晴乃ピーチク・パーチク

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晴乃ピーチク・パーチク(はるのピーチク・パーチク)は、昭和期に活躍した漫才コンビ。

メンバー[編集]

本名は直井利博(なおいとしひろ)。コンビ解散後は似顔絵漫談家として活動していた。栃木県出身。2007年10月23日、肺がんのため死去[1]、82歳没。趣味は油絵で二科展にも2度入選経験がある。生前は落語芸術協会漫才協団所属。
本名は手塚清三。1963年5月12日、石川県金沢市橋幸夫コンサートで司会中に軍刀を持った暴漢に襲われて橋と共に怪我をした。2000年9月8日、肝臓がんのため死去、74歳没[2]

来歴[編集]

1953年、直井オサムと大沢ミツルでコンビを組み、1961年に「晴乃ピーチク・パーチク」と改名したが、1971年に解散。

「見たかや聞いたかや」のギャグは流行語にもなった。

受賞[編集]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

弟子[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 晴乃ピーチク氏が死去”. nikkansports.com (2007年10月24日). 2020年11月27日閲覧。
  2. ^ 漫才協会所属芸人 訃報”. 漫才協会. 2022年10月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]