ノート:久保田后子

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

この記事の内容はほとんど「久保田きみ子のホームページ」TOPと同プロフィールのコピーのように思われます。--OAzipper 2010年6月9日 (水) 10:27 (UTC)[返信]

2010年7月30日 (金) 22:20の板他で該当箇所を修正しました。--OAzipper 2010年8月21日 (土) 12:31 (UTC)[返信]

次のWikipedia編集コードに基づき表現を適正化しました。「潜在的に論争となりうる(特に存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する)記述」 2013年5月17日——以上の署名の無いコメントは、Kamegon ubeノート履歴)さんが 2013年5月17日 (金) 12:10 (UTC) および 2013年5月17日 (金) 12:11 (UTC) に投稿したものです(180.235.14.216による付記)。[返信]

参照として「市民委員会答申書提出、ハクチョウ復活 近い将来」2011年12月27日の宇部日報記事を加えました。--Kamegon ube会話2013年6月3日 (月) 15:51 (UTC)[返信]

山口県豪雨災害、住民基本台帳カード交付手数料を実質無料化、対市民交流会の開設、特別職給与の削減、革新的な取組を表彰する制度の倉捏、「ときわ公園」と県内の動植物園などとの連携強化、東日本大震災の被災地支援、宇部志立市民大学の設置、「エコハちゃん」・「ピカチュウ」そっくり騒動、「震災がれき受け入れ困難」の表明、築地へのアンテナショップ出店、ルネサスエレクトロニクス宇部工場閉鎖に向かう、以上12件の「市長在任中の出来事」を追加しました。--Kamegon ube会話2013年6月3日 (月) 21:47 (UTC)[返信]

蛇足、及び、独自研究の除去[編集]

この編集にて、蛇足部分と独自研究による批判部分を除去しました。

独自研究による批判

つまり、結果的に宇部市としては久保田の判断とは異なり、非感染の飼養鳥について殺処分の必要はなかったという見解を示した[1][2]

  1. ^ 常盤公園高病原性鳥インフルエンザ対応マニュアル策定及び予防対策について
  2. ^ “市民委員会答申書提出、ハクチョウ復活 近い将来”. 宇部日報. (2011年12月27日). http://ubenippo.co.jp/2011/12/post-2493.html#more 
  3. 上記は、「つまり」以下の結論部分を示す「肝心な出典」(信頼できる第三者出典・有識者の見解など)が示されていません。この部分は執筆者の独自の研究による批判に相当しますので、存命人物の伝記の方針に倣って、出典無き批判として即時除去対象と考えられます。

    また、要出典範囲の「ただし、宇部市では大型の水禽であるハクチョウなどを数百羽といった大量数で隔離できる設備は2013年(平成25年)5月現在では所有していない。」は出典が無いので除去します。

    蛇足部分

    なお、同年10月26日に環境省が発表した「動物園等における飼養鳥に関する高病原性鳥インフルエンザへの対応指針」に基づき宇部市が同年11月に策定した「常盤公園高病原性鳥インフルエンザ対応マニュアル」では、「常盤公園で飼養している鳥類における高病原性鳥インフルエンザの発生が疑われる場合」においては、高病原性鳥インフルエンザに感染した飼養鳥のみ殺処分し、感染鳥と同所で飼養していた鳥については原則として移動させず、檻や網等で隔離して飼養を行い、経過観察を行うとされた。

    上記は、(国によって根拠が示されていない状態で)殺処分が行われてから、8か月も経ってから国の方針が示され(従って、これに伴い、宇部市に指導した山口県又は専門家の方針も変わり)、従って各自治体の方針も変わっただけであって、当時の状況をミスリードさせる意味しかない、ミスリードを誘う悪意のある蛇足説明。

    そもそもこれらの説明文が、信頼できる第三者が出版している出版物から「得られた見識」なのかが、出典によって示されていません。この手の悪意は、存命人物の伝記の方針に準じて、百科事典の編集としては回避するべきものだと考えられます。--Skitman会話2014年3月13日 (木) 12:10 (UTC)[返信]

