ノート:創価学会東京牧口記念会館

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出典を精査してみて。[編集]

個人サイトを出典とした記事や、投稿者の独自研究箇所を除去しました。 その結果、野田峯雄氏のみの著作で記事が構成される状況です。 池田氏の書籍を出典とする記事は、八王子の地に対する池田氏の考えを述べたものに過ぎず、当該施設の記事を支える出典としての必然性に欠けます。 また、「存命人物の伝記」の観点からも、池田氏に関する批判的な記述は削除されるべきです。 以上を鑑みて、信頼できる他の著者による情報源を求めます。 無ければページの削除が妥当かと存じます。--ぐぐぐ会話2019年5月6日 (月) 05:42 (UTC)[返信]

1. この項目は「施設、建物」についての記述であり、「存命人物の伝記」ではありません。また、野田氏の記述がすべて批判的とは思えません。2.池田氏の著書には、「八王子に対する特別な思い」がある客観的証拠として重要。3.複数の典拠に立脚した記事であり、ページ削除という指摘は当たらない。-Tanuki32会話2019年5月6日 (月) 22:51 (UTC)[返信]
典拠、出来れば追加します。-Tanuki32会話2019年5月6日 (月) 23:54 (UTC)[返信]
聖教新聞1993年10月25日を典拠として追加した。その記述と野田の記述は、建築確認の点を除いてほぼ一致する。本項は批判が目的ではないが、仮に批判が目的であっても、典拠の伴う客観的事実は述べていく。-Tanuki32会話2019年5月7日 (火) 07:19 (UTC)[返信]
この後、まだ典拠追加する可能性あり。-Tanuki32会話2019年5月7日 (火) 08:06 (UTC)[返信]

横から失礼。私もTanuki32さんのご意見に同意します。確かに東京都内にある戸田城聖を記念した会館や講堂に関する頁はwikiに無いので牧口記念会館だけwikiに頁があるのは違和感がある。しかしながら牧口記念会館はあくまで建造物です。どこをどう取れば建造物が「存命人物の伝記」にあたるのか?ぐぐぐさんに説明を求めたいですね。--モジャゲ1号会話2019年5月7日 (火) 13:24 (UTC)[返信]

ぐぐぐさんの編集傾向を確認しましたが「創価学会」「偽造写真事件」など創価学会の関連頁に対して長年、多岐にわたり編集をなさっておられるようです。特定の項目を重点的に編集なさることや、特定の団体に所属される方が所属団体項の編集を行われることは特別問題視することではありません。しかし、ノートにおけるぐぐぐさんのご意見を拝見する限り、特定の団体(ここでは創価学会)に不利益となる内容を難癖つけて削除しようとなさっておられるのではないか、そのような危惧をなさる方もおられるかもしれません。--モジャゲ1号会話2019年5月7日 (火) 13:58 (UTC)[返信]

ありがとうございます。心強いです。-Tanuki32会話2019年5月7日 (火) 18:20 (UTC)[返信]
コーヒーがわりに。https://m.youtube.com/watch?v=aypSwcGC81M -Tanuki32会話2019年5月7日 (火) 20:27 (UTC)[返信]

返信 (Tanuki32宛)

  • 私が記した、「『存命人物の伝記』の観点から」というのは、「存命人物の伝記」の方針についてです。wp:BLPはごく基本的な方針ですが、その冒頭に書かれている箇所を引用します。
「記事は『正確な』ものでなければいけません。特に、その人物の生涯の細部については、信頼性の高い参考資料だけを用いるべきです。存命中の人物に関する否定的な情報で参考文献や出典のない、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです。これらの基本方針は伝記以外の項目における、存命人物の記述にも適用されます。」

よって、独立した記事全体だけでなく、部分的な記述にまで適用されるので、申し上げているのです。野田氏の著作に用いられている、どこの誰だかも分からない人物のコメントが、百科事典を構成する信頼性を帯びているとは考えにくいと存じます。

