ノート:千代田区立九段中等教育学校/過去ログ1

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至大荘行事の記述について

利用者:220.215.161.211氏と利用者:Young soldger氏による編集合戦のため編集保護措置がとられています。 本ノートにおいて、当事者による議論・合意形成がされることを期待します。--Tachidad2008 2008年10月20日 (月) 13:10 (UTC)

  • (第三者意見として)

①「最大の」という表現は主観に基づいているし、何を持ってどの行事より大きいといえるかは定量化は不可能なので明らかに不適当。 ②遠泳時の水着についての表記は客観的事実と確認可能であり、あっても差し支えないと思います。 ③巣鴨中学云々について あっておかしいと言うほどではないが、九段中等教育学校で実施しているという事実さえ記述すれば十分ではないか。 ④マスコミの報道について 3年程度前に、過去において報道されたことがあるということは確認できますが、毎年のように話題になっているわけでは無いと思います。 ③、④についてはどちらも「それほど凄い事だ」という表現をしたい気持ちの表れと感じられますが、{{学校記事}}に従えば不適切ではないかと思います。--Tachidad2008 2008年10月20日 (月) 13:10 (UTC)

    • 削除の経緯は記述内容が百科事典としての必要性があるかどうかと他の項目とのバランスの視点で当初は削除を行いました。②などはことさら水着を強調する必要性はないこと、③ではもっと厳しい遠泳を行う学校もあるのに特定の学校だけと比較して記述するのも不自然なこともありました。その後、利用者:220.215.161.211氏が出典と示して再投稿を行いましたが、出典の文献には投稿された内容の記述はなく虚位の出典であったこともあり、再度、削除に踏み切りました。--Young soldger 2008年10月20日 (月) 22:15 (UTC)
  • ①は主観に基づく表現、③、④は{{学校記事}}への違反による不適とすれば、出典の有無に関わらず該当部分修正が適当ということになります。よって出典の有無とその正確性がもとめられるのは②の水着に関する表現のみと考えます。これまでの経緯で出典を問われているということは、二次情報による事実確認がされれば②の記述を残すことは容認されるというのが論理的な帰結となります。(そうでなければ双方とも単なる主観主張による編集合戦ということになってしまいます。)その記述を違反とする根拠がWikipedia内の規定に無い限り、遠泳時の水着の記述はあっても差し支えないと考える立場です。--Tachidad2008 2008年10月22日 (水) 14:26 (UTC)
    • 上記のTachidad2008氏の水着の記述が容認されるとの論理は飛躍しておりませんか。①百科事典としての記述として必要性があるのかどうか、②学校行事の項目で、その他の項目との記述のバランスの観点から水着の記述が差し支えないかどうかの観点で御説明して下さい。自分が削除した理由は、他に、この水着の記述に関わりのあったMikomaid氏(現在投稿ブロック中)が異様に「ふんどし」にこだわりを持たれる方であることが他の編集で気付き、その編集履歴を調べてみると、随所にこのような記述を行っており、項目全体の内容では不自然さを感じるような編集内容となっている項目が多分にありました。ここでの編集も個人的な趣味で特別な意図を持って編集していると判断せざるを得ませんでした。百科事典としての中立性の観点から、個人的な趣味性の記述は避ける意図もあり、敢えて水着の記述が必要な客観性を担保とした理由がない限りは記述の必要性はないと判断しました。この観点からもTachidad2008氏の「水着の記述はあっても差し支えない」と御判断の説明をお伺い申し上げます。--Young soldger 2008年10月22日 (水) 17:31 (UTC)

出典要求の意図確認に関して(論理の飛躍との指摘について)

  • 理屈っぽい文章にはなっていますが読み返しても論理飛躍は無いと思います。出典を求められたということは通常「出典が確認されれば認める」という意味になるという非常にシンプルな点を確認したかったということです。なぜなら、もしその点で合意ができるのであればコンセンサス形成が一気に早まるからです。(検証可能性を議論すれば終わるので)しかしながら「たとえ出典が確認されても別の理由で記述は認めない」ということであれば論点をかえて議論するしかありません。コンセンサス形成がここの議論の目的ですからこの点にこれ以上執着するつもりも無く、この点は終わりにしたいですがどうでしょうか。--Tachidad2008 2008年10月23日 (木) 16:55 (UTC)

百科事典としての記述としての必要性について

  • 百科事典たるウィキペディア上の各種の方針に適合しているかどうかで判断すべきと考えます。

「『水着の記述はあっても差し支えない』と御判断の説明をお伺い申し上げます。」とのことですが、ウィキペディア上の方針に照らして、学校行事で使用されている水着の記述があってはいけない理由が見つけられないないからです。また、個人的な感性として「特徴のある水着を使用して学校行事を行っている」という記述が、ウィキペディア上のルールを逸脱していないかぎりにおいてむしろ百科事典的であると感じるからでもあります。 過去のMikomaid氏による個人的な趣味性による記述の忌避とブロックの経緯はご説明を了解しましたが、仮にMikomaid氏と推測されない別人が、他意を持たずに学校行事で使われる水着について言及する編集をしたとしたらどうでしょうか。ここでは記述者が誰かということと独立して「記述した内容」の是非で判断されるべきと考えます。--Tachidad2008 2008年10月23日 (木) 16:55 (UTC)

学校行事の項目で、その他の項目との記述のバランスの観点から水着の記述が差し支えないかどうか

Tachidad2008氏の見解について

最初にこの記述が出てきたのは2007年5月8日[1]です。最初に投稿なさった利用者:220.215.160.361氏のプロバイダーと利用者:220.215.161.211氏のプロバイダーが一致していることから、同一の方ではないかと推測してます。恐らく、リバートを繰り返していたのも、自分の投稿記事であったので、投稿内容にこだわりを持ったのだろうと理解しております。 最初に投稿した記述においては、水着に関して何ら言及はしておりませんでした。最初に水着に言及したのは利用者:210.136.2.118氏が2007年11月30日に追記したもの[2]でした。その後、利用者:Mikomaid氏が追記[3]を行ったことで、この項目が学校行事の項目で、他の項目と比較して記述過多となり著しくバランスを崩しました。他の項目との比較で少し整理する必要性を感じたことと、記述内容の必要性の観点から一部削除を行った経緯を御理解戴きたく存じております。Tachidad2008氏に御注進申し上げたいのはウィキペディァでは出典があれば何でも掲載される訳ではないことです。Tachidad2008氏は「雑多な内容」[4]をどのように御理解なさっておられるかが問題なのです。「ウィキペディァでは通常、出典が確認されれば何でも認める」訳ではありません。コンセンサス云々以前の問題なのです。何故、百科事典としてこの記述が必要なのかの観点で論じるべきではなかったかと存じております。--Young soldger 2008年10月23日 (木) 23:33 (UTC)

  • Tachidad2008氏に御注進申し上げたいのはウィキペディァでは出典があれば何でも掲載される訳ではないことです。」とご指摘いただくような主張は一切申し上げておりませんので是非これまでの私のコメントをご精読いただきたく存じます。「ウィキペディア上の方針に照らして」「ウィキペディア上のルールを逸脱していないか」という事を申し上げています。つまりは、明文化されているWikipedia:基本方針とガイドラインおよび、その他の公式方針に基づいて議論するということです。今回Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるをご例示いただきましたが、逆にこの方針に照らしてなぜ、「学校行事の解説に特徴的水着の使用を客観的に表記すること」がいけないのかご解説いただけませんでしょうか。私自身はこの方針に照らしてただちにNGというふうには読み取れないのですが。(他にも申し上げたい事はありますが、論旨整理のためにも一旦留めます。)--Tachidad2008 2008年10月24日 (金) 02:24 (UTC)
    • 自分はTachidad2008 氏が事実確認ができれば編集合戦を避ける意味で、妥協の産物として水着の記述は容認されるのではないかとの御意見と理解していましたが、その意味ではなかったのでしょうか。自分はその論点で議論を進めてきましたので、敢えて行事の紹介に至大荘行事だけ水着にまで言及するとなると「雑多な内容」となり、その記述の必要性はないのではないかと主張しました。また、「特徴的な水着」としての視点での論議であっても、他の行事でも特徴的であるならば、九段の制服は特徴的なので、この行事は制服で参加である、あの行事は私服の参加が許されている、文化祭では男子のシンクロスイミングを行っている等の記述も容認されるとのことなのでしょうか。そうなると記述が際限なく拡大しそうなこともあり、どちらにしても学校行事の項目は至大荘行事だけ特別な扱いにするのは不自然に思えます。自分もこの行事に立ち会ったことがありますが、水着以上に厳しい訓練が特徴で、語るならばその訓練内容に立ち入ってもらいたいのが本音です。自分としてはTachidad2008 氏の御意見もさることながら、これまで虚位の出典を示してまで何度もリバートを行った利用者:220.215.161.211氏の御主張も伺った上で判断したいと存じております。また、利用者:220.215.160.361氏が当初記述されていた内容が客観性を担保された出典を示して戴けるならば当初の記述に反対はしないことを申し添えておきます。--Young soldger 2008年10月24日 (金) 05:47 (UTC)
    • Tachidad2008の意図はあくまでウィキペディアの各種公式方針を尊重した議論を進め、今回の編集合戦の決着をつけることです。水着の記述の件にしてもウィキペディアのいずれかの方針に照らして不適切であるとの事が確認されれば固執するものではありません。しかし、コメントでおっしゃられている「雑多な内容」とはYoung soldgerさんご自身が発言に引用をつけられたとおりWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける方針への違反という意味のはずです。しかしながら同方針の内容を読む限り、「行事の紹介に(水泳を行う行事である)至大荘行事において水着について言及」したからといって同方針に反すると判断することはできません。
       >文化祭では男子のシンクロスイミングを行っている等の記述も容認されるとのことなのでしょうか。

それが特徴的な事柄であり検証可能な情報なのであればかまわないと思います。--Tachidad2008

    • 永続的に継続することが記述条件なら何も記述できません。他校のマネをして云々というのは当事者が知る事実なのでしょうが、ウィキペディアにおいては事実かどうかよりも検証可能かどおかが記述可否の基準です。(基本方針に明文化されています。)そもそもシンクロの話は私が記述をもとめているわけではありません。特徴的と考えるかどおかは、例えば文化祭でシンクロを実施することがどの程度ユニークと多くの人が感じられるかという事によるでしょう。もし具体的にその記述が問題になるのであればまたそれもノート議論にて合意形成を図るのがウィキペディアのやり方であると理解しています。ちなみに前回の貴コメントで例示された九段の制服については私は全く特徴的とは思いませんでした。--Tachidad2008 2008年10月27日 (月) 15:59 (UTC)
      • 制服はブレザーです。これも人によっては学生服ではないのでユニークで特質性があるとも判断されることもあります。結局は主観の論議が入る余地の記述は百科事典の編集においては排斥すべきものではないかと存じます。--Young soldger 2008年10月27日 (月) 17:28 (UTC)
       >そうなると記述が際限なく拡大しそうなこともあり、

