ノート:六字大明呪

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記事名(および別称)の典拠をお願いします[編集]

定義部の冒頭に六字大明呪は、正式には六字大明王陀羅尼とは、とありますが、チベット語の経典を用いるチベット仏教徒が、観音の真言の名称を漢字で「六字大明呪、正式には六字大明王陀羅尼」としているとは、いったいどなたのお説でしょうか。典拠のご紹介をお願いします。典拠のご紹介にあたっては、典拠における記述の引用もお願いします。--Dalaibaatur会話2017年1月30日 (月) 08:54 (UTC)[返信]


ཡི་གེ་དྲུག་པ།[編集]

ཐུབ་བསྟན་ཕུན་ཚོགས, བོད་ཡིག་ཚིག་གཏེར་རྒྱ་མཚོ།, སི་ཁྲོན་མི་རིགས་དཔེ་སྐྲུན་ཁང, ༢༠༡༣.ISBN978-7-5049-492-6, p.3051.

ཡི་གེ་དྲུག་པ།
(1)ཨོཾ་མ་ཎི་པདྨེ་ཧཱུྃ།ཞེས་པའི་གཟུངས། (2)སྤྱན་རས་གཟིགས་ཀྱི་གཟུངས་ཀྱི་བྱེ་བྲག་ཅིག

དུང་དཀར་བློ་བཟང་འཕྲིན་ལས, དུང་དཀར་ཚིག་མཛོད་ཆེན་མོ།, ཀྲུང་གོའི་བོད་རིག་པ་དཔེ་སྐྲུན་ཁང་, ༢༠༠༢.ISBN7-80057-540-3/Z, p.1851.

ཡི་གེ་དྲུག་པ།
(1)ཨོཾ་མ་ཎི་པདྨེ་ཧཱུྃ།ཞེས་སྤྱན་རས་གཟིགས་ཀྱི་གཟུངས་སྔགས་ཡི་གེ་དྲུག་པ་སྟེ། (以下6字の字義解説) (2)(観音の変化身の一つ「六字観音」についての解説)

六字真言[編集]

  • 長尾雅人『蒙古学問寺』(1947,全国書房より単行本,中公文庫, 1992)(「この観音の真言はOm mani pad me hungと綴られ、六シラブルあるところから六字真言として知られている」,中公文庫版, p.153)
  • クンチョック・シタル, ソナム・ギャルツェン・ゴンタ, 斎藤保高『実践チベット仏教入門』(春秋社会, 1995)(「六字真言」,pp.93-94,140, 「観自在菩薩の六字真言」,p.273)
  • 田中公明 『チベットの仏たち』 (方丈堂出版, 2009), (「六字真言」,PP.48,50)
  • 沖本克己 『新アジア仏教史09 チベット:須弥山の仏教世界』 (佼成出版, 2011), (「岩に刻まれた観音の六字真言」,P.493)
  • 石濱裕美子編著『チベットを知るための50章』(明石書店、2004年):チベット人は朝な夕な観音の六字真言……を唱え……(第1章14頁、筆者は石濱裕美子)。--Doomreaper会話2017年2月7日 (火) 14:31 (UTC)[返信]
  • ケルサン・タウワ編著『チベット語辞典 蔵日・日蔵』(カワチェン、2003年):観音菩薩の六字真言(蔵日篇218頁)。--Doomreaper会話2017年2月7日 (火) 14:31 (UTC)[返信]
  • ソナム・ギェルツェン著、今枝由郎監訳『チベット仏教王伝: ソンツェン・ガンポ物語』(岩波文庫、2015年): チベット文字の字数から「六字真言」と呼ばれる(巻末の「用語集」での「オンマニペメフン」の解説、353頁)。--Doomreaper会話2017年2月7日 (火) 14:31 (UTC)[返信]
  • 佐久間留理子『観音菩薩: 変幻自在な姿をとる救済者』(春秋社、2015年): 梵語で「オーム マニ パ ドメー フーム」……という六つの字音からなる呪文、すなわち六字真言(193頁)。--Doomreaper会話2017年2月7日 (火) 14:31 (UTC)[返信]