  • 「『八王子に対する特別な思い』がある」という見解そのものが、独自研究です。池田氏の著作には、八王子に限らず日本各地・世界各国に、個人的な心情を述べている物が多数あります。また、そうした心情を踏まえて、学会の幹部が自身の担当する地域の特殊性に言及するものも多々あります。それらにも、百科事典に載せる特筆性が見出されるのでしょうか? 創価学会のプロパガンダに加担しかねないので、削除すべきです。
  • 出典が複数といっても、著作の筆者は野田氏のみ。聖教新聞も加えていますが、それぞれ何面に当該記事が載っていますか?出典として扱っていた個人サイトを削除した後に、古い聖教新聞そのものを手元で確認されているのでしょうか?疑問です。--ぐぐぐ会話2019年5月10日 (金) 00:59 (UTC)[返信]
お役目、ご苦労。野田氏の記述を不正確と決めつけておられるようだが、再現性は、びっくりするほど高いよ。まあ牧口記念会館近辺の警備だけど、昔の話かと思ったらさにあらず。会館の左手にある坂道、今日、登ろうとしたら、イノシシによく似たガードマンが飛び出してきた。天下の公道だよ。「この先行き止まり」とは書いてあったが「立入禁止」とは書いてない。イノシ氏「ご用件は何ですか?」ときた。「ナポレオン広場に行ってみたいと思って」。事実である。「この先にあるんだけど、(正直)、公開とかそういうことはやってないんで‥‥」という具合だった。ちょっと八王子市役所に問い合わせてみようかな。公道で私人に誰何されたって。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 04:18 (UTC)[返信]
しかしいいナポレオン像があるみたいだ。聖教新聞に載っていた。コピーする時間がなかった。近々入院するのでまだ先になると思う。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 04:37 (UTC)[返信]
騒ぎ大きくしたら面白そうだな。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 04:45 (UTC)[返信]
不正確とは一言も申していません。存命人物に関する記述の方針は理解されたようでなによりです。聖教新聞の面数が分かったら再掲されてください。信憑性に乏しいので順次編集します。--ぐぐぐ会話2019年5月10日 (金) 05:09 (UTC)[返信]
聖教新聞の面数ですが、10月25日は一面です。一面全面ぶち抜き。しかし、そのほかの記事が少ない。あれだけの建物にしては非常に報道が少ないのが気になる。ところで吾輩がなぜこの項目を立てようと考えたか、教えて進ぜよう。情報が少ないからだ。まるで「黒歴史」のような扱い。創価学会の公式HPの年表に出ていない。Wikipediaの年表にもなかった(吾輩が書き込んだ)。それで文献を探したら野田氏のものが出てきた。他の人はあまり書いていない。それで聖教新聞で補強した。もっと沢山記事が出ていると思った。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 05:23 (UTC)[返信]
  • 「八王子への特別の思い」が「独自研究」ですと!?異な事を申される。むしろ衆目の一致するところではないのか?

団勲氏http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-1592.html?sp 週刊新潮。野田氏も出ているが乙骨正生氏の発言が面白いhttps://www.beach.jp/circleboard/ad28005/comment/1100103570063 他にも探せば出てくるかもしれない。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 07:26 (UTC)[返信]

「信憑性が乏しい」とは非常に失礼な物言い。何について、何を根拠にそう申されるか?だいたい聖教新聞なんてそう「何面」もない。変なこと言う。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 07:43 (UTC)[返信]
「無理筋」の編集は断固拒否。編集合戦も辞せず。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 07:52 (UTC)[返信]
この記事は非常に価値の高い記事である。なぜか?希少価値があるからだ。洪水の中の一滴の水に価値はない。しかし、砂漠の中の一滴の水には非常に高い価値がある。この記事は砂漠の中の一滴の水だ。なぜなら、「創価学会東京牧口記念会館」に関する情報は非常に少ないからだ。なぜ情報が少ないのか?それは「不都合な真実」が含まれているからではないのか?あらゆる妨害を排除して私はこの記事を守る。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 08:32 (UTC)[返信]
>存命中の人物に関する否定的な情報で参考文献や出典のない、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです

これはこう読めるな。即刻除去されるべきものは、存命中の人物に関する否定的な情報で「かつ」参考文献や出典のない、或いは貧弱な情報源しかないもの。 私は野田峯雄氏の著作が貧弱な情報源とは思わない。「即刻除去」というのは言論における「死刑」であり、極めて慎重かつ抑制的になされるべきである。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 08:52 (UTC)[返信]

聖教新聞の何面かって「敵に塩を送れ」と頼むに等しい。吾輩はお人好しなので教えたが、何面か見ればすぐにわかるはずだ。恥を知りなさい。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 09:00 (UTC)[返信]
これも極めて失礼な物言い。手元にないものを参照できるわけがない。ハッタリかましているとでもいうのですか?>古い聖教新聞そのものを手元で確認されているのでしょうか?疑問です。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 09:11 (UTC)[返信]

コメント 野田氏の取材により、野田氏が執筆した著作は一次資料です。しかも、取材相手が匿名。一般人の意見に過ぎない。特にガイドラインにも示された「特別な主張には特別な証拠が求められる」の項目(下記引用)に抵触するのは明らかです。

  • 広く知られてはいない、驚くべきまたは重要な主張
  • 一流の報道機関で取り上げられていない最近の出来事に関する、驚くべきまたは重要な報告
  • 誰かの発言に関する、ふだんとは違う人を困惑させたり物議をかもしたりするような、あるいはそれまで擁護してきた関係者に反対するような報告
  • 支持されていない主張や、関係学会に普及している見解に矛盾する主張。提案者が、そうした人々が沈黙している理由に陰謀論を用いている場合は特に気をつけてください。

(引用終わり) 特に4点目については、Tanuki32氏が吐露された執筆の動機と照らし合わせて看過できません。言葉使いからして、記事の向上に資する利用者か、甚だ疑問です。--ぐぐぐ会話2019年5月10日 (金) 10:11 (UTC)[返信]

一次資料の定義がよく分からないが、新聞は基本的に一次資料を扱うと思う。意味がよくわからない。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 10:18 (UTC)[返信]

お2人とも少しは冷静になって礼節を持って対応して下さい。これではコメントじゃなくてガキの喧嘩か学会員とアンチまたは学会員同士の罵り合いです。私は今後のコメントを控えさせていただきます。--モジャゲ1号会話2019年5月10日 (金) 10:25 (UTC) [返信]

はい。気をつけます。少し座禅して頭の血を下げる努力をしています。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 10:52 (UTC)[返信]
信頼できる根拠や、記述されている証言を重ねて論証する他の出典を出してください。これより現実世界が多忙なため一時離脱します。--ぐぐぐ会話2019年5月10日 (金) 10:30 (UTC)[返信]
当方も現実生活がごちゃごちゃしています。できる範囲でやっていきます。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 10:52 (UTC)[返信]

それでは、「特別な主張には特別な証拠が求められる」点について反駁がないようですので、存命人物に関する不確かな記述は削除します。--ぐぐぐ会話2019年5月10日 (金) 15:25 (UTC)[返信]

ちょっと待て、論点が多すぎて、整理がつかないだけだ。乱暴すぎつやり方だ。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 15:33 (UTC)[返信]

傍目からみていて。Tanuki32さんは確かに一方的なお考えをくだけた口調で連続投稿されておられますが、ぐぐぐさんは提案後は簡素に必要最低のコメントを数回された程度です。「ガキの喧嘩」ましてやアンチと学会員同士の罵り合いというほどのものでしょうか?少しフィルターがはいってませんでしょうか。そもそも会話がかみ合っていないようにおもえます。いずれにしても『騒ぎ大きくしたら面白そうだな。』、さすがにこれはないでしょう。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかをよくお読みくださいとしかいいようがありません。あと、『編集合戦も辞せず』、この発言はいただけません。『あらゆる妨害を排除して私はこの記事を守る。』、これもです(WP:OWN)。基本的な方針・ガイドラインを今一度ごらんいただくようおねがいします。『死刑』といったお言葉も不要です。『「敵に塩を送れ」と頼むに等しい』とのことですが、ウィキペディアは戦場ではありません。一次資料と二次資料の違いにかんしてはWP:PSTSをおよみください。--Aiwokusai会話2019年5月10日 (金) 16:26 (UTC)[返信]