「~しそう」ということだけで予防的に考えることは排除の根拠となりません。。--Tachidad2008

  • 物事の本質は一体何であるかを弁えているかどうかの問題なので自制が働いているのです。これもTachidad2008氏自身の主観ではないでしょうか。ここでは学校行事にどんなものがあるのかを紹介する項目であり、そこを詳細に紹介する必要性はないと判断しております。--Young soldger 2008年10月26日 (日) 03:06 (UTC)
    • 申し訳ありませんが1行目は文意が理解できません。予防的措置の排除はウィキペディアの管理運営で一般に実施されているのでそう申し上げているのですが。(例えば「荒らしがおきそう」という事で予防的に保護措置がとられる事はありません。)3行目、「そこを詳細に紹介する必要性はない」というご判断もまた貴殿の嗜好であると言えます。動機が嗜好であるからといって記述した内容がすべて排除されなければならないわけではありません。完全に嗜好・主観を排除した執筆などだれにもできない。だから行き過ぎを抑えて秩序を守るために”フリー”百科事典であるウィキペディアにルールがあるのです。ルールに反しておらず、ノート議論で結論も出ていないものを削除されて当然と断定できることはまさに嗜好であり主観です。--Tachidad2008 2008年10月27日 (月) 15:59 (UTC)
      • 百科事典の項目においては事象の説明がおこなわれます。主題というのは意見・論説を記述する場合において必要ですが、ウィキペディアは、記述者の意見や論説を記述する場所ではありませんので主題という概念で説明されるべきではありません。事象を説明する上でなにが重要で、何が不要かという判断であれば、それは個々で見解が分かれる可能性を排除できません。Young soldgerさんご自身の見解も個々の見解の一つであることをまずご認識をお願いしたいと考えます。--Tachidad2008 2008年10月31日 (金) 15:51 (UTC)
        • 「ウィキペディアは、記述者の意見や論説を記述する場所ではありません」とTachidad2008さんが 御理解なさっておられるように、本文においては自分は一切の追加の記述は行っておりません。--Young soldger 2008年10月31日 (金) 18:15 (UTC)
    • それから、Young soldgerさんご自身の九段中等教育学校や至大荘行事との関わり、思い入れ等については、このノートでの議論においては言及される必要はないと思います。 「誰によって記述されるのか」ではなく「何が記述されるのか」が議論の対象ですので。また、当事者である利用者:220.215.161.211氏他の議論への参加は望まれるところですが、参加がなければ議論ができないということではありません。ノート議論に参加しているユーザによりコンセンサスを得られ保護が解除された状態であるなら、たとえ議論に参加しなかったユーザであっても(途中で議論から抜けた場合であっても)コンセンサスに従はなくてはなりません。従わない場合には「荒らし」行為として半保護やブロックの措置が行うことができますから。--Tachidad2008 2008年10月25日 (土) 06:31 (UTC)
      • ですから、自分は執筆編集は行わないのです。百科事典を標榜する以上、そこまでの記述が何故必要なのか、「特徴的な水着」と言うことが至大荘行事の中でどのような役割を占めているのかTachidad2008氏の「特徴的な水着」の主張や「ウィキペディア上の方針に照らして」「ウィキペディア上のルールを逸脱していないか」の観点では執筆禁止ではないとの論理では、枝葉に拘り、本質となるものを見据えていないのではとの判断が先立ち、論議のズレが生じているのではないかと存じます。自分にはルールで禁止されてなければ何を執筆してもかまわないとの論理に思えてなりません。この学校は戦後に共学校になっており、男女比率では女子生徒の方が多数を占めている現状です。そのような中で、少数の男子の水着にまで言及しなければならない必要性はあるのでしょうか。概ね、過去、このような記述をなさる方は特定の方に限定されているようで、他の目的を持って編集を行っているような傾向が疑われます。--Young soldger 2008年10月26日 (日) 03:06 (UTC)
        • 「ですから、自分は執筆編集は行わないのです。」⇒削除は明らかに編集行為です。(ですが、そもそも私は貴殿の編集関与自体を問題にするようなコメントはしていません。嫌味で言うわけでなく本当に当事者かどうかは検証不可能なので自身のプロファイルを述べあうことは意味が無いのです。)シンプルに反論すると、貴殿の考える本質が万人にとっての本質とは言えないということです。誰がそれを証明したのでしょうか。ご自分の見解は「本質」で他人のは「主観」「枝葉」てのはひどすぎます。ルールを超えた部分は、コンセンサスに従うべきなのです。先にコメントされたような「コンセンサス以前の問題」などでは決してない。「合意形成」というウィキペディアの文化をまずはリスペクトしていただきたいのです。--Tachidad2008 2008年10月27日 (月) 15:59 (UTC)
          • Tachidad2008 さんのこれまでのコメントからすると「Tachidad2008さんの御主張が「記述があっても良い」ではなく、「記述すべきだ」の観点から議論を進められていることを理解しました。このため自分の当初の説明で御理解が得られなかったのは当然の帰結でしょう。自分がTachidad2008さんの御主張を見誤ったことで、論議にズレが生じたかと存じております。結局は「論理的な帰結」での記述の必要性の論議ではなく、「特質性」の観点で記述の必要性との論議だったのでしょう。これでは「特質性」の定義が双方の主観によって論議されていることと第三者は判断するだろうと思います。このまま論議を続けても、当事者同士の主観を巡る論議で平行線を辿るだけかと存じます。ウィキペディアのルールについての論議ではなく、ここの論議の原点に戻り、「男子生徒の水着はふんどしである」の記述の可否を巡って、Tachidad2008さんが「至大荘行事においては男子生徒の水着はふんどしでであることは特質性があり記述すべきであり、削除は不当である」との御主張でコメントを募って論議を進めた方が、第三者のコメントが集まり易くなり、双方の納得の行くより良い結論が見いだせるかと存じます。 --Young soldger 2008年10月27日 (月) 17:28 (UTC)
            • Young soldgerさんは私の意図に対する独自解釈による決め付けをまず行い、それを前提として批判するというパターンを繰り返されています。フェアな議論方法とは言えませんのでなにとぞお止めいただきたくお願いいたします。私の本議論での主張は記述を曲解されず文字通りにお受け取りいただきたくお願いいたします。--Tachidad2008 2008年10月31日 (金) 16:14 (UTC)
              • 記述を曲解していません。Tachidad2008 さんは「ふんどしの記述はあっても良いのではないか。その理由は客観的な事実があれば正当化される」と御主張なさり、自分は「客観的事実の問題ではない」との反論したところ、次に「特質性があるので記述すべきだ」と主張を変えたのではないでしょうか。--Young soldger 2008年10月31日 (金) 18:15 (UTC)
              • 「記述すべきだ」と「記述されていてもよい」は論理的に完全に別です。--Tachidad2008 2008年11月3日 (月) 10:32 (UTC)
                • それがお解りなっているのならば、何故、当初の「記述されていてもよい」から「記述すべきだ」と変遷なさったのでしょうか。Tachidad2008氏の論理が変わった証拠です。--Young soldger 2008年11月3日 (月) 12:20 (UTC)
                  • 「『記述すべきだ』と変遷」等という事実に基づかない決め付けを証拠とまで呼んでの個人批判を繰り返される意図がわかりません。--Tachidad2008 2008年11月7日 (金) 16:26 (UTC)
                    • 「個人批判」をしているものではありません。御回答に納得が行かないことです。最初から「ふんどしが百科辞典的であり特筆性があり、ルールを逸脱していなければ記述は容認される」と表明して戴ければ理解が進むものを、最初の「論理性」から記述は許容されるから、「ウィキペディアのルールでは記述は禁止されていない」に変わり、その後、「特筆性がある」ので百科辞典的であるとTachidad2008 氏の御主張が変遷していることで、何度も疑問を呈しなくならなければならなかったことです。--Young soldger 2008年11月8日 (土) 00:00 (UTC)
              • (補足)「どのような場合でも記述されてよい」とも主張していません。「ウィキペディアの各種ルールに抵触しないのであれば、記述されてかまわないだろう」というスタンスでありその点は一貫しているはずです。--Tachidad2008 2008年11月3日 (月) 10:53 (UTC)
                • これでは「ウィキペディアの各種ルールに抵触しないのであれば、何を記述してもかまわない」との主張に見受けられます。百科事典の編集に於いて記事に貢献する内容であるかどうかが問題なのです。--Young soldger 2008年11月3日 (月) 12:20 (UTC)

Tachidad2008の合意形成議論の進め方主張について

  • Tachidad2008は、Wikipedia:中立的な観点に記述されている「中立的な観点についての方針声明」[[5]]の考え方に基づいて主張しています。--Tachidad2008 2008年10月31日 (金) 16:52 (UTC)
    • Tachidad2008さんが中立的な観点に立つように、自分も百科事典の編集において中立的な観点で百科事典の内容として貢献する内容であるかどうかの観点で編集を行っていると主張しています。--Young soldger 2008年10月31日 (金) 18:15 (UTC)
      • 異なる意見の存在を互いに認め合うことがウィキペディアでの中立と言うことです。自分の意見、見解を述べないことではありません。どちらがより中立かを比較することでもありません。そう考える根拠として「中立的な観点についての方針声明」[[6]]をあげています。--Tachidad2008 2008年11月3日 (月) 10:40 (UTC)
        • 百科事典の項目に何ら貢献しない内容であるとの自分の主張に対し、Tachidad2008氏は「 コンセンサス形成がここの議論の目的ですからこの点にこれ以上執着するつもりも無く、この点は終わりにしたいですがどうでしょうか」と論理性についての議論に執着しないと主張しながら、論理性に拘っていること、及び、もう一方の当事者の代理人として水着の記述に拘っていることからして中立性の観点からの主張ではないと判断せざるを得ません。--Young soldger 2008年11月3日 (月) 12:20 (UTC)
          • 「出典を求めていながら、出典があってもそもそも認められない」とされるYoung soldger氏の論理的な矛盾点の追及に執着しませんと言うことを申し上げたまでです。個人攻撃的な議論に至ることを避けたかったためです。(これまでのところ努力は報われていませんが。)他の論点でも論理的な主張を行うことを放棄したはずだというご主張であれば、拡大解釈がすぎますし議論そのものの否定ではないでしょうか。さらには「もう一方の当事者の代理人」という決め付けは真摯に議論を進めようとするものに対してあまりに無礼であり、できることであればば取り消していただきたいところです。--Tachidad2008 2008年11月6日 (木) 16:47 (UTC)
              • 「出典を求めていながら、出典があってもそもそも認められない」とされるYoung soldger氏の論理的な矛盾点の追及に執着しませんと言うことを申し上げたまでです」とのことですが、10月24日の私のコメントを良くお読み下さるように御願い申し上げます。「客観性を担保とした出典を示して戴くなら反対はしない」とお伝えしているではありませんか。至大荘行事にはふんどしに重要な役割があり、このふんどしの記述がなければ至大荘行事が語れないものであるとの客観的事実を示した文献の出典のことです。Web上の情報に客観性がある事実の出典と御判断なさるようではWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源Wikipedia:検証可能性についての理解が不足しているとの誹りは免れません。自分はTachidad2008 氏の論理性の展開についてもお伝えしたいことは多々ありますが、ここでの論議と外れるのでひとまず下記にあるかげろん氏が提案した出典の明示を土台として戴き、そこからふんどし記述の必要性を論じた方が論争の解決に向けた最速の方法であるかと考えます。--Young soldger 2008年11月6日 (木) 18:47 (UTC)
              • だから私(Tachdad2008)も執着しませんといってるのだから論点を移す事で良かったはないですか。もともとこちらがそのように申し上げているものを「もう一方の当事者の代理人」「中立性への疑い」などという個人攻撃を継続されるので反論を続けざるを得ないだけでしょう。本当に本当にもう止めてください。--Tachidad2008 2008年11月7日 (金) 15:42 (UTC)
                  • 「個人批判」と受け止められることはお止めになって戴きたく存じます。自分はTachidad2008 氏を仲介者と見なしておりました。当事者同士に呼びかけ、双方の言い分を聞いて仲裁を行うものと理解していましたが、合意の進め方が、結局は自分とTachidad2008 氏の間で「ふんどし」の記載を巡って論議となってしまったことです。その論議で呼称を「水褌」と呼ぶ提案で唖然としてしまったことです。例えて言うなら、死刑が無罪を争っている最中に、裁判長(Tachidad2008 氏)が死刑の執行方法は絞首刑が良いか、電気椅子が良いかと提案しているようなもので、これではTachidad2008 氏を公正、公平な仲裁者(中立的)と見なすことに疑問を持ってしまいました。Tachidad2008 氏の立場を明確にした論議が第三者に公正な判断を下す論議になるべきだと存じます。--Young soldger 2008年11月8日 (土) 00:00 (UTC)

