ノート:乃木坂春香の秘密/過去ログ1

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次回予告の元ネタ[編集]

いつの間にか「次回予告の元ネタ」なるものが追記されていますが、以前にハヤテのごとく!などであったのと同じように、独自研究に抵触するのではないでしょうか。--Avanzare 2008年9月9日 (火) 10:50 (UTC)

独自研究云々以前に、書く必要自体ないと思います。作品の本筋に関わるわけでもないし。--Gosuke75 2008年9月9日 (火) 11:51 (UTC)
百科事典としては不要でしょう。私は「他作品との関連」の項の次回予告に関する文章の「例えば」以下を書いたものですが、例としてあれだけ挙げておけば充分という判断であれ以上は書かなかったんです。--左大文字 2008年9月10日 (水) 05:49 (UTC)
必要ないと思います。--TYSGCFAN (会話) 2008年9月12日 (金) 08:00 (UTC)
(報告)放送リストから除去しました。他作品との関連節についてはもう少し様子を見たいと思います。--Avanzare 2008年9月12日 (金) 11:49 (UTC)
「他作品との関連節についてはもう少し様子を見たいと思います」って、例として挙げているものなんだから性質が違うでしょう?--左大文字 2008年9月24日 (水) 15:23 (UTC)
  • 作品自体がいわゆる「アキバ系」なるものへのメタファーで成立してる点から、作品の背景の理解の扶助のため百科辞典的に事実の記載をすることには問題はないかと思われます。さらに言うと、この作品でのエンディングのパロディは、他作品で用いられたエンディングの定型句をそのままそれとわかるように使用し、検証も可能な状態であることを踏まえれば、これを独自研究と断定するのは狭量に感じます。本文の冗長性の問題は、その文の内容が問題なのであり、総量が問題なのではありません。以降の議論の推移を見守ります。--Dreammagic 2008年9月29日 (月) 14:18 (UTC)
ウィキペディアでは「事実かどうか」よりも「検証可能かどうか」が重視されています。明らかに元ネタがわかるものでも、信頼できる情報源がない限り「…は○×のパロディである」とは書けないのです。他の記事にはそういうのがある、と言われるかも知れませんが、その場合はその記事においても同様の問題を孕んでいるということです。関連する議論としては、ノート:さよなら絶望先生の登場人物などがあります。--Avanzare 2008年9月29日 (月) 14:47 (UTC)
  • 商業マスメディアで放映された商業作品それ自体を信頼できる情報源とせず、一体何を信頼するというのでしょうか?「…は○×のパロディである」と書かれたとき、検証が可能かどうかは、検証してみれば自ずとわかることです。まず問いますが、あなたは検証されましたか?していれば、ご自身のおっしゃる指摘の部分がいかに他力本願であるかわかると思います。誰かがすでに検証しているかではなく、問題は、検証は可能であるか、ですから。--Dreammagic 2008年9月29日 (月) 23:41 (UTC)
  • 追記しますと、信頼できる情報源とは、具体的には、情報内容に責任を持ち、受け手が信頼を置ける情報発信者のことであり、検証可能性とは、その記事に書かれた内容を、執筆者以外の不特定の第三者が随意に検証できるかという意味に他なりません。これらの理念の定義と背景を考えれば、自ずと結論は明らかです。たとえば「全米UFO連盟」が「エリア51には間違いなくエイリアンがいる」という記事を書き、「私はこの事実を知っているが、アメリカ政府が秘匿するため証明は出来ない」と記したとき、検証不可能な記事と断じることが出来るのです。この作品の次回予告のパロディはそこまでの問題ではありません。双方を見比べれば明らかにわかる事象に過ぎません。--Dreammagic 2008年9月29日 (月) 23:55 (UTC)

『双方を見比べれば明らかにわかる事象』→それが確実に一つしか存在しない場合であれば問題ないが、二つ以上が存在する場合については「独自の研究」になる。だからこそ検証可能かどうかとか信頼できる情報源とかが必要。誰かが見比べて明らかにわかる事象だと勝手に判断したものはWikipediaに載せて良いモノではない。という事に関連して脚注の一部を除去しました。「××大地に立つ」にしても「見知らぬ天丼」にしてもいろいろなところ(前者は例えばアニメ版の「ケロロ」や「ハヤテ」でも使われているし、後者はパロディ漫画などに山ほど使われている。)で使われているので、製作者側から発表でもない限り検証は不可能です。--寝ず見 2008年10月23日 (木) 01:04 (UTC)

他作品との関連[編集]

上でも若干議論がありましたが、やはり冗長に過ぎると思われるため大幅にカットしました。具体例をぐだぐだ挙げずとも、「電撃文庫のネタが多数登場する」で十分ではないでしょうか。--Avanzare 2008年9月26日 (金) 12:22 (UTC)(追加)具体例がまったくないのはまずいかと思い直し、具体例を簡潔に入れてみました。--Avanzare 2008年9月26日 (金) 12:30 (UTC)