Aiwokusai様。コメント頂きありがとうございます。これまでも、創価学会関連の編集をすると、必ず議論が噛み合わない利用者と遭遇し、いたずらに時間が浪費されます。その挙句、撹乱した利用者が、ノーザン123・大道フェニックス等のブロック破りが判明するパターンがお決まりです。--ぐぐぐ会話2019年5月10日 (金) 16:41 (UTC)[返信]

ノーザン123系のブロック逃れに打ち消し線処理。

あなた方は本気で狸を怒らせてしまった[編集]

せっかく、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、「方針やガイドラインを読む」と約束していたのに本当に怒らせちゃった。何ですか、ブロックとか。本気で怒ったよ。💢-Tanuki32会話2019年5月12日 (日) 12:34 (UTC)[返信]

強引な削除をやめよ[編集]

  • >実際、牧口の忌日かつ学会創立60周年である1993年11月18日に集会がここで開かれたという記録は『聖教新聞』にない

この部分が一方的に削除された。削除は、個別的に十分議論した上で行うべきだ。一旦、原状を回復する。ぐぐぐさん、あなたは独裁者ではない。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 16:11 (UTC)[返信]

全部、原状回復する。決定には、「考える時間」「議論する時間」が必要である。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 16:20 (UTC)[返信]
存命人物の名誉棄損の恐れがある箇所は議論の余地なく削除しても問題ありません。出典不在箇所も同様です。上記の「記録がない」というのは、貴方の独自研究です。--ぐぐぐ会話2019年5月10日 (金) 16:23 (UTC)[返信]
存命人物の名誉の問題ではない。宗教法人・創価学会の問題である。公道閉鎖とか、建築申請の虚偽とか、みんな法人としての創価学会が主体だ。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 16:53 (UTC)[返信]
公道閉鎖は、冗長なので簡略化しただけです。存命人物に関する削除ではありません。編集時に入れる私のコメントを、よく落ち着いてご覧ください。それよりも、編集する前に方針やガイドラインの理解を進められた方が、ご自身にとってもよいかと存じます。--ぐぐぐ会話2019年5月10日 (金) 17:00 (UTC)[返信]
一気にあれもこれもやられても追いつかない。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 17:06 (UTC)[返信]
会話ページでももうしあげましたが、すこし冷静になられるため、また各種方針ガイドラインに目をとおすための時間をTanuki32さんは設けてはいかがでしょうか。--Aiwokusai会話2019年5月10日 (金) 17:29 (UTC)[返信]

それから、これだけ沢山典拠を示しているのに、「ほとんど一つの文献に依拠している」というのは事実に反します。客観的にみておかしい。こんな乱暴なことされて冷静でいられるわけがない。ぐぐぐさん、あなたも一旦、作業を停止されてはいかがですか?-Tanuki32会話) 2019年5月10日 (金) 17:49 (UTC) 私はガイドラインを読み直す。あなたは一時編集を停止するということでどうでしょうか?-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 17:51 (UTC)[返信]