至大荘行事で使用される水着(男子用)の呼称について

  • 利用者:220.215.161.211氏は”六尺褌”と記述されていますが、九段中等教育学校や、関係者の方々のWeb上での記述をみると同校内では”水褌(すいこん)”と呼称されているようです。本記事で記述がされる場合があれば、当事者が呼称されている”水褌”を採用されるべきではないかと考えます。--Tachidad2008 2008年10月31日 (金) 16:39 (UTC)
    • Web上の情報ではWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源Wikipedia:検証可能性についての規定から出典として利用できません。具体的な文献名で「”水褌(すいこん)”と呼称されている」との出典の根拠を示して下さい。--Young soldger 2008年10月31日 (金) 18:15 (UTC)
    • 例えばhttp://www.kudan-net.com/news/82.shtml[[7]]です。--Tachidad2008 2008年11月3日 (月) 08:27 (UTC)
      • 御紹介のサイトは学校OBのサイトであり、学校の公式サイトではありませんのでウイキペディアでは出典として使用できません。Web上の出典は著名人によるものか、公的なものでなければ認められないことを御理解下さい。また、このサイトでは水褌とだけ記述されているだけで「すいこん」とは記述されておりません。至大荘行事に於いて、何故、ふんどしが重要なものであるのか、百科事典の記述に欠かせないものなのかを示す文献の出典を望んでいます。--Young soldger 2008年11月3日 (月) 09:22 (UTC)--Young soldger 2008年11月3日 (月) 12:20 (UTC)追記
        • ご指摘を受け”水褌(すいこん)”という言葉の出典を他に探したのですが、「すいこん」の読みについては個人サイトを除けば確認できませんでした。九段の公式サイトhttp://www.kudan.ed.jp/ 上で”水褌”(読みは不明)記述は見受けられますが、水褌という言葉が一般的な言葉では無いこともわかりましたし、関係者のすべて大多数がそう呼んでいるかどうかの確認もできませんのので呼称についての提案はここでは取り下げます。「ふんどしが重要なものであるのか、百科事典の記述に欠かせないものなのかを示す文献の出典」のご要求については反論ありますものの、呼称以前の問題ですので「特筆性」の議論がされる場所に集約して行いましょう。--Tachidad2008 2008年11月6日 (木) 16:30 (UTC)

Wikipedia:コメント依頼への合意形成のためのコメント依頼実施について

    • 合意形成にむけての本ノート議論活性化のため、客観的コメントを募るためWP:RFCへのコメント依頼を実施しました。--Tachidad2008 2008年10月25日 (土) 06:52 (UTC)
      • Tachidad2008氏以外の御意見を拝聴する意味でも賛成致します。--Young soldger 2008年10月26日 (日) 03:06 (UTC)
        • 誰もいらっしゃらないですね。これは困りました。あと数日新しい方が来ないようであれば「議論活性化のためのコメント依頼」にも投稿してみます。--Tachidad2008 2008年10月27日 (月) 16:57 (UTC)
          • 利用者:220.215.161.211氏のノート欄にも参加を呼びかけましたが、無視されています。Tachidad2008 さんからのコメント依頼であれば、応じて戴けるかもしれません。--Young soldger 2008年10月27日 (月) 17:33 (UTC)
          • なぜそのようにお考えになるのでしょうか?? 想像するに、この記事を繰り返し編集されている利用者:220.215.161.211氏はこのノートをすでにご覧になっているのではないでしょうか。現時点で議論に参加されないということは参加の意思がないように感じられます。--Tachidad2008 2008年10月31日 (金) 16:21 (UTC)
            • それは同様の行為を繰り返しているのは利用者:220.215.161.211氏であり、その当事者の主張を拝聴するのが筋だからです。Tachidad2008 さんと合意ができても当の利用者:220.215.161.211氏が同じ編集を繰り返すならばここでの論議は意味をなしません。利用者:220.215.161.211氏とTachidad2008 さんが「ふんどし」の記述に賛成の立場であれば呼びかけに応じて戴ける可能性があるのではないかと思いました。最初にTachidad2008 さんが当事者同士の対話と合意をここで呼びかけておられましたので、中立的観点で論議を進めて戴けるのかと存じておりましたが、それを拒否をなさるなら致し方ありません。--Young soldger 2008年10月31日 (金) 18:15 (UTC)
          • 繰り返しのご説明となりますが、当時者利用者:220.215.161.211氏の参加がなくとも議論にご協力いただけるウィキペディアンの中でコンセンサスとなれいば、以降利用者:220.215.161.211氏はそれに従わなければなりません。なので利用者:220.215.161.211氏の参加がなくとも議論継続は可能と申し上げております。仮定の問題として利用者:220.215.161.211氏が議論への参加なくノート議論での合意に従われないとすればそれ以降はその行為を問題として対処が可能になります。既に利用者:220.215.161.211氏の参加がありましたので説明の必要はなくなったのですが、この点は当方としては既にご説明していることでありYoung soldger氏には一度ご説明している内容を無視されてのご批判は何卒回避していただきたくお願いするものです。(それこそ議論が枝葉に分かれていってしまいます。)ただ、説明した内容を踏まえてのご批判であれば、それは正当な議論ですので今後ともご遠慮なくご指摘をいただきたいと思います。--Tachidad2008 2008年11月3日 (月) 08:09 (UTC)
            • 当事者同士の合意を進めることが編集合戦を避ける意味でもあり、Tachidad2008氏の提案は歓迎されることです。しかし、当事者を抜きにしてノート欄で合意されたことを無視されたことを理由にブロック依頼につながるようでは話し合いの精神から逸脱するものかと存じます。一方の当事者の言い分(自分)だけで合意に至ることは賛成しかねただけに、もう一方の当事者の利用者:220.215.161.211氏の参加は歓迎しています。--Young soldger 2008年11月3日 (月) 09:22 (UTC)
    • 「中立的観点」ということについても一言申し上げますが、ウィキペディアにおける中立とは、AとBの意見の中間、あるいはどちらの立場にも立たないということでなく、「Aという意見とBという意見の両者が存在する事実を尊重する」ということになります。このスタンスについては先に紹介したWikipedia:中立的な観点に記述されています。--Tachidad2008 2008年11月3日 (月) 08:09 (UTC)
      • Tachidad2008氏が「中立的観点」であるならば、「ふんどし」の記述の可否について論議を行っているのに、それを通り越して、「水褌」の呼称提案は「中立的観点」の姿勢とは言えません。--Young soldger 2008年11月3日 (月) 09:22 (UTC)
        • 呼称について意見を述べたらなぜ中立でなくなるのか、論理的に成立しない文章だと思います。--Tachidad2008 2008年11月3日 (月) 10:37 (UTC)
          • 水着の記述の可否について論議を行っている最中に、既に記述の決定を前提として呼称について論じるのは早急ではないでしょうか。このように事を進めることは如何なものかと存じます。中立の姿勢を取ると宣言なさるならば、事の進展を見極めてからでも遅くはないかと存じます。仮に記述は不要となった場合、その呼称についての論議は何ら意味を持つものではありません。--Young soldger 2008年11月3日 (月) 12:20 (UTC)

遅れながらコメントさせてもらいます。九段の編集の件ですが、確かに「最大」といった表現は、主観になるためにwiikpediaに載せるには不適当だと思います。しかし、ふんどしで水泳するという点に関しては、学習院中等科もしかり、明らかな特筆事項であり、削除する必要はないと思っております。--220.215.161.211 2008年11月2日 (日) 08:06 (UTC)

  • 利用者:220.215.161.211氏のコメント参加に感謝申し上げます。さて、利用者:220.215.161.211氏が「ふんどしで水泳するという点に関しては、学習院中等科もしかり、明らかな特筆事項であり」と御主張なさる「特筆事項」の定義をどのように考えておられるのかお知らせ下さい。また、10月10日の編集[8]で示された出典には編集内容を補完する記述を見つけ出すことはできませんでした。出典の根拠をお知らせ戴くと共に、これまで利用者:220.215.161.211氏のノート欄にコメント依頼を呼びかけていたのに、それを無視してリバートを繰り返されていた理由をお知らせ下さい。他にこの記述を最初に投稿なさった利用者:220.215.160.361氏のプロバイダーが一致しておりますが、それはあなただったのでしょうか。--Young soldger 2008年11月2日 (日) 11:36 (UTC)--Young soldger 2008年11月3日 (月) 09:22 (UTC)追記


  • 利用者:220.215.161.211氏へのお願いがあります。議論へ参加されるにあたり是非ともログインネームを登録の上そのログインネームにてご参加いただきたいと思います。万一ですが利用者:220.215.161.211氏が別のログイン名で資格停止中の方ということであれば、議論以前の問題としてこれまでのここでの編集行為がすべて無効だったことになりますのでそうでないことを確認させて下さい。証明することは困難な事ですが、私としては性善説に立って敢えてお願い・お尋ねいたします。--Tachidad2008 2008年11月3日 (月) 08:15 (UTC)

これまでの経緯のまとめ(Young soldger氏の視点による)

Tachidad2008氏の呼びかけ

Tachidad2008氏は

① 保護解除に向けて、当事者間による早期の議論・合意形成を求めるために、当事者に呼びかけを行う

②「最大の行事」の記述の「最大」の削除は客観性の問題で削除は正当性がある

③「遠泳」、「マスコミの話題」に関した削除も、{{学校記事}}の観点から削除は肯定できる

④「ふんどし」の記述については客観的事実が証明されれば、当事者間の合意形成が早まることから記述しても良い

上記の意見と提案を表明なされました。

上記の「最大」、「遠泳」、「マスコミの話題」の削除についてはTachidad2008氏の賛意を得られたと解釈しておりますが、一方の「ふんどし」の記述については自分と「意」を異とし、論議の対象になりました。

このふんどしの記述の必要性について、Tachidad2008氏の主張が三段階に変遷しています。

①「客観的事実が証明されるならば『ふんどし』の記述があっても良い。そうすれば、編集合戦が避けられ、当事者間の早期の合意が得られるのではないか」と、当事者間の合意を促し、早期の保護解除を目的として提案したものでした。

  • この主張に対し、自分は二次情報による事実確認がされれば「ふんどし」の記述を残すことは容認されるという論理的な帰結はおかしい。百科事典の編集においては記載事項に相当するかどうかの問題であり、客観的事実以前の問題であると反論しました。

②それに対し、Tachidad2008氏はWikipediaでは「ふんどし」の記述は禁止事項でないので記述は許される。禁止事項でない削除はおかしいと論点を変えて反論しました。

  • この主張に対し、自分は「禁止事項でなければ何でも記述して良い訳ではない」と百科事典の編集において記載事項に相当するかどうかの視点で再反論しました。

③この反論に対し、Tachidad2008氏は更に論点を変えて「ふんどし」には「特質性」があるので記述すべきだ。「特質性」は百科事典として記述が許容されるものだと、「記述しても良い」から「記述されるべき」と強い主張に変わりました。

  • この主張に対し、自分は「特質性」とは主観的な判断であり、百科事典の編集に於いては主観性に関わる問題は排斥すべきだと再々反論をしました。

上記のような論議が自分とTachidad2008氏との間で続いています。ここまで論議が長引いたのは、

Tachidad2008氏の主張に変遷があったこと

②このノート欄で最初に書き込んだTachidad2008氏の目的が当事者間の対話と合意を促す目的で中立的な立場[[9]]で臨むとTachidad2008氏が自ら記述しながらも、中立的立場を装い、一方の当事者側 の代理人として意見を主張していること

③「ふんどし」の記述の可否の論議であるのに、その存続を前提として「ふんどし」を「水褌」として呼称すると提案までしていること

④自分がTachidad2008氏にもう一方の当事者である利用者:220.215.161.211氏への呼びかけを依頼したことに疑問を呈していること

これでは「中立的な観点についての方針声明」に基づいて当事者間の合意形成を進めると宣言していても、中立を装って自身の意見を客観的な意見であるように見せかけて第三者を惑わす姿勢であり、中立、公正な姿勢ではありません。 中立的な立場を主張するならば、自分の一方の当事者への呼びかけ依頼すら疑問を呈するようでは自らの中立の立場を放棄していると言えます。中立的な立場ならば、当事者間双方の意見を聞いた後から、最終的に自身の考えを述べるのが筋です。既に、ふんどしを「水褌」と呼称するとの提案を行うなど、存続の可否を通り越して、存続を前提とした自分の意見を表明しているようでは「中立的な観点についての方針声明」[[10]]を曲解し、中立の立場を逸脱している証拠に他なりません。

「男子生徒の水着はふんどしである」の記述の可否を巡って、Tachidad2008氏御自身の主張、即ち、


「至大荘行事においては男子生徒の水着はふんどしでであることは特質性があり記述すべきであるので、『ふんどし』の削除は不当である」


との立場を明確にして論議を行い、第三者の判定を仰ぐべきだったのではないでしょうか。「水褌」の呼称の提案はその存続が決定してから行うべきものです。--Young soldger 2008年11月7日 (金) 06:40 (UTC)


