記事において、2012年4月2日 06:07 UTC の編集(差分)で武田龍夫氏の著作3冊が、2015年2月28日 19:42 UTC の編集(差分)で北欧史(山川出版社)が、参考文献に挙げられました。しかし、この編集をされたLibertasさん(現在のアカウントは「Hellsehen」さん)の編集履歴を当方が確認したところ、いくつかの記事で、出典を脚注形式で本文に結びつけることなく書籍名のみを参考文献として掲載しているのを見つけました。正直申し上げて、それらの書籍は参考文献ではなく「参考になりそうな本」すなわち関連書籍ではないか、という印象を受けました。
そうした事があったため、当方は、この反革命十字軍の記事においてLibertasさんが参考文献として挙げたこれらの書籍を、ご自身が編集する際に本当に参考されたという確信を、どうしても持つことができませんでした。Libertasさんにとっては不本意なことと思いますが、上記で第三者が確認されたという『北欧悲史』のみを参考文献の節に残し、他の書籍は関連書籍とみなして「読書案内」の節に移させていただきました。『北欧史』もノートで触れられているものの、2012年4月2日 08:00 UTC で話題になりながらも、記事に掲載されたのは3年近くも過ぎた2015年2月28日 19:42 UTC でしたので、参考文献として残す判断は当方にはできませんでした。
もし『北欧悲史』以外の書籍も出典となりうるならば、そのページを脚注形式で本文中に示した上で、書籍を「参考文献」の節に戻していただきたく思います。--Æskja会話2015年3月19日 (木) 13:53 (UTC)[返信]