いつの間にか脚注で復帰させられていましたが、そこまでして書かねばならないことなのでしょうか。とてもそうは思えないのですが…--Avanzare 2008年9月29日 (月) 14:34 (UTC)
あなたが何をどう、冗長と思って消したのか、そして、なにをどう「まずいと思い直し」たのか、さらに「そこまでして書かねばならないこと」の判断基準はどこにあって、その基準は万人が納得できるものなのか、といった部分が全く不明なので、言葉は悪いですが、単なる編集合戦の一形態に見えなくもありません。
たとえば、まず映像作品の引用についてですが、通常、映画などは作品名と発表年度を()のなかに記入することで、学術論文でも引用や傍証に使用することが認められています。それはテレビ番組などでも一緒で、作品名、制作者、権利、放映年月日などを記入することで、資料として認められています。
Wikipediaが一次資料を認めず、二次資料を以て「信用に足る資料」としているのには理由があります。それは、ある日突然現れる、査読を経ていない新学説や古文書のたぐいが、まだ信用に当たらないという理由です。それらを精査し、新聞や科学雑誌や学会誌が掲載することで、一種のチェック機構をパスした情報と扱う、ということです。
商業作品である映像資料に関しては、その映像自体に精査の必要は認められません。
たとえば、チャップリンが「独裁者」という作品の中で、ヒトラーに扮したパロディを行った、と記述することに要出典を貼る行為は、だから間違いです。その作品自体が資料になりますから、脚注が必要なら、その作品のタイトル、発表年と製作者を記載すればよいのです。それはこの作品でのパロディの傍証でも同じ事です。
独自研究が問われるのは、以下のような場合です。
たとえばチャップリンがヒトラーを敵視したのは、彼がユダヤ人であるからだ。といった記事を書いたとしたら、これは独自研究に当たります。チャップリンは自身がユダヤ人であることを明言していないので、その点から資料によって証明する必要があるのです。--Dreammagic 2008年10月2日 (木) 20:13 (UTC)
「チャップリンが「独裁者」という作品の中で、ヒトラーに扮したパロディを行った」という説明が、ウィキペディアが初めて解説したものであれば、(その出典は容易に見つけられるのでそうではないのですが)独自研究になりえますよ。基本は記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです。一時資料を整理して使用することは問題ありませんが、「ヒトラーに扮したパロディを行った」は編集者の分析をともなったものですので、専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説でなければ、ウィキペディアでは排除されます。ヒトラーの風貌とか、サザエさんの次回予告の様式は大部分の人が知っているだろうからおそらく大丈夫、ガンダム、エヴァくらいならまだ多く人がわかるかもしれないが、シャナとかドクロちゃんとか大多数の人はわからないでしょう。
個人的には、分量や読みやすさの点で左大文字さんがうまく例示を交えた文章を書かれていたと思いますが、削除直前の版になると文章のつながりはないし、知らない人にはさっぱりわからない説明であるし、百科辞典的な内容とは思いません。
なお、放送をみて記述するのは、放送(TVで観た等)は事実確認の機能を欠く情報源ですし、性急編集の点でも望ましくありません。
最後に、Avanzareさんの対応に関して。次回予告の元ネタの方で、自ら様子を見ると述べ、また他作品との関連の削除については異論が出ているのですから、削除は性急だと思います。--Mujaki 2008年10月3日 (金) 19:34 (UTC)
このノートの節で、私が主張したいことは以下の通りです。
  • 映像作品はそれ自体が出典である
    その作品が自主製作でマス媒体に載っていないのであればさておき、マスメディアから発信された商業作品であれば、その作品自体を語るとき、それらこそが出典です。
  • 映像作品から感得される映像や音声それ自体を文章として表現することは独自研究には当たらない
    ここで起こる議論は、ですから、その作品を文章にしたときに起こりえるミスや捏造以外にはありませんし、それらは全く別途の課題でしょう。チャップリンの独裁者という作品を、あれがヒトラーを諷刺したものだとわからない人は、独裁者という映画を観ていないか、ヒトラーを知らないか、あるいはその両方です。
  • 作品の暗喩する世界観や、作品で語られていない部分を傍証なしに解釈する事とは一線を画す
    すなわち、その作品で表現されている映像や音声を超える部分で自己解釈や憶測や無関係な事象と結びつけるなどの行為は、別の話です、ということ
  • テレビで放映された番組は検証可能性が無いと思われがちだが、それは誤りである
    テレビ局は、請求されればその作品、もしくは映像の提供を行います。
    「録画ミスしたから送ってください」というような理由ならともかく、報道や出版、あるいは学術目的やその他、申請された用途に放送局が必然性を感じれば、何らかの手段で情報へのアクセスを提供します。CMなどの場合も、広告業界によるライブラリが存在します。
以前から、Wikipedia内において、映像の情報に対する奇妙なスタンスを感じることがしばしばありました。特に最後の項目は、その事実さえ知らない人がかなりの数にのぼるような気がします。テレビ局に情報提供を求めて断られるのは、その請求が不当なものか、テレビ局もしくは社員個人に何らかの不利益が発生する可能性があるか、請求内容もしくは請求方法に不備がある場合です。
