ノート:倉庫の二階

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興行と出演者の一覧は、そのライブ・寄席の情報として必要と判断し、復活させました。 また「お笑い芸人」と言う表記がありましたが、不適切ですので「芸人」で統一表記しています。--墨田ペトリ堂 2008年6月28日 (土) 17:21 (UTC)[返信]

  • 「倉庫の二階」を説明するのに、興行と出演者の一覧が必要だとは思えません。どのような体系で、どのような出演者がいるのかの概要が分かればそれでよいと思います。あと要出典部分を出典の明示なく除去されていらっしゃいますが、出典はどこにあるのでしょうか?--PALNAS 2008年6月28日 (土) 17:38 (UTC)[返信]

落語や漫才の会、出演者と演目はその会の性格と傾向を表します。 落語や漫才から活弁・チンドン、そして「何々」とひとくくりに出来ない芸人まで幅広く出演している事を考え、一覧を復活させました。 不要だと考えるのであれば、その理由をお示しください。 落語や漫才に関しては、判れば演目まで書くべきところですが、資料が揃いませんでしたので顔付けだけになっています。 出典に関しては、チラシや自主制作本が典拠として認められないと書かれたので、私が直接見聞きした事に限りました。 たとえば来場者の7割が県外からと言う部分は、統計を示すデータは存在しませんので、出演者が驚くという表現に改めました。 チンドンや活弁は、笑いの要素はあっても「お笑い芸人」ではありませんし、そもそも「お笑い芸人」と言う表記そのものが不適切です。 「笑芸人」と書く場合はありますが、通常は芸人です。 そのあたりから演芸方面には疎い方とお見受けしましたが、専門外の項目を編集するのであれば、もう少し勉強していただきたいところです。--墨田ペトリ堂 2008年6月29日 (日) 01:42 (UTC)[返信]

  • 一覧については、「誰が出ているか」程度で十分でしょう。興行のタイトルまで必要なのでしょうか。あと「直接見聞きした」「出演者が驚く」とありますが、これは「独自研究」に該当しますので出典にはなりません。--PALNAS 2008年6月29日 (日) 02:39 (UTC)[返信]

誰が出ているのかすら判らなくなるような編集をされた方が「「誰が出ているか」程度で十分でしょう。」と書かれるのには些か違和感が有ります。 不十分なので復活させました。  編集するのであれば一貫性を持っていただきたい。 杓子定規にバサバサ切るだけが編集ではありません。 ウィキペディアは百科事典ですから、調べても要領を得ない結果になってしまっては元も子も無いのです。 一覧という形態がウィキペディアに馴染まないのなら、どのような表記が相応しいのでしょうか?。 ジャンルに分けて表記する事も考えましたが、落語家が出てきても落語を演るとは限りませんし、スタンダップコメディーと一人コントを分けたりすると煩瑣に成り過ぎるので興行一覧にしているのです。 出典を求められたから典拠を示す必要の無い書き方に変えたまでの事ですが、この点に関しては表記を見直しますので少々お待ちください。--墨田ペトリ堂 2008年6月29日 (日) 03:13 (UTC)[返信]

一言。ウィキペディアには、「典拠を示す必要の無い書き方」などありません。どんな内容を書くためにも、典拠は必ず必要です。典拠のない記述はいつ除去されても文句を言うことはできません。--122.17.51.239 2008年6月29日 (日) 03:16 (UTC)[返信]

概要の「独自研究」と指摘された部分については書き改めました。--墨田ペトリ堂 2008年6月29日 (日) 03:38 (UTC)[返信]

  1. 本文中の「個性的な会」「地元越谷での会は他県からの来場者も多い」「芸人からの評価も高い」の出典はどこにあるのでしょうか?
  2. 杓子定規に一覧を追加するだけが編集ではありません。一覧は本当に必要でしょうか? 「書き方が分からないからとりあえず書いた」なのであれば、「詳細は外部リンクを参照」で事が足ります。特筆すべき会があるのであれば、それなりにまとめられるかと思います。
--PALNAS 2008年6月30日 (月) 15:47 (UTC)[返信]