Tachidad2008氏の反論

Tachidad2008です。反論させていただきたい個所はいくつもあるのですが、数を絞ってさせていただきます。

>③この反論に対し、Tachidad2008氏は更に論点を変えて「ふんどし」には「特質性」があるので記述すべきだ。「特質性」は百科事典として記述が許容されるものだと、「記述しても良い」から「記述されるべき」と強い主張に変わりました

とされる部分については具体的にTachidad2008のどこの記述をさして「記述すべき」に変わったと言っておられるのでしょうか。もっともご主張の根拠に欠ける部分かと思います。
Tachidad2008氏が2008年10月23日 (木) 16:55 (UTC)の発言で、「個人的な感性として「特徴のある水着を使用して学校行事を行っている」という記述が、ウィキペディア上のルールを逸脱していないかぎりにおいてむしろ百科事典的であると感じるからでもあります」との発言から百科事典として、むしろ記述すべき内容ではないかと解釈しました。--Young soldger 2008年11月7日 (金) 06:40 (UTC)
    • 百科事典的であるので、「記述されても良い」という事です。Young Soldgerさんご自身が上コメントで、Tachidad2008が「~記述が許容されるものだという、~」主張をしたと言っておられるとおりです。(何も変わってないですが。)Tachidad2008 2008年11月7日 (金) 15:10 (UTC)
      • それでは何故、最初に御主張なさらなかったのでしょうか。「客観的事実があれば論理的に記述が許される」だけでは自分には到底理解できませんでした。--Young soldger 2008年11月8日 (土) 00:00 (UTC)
        • だから「~記述が許される」と言っているわけですよね。私の文章が稚拙でご理解いただけなかったとしても「記述すべき」ということにはなってないと思うのですが。--Tachidad2008 2008年11月8日 (土) 12:13 (UTC)
    • 別の観点ですが、仮にYoung Soldgerさんが主張されるようにTachidad2008が「記述すべき」という思いをもっていたとしましょう。そもそもそれは非難の対象になるような事なのでしょうか。ぜわざわざタイトルをたててまで箇条書きで批判されなければならないのでしょうか。私がそのように考えていたとしてもそれが議論の妨害になっているのでしょうか。Young soldgerさんと違う意見を持つことはそんなにも許されない事なのでしょうか--Tachidad2008 2008年11月7日 (金) 15:10 (UTC)

>④自分がTachidad2008氏にもう一方の当事者である利用者:220.215.161.211氏への呼びかけを依頼したことに疑問を呈していること

利用者:220.215.161.211氏が議論に参加されるかの如何にかかわらず、議論参加者だけでコンセンサス形成は可能ですよという原則を申し上げたまでです。ここも文面をみれば明らかでありなぜここまで「利用」されるのか悲しくなります。文中はっきりと「当事者の議論参加がのぞましい」と申し上げているではありませんか。別の原則として議論に参加するユーザはIPでなくログインすべきという考えをもっていますが、これはIP氏への直接の呼びかけとして実施しましたのでそこはよろしいですよね?
    • Tachidad2008 氏が当事者同士の話し合いによる早期の合意形成を最初に求めていたと解釈しておりましただけに、もう一方の当事者である利用者:220.215.161.211氏が気付いていないことも勘案すれば、ここのノート欄での呼びかけではなく、直接、相手のノート欄に呼びかけることを考慮して戴けなかったことは残念です。--Young soldger 2008年11月7日 (金) 06:40 (UTC)
    • 基本的にIPユーザーさんは別の人に入れ替わる可能性も多くノートへの呼びかけが有効でないと考えるものです。そもそも「疑問を呈している」とおっしゃった事の説明になってはいないのですが。--Tachidad2008 2008年11月7日 (金) 15:10 (UTC)
      • Tachidad2008 氏が当事者同士の参加を呼びかけながら2008年10月31日 (金) 16:21 (UTC) の発言で「なぜそのようにお考えになるのでしょうか?? 」と疑問を呈しているのは、一方の当事者が当該のノートを見ていないとお解りになっているのに、自分が相手のノート欄に呼びかけ、Tachidad2008氏に参加を促して戴ければ参加が可能だったかもしれないのに、Tachidad2008氏は当事者の参加がなくても論議は成立すると判断なさっていることとIPユーザーだからIPが変わるかもしれないのでその必要はないと。当該ユーザーは長期に渡り、同じIPを利用しており、相手のノート欄で参加を呼びかけることに否定的な態度を取られることに仲裁者としての疑問を感じました。--Young soldger 2008年11月8日 (土) 00:00 (UTC)
        • Young soldgerさんはそのようにお考えになったのですね。「Tachidad2008が呼びかければIP氏が言う事を聞くはず」という部分について「なぜ?」と申し上げたのであって、Young soldgerさんが呼びかけたことまで含めていませんでした。
ちなみに私はここの議論で一度も仲裁者を自称したことはありません。Young soldgerさんとしては、「中立的」といったのだから仲裁者を宣言したのと同義なのかもしれませんが、すでに私が何をもって中立と言うかは説明を尽くしてきていますので私が主張することはご想像いただけると思います。Tachidad2008 2008年11月8日 (土) 12:48 (UTC)
          • 上記の引用の文章が違います。「Tachidad2008が呼びかければIP氏が言う事を聞くはず」ではありません。「利用者:220.215.161.211氏とTachidad2008 さんが「ふんどし」の記述に賛成の立場であれば呼びかけに応じて戴ける可能性があるのではないかと思いました」と記述しております。改めて原文をお読み直し下さい。仲裁者と思ったのはこちらの思い過ごしだったことは理解致しました。--Young soldger 2008年11月9日 (日) 19:44 (UTC)
IPユーザーに対しては、Young soldgerさんより私の方が厳しくみていると思います。該当IP氏がどのようにこのノート議論を見ているか、自分のノート欄を見ているかという判断は、Young soldgerさんの判断も正しいかもしれませんが私の判断も無いとは言えないでしょう。この辺は本筋でない瑣末な部分なのですから、それぞれ自分の信じた行動をとるということでよいのではないでしょうか。--Tachidad2008 2008年11月8日 (土) 12:48 (UTC)

>③「ふんどし」の記述の可否の論議であるのに、その存続を前提として「ふんどし」を「水褌」として呼称すると提案までしていること

(個人的推測として)もし「ふんどし」という言葉自体への嫌悪感が背景にあるのであれば、呼称の変更を提案することで解決の糸口にならないかと考えて提案してみましたが、「水褌」という呼称の一般性に自分自身疑問を感じるに至ったのでこの提案は取り下げます。

>「中立的」云々の件

先の「雑多な内容~」の議論にしても今回の「中立的」という概念にしても、ウィキペディア上の方針の本来の意図・定義と違う解釈をされていると思えたので説明させていただいたまでです。ウィキペディア上の「中立」という概念は社会一般の概念と異なる場合があり、それも方針本文内でも明示されています。繰り返しになりますが、他者の異なる意見の「存在」をリスペクトする限りにおいては、Young Soldger氏もTachdad2008も中立的たりえるのがウィキペディアの理念です。記事は紛争当事者の所有物ではありません。「中立ならば当事者双方の主張を聞いてから最後に発言するべき」等、独自の判定基準をもって個人攻撃に走られるのは何卒お止め願いたいところです。--Tachidad2008 2008年11月6日 (木) 17:54 (UTC)
    • Tachidad2008 氏が主張する「合意の進め方」、「論理性」について疑問に思う点を指摘させていただきましたが、個人攻撃と受け取られて、被害者意識を持たれている以上、ここでその点の論議を続けても、本題である保護解除に向けた解決の論議とはかけ離れた方向に向かいかねません。下記のかげろん 氏が提案した、出典の提示を待って、その特筆性について論議を行うことが早期の解決に向かう道と考えます。--Young soldger 2008年11月7日 (金) 06:40 (UTC)
      • Tachdad2008個人の資質を問う議論を中止していただけるのであれば大変ありがたい事です。しかし「被害者意識」という一方的なレッテル貼りがすでにまた個人攻撃になっていると感じてはいただけないでしょうか。ここにきて、このノート上での両者の論争の責任は全てTachdad2008にあるという風に言われたいように思われるのですが、Young soldgerさんによるTachidad2008への批判(批判でないとまでは流石にいえませんよね?)がいつも先にあってTachidad2008が回答しているという事は一言確認させていただきたいと思います。私も器が小さい人間ですので正直心穏やかではなかったですが、忍耐と誠意をもって回答してきたつもりです。--Tachidad2008 2008年11月7日 (金) 15:10 (UTC)
        • どうか冷静に論議を行って戴くようにお願い申し上げます。感情的になれば誰でも自説に固執するようになります。個人攻撃を行っている訳ではありませんし、悪戯に論議を長引かせる意図はありません。ようやく中立的な第三者としてかげろん氏が現れ、仲裁に乗り出して戴いたことで、本題である「ふんどし」の記載を巡る論議に戻ることができます。--Young soldger 2008年11月8日 (土) 00:00 (UTC)
          • 冷静に議論すべきというのはそのとおりです。これまでも自分が「個人攻撃」しないように推敲をかさねてから投稿してきたつもりですが、ただ私もまだまだ未熟な点があるとも思います。私の視点からしてもYoung soldger氏が冷静でないと思わざるを得ない場面もありました。「双方冷静になりましょう」ということでここはまとめませんか。--Tachidad2008 2008年11月8日 (土) 12:14 (UTC)
          • 下段に見解を述べました。--Young soldger 2008年11月9日 (日) 19:44 (UTC)
          • 念のためですが上の文章で、「Tachidad2008は個人攻撃したことを認めた」などとは解釈しないください。少なくとも当方はそういうつもりで書いたわけではありませんので。(疑心暗鬼的に過ぎるかもしれませんが、細かい部分を取り上げられて来たので…。)何をもって「個人攻撃」と言ったかは後述します。--Tachidad2008 2008年11月8日 (土) 12:26 (UTC)
          • 下段に見解を述べました。--Young soldger 2008年11月9日 (日) 19:44 (UTC)

(Young soldgerさんへお願い)、私の書いた本項目のタイトルを変更されておられますが。もとのタイトルを残す形で注釈やカッコ付きの意見を述べていただくような形にしていただくことはできませんでしょうか。もし数日待って対応していただけないようでであれば「もとのタイトルはこうだった」という注記をいれさせていただくつもりです。--Tachidad2008 2008年11月7日 (金) 15:10 (UTC)

  • Tachidad2008氏の御主張に対し疑問を呈したことを「個人攻撃」と表示されることに納得は行きません。これではTachidad2008 の主張に疑問や意見を呈する者は「個人攻撃」とされ、論議が成立しません。自分はTachidad2008氏を「個人攻撃」を意図したものではなく、 Tachidad2008 氏の主張する「論理性」、「合意の進め方」、「中立性」に対して疑問を呈したもので、その疑問に対して納得の行く回答を戴きたいだけです。自分にはTachidad2008氏が回答される度に、Tachidad2008氏の「論理性」、「合意の進め方」、「中立性」の理解が混迷を深めたことでした。決して、Tachidad2008氏の個人攻撃を行っておりませんので、どうか「個人攻撃」と言う表現はお止め下さい。--Young soldger 2008年11月8日 (土) 00:00 (UTC)
      • 私がもはや個人攻撃の域と最終的に判断した理由を1点あげておきます。
Tachidad2008に対して「一方の当事者の代理人」と呼称されたこと

--Tachidad2008 2008年11月8日 (土) 13:23 (UTC)