一部は聖教新聞ですが大半は野田氏の出版物にたよっているようにみえますが、野田氏について2冊の文献が使用されているするという意味でしょうか。まぁこれにかんしてはたしかに撤去してもどちらでもよいかもしれません。「横暴」というのは何を指しておられるのかちょっとわからないのですが落ち着かれるようおねがいします。ぐぐぐさんはTanuki32さんが編集を差し戻したりしなければ特に編集をおこなわれる必要も元々ないんじゃないでしょうか。現在論争となっている部分以外の修正や加筆などにかんしてはわかりませんが。--Aiwokusai会話2019年5月10日 (金) 17:58 (UTC)[返信]
「冷静でいられるわけがない」からこそ、冷却をお勧めしております。私が編集を停止すべき理由を、貴方様の意見・感情・道理を排除した上で、ガイドライン等を用いてお示しください。ガイドライン等を習熟されましたら、私への全ての暴言に打ち消し線を用いてから、編集を始めてください。最後に質問ですが、「ほとんど一つの文献に依拠している」とは私の発言でしょうか?履歴を見ましたが、分かりませんでした。著作が野田氏のみであることを問題視はしました。よってニュアンスが異なります。--ぐぐぐ会話2019年5月10日 (金) 18:09 (UTC)[返信]
Aiwokusaiさんね、聖教新聞参照しているのが「ゼロ査定」というのは「あんまり」ですよ。時間ないのに国立国会図書館行って、出してもらって、コピーして大変だったのだから。それだけ労力払って出典が野田氏に偏らないように努力している。それから一次資料の件ですが野田氏の著作は一次資料だけじゃない。例えば、八王子市に提出された記念会館の建築設計の届けが一次資料だと思うのですが、それと実際の建物を付き合わせて問題を指摘しています。これは二次資料だと思いますよ。聖教新聞と付き合わせても、その記事を参照しているのが分かるわけです。その意味でも二次資料です。頭の血は下げていますが、納得がいきません。私が本気でこの記事に取り組んでいることをご理解ください。テンプレは事実と異なっています。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 20:46 (UTC)[返信]
ぐぐぐさん、ちょっと相撲でいう水入り。あなたも冷静な状態ではない。私は書き込みを停止して、ガイドライン等読むので、1日でいいからあなたも書き込みを停止する。それでしきりなおしでどうですか、と提案しています。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 20:57 (UTC)[返信]
ゼロ査定というのはおっしゃっている意味がよくわかりません。どうも独特の表現をされているというか…労力についてはじゅうぶんに尊重いたしますが、私が修正した他記事の関連項目などにかんしても、Tanuki32さんは少々感情に走りすぎな面が見られたとその時点ではかんじました。なお、私は取材対象などにかんしてふれてはいなかったとおもいます。野田氏にかんしては一次資料かはそのスタンスからグレーな部分もあるかなといった感じです。後日ぐぐぐさんと再度議論されることをのぞみます。--Aiwokusai会話2019年5月10日 (金) 21:06 (UTC)[返信]

ゼロ査定というのは「まったく評価しない」という意味の表現です。これは具体的に何を指すのでしょう>私が修正した他記事の関連項目 とにかく、ノートページで議論しているのですから、テンプレは外していただけませんか?-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 21:44 (UTC)[返信]