六字陀羅尼[編集]

  • 中村縮刷のP1451に「六字(章句)陀羅尼」と。--Kstigarbha会話2017年2月3日 (金) 10:47 (UTC)[返信]
  • 『岩波仏教辞典』の第2版のP1067の右下の六字の項目。「六字の真言」よりも「六字陀羅尼」が先に来てる。--Kstigarbha会話2017年2月2日 (木) 04:31 (UTC)[返信]
    • コメント 『岩波仏教辞典』の「六字」の項は「六字陀羅尼」ないし「六字の真言」として文殊菩薩の六字の真言と『請観音経』に基づく六観音の陀羅尼を挙げていますね。後者は「多姪咃、安陀詈、般茶詈」で始まる六字章句陀羅尼のことを指しているのでしょうか。どちらもこの記事で扱う観音の六字真言とは関係ないかと。--Doomreaper会話2017年2月6日 (月) 03:25 (UTC)[返信]

六字大明[編集]

  • 佐久間留理子『観音菩薩: 変幻自在な姿をとる救済者』(春秋社、2015年): 『カーランダ・ヴューハ・スートラ』……では、六字真言は「六字大明」(シャダクシャリー・マハーヴィディヤー)とも呼ばれ……(193頁)。--Doomreaper会話2017年2月7日 (火) 14:31 (UTC)[返信]

六字大明呪[編集]

  • 『岩波 仏教辞典 第2版』「唵麼抳鉢訥銘吽(おんまにぱどめいうん)」の項(121頁)に「〈六字大明呪〉ともいう」の記述あり。同項目では六字真言とは記されていない。--Doomreaper会話2017年2月7日 (火) 14:31 (UTC)[返信]

六字大明陀羅尼[編集]

六字大明王陀羅尼[編集]

六字大明王真言[編集]

観音六字[編集]

「六字真言」へ改名の提案[編集]

記事名を、「六字真言」、定義部を「六字真言(ろくじしんごん, チベット語:ཡི་གེ་དྲུག་པ།yi ge drug pa)は、」と改めることを提案します。
前節ではチベット語の典拠を2点紹介いたしましたが、管見の限りでは、チベット語の文献には「この真言の名称が中国語で六字大明呪である」とか、「この真言の正式名称は中国語で六字大明王陀羅尼である」という趣旨の記述は全く見られません。
私自身の感触では、チベット仏教徒(チベット人モンゴル人)は「観音の真言」とか「六字の真言」と(チベット語で)呼んでいて、「六字大明呪」や「六字大明王陀羅尼」なる名称はこの真言を漢字に音写した中国仏教徒が与えた名称だという印象を持っています。ゆえに、これらの呼称は、記事名や定義部で現状のように大々的に扱うのではなく、漢字音写や漢訳名を紹介する記述の部分で「漢訳文献では「唵麼抳鉢訥銘吽」、「唵嘛呢叭咪吽」等と音写され、六字大明呪、六字大明王陀羅尼等と呼ばれた」程度に扱うのが妥当と考えます。--Dalaibaatur会話) 2017年1月30日 (月) 22:59 (UTC)--Dalaibaatur会話2017年2月2日 (木) 14:23 (UTC)赤文字部修正。[返信]

