ノート:佐竹義重 (十八代当主)
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Unreferenced テンプレートについて
[編集]現在、本項目は Unreferenced テンプレートの貼付により出典を明記するように求められていますが、どこの部分の記述について信頼性に疑問があり、出典が望まれているのが分からない状態です。10日ほどお待ちいたしますので、その間に出典が必要な場所を明示されますようお願いいたします(貼付した Sin-man さん以外からのコメントでも構いません)。全部が疑わしい、ということであればそうご明示ください。もしもコメントがいただけない場合は Unreferenced テンプレートを除去したく存じますので、よろしくお願いいたします。--スのG 2007年1月21日 (日) 17:57 (UTC)
- 逸話も多い記事ですので、ひとまず「出典の明記」テンプレートに置き換えました。良い情報源がありましたら引き続きお願いいたします。--スのG 2007年2月6日 (火) 04:30 (UTC)
佐竹さんが何代目かについて
[編集]先日、学校の図書館で姓名大系図?(本のタイトルはよく覚えておりません。確認して後にノートに書き込みます。)を眺めていたら佐竹義重が佐竹家20代目当主という記述を見つけました。子の義宣を確認したところ、21代当主でなっており、確かにこの佐竹義重です。また、系図を確認したところ、系図にも2義重が20代、義宣が21代と記されていました。ここのページ名は「佐竹義重 (十八代当主)」となっているのですが、転送することを提案します。--賢司 日本(会話) 2020年1月25日 (土) 12:31 (UTC)
- 佐竹の累代をどう数えるかによります。源義光を初代とすれば、義重は20代になります(『佐竹家譜』での数え方)。最初に佐竹を名乗った佐竹昌義を初代とすれば、義重は18代になります(『寛政重修諸家譜』での数え方)。昌義の父であり常陸佐竹郷に土着した源義業を初代とする数え方もあり、これだと義重は19代になります。他にも、『佐竹家譜』に記されている義宣の遺言では自分を22代としており(すなわち義重は21代)、これは河内源氏宗家棟梁である源頼義まで遡って初代にしたか、あるいは昌義の長男である佐竹忠義を含めた数ではないかと家譜の注釈に書かれています。Wikipediaでは佐竹氏の最初期(2004年)から『寛政重修諸家譜』での数え方を採用しているようで、現在佐竹氏#出自ではこの数え方を一般的としています。一般的だとする出典が無いので他の数え方を否定するものではありませんが、変えるとなると、佐竹氏一族の記事は多数ありますので記事名・記事内容ともに影響範囲が非常に大きくなりますから、賢司 日本さんには「『佐竹家譜』の数え方が『寛政重修諸家譜』の数え方よりも良い」とするそれなりの根拠をお示しいただければと思います。議論場所もここではなく、ノート:佐竹氏の方が良さそうです。--MWE(会話) 2020年1月26日 (日) 01:48 (UTC) 修正 MWE(会話) 2020年1月26日 (日) 10:33 (UTC)