以上のように、マスメディア放映された映像情報は、情報源として必要かつ十分な条件を備えますし、現実問題、学術面でも政治面でも経済面でも、情報源として引用・傍証の用途に使用されています。
Wikipediaのポリシーやガイドラインは、何故か映像情報について全く沈黙しています。ほぼすべての当該部分は、文字による情報についてのみ言及されています。
そのことから拡大解釈的に、文字情報的に二次情報化されていないものには情報価値がないような論議がしばしばなされていますが、それらは全く見当外れであるといえるのです。また、ガイドラインが別の意図を持って書かれているにもかかわらず、状況が似ている部分を比較し、「TV放送は検証可能性の乏しい一次情報であり、文字による『信頼できる媒体による』二次情報が出なければ、Wikipediaでは記事に出来ない」と断ずる人さえいます。ナンセンスです。--Dreammagic 2008年10月3日 (金) 23:24 (UTC)
ウィキペディアが検証可能性を必要としているのは、ウィキペディアが匿名による寄稿を原則としていた百科事典であるためです。たとえあなたがその手の著名な研究者であっても、それはわかりません。ですから、別の人が検証できることで信頼性を担保しようとしています。出版物である百科事典では査閲という手続きがとられます。googleのオンライン百科事典knolでは、独自に取材、分析などをおこなうことも認めていますが、執筆者の氏名などを公表しています。
TVで観た事実確認の機能を欠く情報源であることは公式方針として明記されていることです。「何らかの手段で情報へのアクセスを提供します」と書かれていますが、一般の人がアクセスできるものですか。もしあるならばアクセス方法などを提示した上で記述することは可能でしょうが、通常は著作権、肖像権、費用その他の問題があるため、一般人はアクセスできないはずですよ(特にUHFアニメは放送局は放送しているだけで、それ以外の権利を有していないわけですし)。例えばNHKであればNHKアーカイブス(川口市)ほかでアクセスの方法を提供しています。しかし、全ての番組というわけではなく、その他の番組についての閲覧は相談しても拒否されます。これは、前述の処理が終わっていないためにできないのです。過去の議論から、アクセスの容易性の問題があり、一般的な方法で情報源にアクセスできない場合には通常否定的(仮に業界ルートで可能だったとしてもダメということ)です。作品自体で検証可能といえるのは、通常はパッケージ化された段階でしょう。
独自研究の観点では前述の通りです。
また、事実を確認できるから、独自研究ではないから、と言って掲載して良いことというわけではなく、百科事典として適切かという問題があります。百科辞典的かどうかは人それぞれに認識が異なってしまう点でしょうが、個々のパロディを掲載することに#次回予告の元ネタで否定的な意見が多いことはおわかりだとおもいます。(まだ草案段階ですが)信頼できる情報源特筆性では複数の出典を求めているわけですが、その作品にとって重要な内容であるならば、メディア、コミュニティほかで取り上げられているでしょう。--Mujaki 2008年10月4日 (土) 08:02 (UTC)--(追記)Mujaki 2008年10月4日 (土) 08:26 (UTC)
何を称して一般人といっておられるかわかりませんが、私の答えは明白です。
テレビ局に情報提供を求めて断られるのは、その請求が不当なものか、テレビ局もしくは社員個人に何らかの不利益が発生する可能性があるか、請求内容もしくは請求方法に不備がある場合です。他の論点については、インデントの階層を改めて後ほど記述いたします。--Dreammagic 2008年10月4日 (土) 13:00 (UTC)
では、わかりやすいように具体的に聞きましょう。記事の内容を検証をしようとした人(Dreammagicさんや私、その他不特定の人)は、ytvにこの作品の最終話の視聴を請求する場合、どの部門へ、どのように手続きをとるのでしょうか。あと、わかるなら一般的に費用はどれくらいかかりますか。当然、申請に不備がない限り断られないし、Dreammagicさんがはその方法を提示できますよね、できると主張されているのですから(ytvについては不明というのなら、あなたの最寄りの放送局もしくはその他のこの作品の閲覧できる放送局で良いですが、放送局名は提示願いますね)。--Mujaki 2008年10月4日 (土) 16:20 (UTC)
最寄りの放送局の代表電話におかけになり、用向きをお話になればよろしいでしょう。必要に応じた応対先に電話をつなげてもらえますよ。代表窓口はそのためのセクションです。
または、直接制作会社に問い合わせても良いでしょう。制作会社にも広報窓口がありますし、放送局より商品に関して深く利害や責任を負っていますから、意図が受け入れられる割合は高いでしょう。
どちらにせよ、この程度のことまでこうやって問い返されるのはいかがなものかと思います。何より枝葉末節に拘泥され、私が意図したい主張が理解されていない気がして残念に感じます。
ちなみに、放送局などは非常に悪戯電話が多く、広報部などはとても多忙ですから、請求を文書で(たいていはFAXで)送るように言われると思います。制作会社については、中小企業が多いですが、相手が常識人であり、常識的な『取材』と感じられれば、広報担当のアポイントは取れると思います。--Dreammagic 2008年10月4日 (土) 17:39 (UTC)