まったく評価しないのであればその出典をもちいた記述全体を除去するか検討にはいっているとおもいます。しかしぐぐぐさんもそういったことまではかんがえておられませんし、少し手直ししてテンプレートを貼った私はいうまでもないでしょう。はずすというのは一次資料にかんしての部分でしょうか?その点は現在異論があって議論になっているわけですし、以前より指摘をおこなわれているぐぐぐさんの見解もできればお聞きしたいところなのですが…。とにかく存在が苦痛であって熟読のためのブレイクもままならないというのであれば、なおさら一度ブレイクを宣言されたのですからスパッと離れたほうがいいとおもいます(別分野の編集までは禁じているわけではありませんので)。活動していればもっと疲れることはいくらでもありますし、気になってままならないのであれば、たとえば1週間なり3日なりご自分で期日を設定したうえでこういうのはやったほうがいいですよ。なお、建物としての特筆性にかんしていえば、そこまで価値のあるものなら他にいくらでも文献が存在しそうな気もいたします。国立国会図書館で調べたとおっしゃられていたのですが野田氏の出版物以外にはなかったのでしょうか?おへんじは後日でけっこうですので。--Aiwokusai会話2019年5月10日 (金) 22:43 (UTC)[返信]
こういう趣味はないのだが、生まれて初めて『出典』のテンプレを「東京富士美術館」の項に貼った。書く人の立場に立つと心が痛む。-Tanuki32会話2019年5月10日 (金) 23:17 (UTC)[返信]
ぐぐぐ氏にせよ、Aiwokusai氏にせよ、単著3冊と聖教新聞を典拠に上げている本項をこれだけ問題にする一方で、まったく典拠のない東京富士美術館東洋哲学研究所を放置するというのは面妖としか言いようがないですよ。-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 02:29 (UTC)[返信]
昨日は、聖教新聞のコピーをとっていない[1]旨を発言しながら、今度は国立国会図書館でコピーをとったと発言。再三の忠告も真摯に受け止める様子が見受けられません。最早、違った方法でお休みいただくしかないと思うようになりました。--ぐぐぐ会話2019年5月11日 (土) 03:37 (UTC)[返信]
私はWP:SPEED論点のすり替え#おまえだって論法は駄目だと最初にもうしあげたはずです。私もぐぐぐさんも過去に一度も手をつけていない記事をここで持ち出される必要がありません。いずれにしても、Tanuki32さんが冷却および方針理解のために自主的にしばらくおやすみされるというおかんがえはない、その点はすこし残念におもいます。この記事自体すぐさまどうにかなるわけであありませんし、コメントはいつでもできるともうしあげました。Wikipediaはあなたから逃げたりしません。ぐぐぐさんもあれから当記事の編集はおこなわれていませんよ。--Aiwokusai会話2019年5月11日 (土) 09:18 (UTC)[返信]
それはね、単なる「誤解」。昨日取ってないと言ったのは「ナポレオン広場」の記事のコピー。とにかくね、聖教新聞のコピー取るの大変なの。2ヶ月づつ、巨大な冊子に綴じてあるのね。一冊10キロぐらいの重さ。A2ぐらいのサイズかな。もう旧約聖書のアークみたいな感じ。台車乗せて運ぶ。それで一番大事な記事が、10月25日に載ってた東京牧口記念会館の開館式の記事。これのコピーを優先して取ったの。それが9月10月の冊子。それでナポレオン広場の記事が11月12月の冊子に出ている。で、この時は後用があって3時に待ち合わせ。時間がない。それでナポレオン広場のコピーは諦めた、という次第。つまり、開館式の記事のコピーはあるけど、ナポレオン広場の記事のコピーはない。これでよろしいですか?-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 04:12 (UTC)[返信]
それから誰か、国会図書館まで行って、ほかの参考文献見つからなかったのかって質問あったけど、国会図書館ってね、「閉架」なの。街中の図書館みたいにポッと取って探すというシステムになっていない。だから予め必要な資料の目星をつけておいて、出してもらって、コピー取る。ものすごく時間かかって、手間かかる。-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 04:18 (UTC)[返信]
あ、また誤解受けそうなので言っておくと、国会図書館では自分でコピー取れないの。職員の人に取ってもらい、後で出来たら引き取る。だから非常に時間がかかる。で、ここで著作権の管理もしている。本の1/2以下しか取ってくれない。まあ複雑。-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 04:27 (UTC)[返信]
よく理解できました。ありがとうございます。--ぐぐぐ会話2019年5月11日 (土) 08:39 (UTC)[返信]
私が他の文献に存在についてあえておたずねしたのは、『情報が少ない・もっと沢山記事が出ていると思った。』とのTanuki32さんのコメントを元にしています。それとここまでコメントしているのは、会話ページで最初に指摘したような問題がみられたからです。いずれにしてもそのおへんじで、後日なりいずれこの記事は他のさまざまな文献をもちいた成長の余地がある、またそうされる意思がTanuki32さんにおありであるという確認がとれてよかったとおもいます。ありがとうございます。--Aiwokusai会話2019年5月11日 (土) 09:18 (UTC)[返信]
ご理解いただき、ありがとうございます。-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 10:36 (UTC)[返信]