あなたが編集した「落語立川流の落語家や晴乃ピーチク鳥居みゆきなど」だけでは顔付けの独自性は判りませんが、一覧をつけることによって、その独自性が見えてくるわけです。 そもそも「落語立川流の落語家や晴乃ピーチク鳥居みゆきなど」で「倉庫の二階」の顔付けを説明しきれる論拠を示していただきたい。 独自性が判らなくなるような編集をしておいて、「個性的な会」の出典を求める。 大矛盾です。 後付けで論点を増やす理由も判らない。 ノートを作らずに、自分の理解出来ない領域の事象をいきなり削除してしまうような乱暴な編集手法がそもそもどうかしている訳で、編集する権利を濫用して悦に入っているようにしか私には見えません。 どう言う芸人が出ているか理解した上で「これは必要」「これは不要」と選別するならまだ話はわかりますが、あなたのやった事は知らない芸人の名前を削除しただけに過ぎない。 あなたの書いている事で唯一正しいのは、外部のリンク先に資料を移す事です。 内容が疎だと項目ごと削除されてしまう、密にするとこうして削られる。 ウィキペディアの抱える自己矛盾と、その対策が明らかになった訳で、その点では収穫がありました。 あなたのご希望に添えるよう、外部に資料置き場を作りますので、少々お待ちください。--墨田ペトリ堂 2008年7月1日 (火) 14:11 (UTC)[返信]

再度書きます。本文中の「個性的な会」「地元越谷での会は他県からの来場者も多い」「芸人からの評価も高い」の出典はどこにあるのでしょうか? 無いのであれば除去します。一覧を除去したことにこだわっていらっしゃるようですが、出典を示すこととはまったく関係ありません。
私が編集した「落語立川流の落語家や晴乃ピーチク鳥居みゆきなど」については、一覧の内容をまとめたような形にしたものです。「演芸方面には疎い方」と見られているので質問いたしますが、「顔付けの独自性」は一覧から分かるのでしょうか。「どこかの書籍に『顔付けが独自性』と書いてある」と書けば独自性も分かると思うのですが、一覧で何が分かるというのでしょうか。--PALNAS 2008年7月1日 (火) 15:10 (UTC)[返信]

落語会、漫才の会、名画座もそうですが、そこで何がなされているかによってしか、そこで行なわれている事について説明する事はできません。 便宜上一覧にしていますが、一覧である事には拘っていないのは、私の書いた文章を通読していただければ判るはずです。 本来的には、出演者と演目も書かれるべきなのですが、其処までの資料は無いのでこの分量になっています。 あなたは減らす事に拘泥しておられますが、私からしてみれば全然足りません。 大きなホール落語の会の出演者と演目を纏めた資料が「ご存じ古今東西噺家紳士録」と言うCDロムに収録され商品として販売されているくらいで、顔付けと演目は資料として大変重要なのです。 演目は無理にしても、顔付けが判れば、その会の性格は読み取れます。 ですから「個性的な会」に関して出典は必要ないと考えます。 興味の無い分野にまで編集の手を広げるから、こうして無駄な議論を積み重ねなければならない訳です。 どう言う芸人が出ているか理解していれば、「落語立川流の落語家や晴乃ピーチク鳥居みゆきなど」のような乱暴極まる要約にはなりません。 「県外からの客の多寡」と「芸人からの評価」については、典拠が無いと言われればそれまでなので、外部資料に書き、こちらでは削除します。--墨田ペトリ堂 2008年7月1日 (火) 15:37 (UTC)[返信]

「地元越谷での会は他県からの来場者も多い」「芸人からの評価も高い」についての部分を削除しました。--墨田ペトリ堂 2008年7月1日 (火) 15:44 (UTC)[返信]