Avanzareさんへ。第1に、あなたが#次回予告の元ネタで提起したのは「次回予告の元ネタ」、つまり、「『サブタイトル』節の表に『次回予告の元ネタ』なる欄が設けられ、各話の次回予告の元ネタの一覧が書かれている[1]こと」についての是非ではなかったのですか? あの文はそのようにしか読めないし、少なくとも私はそう解釈しました。あなたが「他作品との関連」節についても問題視していることは、他の人が反応した後に明らかにされたことで、その点については賛同は得られていません。脚注での復帰は、いわば“原状回復”とは思えませんか?
第2に、「『電撃文庫のネタが多数登場する』で十分ではないでしょうか」とおっしゃいますが、「十分」と「必要ない」とは別ですね。「十分」だからといって、それ以上の記述は書くべきではない、ということにはなりません。積極的に例示を書くべきではないという理由をご提示下さい。
Mujakiさんへ。「個々のパロディを掲載することに#次回予告の元ネタで否定的な意見が多い」という点について、「パロディの部分をいちいち取り上げるのは不適当」ということには同感ですが、「例示も不適切」とは思われません。また、あなたの主張でいくと「次回予告が他のアニメ作品の次回予告のパロディになっている」ということ自体根拠がないことになるのではありませんか?--左大文字 2008年10月4日 (土) 11:15 (UTC)
一つ前で「個人的には、分量や読みやすさの点で左大文字さんがうまく例示を交えた文章を書かれていたと思いますが…」と書いていたとおりです。例示自体は否定しませんし(まあ、あってもいいし、なくてもいいかなとも思うのではあるが)、パロディになっていること自体は他でも言及されていることですが(雑誌か何かだったと思うのだけどこで読んだか思い出せないのではあるが。まあ、この点については他の手法でも検証性を主張しようと思えばできなくはないし)、仮に放送のみが根拠(十分検証できない)ならば否定しますよ。ファンサイトではなく、百科事典を記述しているわけですし、トリビア的な要素を急いで記述する必要はないのですから(今現在ではパッケージ化もなされていますし、検証性などの問題もぐんと敷居も下がっているでしょう?)
もっともそんなことを抜きに掲載したい人や逐次的に編集(ちょっと前なら逐次編集で保護を食らったケースもあるが)したい人も多いと思うわけで、落としどころが、先に記述したとおり、このくらいの内容だと思います。--Mujaki 2008年10月4日 (土) 16:20 (UTC)
物事をみるときには、マクロとミクロ、二つの視点が存在します。「TVで観た事実確認の機能を欠く情報源であることは公式方針として明記されている」のは、マクロの視点で総論として語られていることであり、TVで流された情報が持つ一過性を表しています。
総論として私も賛成です。テレビで観たとしか書けないような情報であるならばWikipediaに記載する必要があるとも思えません。それらが医学・史学・化学や数学に属する学術的な事柄であればなおのことです。
一方、各論もしくはミクロの視点としてテレビアニメはどうでしょうか?
テレビで観た、というのが証左に当たらないとなれば、DVDなど他の媒体にならなければ、また、アニメ雑誌で掲載されなければ、Wikipediaに記事を書くことは不可能になるでしょう。なんと言っても「テレビアニメ」なのですから。
それが良いという合意がなされれば私も賛同いたします。これは、「アニメはWikipediaにふさわしくない」、と言い換えることも出来る議論です。
この問題(つまり、原点である次回予告など作中のパロディ)が、MujakiさんのおっしゃるようにTVで観た事実確認の機能を欠く情報源であることで排除されるのであれば、ダブルスタンダードを許さず厳格に適用するのであれば、テレビアニメのカテゴリは崩壊します。
アニメのカテゴリを好むもの達にとって幸いなことに、そのような排斥がアニメという分野全体に対して行われていないため、これらの部分はこれまでさほどの問題になることなしに置かれてきていると思います。
私が「商業作品として放映された作品はそれ自体が出典である」という持論にこだわるのは、まさにそういう理由です。
たとえば、一口にテレビといってもさまざまな番組が存在します。
学術番組は日々、学者の論文で引用され傍証の具とされています。政治学者や経済学者は、CNNやNBCによる電話世論調査の結果を論拠としています。これらはTV由来の情報なのに信じ、他の情報は信じないというのは、明白なダブルスタンダードです。このことは、テレビで流される情報自体の信憑性とも関連がありますが、これ以上はここでは別論議なのでひとまず措きます。
作品自体が「フィクション」であり娯楽作品であるアニメの作品内容自体について、検証云々という議論で語ることを私は常に指摘しているのです。
Wikipediaが公式方針で明記しているのは、「ファクト」である事象についてですし、それらを事実として検証する手法としてのTVというメディアの普遍性についてです。
テレビアニメの作品内容について論じるとき、そのテレビアニメを観ていなければどうにもならないでしょう。この二つを同一視、あるいは混同することが、問題の本質を見誤る事につながっています。--Dreammagic 2008年10月4日 (土) 13:47 (UTC)