        • 当事者の参加がなくても議論は成立するとTachidad2008 氏が御主張なさって220.215.161.211氏に成り代わって「ふんどし」の記述の意義をTachidad2008 氏が御主張なさったことは事実ではないでしょうか。「一方の当事者の代理人」ではなく、「220.215.161.211氏に代わってTachidad2008 氏が主張する」と記述すれば個人攻撃ではなかったと言うことでしょうか。どちらにしても意味は同じです。ましてやTachidad2008 氏が「自分は仲介者ではない」とここで明言なさっておられる以上、もう一方の当事者の220.215.161.211氏と同様にふんどしの記述の必要性を主張する立場の方であり、220.215.161.211氏の参加がなかったことで、Tachidad2008 氏が220.215.161.211氏に成り代わり、ここでふんどしの記述の意義を主張したものと理解しています。Tachidad2008 氏が当事者の参加がなくても議論は成立すると主張して、220.215.161.211氏に代わってふんどしの記述の意義を主張したことは代理人としての行為であったと論理的に考えるTachidad2008 氏なら当然理解できるものと思っております。自分は「一方の代理人」と記述したことに疚しさはありませんし、個人攻撃の意図で記述した覚えはありません。この件について少なくとも自分もルールに則って論議を行っているつもりです。それでも個人攻撃だとお考えならば自分のコメント依頼、若しくは投稿ブロック依頼を出してもかまいません。この件についてそこで論議に応じる用意はあります。--Young soldger 2008年11月9日 (日) 19:44 (UTC)
          • IP氏の参加がない場合についての考えを述べた事と、この議論における私の主張内容はそもそも別個の事柄です。本ノートの最初の書き込み時点からIP氏の書き込みについて4つのポイントを上げて考えを述べましたが、私がIP氏の書き込みのすべてに賛成していない事も明白ではないでしょうか。私とIP氏の主張が「同じ」と言うのはYoung soldgerさんの立場からすれば同等と感じられているいうことにすぎません。しかしながら本来お考えいただきたいのはその点は無く「一方の当事者の代理人」などと言うとうてい議論の本質と関係のない、特定の参加者を揶揄する言葉を使われている事自体、またそこまでして執拗に「Tachidad2008の意図はどうこうである」と主張することに拘られている事についてです。--Tachidad2008 2008年11月15日 (土) 15:32 (UTC)
            • 前述してあるように、それでも個人攻撃だと御主張なされても、既に自分の反論はここで書き尽くしておりますので、同じ反論を繰り返しません。自分の見解に変わりはありません。また、これ以上の反論をここでする意志は有りません。それでも、Tachidad2008氏が個人攻撃であるとの御主張を続けるのであるならば、ここではなく自分に対するコメント依頼か投稿ブロック依頼を提出なさって、そこで御主張を展開して下さい。そこでならば自分は論議に応じる用意はあります。この件で本来の論議から大きく逸脱してしまっていることや、他の参加者も増えている以上、ここで個人攻撃論議を行うことは相応しくない環境に変化しています。Tachidad2008氏が更にここで個人攻撃であるとの御主張を繰り返されるようであれば、逆に自分がコメント依頼を出すことも考慮します。--Young soldger 2008年11月15日 (土) 16:58 (UTC)
            • 投稿ブロック依頼の可能性に関するお話についてですが、私はYoung soldgerさんを糾弾・論破すること自体をいまだかつて目的とはしておりません。この部分の議論を続けている動機はあくまで私自身の名誉維持・自己防衛です。「個人攻撃」という言葉を使用しましたがその言葉の対象は書いた人に対してではなく「書かれた内容がそうなってしまっている」という点の指摘であり、相互理解の可能性を信じて行っております。当方に表現の稚拙・行き過ぎがあったとすれば申し訳ありませんが、意志として善意の参加者であろう両者のうちどちらかがウィキペディアでの発言機会を失うことを望むものではなく、そのような手段をとる考えは全くありません。これ以上ここでこの種の議論をつづけるべきでは無いというご指摘は全くその通りと思います。その点において強く賛成同意します。Young soldgerさんも言い尽くしたとおっじゃりながらも、ご自身が私の説に納得されておられない中でここでの議論中止をご提案いただいているもの思いますので、当方もこのチェーン(2者間論争となっている部分)の議論・コメントを中止し、本来目的の議論に集中したいと思います。--Tachidad2008 2008年11月19日 (水) 03:30 (UTC)

削除に至った理由

「ふんどし」の記述は百科事典としての記述内容に相当しないことにあることが削除した理由となります。それは、 ① 百科事典の編集に水着に言及してまで記述する必要性がないこと ② 「学校行事」の紹介項目の中で、至大荘だけ詳細な記述では他の学校行事の項目の解説内容と記述のバランスを欠くこと ③ 至大荘行事に占める「ふんどし」の位置付け、重要性が不明確であること ④ 男女比率では女子生徒が多数を占める現状で、少数の男子生徒の水着にまで踏み込んで記述する必要性はないこと ⑤ 水着が「ふんどし」であることに「特筆性」はないこと ⑥ 「特筆性」の判断は個人的な主観が混じり、個人の判断が分かれることであることで中立性が要求される百科事典の記述に相応しくないこと ⑦ 「ふんどし」の記述を必要とする客観性を担保とした文献、資料の出典がないこと ⑧ 「ふんどし」の記述を行う編集者が特定の人物に偏っていて、個人的な嗜好の観点での記述が疑われること

上記の理由によるもので、百科事典の編集で論争を呼ぶ記載は避けるべきだと考えます。また、本文に於いては自分の主観、主張を交えた加筆は一切行っておりません。百科事典の編集に於いて、記述の必要性がないとの判断で削除を行っただけです。

以上の観点で論議が行われることを望みます。--Young soldger 2008年11月3日 (月) 04:07 (UTC)追記改訂--Young soldger 2008年11月3日 (月) 09:22 (UTC)

私は「ふんどしでの遠泳は、ほとんどの学校が水着を着用しておこなっていることを踏まえると、明らかに特筆性がある」との考えですが、4番についても疑問です。男子と女子の数は「少数」と「多数」にわけるほど数に開きはなく、ほとんど同数です。--220.215.161.211 2008年11月3日 (月) 14:35 (UTC)
    • 九段は「中等教育学校」として開校してからA区分、B区分ともに男女同数ずつの生徒募集をしています。(補足:千代田区教育委員HPに記述あり)仮に中学校からの移籍学年で男女比のバラつきがあったとしても九段中等教育学校としては男女比ほぼ同数になっていくことは明らかなので「ほとんど女子の学校」という主張は厳しいと思います。--Tachidad2008 2008年11月6日 (木) 18:17 (UTC)
      • 確かに現在は男女同比率に近い状態になっていることは認めざるを得ません。一時期は女子が多数を占めた時期もあり、戦前は男子校だったこともあれば女子の存在は無視できない存在です。自分のこの主張に関しては取り下げる用意はあります。--Young soldger 2008年11月8日 (土) 00:00 (UTC)
コメント依頼から来ました。まず大本の版を読んでの私の意見は「丸ごと削除するまでにはあたらず、部分修正すればよい」というものです。ふんどし記述を削除したほうがいい理由は見当たりません。以下、基本的にYoung soldgerさん向けのコメントです。
いったん「特筆性」に議論を絞ろうという話になったようですが、Young soldgerさんが削除理由として特筆性以外も含めた8項を挙げられていますので、ひとつひとつコメントします。
  1. 伝統衣装?として定まっている以上、行事の説明として書いてあってもおかしくないことでしょう。「記述すべき」ではなく、「記述してもよい」です。必要性がないにしても、削除を決定づける理由にもならないことです。冗長すぎるのでもなければ、説明が詳しいに越したことはないので、記述されていないよりは記述されていたほうがいいですよ。
  2. バランスの悪さが削除の理由になる場合、誰の目にも明らかなほど偏重しているはずです。でも私がリバート前の版を読んだところでは、詳細と言うほど詳細でもないし、バランスが悪いとも感じませんでした。それに、どうしてもバランスが気になると仰るなら、他を加筆することで解決すべきですよ。ネタ不足でそれができなくとも至大荘行事の記述だけが異常に突出しているようには見えませんから、バランス云々は削除理由として不適当だと思います。
  3. 「1」と同じです。
  4. この際、少数派だから必要性がない、という理屈は成り立ちません。事実であり意味があれば記述してもよく、意味については「1」を。
  5. 結局のところ、削除理由として挙げるのに正当性がありそうなのはこの「特筆性」だけだと思います。後述します。
  6. 判断が分かれたなら議論すればよいのです。議論になりそうだから削除、という理屈はおかしいです。これも後述します。
  7. これはいまひとつ仰っている意味がわかりかねますが、要出典ということでしょうか? 「最大の」とか「巣鴨中学ぐらい」、マスコミ云々といったところのことであれば私も不適切だと思いますし、そこを削ればよいだけです。でもふんどし記述とは直接関係ありませんよね。
  8. 「個人的な嗜好の観点での記述が疑われる」とは具体的にどういう問題なのでしょうか? Tachidad2008さんが仰るように、Mikomaidさんが他所で問題を起こして投稿ブロックを受けたからと言って、この記事にも問題があるとは限りません。ここで投稿された内容に問題が無ければ、それでいいのですよ。問題があったとしても他の編集者を締め出しているわけではありませんから、修正すればよいだけのことです。あるいは削除したほうがよいという話になるかもしれませんが、現状その判断材料が乏しいので、具体的にどこがどう問題なのかご意見ください。私は(7で挙げた点を別にして)ふんどしについては行事説明として適当な事実が書いてあるだけなので問題ないと思いますけど……。
さて、1~8のうち、削除の理由として正当性がありそうなのは5の「特筆性」(と8かな?)、というのが私の結論です。Young soldgerさんとTachidad2008さん・IPさんが意見対立しているメインもここですよね。特筆性についてはハッキリとした線引きがあるものではなく個人の主観によるので、究極のところは多数決(投票)ということになってしまいます。議論は可能なかぎり合意に持っていく方向で進めるべきなので、Young soldgerさんにおかれましては、「特筆性がない」の一言だけではなく、たとえば「あそこでもここでもふんどしで遠泳しているから珍しくなどない」などといった、もう少し突っ込んだ説明をして頂きたいと思います。そうすれば落としどころも探しやすくなります(「珍しくない」はあくまで特筆性を否定する例ですので、「削除すべき必要性」といったものでも構わないのですが、Young soldgerさんはその観点から削除なさったわけではないのですよね……)。
私は「ふんどし着用」はいまどき珍しいので特筆性はあると思いますよ。どれだけ珍しいか具体化はできませんけど、一般的な感覚からしたらやっぱり珍しいことでしょう。仮に特筆性がないにしても、行事説明の一環として不適切でもないと考えます。
またYoung soldgerさんは「百科事典の編集で論争を呼ぶ記載は避けるべきだと考えます。」と仰っていますが、議論防止のために削除しておこう、というのは記事の編集態度としていささか乱暴です。編集合戦の予防目的でページ保護が行われないように、議論防止のために削除するのも認められないことでしょう。あらかじめ避けられるなら避けたほうがいいとは思いますが、すでに記述されているものを削除する理由にはなりません。
そして、記事内容の「削除」もまた「記述」と同じく、「編集行為」であることをご理解ください。記述していないから主観的ではない、というわけでは決してありません。長ったらしく否定ばかりを重ねてしまいましたが、ご一読をお願いします。--矢側 2008年11月5日 (水) 14:13 (UTC)
(コメント)かげろんと申します。「ふんどし」関連は何か荒れる原因によくなるなあと思いつつコメントさせて頂きます。まず最初にですが記載を望んでいる方が、出典をお出しください(記載を希望する方が出典を提示するのが原則です)。出典が出せないのであれば、検証可能性を満たせないですし、独自研究の観点からも問題になりますので「ふんどし」関連の記述は削除されるべきです。出典が見つかってから、改めて特筆性があるかどうかの議論に移った方がよろしいのではないでしょうか。すべてをまとめて議論しようとすると必ずと言っていいほどグダグダになりますので、まずは出典からかたずけていくべきだと考えます。--かげろん 2008年11月6日 (木) 12:22 (UTC)
かげろん氏の提案なさる出典の明示から始めることに賛成します。そこで記述の論議が問題解決の最善の道だと思います。--Young soldger 2008年11月6日 (木) 19:18 (UTC)
では、まずYoung soldgerさんが出典を求めてらっしゃる部分を明確にしたほうがいいでしょう。
  1. 「九段最大の伝統行事である」の「最大」
  2. 「男子は濃いエンジの六尺褌、女子は濃紺のスクール水着の上に黄色の腰ひもを付けて行う」
  3. 「本格的な遠泳を行う学校は、東京では巣鴨中学ぐらいと少なくなってきている」
  4. 「マスコミなどを通して報道されることも多い」
のうち、1と3と4の三点ということでよろしいでしょうか。それとも2も含めた全部なのでしょうか。これまでの議論を見るに、含んでいないようだ(要出典は1,3,4であり、2については別の削除理由がある)と私は捉えていますが、合っていますか?--矢側 2008年11月7日 (金) 11:33 (UTC)
(コメント)私は2も当然含むと考えています。別の削除理由については、おそらく特筆性に関することだろうとは推測しますが、それ以前に大原則である「検証可能性」「独自研究は載せない」に違反していないかどうかを出典によって確認することがまず先決でしょう。--かげろん 2008年11月7日 (金) 12:32 (UTC)
改めて読み返したら、Young soldgerさんはいろいろな理由を挙げてから結局出典という話に持っていっているようですね。しかし後になってまた言った言わないでモメると議論停滞になってしまうので、かげろんさんのご判断はそれとして、Young soldgerさんご本人もお答えください。
ところで、いまちょっと検索したら勝浦市公式サイトの広報かつうら2008年09月 (PDF)に「男子生徒は赤いふんどし姿で、女子生徒は腰紐を付け」との記載があり、九段公式サイトの2008年8月5日記事に写真(静止FLASH)が載っていました。どっちもすぐ見つかりましたよ。女子の腰紐の色まではよくわかりませんが、出典はこれらで如何でしょうか。--矢側 2008年11月7日 (金) 14:12 (UTC)
せっかくの御意見を戴きながら矢側氏への返答が遅れて申し訳ございません。Tachidad2008氏との間での論議が膠着してしまい、本質的な論議が行われなくなってしまったことは不明の至りです。早期の合意形成を目指す意味でも、かげろん 氏の提案を土台として、「ふんどし」の記載を巡っての論議に特化し、その時点で論議したく存じております。その節には矢側 氏の積極的な論議の御参加をお願い申し上げます。--Young soldger 2008年11月8日 (土) 00:00 (UTC)
(お礼)自身で呼びかけた”コメント依頼”に呼応していただいた方々にお礼を申し上げておらず失礼しました。矢側さんとかげろんさんのこのノート議論へのご参加を感謝いたします。何卒よろしくお願いいたします。--Tachidad2008 2008年11月8日 (土) 16:01 (UTC)