コメント依頼またはブロック依頼を要請します。[編集]

ぐぐぐ氏が正論を言われているのに、駄々をこねた回答をしてはぐらかすならそのアカウントは敵対アカウントのブロック破りではないでしょうか?先日、JapaneseA氏が引退したことが遠因の一つかもしれません。議論するより行動あるのみです。--153.142.243.206 2019年5月11日 (土) 04:31 (UTC)[返信]

これは一体どの部分を指すのですか?>駄々をこねた回答をしてはぐらかすならそのアカウントは敵対アカウントのブロック破りではないでしょうか?-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 04:38 (UTC)[返信]
他人のアカウント停止要求するのにIPというのは、ちょっと理解できないですね。-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 04:40 (UTC)[返信]
JapaneseAという方は存じ上げません。-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 04:42 (UTC)[返信]
議論に関わってこなかった利用者が、突飛な発言で議論を撹乱するのはお馴染みの構図です。--ぐぐぐ会話2019年5月11日 (土) 08:48 (UTC)[返信]

ナポレオン広場など[編集]

  • あと、加筆するもので大きなものは「牧口記念庭園」の項の「ナポレオン広場」。これは情報が非常に少ないのですが、聖教新聞の1993年11月にまとまった記事があることを把握しています。池田名誉会長は、ナポレオン=ボナパルト1世をこよなく尊敬し、東京牧口記念庭園にサンベルナール越えのナポレオン像を建立しています。また、東京富士美術館にも見事なナポレオンのコレクションが所蔵されています。その一部は私も鑑賞しました。素晴らしいものです。これは加筆して行きたい。数少ない写真が、この個人サイトに載っています。近隣の見学会では見られるらしい。写真あまりうまくない。⤵️ https://blog.goo.ne.jp/k-o1941/e/c098606f9f6a21921c6b654cc1d38e74
  • そのほか、「牧口常三郎」「戸田城聖」の銅像もここにあるらしい。牧口像は片手に「人生地理学」を手にしているという情報はありますが、未確認。こちらはネット上にまったく画像がない。昔、皇居のことを「禁中」「禁裏」と呼んでいましたが、東京牧口記念会館はちょっとそんな感じがします。-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 10:54 (UTC)[返信]
  • 7階の750畳じきの礼拝室、「牧口講堂」というのか。順当なネーミング。-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 10:59 (UTC)[返信]

コメント ここは、備忘録として私的なメモをつづる場ではありません。--ぐぐぐ会話2019年5月11日 (土) 14:04 (UTC)[返信]

編集の予備のためのメモはいいとどこかに書いてありました。今後、編集の参考。-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 14:08 (UTC)[返信]
基本的にはここは話し合いのためのものです。今後どうするかや記事の改変内容のひな形等を投稿することは認められておりますが(WP:TPGHelp:ノートページ)、感想や情報などをただ書き連ねるなど収集の場とするのであればHelp:利用者サンドボックスを参照されることをおすすめいたします。--Aiwokusai会話2019年5月11日 (土) 14:13 (UTC)[返信]
了解。この後のプランというつもりでした。-Tanuki32会話2019年5月11日 (土) 22:19 (UTC)[返信]

ウィキペディアは規則主義ではありません[編集]

「Wikipediaは何でないか」の中にこういうのがあった。ここの面々はよくよく肝に命ずべきである。 >明文化された方針とガイドラインは真摯に受け止められるべきですが、誤用されることがありえます。方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうことをしないでください。もし規則が百科事典の改善をどうしても妨げるものなら、それらを無視してください。見解の不一致は、規則や手続きに固執することによってではなく、合意形成を重視した議論によって解決してください。さらに、方針やガイドラインそのものも合意の変遷に応じて変化し得るものです。 提案や推薦など、投稿するときに犯した手続き上の瑕疵は、その投稿を無効とする根拠にはなりません。