他作品との関連・2節目[編集]

議論なき除去という指摘がありましたので、改めて提案します。「他作品との関連」において、具体例を書くべきか否かの皆様のご意見をお願いいたします。私は脚注も含めて不要と考えます。「うるさいうるさい…」や「ぴぴるぴるぴる…」などと書かないと説明できないことなのでしょうか。最近脚注が雑多記述の隠れ蓑化しているような気がしますが、これはまた別のお話…--Avanzare 2008年10月4日 (土) 11:34 (UTC)

#他作品との関連で表明したとおり、「分量や読みやすさの点で左大文字さんがうまく例示を交えた文章を書かれていたと思います」と書いたとおりです。パロディについて言及するのなら例があった方がわかりやすいと思いますが、『「うるさいうるさい…」や「ぴぴるぴるぴる…」など』はヲタク的すぎで百科辞典的ではない。--Mujaki 2008年10月4日 (土) 16:20 (UTC)
第1。繰り返しますが、「十分」と「必要ない」とは別であり、「十分」だからといって、それ以上の記述は書くべきではない、ということにはなりません。積極的に例示を書くべきではないという理由をご提示下さい。第2。「シャナのコスプレをし、セリフをしゃべった」では、それこそ説明としては不十分では?(第4話の春香の方の例だけ書けば、第6話の方は省略しても良いと思うけど)--左大文字 2008年10月28日 (火) 05:51 (UTC)追記。「電撃文庫作品のネタが登場する。(脚注)春香が『灼眼のシャナ』のメインヒロイン・シャナのコスプレをし、シャナの口癖「うるさいうるさいうるさい!」というセリフをしゃべったなど。」ぐらいの表記が適当と思う。--左大文字 2008年10月29日 (水) 09:36 (UTC)
(意見)ウィキペディア的にはパロディに関して「それ」が「何のパロディか?」を説明する必要はなく「パロディが使われている」と書いておけば十分。知ってる人には元ネタが分かるし、知らない人がパロディの例示や説明を欲するとも思えない。積極的に例示を書くべきではない理由は例示=パロディの説明が独自の研究になる可能性大=そもそも「それ」が「××のパロディである」事を証明する事はほとんど不可能で、例えば『ぴぴるぴるぴる〜』が本当にドクロちゃんのパロディなのかを証明する事は難しく(あなたが知らないだけで他にもあるかも知れない、という事)、左大文字さんの挙げた「シャナ」関連の事は見れば分かる事なので、わざわざ具体的に記述する必要は無い、という事。悪い言い方をすれば「ウィキペディアはオタクが知識自慢する場所ではない。」と。(意見終わり)--寝ず見 2008年10月31日 (金) 06:51 (UTC)
通りすがりですが。私もパロディの実体例については書く必要はないと思います。理由は上の寝ず見さんやAvanzareさんと被る部分もあるのですが、
  • 誰に対して、何のためにパロディの実例を挙げているのかわからない
実例を挙げても、その作品(シャナやらドクロちゃんやら)を知らない人には通じないし、逆に知っている人には既知だろうし。パロディの説明をしているわけではないので、どのようなパロディがあるかというのは不要であり、「パロディがある(多い)というのが本作品の特徴である」くらいの記述が関の山でしょう。作品を知っている人には仔細を話さなくとも大体通じるからパロディがネタとして成り立つのでは?(かといって、わかりにくいネタを発掘・説明するべきでもないですし。ファンサイトではないのですから)
  • 積極的に仔細を書くべきではないと思います(=必要最低限の説明以上は必要ない)
程度問題の部分もあるので難しいと思いますが、私はこのような「作品」の説明としては極論「作品の説明として最低限のもの以外すべきではない」と思います。だって、「作品を読めばわかる」んですから、仔細の記述を積極的にすべきではないと思います。乃木坂の場合はパロディがあるということが作品の特徴のひとつであるので「(他の電撃文庫作品の)パロディがある」くらいはアリでしょうが「じゃあどんなのあるの?」ってのはウィキペディアで扱うべき範疇からは外れると思います。
また、単なる雑記の記述は記事の中身を冗長にするだけであり、また執筆者(群)の自己満足でしかないと思います。冗長な記載が増えることはノイズが増えることであり、項目の見通しの悪さにもつながります。書かなくともよいものは書くべきではないと思います。
あと、これも余談になりますが、脚注について。まず、Avanzareさんの挙げている例については脚注の使い方の誤りでしょう。どうしても本文には書けないが、それが無いと理解できない場合等に説明を本文から分離するのが脚注の役割のはず。決してトリビア自慢の場所ではない。あと、検証可能性を満たすためだけに「誰々さんがAラジオで言っていた」なんてのも増えてるなーと思いますが、検証可能性を満たす=記載に値するかというとそうでは無いように思います。それこそ「言った(検証できる)」と「記載の必要がある(書くべきか)」は別の話でしょう。余談ですのでこの辺で。--Shain2006 2008年11月2日 (日) 06:58 (UTC)
投下したあとに、ちょっとばかり偏りすぎた意見を投下したなぁと思ってしまった自分がいるためちょっと訂正&補足。
書かなくともよいものは書くべきではないはちょっと極論すぎですね。「必要なこと以外は書いてはいけない」なんてルールは無いので前述のは行き過ぎです。訂正します。上に書きましたが程度問題という話であって、私が項目を執筆する際に(私自身、仔細について書きすぎて何を書きたいのかわからなくすることが多いので)気をつけていることです。ほかの人に強制すべき内容ではないです。
ただ、程度問題としてみた際に、現在の乃木坂の項目について「私は」仔細の記述が多いなぁと思っているということであり、「冗長な記載が増えることはノイズが増えることであり、項目の見通しの悪さにもつながる」ということ自体も間違ってはいないと思うので仔細を積極的に書くべきではない(書いてはいけないと言う訳ではないけど、それだけを書くのもちょっと…ねぇ…)と思った次第です。
以上、補足。--Shain2006 2008年11月2日 (日) 07:20 (UTC)