(コメント・インデント戻します)広報かつうら2008年09月 (PDF)が出典としては今のところ最適だと考えます。マスコミの方はある程度期間経ると消えてしまいますのでねえ。方針・ガイドライン上は出典として一次情報源よりも二次情報源の方が望ましいと考えられているので、九段公式HPよりも広報かつうらの方がより良いと言えるでしょう。--かげろん 2008年11月7日 (金) 14:45 (UTC)

特筆性の議論に移る前の暫定案

出典も提示されたことですし、暫定編集案を一度提案しておきます。

  1. 腰紐の色に関する記述は削る。
  2. 「六尺褌」は単に「ふんどし」へ表記を変更する。

この案で合意が得られるようでしたら、編集した上で特筆性に関する議論を始められるとよろしいかと考えます。--かげろん 2008年11月7日 (金) 14:45 (UTC)

(賛成)「六尺褌」は無理だろうとは思ってましたが腰ひもの色の件は思い至りませんでした。議論の進め方、暫定案ともに賛成します。--Tachidad2008 2008年11月7日 (金) 16:36 (UTC)
仲裁者のかげろん 氏の提案を歓迎します。--Young soldger 2008年11月8日 (土) 00:00 (UTC)
(コメント)ご意見感謝します。あと、昨日提示するのを忘れておりましたが、「褌」と「紐」は常用漢字外なので、本文中にこの表記が残っていたら、暫定案の合意が得られた段階でひらがな表記に変更しようと思いますがいかがでしょうか?--かげろん 2008年11月8日 (土) 00:51 (UTC)
(コメント)常用漢字外を外すべきなのかどおかは見識が足りないので意見を控えますが、出典とみとめられるものの表記にしたがうのが妥当だと思うので、結果として「ふんどし」「腰ひも」が最適に思えます。(矢側さんの引用では「~腰紐を付け~」とされていましたが、原文は「腰ひも」でしたので。)”広報かつうら2008年09月”や”九段中等教育学校の公式ホームページ”では「赤いふんどし」という記述もみられますが「腰ひも」の方では色に言及しないので、表記をそろえる事で良いと思います。 --Tachidad2008 2008年11月8日 (土) 09:12 (UTC)(補足追記)--Tachidad2008 2008年11月8日 (土) 15:52 (UTC)
「ふんどし」で検索をかけてもWikipediaの項目が上位に来ない事実は、結局、世間で通用するのは漢字の「褌」であるからではないかと推測しています。常用漢字以外は載せないとの方針としても、既に「六尺褌」、「越中褌」の項目で実際に使われており、検索結果も上位に来ることを考えれば平仮名の「ふんどし」よりも漢字の「褌」で記載して論議しても良いのではないでしょうか。--Young soldger 2008年11月9日 (日) 19:54 (UTC)
(コメント)項目名には常用漢字外の漢字を使用しても差支えないと思いますが、本文中はさすがにWikipedia:スタイルマニュアル#日本語表記に配慮しないといけないのではないでしょうか(「褌」は固有名詞でも地名でもなく、単なる普通名詞ですからねえ)。--かげろん 2008年11月10日 (月) 12:11 (UTC)
表記についてはすべての問題が片付いて「記載する」と決まったら余力でこなせばいいんじゃないでしょうか。
水着の「出典の有無」は解決したものと考えますので、議論を特筆性に移してはどうでしょう? 最大・巣鴨中学・マスコミ云々という点は、出典待ちである現状では「記載しない」という結論で動きませんよね。--矢側 2008年11月10日 (月) 15:09 (UTC)
(コメント)一応、IP氏の方へもコメントの呼びかけを行っていますので、合意形成に従って、今週の金曜日まで編集を待って頂けたらうれしいです。今週の金曜日の夜になって応答がないようでしたら、いったん暫定案を反映した編集を行いたいと思います。--かげろん 2008年11月11日 (火) 12:03 (UTC)
当初は紐については論議の対象とされていないので不要ではないでしょうか。それと「丼」なども常用漢字ではないのに通常使われているので「ふんどし」から「褌」に代えてもWikipedia:スタイルマニュアル#日本語表記にいたずらにこだわる必要性があるのかと個人的には疑問に思っています。--Young soldger 2008年11月11日 (火) 12:35 (UTC)

(コメント+インデント戻します)余談ですが「丼」は次の改定で常用漢字に採用されるみたいです文化審議会国語分科会漢字小委員会の追加候補(PDF)ので、現状が常用外でも大丈夫でしょう。あまり、スタイルマニュアルにこだわりすぎるのはどうかとも思いますが、ふんどしは漢字に相当慣れている人でないとちょっときついかな、とも思うんですよね。腰ひもの色の件に関しては、「検証可能性」に配慮してのことです。現状では、色の書いてある出典が見つかっていないので「検証可能性を満たしていない」「独自研究ではないか」という指摘が起こり得ます。Wikipediaでは「特筆性」も当然大事なことですが、それよりも「検証可能性を満たすこと」と「独自研究は載せない」が最優先事項となりますので、色の記述を削る提案をしたのは最優先事項に配慮してのことであります。ご理解頂きたいと思います。腰ひもも明確に色まで書いてある信頼できる情報源として扱える出典があれば、その時に記載して頂ければ問題ありません。単に漢字表記の件だけでしたら、無視しちゃって結構です。--かげろん 2008年11月11日 (火) 13:22 (UTC)

(かげろんさん宛のコメント)すいません、先だっての時点での議論進行は性急でしたね。待機で了解しました。ただ、暫定案を一旦記事に反映するというのもYoung soldgerさんの削除理由の残り「他項目の記述とのバランス」「特筆性」「個人的な嗜好」の三点が解決されて、「記載する」との合意が得られてからにしたほうがいいでしょう。出典が解決した段で編集しても、他の理由で結局削除となったら、無駄に版を重ねることになってしまいます。あと、色の記述については、かげろんさんのご主張に同意します。削ってからと言って文意が変わるわけでもありませんしね。
(Young soldgerさん宛のコメント)さしあたり、ふんどしの「出典」についてはYoung soldgerさんは納得されたものと考えてよいですか? 最初に出典を疑問視したYoung soldgerさんによる「この出典で納得した」という趣旨の(明確な)発言が見られないので、確認させてください。また、削除理由のひとつ「男女比」について「自分のこの主張に関しては取り下げる用意はあります。」とコメントなさっていますが、取り下げるのでしょうか? 取り下げないのでしょうか? 後になって「あの話は終わった・終わってない」等の誤解で議論が巻き戻ると混乱しますので、こういう点はどうかはっきりお答えくださるよう、お願いします。
(Tachidad2008さん宛のコメント)今更な感もあることなのですが、ページの編集(コメント投稿)に際しては、一部の投稿につき一回編集するのではなくて、できるだけ一括で投稿なさってください。ガイドラインで記事への連続投稿は減らすように推奨されており、版がどんどん重なっていくことの不都合はノートページでも同じことだと思います。よろしくお願いします。--矢側 2008年11月13日 (木) 13:03 (UTC)
分岐した議論に個別にコメントをつけていたためご指摘の状況(連続投稿)となってしまいました。実の所本ノートの履歴を見るにつけ自覚(反省)していたところでして、今後は外部エディタでの事前編集など工夫をしようと考えていた矢先でした。まったくご指摘の通りですので今後改善したいと思います。よろしくお願いします。--Tachidad2008 2008年11月13日 (木) 18:30 (UTC)
このような出典の根拠で論議しなければならないことは情けないと思うのが本音ですが、他に検証できる出典が示されない以上、やむを得ないと思います。--Young soldger 2008年11月14日 (金) 15:20 (UTC)

暫定編集案に対する意見のまとめ

  • 腰紐の色に関する記述……反対意見がなかったので、合意に達したと判断できる。
  • 「褌」から「ふんどし」、「紐」から「ひも」……特筆性の議論が終わるまで保留。

編集保護のため、まだ編集できませんでした。--かげろん 2008年11月15日 (土) 12:49 (UTC)

特筆性の議論

出典が示されたことですし、そろそろ本題の特筆性の方に議論を移していきたいと思いますので、以下で議論の方をお願いいたします。--かげろん 2008年11月15日 (土) 12:49 (UTC)

他校の「ふんどし」に関する記述について

ふんどしの記述の賛否についてこちらで議論がなされているので、他校についても言及しておきます。学習院中等科でもYoung soldger氏が特筆事項でないとして削除していますが、公式サイトに記述があるように、赤ふんどしによる遠泳は乃木希典が院長だった時代より続く伝統行事であり、十分特筆性があると思われます。いかがでしょうか。--220.215.161.211 2008年11月15日 (土) 08:50 (UTC)

(コメント)他校のことは、その記事のノートで議論してください。わざわざ、こちらで触れる必要がありません。--かげろん 2008年11月15日 (土) 11:47 (UTC)
他校のことはともかくとして、もう一方の当事者である利用者:220.215.161.211氏はどちらにせよ、ふんどしの特筆性についての主張は共通性があるものなので利用者:220.215.161.211氏の議論参加は歓迎されるものではないでしょうか。また、かげろん氏の論議参加呼びかけに応じた形でもあるものです。ここでは利用者:220.215.161.211氏にも「ふんどし」の「特筆性」に限って論議を行っていただきましょう。利用者:220.215.161.211氏の主張の背景にある特筆性の定義や、以前出典と示された文献が虚位のものだったこと、再三の議論参加の呼びかけを無視して編集を強行された理由などを伺って、その編集意図を確認したいものがあります。--Young soldger 2008年11月15日 (土) 13:48 (UTC)
(コメント)単に「ふんどし」といっても、それぞれの記事によって事情が異なるので十把一絡げに議論できるのか?or議論していいのか?と思います。ある記事での議論を別の記事での議論の参考にするのはありかも知れませんが、一つの記事で方向性が決まったからと言ってそれを他の記事に押しつけたとなると厄介な問題に発展します。もちろん、IP氏がコメントを寄せてくれたのはありがたいのですが。--かげろん 2008年11月15日 (土) 14:09 (UTC)
どちらの項目も双方が編集の当事者なので自分は問題はないと考えています。--Young soldger 2008年11月15日 (土) 14:33 (UTC)
共通性があるにせよ、別記事のノートに出張ってまで同時進行する必要はありません。議論はどちらかが片付いてからもう一方に取り掛かったほうが話が簡単になるでしょう。後者は前者を参考にできるので(参考にならなかったら、それは別々に議論すべきだったことの傍証ですよ)。まず九段記事について話をまとめるのが先決だと思います。で、「他校の「ふんどし」に関する記述について」というセクションなのですが、あちこちにコメントを分けるのは議論進行の現状がわかりにくくなると思いましたので、「至大荘行事のふんどし」のみについて以下に続けてコメントします。この議論、セクション増えすぎですよ……。
私は以前「一般的な感覚からすれば珍しいだろうから」という理由を挙げました。感覚的なもので強い理由にならないことは承知していますが、「ふんどしは珍しくない」という理由で削除とする意見も(これまでのところ)ないようです。また、至大荘の遠泳それ自体に「およそ80年続く伝統行事(広報かつうら)」という特筆性があり、その参加衣装として一文載せてもおかしくないでしょう。
それから、かげろんさんが編集を試みなさったようですので念のため。すべての議論が終わって「ふんどしについて記述する」との合意に至る前に(暫定案を)記事反映することには反対します。最終的に削除となった場合、無駄に版を重ねたことになる可能性があり、かつ暫定的な状態でも記事に載せておくべきだという理由が見当たらないからです。まあ、記事が保護状態では関係ないことですけどね。--矢側 2008年11月19日 (水) 15:47 (UTC)
私も至大荘行事の説明として着衣であるふんどしについての簡潔な説明があってまったくおかしくないと思います。一般の感覚として今時ふんどしで遠泳をすること自体がふつうにユニークな事であろう、自分以外の大部分の人もおそらくそうであろうと思うからです。もちろん自分の感性が一般とずれている可能性もあるわけですが、ノートの議論の参加者の大勢がどうであるかでそれを測れば良い事かと思います。前身の九段高校での至大荘行事について2004年に放映された報道番組についての記述を日本テレビの公式HPの中に[[11]]見つけたのですが、この番組のタイトルが「夏空の赤ふんどし」とされていた事も、やはり高校生がふんどし姿で学校行事に臨む姿は一般感覚でユニークであるという事を示しているように思います。
女子の水着についてはそれ単独では特筆性があるとは思いませんが、男子について記述される事になれば、情報として併記しておく事は百科事典的にも自然であると思います。--Tachidad2008 2008年11月22日 (土) 06:25 (UTC)