賛成 「六字大明呪」については知りませんが、「六字真言」であれば日本語文献での使用例を複数挙げることができます。記事名の基準の「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」という条件を最もよく満たしているのは「六字真言」だと思います。
なお、六字真言の典拠である『カーランダヴューハ』の漢訳とされる『大乗荘厳宝王経』では「六字大明陀羅尼」ではなく「六字大明陀羅尼」となっていますね[1]。これはインド出身の訳経僧である天息災が訳したことになっていますので「中国仏教徒が与えた名称」であるか否かは明らかではないように思います。--Doomreaper会話2017年1月31日 (火) 14:24 (UTC)[返信]
「六字真言」だと中村縮刷を見ると、観音菩薩のほかに、文殊菩薩のもあるようなので、六字真言 (観世音菩薩)六字真言 (文殊菩薩)と分けた方が親切でしょうね。--Kstigarbha会話2017年2月3日 (金) 10:47 (UTC)[返信]
oṃ vakoda namaḥ(唵 嚩 計 娜 曩 莫)という真言は聞いたことがないですが、独立の記事として作成されることはあるんでしょうかね?特筆性に問題がありそうな…。--Ryo 625会話2017年2月3日 (金) 11:24 (UTC)[返信]
片方が有名で、もう片方に知名度がいまいちな場合であっても、それが存在している以上は、分けて書いた方が閲覧者にとっては親切ですよねと[4]。--Kstigarbha会話2017年2月3日 (金) 11:40 (UTC)[返信]
うーん、「文殊菩薩の六字真言」が立項される可能性がない(あっても特筆性に問題ありそうな)現状では本文中で言及するだけで良いと思いますが。--Ryo 625会話2017年2月3日 (金) 12:02 (UTC)[返信]
歴史分野だと、君主の記事なんかで、人ごとに、テンプレで、本名(諱)や称号なんかを列強する表が付きます。同様なテンプレを作り、諸仏・書菩薩ごとに梵字の真言、漢字の「明呪」?「大明呪」?をつける、という手があるかも。--Dalaibaatur会話2017年2月4日 (土) 05:08 (UTC)[返信]
改名した上で、六字真言はいくつかの尊格を対象とする仏教の真言の1つで6字で構成される。1.観世音菩薩を対象とする~、2.文殊菩薩を対象とする、3.弥勒菩薩を対象とする、ここでは1の観音菩薩を対象とする、について詳述する、という方法がいいんじゃないでしょうか。その観世音菩薩6字の中で、チベットでの~と、中国での~(こっちが大明呪か)とに分けて書いてみては。--Kstigarbha会話2017年2月18日 (土) 10:40 (UTC)[返信]
コメント 真言と陀羅尼という用語を厳密に使い分けるなら、「六字と名のつく陀羅尼には以下のものがある。1. 文殊菩薩の六字陀羅尼、2. 観音菩薩の六字の陀羅尼、3. 弥勒菩薩の〜、4. 六観音の六字章句陀羅尼、ここでは、六字真言とも呼ばれる2の観音菩薩の六字の陀羅尼について詳述する」としたほうが正確なような気がします。--Doomreaper会話2017年2月18日 (土) 15:12 (UTC)[返信]

脚注[編集]

はたして「同義」?[編集]

「南無観世音菩薩」と同意。

IP:202.174.58.102氏がこの版から付加した上記の典拠のない記述について、出典を求めるとともに、検討のためノートに移転しました。--Dalaibaatur会話2017年2月4日 (土) 05:26 (UTC)[返信]

「Oṃ ~ hūṃ」を「南無〜」と「同意」とするのは、まあ許容範囲として、「maṇi-padme」はど〜しても「観世音菩薩と同意」ではないでしょう。
ちなみに、梵字の学習書に載っている観音の真言は「Oṃ aarolik svaahaa(聖観音)」、「Oṃ lokeshvara hriih(十一面)」、「Om vajra dharma hriih(千手)」など。(静慈圓『梵字悉曇』朱鷺書房,1997)--Dalaibaatur会話2017年2月4日 (土) 05:26 (UTC)[返信]
「マニパドマ」を観音菩薩の異名と解すれば、そういう解釈もできないことはないでしょうね。「maṇi-padme」を「maṇi-padma」の男性単数呼格の特殊形([2])と見れば…。ただ、出典がないので完全に独自研究ですが。--Ryo 625会話2017年2月4日 (土) 09:15 (UTC)[返信]