「不要」という意見が多いようなので削除しました。--左大文字 2008年12月19日 (金) 04:42 (UTC)

他作品との関連・3節目[編集]

「これらのネタの大半は……」以下の文は要らないだろうと思いますがいかが?--左大文字 2008年12月19日 (金) 04:42 (UTC)

遅れ日数[編集]

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト アニメ/放送データの記述について#放送局の遅れ日数でも議論されましたが、「特番によって○日遅れ」などの遅れ日数という情報はあまりに些末に過ぎる情報ではないかと思われます。除去すべきだと思うのですが、いかがでしょうか。--Avanzare 2008年9月11日 (木) 09:16 (UTC)

(賛成)除去して構わないと思います。それに載せるにしてもあそこまでこと細かく記載するのも如何なものかと思います(なになにの特番があったから遅れたとかこの放送があったから時間が遅れたとかいちいち記載してたらきりが無いと思うので)。アイドルマスターXENOGLOSSIAのように特殊な事例でもないので。--モンダミン 2008年9月11日 (木) 09:43 (UTC)
(賛成)これも必要ないでしょう。--TYSGCFAN (会話) 2008年9月12日 (金) 08:00 (UTC)
(報告)除去しました。--Avanzare 2008年9月12日 (金) 11:49 (UTC)

中京テレビの遅れ日数を記述した者です。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト アニメ/放送データの記述について#放送局の遅れ日数のことは知っていましたが、今回それを知っていて遅れ放送を記述したのには理由があります。

今回の放送休止は、いずれも天災やオリンピック延長のため急遽休止されたため、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト アニメ/放送データの記述について#放送局の遅れ日数にはあたらないと思って記述しましたがそれもダメだったようですね。お騒がせして申し訳ありませんでした。--Reservation 2008年9月14日 (日) 04:12 (UTC)

記事内容の大規模な削除について[編集]

Yohさんが「推測と、明らかに過剰な内容を削る」として、大規模に記事内容を改訂、削除なさいましたが、事前、あるいは事後にノートページに記録をされていないところ、他の方々が書いた情報を保存していないところなど、編集方針から逸脱した行為だと思います。確かに自分が投稿した内容も含め、無意味な記述だったり過剰な記述があるかもしれませんが、突然の大幅な改訂、削除はいかがなものかと思います。まずは内容過剰タグを取り付けるなどしてから、徐々に記事を吟味して改訂、削除していった方がいいと思うのですが、いかがでしょうか。また、Yohさんは登場人物の生年月日、血液型なども(部分部分残っていたりしますけど)削除の対象にされていますが、これはゲーム公式サイトの各登場人物のページに記載されていることであり、「推測」や「過剰な内容」ではないのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか。--Prunus 2008年11月6日 (木) 0:36 (UTC)/2008年11月6日 (木) 1:25 (UTC)追記