    • コメント 上記までの編集には同意しますが、その後の編集はRvしました。Rv理由ですが、「苦渋の思いで処分した」は主観的で久保田氏に加担した記述だからです。『〇〇新聞では「××は苦渋の思いで処分した」と報道している』のような表記にすべきでしょう。ついでに画像も削除されているようですが、これはなぜ?--JapaneseA会話2014年3月14日 (金) 15:59 (UTC)[返信]
    (JapaneseAさんへ)答える順序が逆になりますが、
    ●画像の除去について → mainページに「常盤公園の高病原性鳥インフルエンザ」が用意され、かつ、人物伝に公園の白鳥の画像は不要(蛇足そのもの)であるため。
    ●苦渋の決断を示す資料
    ●こういった幾つかの客観的な報道、及び関係者又は本人発表がありまして、市長本人が色々な場面で「苦渋の決断で白鳥を処分する決定を下した」とする主旨を何度も述べております。それでもなお『〇〇新聞では「××は苦渋の思いで処分した」と報道している』との書き方が求められるでしょうか?(もちろん、苦渋の思いというのは、私のオリジナルな表現でありますが、文意は変わっておりません)。そもそも、「苦渋の決断」又は「苦渋の思い」という表現は、本人に加担したものではなく、「客観的な媒体で示されている」のであって、その表現に疑義があるのは、おそらく客観的な情報が少ないため、市長への加担に見えるのでしょう。しかしながら幾つかの報道の通り、既に歴史として、「市長は「苦渋の決断」或いは、「苦渋の思い」で処分した」は確定したものである(誰が情報源であるかを明かす必要が無いもの)と考えられます。しかし、要らないと言えば、要らない表現ですので、用いないことにします。
    ●最後になりましたが、文章量を思い切り削減したのは、記事本文の、他の様々な出来事が簡単に語られている中で、この部分だけ詳細に語っているため、バランスを重視したことと、「詳細は「常盤公園の高病原性鳥インフルエンザ」を参照」によって、誘導すれば事足りると判断したからです。従いまして記述を元に戻します(一部、気が付いた点を替えますが)。--Skitman会話2014年3月14日 (金) 18:25 (UTC)[返信]
    丁寧な御返事ありがとうございます。結論を先に申せば、現在の版「2014年3月14日 (金) 18:26 UTC」で良いと思います。「苦渋」の件以外については了解です。さて「苦渋」の件ですが、複数のメディアで報道があったとしても、本人の心の内など誰もわかりませんので「事実」と「本人の意見」は区別すべきです。まー、用いないことにしたのであれば、この話はこれで終わりで良いと思います。--JapaneseA会話2014年3月15日 (土) 03:12 (UTC)[返信]
    "歴史として、確定したもの"という出典により示された結論をあなたは注意すべきです。「苦渋の決断」以外の見解を示す歴史資料が無い現状では、例え、「人の気持ち」であっても、それが「事実」となり、歴史となります。あなたは、それとは違う見解を百科事典に持ち込みたい場合は、最低限、「違う事実を示す資料」を歴史家同様に示さねばなりません。私が記述を止めたのは、下らない論争をしたくないから、です。--Skitman会話2014年3月15日 (土) 03:50 (UTC)[返信]
    複数のマスコミで報道されれば、"歴史として、確定したもの"となるのでしょうか?それには異を唱えます。--JapaneseA会話2014年3月15日 (土) 04:04 (UTC)[返信]
    複数の典拠が「苦渋の決断」だとしていますが、「苦渋の決断では無かった」ことを示す典拠はありますか? 典拠が無い場合は、「(久保田は)苦渋の思いで処分した」でも宜しいかと思います。なお、「●●新聞では、「苦渋の決断で処分した」と報じた」ではナンセンスかと思います(第一、文才がありませんし、●●新聞が「特別なものの見方をしている」わけでもないのですから)。--Skitman会話2014年3月18日 (火) 14:07 (UTC)[返信]

    本人の発言として示されているのですから、「(久保田は)苦渋の思いで処分した」と書くべきであって、特にそれに反する見解が大勢を占めているようなことでもなければ、『〇〇新聞では「××は苦渋の思いで処分した」と報道している』と書く理由がありません。Skitmanさんの意見を支持します。--Ks aka 98会話2014年3月19日 (水) 10:44 (UTC)[返信]

    本人が発言した、という出典に関しては「苦渋の決断で処分した」ではなく「処分した。久保田は、これを苦渋の決断であったと述べている。」でしょうか(冗長な気もしますが)。--JapaneseA会話2014年3月19日 (水) 13:23 (UTC)[返信]