(インデント戻します)

ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは単なる知識ベースではありません。「ウィキペディアは単なる知識ベースではありません。ウィキペディアは、単なる知識ベースではありません。すなわち、単なる情報やデータを無差別に収集する場所ではありません。百科事典として適切となるよう体系的に整理し、文章による解説をしてください。また、100%真実だからといって、百科事典の項目に相応しいとは限りません」と記述されてあるように、ここで記述が提案されようとしている至大荘行事における男子水着の「ふんどし」について、「ふんどし」の意義が百科事典として適切となる文献が示され、体系的に整理されて記述されている訳でもなく、単なる「特筆性」と「事実の確認」だけの主張だけで記述することは百科事典としての定義を満たさず、その「特筆性」の定義も、これまでの論議では個人的な主観を反映したものに過ぎないことは明かとなっています。スクール水着も「ふんどし」に限らず、最近では競泳用男子水着でも「珍しい」と思われる方もいるようで、個人の主観が別れている現状です。ここは雑貨事典ではありません。そこまでして記述にこだわるならば、それに見合う文献の出典の明示と体系的に整理された記述内容が必要と思われます。市の広報の記述だけでは事実確認がなされただけで、百科事典として至大荘行事の記述で男子水着にまで言及する意義を満たすには不十分な資料です。従って、現時点では、男子水着の「ふんどし」にまで言及する記述は不要であると主張せざるを得ません。--Young soldger 2008年11月22日 (土) 12:25 (UTC)

WP:WINで言う「体系的な整理」とは、今件に照らし合わせると「伝統行事ですとだけ記述するのではなくて、どういう伝統行事なのかを記述する」ということですよ。「遠泳を行う」よりも「これこれこういう遠泳を行う」と記述したほうがよいわけです。つまりふんどし記述は至大荘行事の体系的整理を助けるものです。これがふんどしではなく、なんの特徴もない単に「水着」としか言いようがないものだったなら、遠泳である以上水着を使用するのは言うまでもないことで、あえて記述する意味はそれほどないでしょう。ということで結局は「ふんどしの特筆性」に話がいきます。
どうもYoung soldgerさんは「(主観でわかれるものだから)特筆性を重視してもしょうがない」と仰っているかのように思えるのですが、「男子水着にまで言及する意義を満たす」というのは、まさに特筆性の有無のことではないのでしょうか?--矢側 2008年11月22日 (土) 16:08 (UTC)
「体系的に記述されているべき」は対象となる記事の方の話であって出典の資格を言っている訳ではありません。ふんどしの記述が体系性を崩す訳でなく矢側さんがおっしゃるとおりむしろ全体として記述をより体系的(百科事典的に)にするために寄与すると思います。私がYoung soldgerさんのご指摘で気になったのはそちらよりもむしろ特筆性WP:Nの解釈に関する部分です。「私は議論参加者の大勢意見で判断すれば良い」と考えていましたが、WP:Nの記述ではそれを明確に否定しており、間違いだったと気づきました。WP:Nでは特筆性有無の前提として「その話題が信頼できる公表された著作に含まれるかどうか」としていますのでこの基準でもう一度考え直すべきと思います。その意味でこの議論でこれまでに挙げられている九段公式HP、広報かつうら、日本テレビ公式HP等の複数の情報源はWP:Nの要求を満たしていると思うのですがどうでしょうか。--Tachidad2008 2008年11月23日 (日) 03:20 (UTC)
上記でTachidad2008さん、矢側さんが述べるように、「単なる知識ベースではない」というのは、ただ情報が無造作に散らばっているのではなく、「ある項目に関して秩序付けて記載されている」=「体系的整理が行われている」ということです。
競泳用水着というものは、名前にもあるように大元は水着です。対してふんどしは、大元はやはりふんどしであり水着ではありません。ということは、一般に、遊泳は水着で行うという認識があるならばふんどしで行うことは特異であり、それは「至大荘行事」での「遊泳」というものがどういうものであるかというものへの体系的整理にもなるのではないかと思います。----Saideyun 2008年12月13日 (土) 16:53 (UTC)
私もWP:Nについて誤解していましたので、「特筆性あり」の理由として「一般的には珍しかろう」というのは取り下げます。しかし、これまでに出典として挙げられたものでは「水着」とはキッパリ区別され、「ふんどし」と固有名詞が使われていることから、「ふんどし=特筆性あり」との判断のもとに紹介されていると考えられます。従って、特筆性あり、との私の結論には変更ありません。
で、Young soldgerさんの「それに見合う文献の出典の明示と体系的に整理された記述内容が必要と思われます。」という言葉のうち、出典は問題ないものと思います。次に、体系的整理についてはYoung soldgerさんがWP:WINを誤解しているだけで、実際には問題ないと考えられます。Young soldgerさんの回答待ちです。ここで議論が進行中であるにも関わらず、東京都立九段高等学校にて至大荘ふんどし関係の削除編集を行っているくらいですから、まだ納得のいっていない部分があるものと思いますので、そのあたりのご説明を頂きたいところです。--矢側 2008年12月28日 (日) 15:13 (UTC)
議論の流れからYoung soldgerさんの発言待ちとなっていますが2008年11月22日からもう2か月近く発言がありません。このまま特筆性についての議論に反論が出ない場合、やむをえない措置として、残った参加者で議論のまとめに入ったらどうかと思うのですがいかがでしょうか。(もちろん、Young soldgerさんにご発言いただくことがベストと思っていますので念のため。)--Tachidad2008 2009年1月20日 (火) 14:31 (UTC)
Young soldgerさんの利用者ページに議論参加の呼びかけを行いました。反応待ちということでもうしばらく(一週間くらい?)時間を置いて、それでも音沙汰なければ、残存者で議論を続けてよいと思います。--矢側 2009年1月25日 (日) 12:00 (UTC)
1週間待ってもYoung soldgerさんの反応がないようでしたら、今いてる方達で議論をまとめていく方が良いと思います(ただ、Young soldgerさんが12月19日以降姿を見せてないので、反応があるかどうかは期待薄ですかね)。--かげろん 2009年1月25日 (日) 12:49 (UTC)
音沙汰無しのようですね。東京都立九段高等学校のノートページの方でも一応呼びかけましたが、全く反応無しです。このまま残存者のみの議論でいくしかないようですね。--Saideyun 2009年2月1日 (日) 15:11 (UTC)

(インデント戻します)

出展についてはもはや十分挙げられておりYoung soldgerさんもこの点については反論されていないので問題なしと見なして良いですね。特筆性についてもWP:Nに従えば複数の2次情報源(一般メディア、および自治体による情報発信があり質的にも議論の余地なし)が特筆性を証明している事になります。体系的記述も「ふんどし」が入ったら体系的な記事でなくなるということについて合理的な説明はありませんし、追加の反論もでないわけですからこれもOKでしょう。

・「最大の」など主観的表現

・無関係の他校への言及

・マスコミ報道があった事の紹介

の3点を削除し記事を再構成すればと思っていますがいかがでしょうか。他の参加者の同意をいただけるのであれば、議論の途中にご提案いただいたかげろんさんに今回の結論として編集記述していただければありがたいと考えておりますがご検討いただけないでしょうか。--Tachidad2008 2009年2月6日 (金) 01:23 (UTC)

(コメント)編集を依頼される件については了解しました。あとは、他の方のご意見をもとに合意を形成した上で、それを反映させたいと思います。--かげろん 2009年2月6日 (金) 11:39 (UTC)

私事でしばらく編集に参加できなかったことをまずはお詫び申し上げます。 百科事典の編集と雑貨事典の編集を混在なさっておられる方がいると思い、百科事典としての本来の学校紹介記事の意味を失い、枝葉の記述に陥る懸念の主張は変わり有りません。何故、ふんどしでならなければならないのか合理的な説明もなく、他で用いられていないので珍しいから特筆性があるなどの論理で百科事典として記述に相応しいと主張なさる方々について、自分には百科事典の在り方とは何かを考えると、未だ納得できないことと、もう、論理性を以て相手を説得できる能力はない以上、多数決を以て決定するならば自分はこれ以上論議に参加するつもりはありません。自分はこれまで示された二次出典資料の内容でも、自分は百科事典としての記述に加えることに賛同できる内容ではないことを最後に申し添えます。--Young soldger 2009年2月7日 (土) 00:01 (UTC)

(Tachidad2008さん宛)自分はその三点に同意します。
(Young soldgerさん宛)「ふんどしでならなければならない」とは誰も言っていませんが、それを記述することによって体系的整理が進むという回答は出ています。「珍しいから特筆性がある」は既に取り下げた意見です。そして「多数決を以て決定」という状況でもありません。議論参加者の中にはYoung soldgerさん以外に反対者が一人もいないので、Young soldgerさん以外の人間で話を進めると「記述する」という結論になるのは当然です。Young soldgerさんの挙げられた反対理由にはすべて回答が与えられているのに一切無視し、現在の議論状態を把握しないままにただ賛同できないと言われても、それはノイズでしかありません。--矢側 2009年2月8日 (日) 13:31 (UTC)

(コメント+提案)記載すべしという意見・削除すべしという意見双方のコメントを読んでいて、あらためて思ったことは、「至大荘行事とは、千葉県勝浦市の至大荘で行われる遠泳行事である。」という一番基本の部分(文章)にどこまで肉付けをすべきかということだと考えます。「データベースではない・学校の記事としては枝葉末節」なのでふんどし関連の記述は不要という考え、「特筆性を満たしている」のでふんどし関連の記述は必要という考えは双方とも一理あるものです。かといって、このまま双方がもめ続けてもどうしようもありませんし、Wikipediaの発展には到底つながり得ないことだろうと考えます。そこで双方への提案ですが、「ふんどしに関する記述」は至大荘行事の記述の最後に脚注(<ref></ref>でくくった記述にする)として記述することで妥協はできないでしょうか?双方ともそろそろ落とし所を探る時期だと考えます。--かげろん 2009年2月8日 (日) 14:00 (UTC)