こちらで異論が出ているようなので、一旦戻しました。今回の記述の整理については事前にコンセンサスを図ると言うプロセスが省かれた(上記で記述内容に関する議論が起こっているのでなおさら)端から見ていても少し乱暴だった気はします。差し戻し喰らっても文句は言えないかと思います。
ただ、私もこの項目に関しては過剰な内容は多いなぁと思い、どこかのタイミングで内容の整理は必要だと考えていました。ちょっと今は作業時間が取れないので後回しになっていますが、やるとすれば結構大規模になると思いますので試案を出してノートに諮るくらいの作業は必要だろうなぁと思っています(さもなくば小規模に細々やっていくかですが、無駄に版を重ねることにもなるのでなるべく一発で決めたいところですね)。
上記のPrunusさんの意見に対してですが、登場人物の生年月日・血液型等は私は必ずしも必要ではないと考えます。宣伝目的の公式サイトを作っている訳ではないのですから、たとえ検証可能性があっても記述する必要があるかを考える必要があるでしょう。乃木坂(のゲーム)を説明・理解するためにキャラの生年月日・血液型が必要不可欠であるとは思えません(それらが物語やゲームを進める上での要素になっている訳でもないですし)。
記述内容を整理すると言っても、私は必ずしも遊びの部分(説明の本筋から離れる部分)を全て除去しなければならないとは思っていません。しかしながら、上記のような部分は整理する際の整理対象として挙がってくることは避けられないのではないでしょうか?まずは一通り整理対象を挙げた上での取捨選択が必要となってくるでしょう。--Shain2006 2008年11月6日 (木) 02:22 (UTC)
確かに過剰な内容が多いと思います。ただ、編集方針にもあるように、ある程度は他の方が書いた情報を残すやり方で整理した方がいいと思います。Shain2006さんの考えられている方法での整理方針でいいと思いますが、たぶん本文のみを閲覧している方もおられると思うので、混乱を招かないためにも、ノートでの諮問を終えた後でも、一発で本文の編集をするよりかは、せめて2~3回に分けて編集された方がいいのではないでしょうか。
生年月日・血液型などの件についてですが、別にゲームでやる分には必要ない情報ですし、小説などでもまだ乃木坂春香以外の人物のそれについて触れている文章はないので必要不可欠ではありませんが、記事内容を圧迫させるファクターでもないと思いますし、この程度のパーソナルデータなら残存させてもいいと思うのですが…。--Prunus 2008年11月6日 (木) 10:03 (UTC)
具体的に手を付けられる程の時間が取れないので、方法論だけの話になってしまいますが...
2点。まず、ノートを見ていない人については議論をやってることを告知テンプレなどで通知すれば良いかと思います(基本、執筆者はノートも見るべきなので、告知してあれば十分でしょう)。次に生年月日・血液型等についてですが、先にも述べた通りこれらについては整理対象を挙げた上での取捨選択となるかと思います(今の段階で個別の部分について何は残すべきと言うのは時期尚早かと)。とりあえずですが。--Shain2006 2008年11月7日 (金) 01:27 (UTC)
なるほど、そういう方法がありますね。後者の件に関しては、Shain2006さんの仰る通り、時期尚早でした。じっくり考慮して、追々決定させていきましょう。--Prunus 2008年11月7日 (金) 22:05 (UTC)

発行元の社名について[編集]

当たり前の事だと思われますが、作品紹介の中で発行元の表記で「電撃文庫(メディアワークスおよびアスキー・メディアワークス)」と書かれてありますが、既に「メディアワークス」は「アスキー」と合併して現在の社名である「アスキー・メディアワークス」となっていて、「メディアワークス」としての社名は存在しておりませんので、「メディアワークス」の部分を削除すべきじゃないかと思います。 --221.187.199.251 2008年11月11日 (火) 15:08 (UTC)

電撃文庫から刊行されている作品すべてに当てはまることですが、2008年4月1日以降から刊行を開始した電撃文庫作品及び同日以降に発行された本は「アスキー・メディアワークス」が発行元となっていますが、2008年3月31日以前から刊行されていた電撃文庫作品の、同日以前に発行された本は前身の「メディアワークス」が発行元となっています。「乃木坂」は原作本は2004年10月より発刊されているため、第1巻の初版などは旧社名が掲載されています。第1巻でも、重版で2008年4月1日以降に発行された本は新社名になっていますが、「元々は『【メディアワークス】の電撃文庫』から発行されていた」という事実がある以上、旧社名は存置させておくべきではないかと思います。--Prunus 2008年11月14日 (金) 16:00 (UTC)
随分簡単な回答になりますが、「アスキー・メディアワークス(旧 メディアワークス)」と変更してみればいいんじゃないかと思いますが、どうでしょうか。--221.184.146.224 2008年11月22日 (土) 10:59 (UTC)

声優の表記について[編集]