あまり、揚げ足取りみたいなことしていると、規則主義に陥ってしまうよ。-Tanuki32会話2019年5月15日 (水) 15:09 (UTC)投稿ブロックされ依頼審議中ユーザーの目的外利用に打ち消し線[返信]
これまで幾度も「合意を重視した議論」を志向したにもかかわらず、貴方の方針無理解によってコミュニティが疲弊しているのです。その方針やガイドラインに変遷が必要なら、具に反駁すべきです。その態度なくして反論に終始するから迷惑しているのです。そもそもこの節自体が、このノートに相応しくありません。よくお考えください。--ぐぐぐ会話2019年5月15日 (水) 21:37 (UTC)[返信]

八王子の特殊性[編集]

池田氏はここまで言い切っている。八王子は特殊でないわけでない。 >ともあれ、わが八王子は、二十一世紀の偉大なる「大本陣」である。  仏法では、「八」は「開く」という意義がある。  この大地から、大いなる「教育」と「文化」と「平和」の波動を、全日本へ、全世界へ、千波、万波と広げ、開いてゆくのが八王子の宿命だ! 池田大作「人間主義の都 世界の八王子 」より -Tanuki32会話2019年5月15日 (水) 15:22 (UTC)投稿ブロックされ依頼審議中ユーザーの目的外利用に打ち消し線[返信]

「言い切っている」「特殊でないわけでない」が独自研究です。池田氏の著作において、他の地域に関する言及とのバランスが全く考慮されていない。上記の言及は、One of them に過ぎず、特筆性があるのでしょうか。--ぐぐぐ会話2019年5月15日 (水) 21:26 (UTC)[返信]
これまで、ノーザン123のソックパペット行為により著しく議論が撹乱されました。改めて、先述した八王子の聖地化については意見がないので編集します。--ぐぐぐ会話2019年5月28日 (火) 16:34 (UTC)[返信]

「公道の私的閉鎖疑惑」について[編集]

「公道の私的閉鎖疑惑」について、社会的事件に値するものではなく、百科事典に載せる特筆性に疑念を抱きます。除去が相応しいと思います。--ぐぐぐ会話2019年5月28日 (火) 16:47 (UTC)[返信]

除去しました。--ぐぐぐ会話2019年6月6日 (木) 11:47 (UTC)[返信]

東京牧口記念会館のみ独立記事が存在する必要性[編集]

他の会館(例えば、東京戸田記念講堂など)の独立記事は存在しないのに、東京牧口記念会館だけ独立記事が存在しており、ある種不自然。もしその他の会館についても全て独立記事を作ろうとすれば、およそ1000近い会館(聖教新聞2018年3月12日付1面を参考)1つ1つに記事が作られる必要があるということになるが、相互に似たような内容となる可能性があり、特筆性に欠ける記事となる可能性を孕むし、そもそも現実的ではない。 Y41yoshito会話2019年6月14日 (金) 16:48 (UTC)[返信]

巨大な建築は創価学会の一つの個性であると思います。そういう意味で特筆性があると思います。1000箇所全部書くことはおっしゃるように現実的でありませんが、特に規模の大きい建物、質的に特徴のある建物は独立記事にしていきたいと思います。–126.146.210.206 2020年2月24日 (月) 15:22 (UTC)[返信]

概要の後半部の必要性[編集]

概要の前半部分は講堂の意義付など然るべき文章となっているが、後半部分については信憑性の無い批判や憶測になっており、「概要」と言うには些か不適切かつ不必要な文章となっている。どうしても記述したいのであれば、概要とは別に記述するのが妥当ではないか。よって概要の後半部分は削除するべきではないか。当該部分が概要として記述されることに対する客観的な意見が一週間以内に示されない場合、勝手ながら当該部分を概要から削除させていただく。 Mastu123会話2020年9月6日 (日) 00:34 (UTC)[返信]