かげろんさんのコメントとご提案に対して)Wikipediaの発展のための善意によるご提案であることと思います。しかしながら、以下の2つの理由によりご提案には賛成できません。この意見もまたWikipediaプロジェクト貢献の視点から発している事をご理解いただければと思います。
    • 理由①例えば公式方針Wikipeiaにおける中立的観点の中で「(偏りの無い記述とは)様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。」と説明されています。意見の一致が実現しないからといって中間的妥協点を探る方法はWikipedia的でない解決法だと考えます。
    • 理由②Wikipeidaでの特筆性とはつまり、「記事にするに値する」事象といえるかどうかということにです。「特筆性がある」と「~枝葉末節で記事にするにおよばない」という2つの要件はどちらかが真でどちらかが偽でなければ成り立ちません。これまでの議論の中で「特筆性」についてはWP:Nの要件を十分満たしていることが確認できており明確に結論付けられています。(「一般にめずらしいから」という理由からではもはやありません。)確認済みの内容についていつまでも納得できない参加者がいるからといってそれに考慮して妥協案を記事にするのはプロジェクト発展に逆行する事になると考えます。
WP:DRの示す論争解決のステップでは合意を目指しての議論が出尽くした段階で投票を実施することを認めています。仮にこの段階で投票を実施したとしても数により少数意見を押し切った事にはならないと考えます。--Tachidad2008 2009年2月11日 (水) 16:33 (UTC)
(コメント)理由1について、この場合には中立的観点を持ち出すのは適当ではないと考えます(中立的な観点で述べられていることは、「あることがらに対してさまざまな立場があるときは"△△の意見は多数である"、"○○の意見は少数派である"旨まで踏み込んで記述する」ということを求めているわけで、この議論に関して中立的観点を持ち出すのは変だと思います)。
理由2について、特筆性に関してですが「至大荘行事」の単独記事であれば「ふんどし」の記述は必要でしょうし、重要性はあることは十分な理解が得られるでしょう。しかし、「千代田区立九段中等教育学校」というより大きな枠になった場合では「ふんどし」の重要性は大きく低下するのではないでしょうか(Young soldgerさんが恐らく言いたかったのは、「ふんどし」は「至大荘行事単体の記事」では重要性(記述の必要性)は認められるが、「千代田区立九段中等教育学校」という「至大荘行事」より大きな枠での重要性が認められるないということだったのではないかと考えます。まあ、こればっかりはご本人にお尋ねしませんとはっきりわかりませんが)。私が思うに、現行の議論ではその点がまだ解消されていないと考えられます。
また、WP:Nは先日大幅な変更がなされ、議論当初の文面とは大きく変わりました。現行の文章(2009年2月11日 (水) 14:57 Dwyさんによる版の段階)では、一般的な特筆性のガイドラインの節で「「推定できる」とは、複数の信頼できる情報源において独立した言及がなされているとき、特筆性があることの推定(保証ではありません)を与えることを意味します。この基準を満たしていても、編集者の間で合意形成がなされて、収録にふさわしくないとされることもあります。例えば、ウィキペディアは何ではないかに違反している場合などです。」と記されています。
また、記事内容の特筆性の節では「特筆性のガイドラインは、ウィキペディアにおいて、その話題が単独の記事として十分な特筆性があるかどうか、というものを示します。 記事の中に書くことができるかという意味での「特筆性」といった場合、このガイドラインはそのような特筆性について直接影響しません。
しかし「特筆性」という単語は、百科事典的な概要を書く上で、どれぐらいの詳細に書く必要があるのかといったレベルを説明するための「重要性」という意味でも使われます。 各記述は、その重要性に従って適切な重みをかけて扱ってください。 どこまで詳細に説明するか、記述の量、その記述の目立ち方や同等の記述を書く場合の順番など、どうしても記述の重みが偏ってしまう場合は、その重みのかけ方に注意してください。」
と記されています。よって、現段階では記事内容に対してWP:Nを持ち出すのは不適ではないかと指摘しておきます(あくまでWP:Nは、現在の段階では記事立項の基準として捉えるべきガイドライン草案です)。
(報告)議論活性化で昨年の11月にコメント依頼が出されておりましたが、合意形成の方で改めてコメント依頼を出し直しておきました。--かげろん 2009年2月12日 (木) 12:50 (UTC)
WP:Nに変更があったことはご指摘までしりませんでしたので、改めて精読するようにいたします。現時点で草案であることも承知しておりますが、当の「特筆性」を議論する以上は当然拠り所となるべきかと思っております。理由1の方ですが私自身は「中立の観点」は参加者個人の信念と異なる意見に対しても、意見の存在自体を無視せず記述を行うという事を求める考え方(観点)ですので、その意味でここでの議論と決して無関係では無いと考えます。
学校記事全体と項目としての行事記述での特筆性の違いについてのご指摘は、ここでのこれまでの議論の中では新しい視点ですので改めて議論されるべきかと思います。いずれにせよ議論継続ということですからいったんよろしいですよね。--Tachidad2008 2009年2月12日 (木) 19:51 (UTC)

Young soldgerさんから私の会話ページにお誘いがあり、こちらの議論を知りました。なお、Mikomaidさんとはノート:和太鼓で多少やりあったことがありますので、その分割り引いていただいて結構です。

さて、個人的に言わせてもらえば、ふんどしは祭り等のイベントでは珍しいとはいえない(六尺ではないものの博多祇園山笠等)ため、あえて百科事典に記述するほどのことなのか、と少々疑問に思います。また至大荘行事そのものが、およそ80年続く伝統行事とはいえ、いち中等教育学校の特定年次のみを対象とした行事に過ぎない(全体行事ですらない)こともあり、取り立てて特筆すべきとは思えない、というのが正直なところです(これは言わば「学校記事」の視点)。

しかしながら、別の見方としては、およそ80年続いている学校行事であること、勝浦市の広報誌(地方自治体の広報誌は宣伝誌としての側面があるため出典としては弱い気がしますが)に紹介されていることなどを鑑みると、それなりの特筆性はあるといえるでしょう(こちらは「行事」に対する視点)。となると、単純に「ふんどし」を除去すればよいというものでもなさそうです。

ここは、最低限の事実の記述(「男子はふんどし着用。女子は水着着用の上に腰ひも。」ぐらいか?)とした上で広報かつうらを脚注にするというあたりが落としどころのような気がしますが、いかがでしょうか。-- 2009年3月16日 (月) 09:31 (UTC)

(コメント)至大荘行事は九段の生徒(旧九段高校含む)になれば避けては通れない行事ですから、記述はあってしかるべきだろうと思います(内容をどの深度まで書くべきかはさておき)。一応、<ref>と<ref group>の方を使い分けることで脚注と出典は分割して記述できるので、私は上のような仲裁案(「ふんどし・腰ひも」は脚注へ、出典は脚注の中に入れ込む形で記述可能)を出した次第です。--かげろん 2009年3月16日 (月) 13:10 (UTC)
(コメント)どのように記載するかにはこだわりません。ただ私などから見ると、詳細に記述するほどの特筆性があるとは思えないが、除去でこと足れりというようなものでもない、といったところから、先のコメントになっています。-- 2009年3月18日 (水) 22:28 (UTC)
(脚注で記述する事に関して)郁さんの議論ご参加ありがとうございます。さて、かげろんさんのご提案の脚注で記述する事についてですが、「脚注」で記述されるのは本来、参考文献、本文についての注釈・補足コメントといった範囲でろうかと思います。行事で使用する衣装・水着についての説明をわざわざ本文から切り離して脚注で記述するという事について違和感を感じるところがあります。かえってデータベース的・情報羅列的記述に陥らないかという心配をするのですがその点は如何でしょうか。--Tachidad2008 2009年3月28日 (土) 12:14 (UTC)
(コメント)衣装の記述に関してですが、学校記事という観点からは本文に書くほどの重要性があるのかというとない可能性が高いです(行事の観点からは重要性が高いということは認識しております)。この2つの考え方を両立させるのは並大抵のことではありません。よって、衣装の記述は本文の補足として扱わざるを得ないだろうというのが落としどころだと考えたところです。脚注と出典は節を分離して対応させることが可能です。文例:~~~~遠泳行事である[脚注 1][1]
  1. ^ 衣装は男子がふんどし、女子は腰ひもを着用している。
    1. ^ 『広報かつうら』2008年、9月号、6頁
    2. というような構成で簡潔に記述するあたりが落としどころではないかと。--かげろん 2009年3月28日 (土) 13:41 (UTC)
      (コメント)「本文に書くほどの重要性」とはすなわち特筆性のことです。現行版のWP:N草案でも明確に定義されています。これまでのここでの議論は学校記事のなかの「行事説明に衣装の説明を含めた記事」に特筆性を認めるかどおかという議論が暗黙の前提で進められてきたのだと認識しています。「学校記事という観点からは本文に書くほどの重要性があるのかというとない可能性が高いです」と言うのはかげろんさんのご意見としては承知しますが、新しい投げかけであって現時点で議論参加者のコンセンサスが取れているとは思えません。私自身の見解としては、衣装に簡単にふれたからと言って行事についての記述が過剰に詳細になるわけでなく、学校記事としての体系的記述は維持されると考えます(これまでの議論でも述べてきた通り)。ですので、かげろんさんの今回のなげかけには反対の立場です。脚注に記述する事については、強行に反対という訳ではありませんが、記述方法としてむしろ体系的記述から離れるのでは無いかとの懸念を感じています。
      しかしご指摘の通り、この議論も相当に長期間にわたり継続しているのも事実ですので、議論参加者(水着記述否定の立場の方を含めて)の大勢が認めるという事であれば、かげろんさんのご意見・ご提案を結論とすることにもやぶさかではありません。前にも書きましたがここまで議論がつくされれば、投票によって結論を出すこともプロジェクトが認めるところだと思いますので。--Tachidad2008 2009年3月30日 (月) 18:12 (UTC)
      (コメント)WP:Nでは「このガイドラインで述べている、記事として書くことができるかという意味での「特筆性」は、その記事の内容については直接には関係しません。」というように変更されているので、WP:Nを根拠にするのは現状では難しいところかと思います。--かげろん 2009年3月31日 (火) 11:24 (UTC)
      唯一の反対者Young soldger氏の反論がないまま一年以上が経過しました。期限付きで反論がない場合は反論の余地なし、即ち合意とみなすなど、そろそろ何かしらの動きを起こしたいのですが。--114.164.173.145 2010年7月17日 (土) 15:16 (UTC)

      (インデント戻します) 1年以上経過したにも関わらず、これだけの多数の意見が出ていながらも、唯一の反対派と見られるYoung soldger氏は何も反応なさらないので、ユーザーページのノートに呼びかけてから1ヶ月間何も反応が無いようであれば、議論放棄とみなし、ふんどしの記述を行いたいと思います。--58.88.37.87 2010年10月13日 (水) 02:30 (UTC)

      これは議論放棄で反対意見皆無ということで、ふんどしの特筆性を認め合意形成ってことでいいのかな?--61.193.233.145 2010年11月29日 (月) 06:00 (UTC)
      新たな意見もなく、反対意見を持った方の議論参加もなくなったため、ふんどしの記述を追加いたしました。以降、ふんどしの記述について編集する場合は、このノートで議論参加を呼び掛け、意見を求めたうえでの編集をよろしくお願い致します。急激に「意見を一週間以内に」など、呼びかけもなく行うことはおやめください。よろしくお願い致します。--Saideyun 2012年2月23日 (木) 15:38 (UTC)

      「主な出身者」の項目について

      今現在、この項目に3名の名前が記載されていますが、全て前身校である千代田区立九段中学校の出身者の方ばかりです。
      それならば、もう一つの前身校である東京都立九段高等学校の出身者の方もこの項目に入れるか、もしくは削除してしまうかした方が良いのではないかと思うのですがどうでしょうか?
      私個人の意見は、あくまで前身校の出身者であって、千代田区立九段中等教育学校の出身者ではないので、削除してしまう方が良いと思っています。----Saideyun 2008年12月13日 (土) 15:53 (UTC)

      Saideyunさんのご見解は妥当だと思います。公式方針にはなっていないようですが英語版のen:Wikipedia:Notability (school)をみると、「一般に高等学校以上の学校であれば特筆性があるとみなされる。」という意味の記述があります。逆にいえば中学校以下の学校には必ずしも特筆性が無いという事の様に思われます。日本語版においても高等学校以上の上位の学校の付属学校である場合を除いて、単立の中学校、小学校の記事は記述が認められていないようです。九段中等教育学校成立以前の母体中学校単独の事象については、九段中等教育学校につながる係わりが無い限り記述される必要が無いのではないでしょうか。--Tachidad2008 2009年1月2日 (金) 14:04 (UTC)