現在、登場人物の冒頭には、

※声優はラジオドラマ版・テレビアニメ版共通のもの。

となっています。しかし、ラジオドラマ版・テレビアニメ版以外にもドラマCD版やゲーム版も同じキャストであり、「なぜ二つしか載せていないのか」と疑問に思ったので、表記の変更を提案します。私としては皆さんの意見が聞きたいので、提案内容を以下の4つにしました。

  1. 変更する必要がないため、現状維持にする。
  2. 「※声優は全メディアミックス共通。」と記述する。
  3. 「※声優はラジオドラマ版・ドラマCD版・テレビアニメ版・ゲーム版共通のもの。」とメディア展開を事細かに記述する。
  4. 「※声優は~」の文自体が不要なので、「※声優は~」の文自体を削除する。

私としては2番を推していきたいと思います。意見がありましたら、是非ともお願いします。--Reservation 2008年12月20日 (土) 08:23 (UTC)

(報告)本文の方にテンプレートを貼った状態でも意見が無かったので変更しました。--Reservation 2009年1月6日 (火) 06:59 (UTC)

「ジェネオン エンタテインメント」の表記の変更の是非について[編集]

作品紹介の中でCDやDVD発売元の表記が「ジェネオン エンタテインメント」と書かれていますが、既に「ジェネオン エンタテインメント」は「ユニバーサル・ピクチャーズ」と合併して現在の社名である「ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント」となっていて、「ジェネオン エンタテインメント」としての社名は存在していません。よって「ジェネオン エンタテインメント」の部分を変更すべきじゃないでしょうか。--Reservation 2009年3月17日 (火) 05:17 (UTC)

えっと、確認ですが、それは一部のリンク修正([[ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン|ジェネオンエンタテインメント]]の形)でなく、全ての表記そのものを変える([[ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン]])の形)に統一ということでしょうか。→仮にそれをしてしまうと、「ジェネオンエンタテインメント」という存在を昇華させてしまう気がしますが(こちらの誤解でしたらスルーしてください)。
(コメント)合併以前に発売されたものについては、[[ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン|ジェネオンエンタテインメント]]とし、2月以降のものは現社名の[[ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン]]とする。ただし、2月上旬から中旬にかけて発売された作品は、社名の発表と生産の都合から「ジェネオンエンタテインメント」表記で発売されたもの(例:川田まみのシングル・masterpieceなど)もありますので、そのあたりはクレジットの表記に準拠してはどうでしょう。また、作品の説明に関してですが、最初のほうで「ジェネオンエンタテインメント(現・ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント)」、「(以下、ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント)」といった感じの注釈を加えて、それ以後の表記を書き換えるというのはどうでしょう。---t-forces 2009年3月17日 (火) 08:14 (UTC)--(脱字訂正)2009年3月24日 (火) 18:18 (UTC)
アニメ第2期に関連したCD・DVDは「ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン」の名義でリリースするでしょうが、新会社は2009年2月に正式に設立された会社であり、それ以前にリリースされていた、及びリリースが決定していた「乃木坂」関連のCD・DVDは、ケースなどにも前身の「ジェネオン エンタテイメント」として記載されています(DVD第6巻がいい例で、この巻は新会社設立後にリリースされましたが、発売元は前身の会社名になってます)。よって、記載方法も今までにリリースされたCD・DVDはそのままにしておき、これからリリースされるCD・DVDから新会社の名義にしていってはいかがでしょうか。--Prunus 2009年3月24日 (火) 17:12 (UTC)--(校正)Prunus 2009年3月26日 (木) 15:40 (UTC)

意見ありがとうございます。私の意見を述べる前に提案理由の補足説明をさせていただきます。ジェネオンが現社名になってからの2月以降発売のCD・DVDに発売元:ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントと記載されていたら上記と同じなので提案しませんでした。しかし、新会社設立後にリリースされた製品は(私が確認したのは「乃木坂」、明日のよいち!ハヤテのごとく!絶対可憐チルドレンとある魔術の禁書目録ですが)、発売元:ジェネオン エンタテインメントになっており、疑問に思ったので提案した次第です。さて、私の意見はPrunusさんの『今までにリリースされたCD・DVDはそのままにしておき、これからリリースされるCD・DVDから新会社の名義にする』にしようと思いますがいかがでしょうか。それと、勝手ながら節名のタイトルを変更させていただきました。本文のテンプレと同じタイトルの方がいいと思ったので。 --Reservation 2009年3月29日 (日) 06:37 (UTC)

(賛成)今まで発売された(すなわち、第1期DVD第6巻(最終巻)まで)は、旧社名表記とする本提案に賛同いたします。--水野白楓 2009年4月22日 (水) 03:36 (UTC)
賛成が得られたので『今までにリリースされたCD・DVDはそのままにしておき、これからリリースされるCD・DVDから新会社の名義にする』に変更し、本提案をクローズします。意見をお寄せいただきありがとうございました。--Reservation 2009年5月5日 (火) 07:56 (UTC)