ノート:主食

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「タイ米」は「インディカ米」に改めるべきではないでしょうか。

菽穀(マメ科)[編集]

貧しい国(亜熱帯など)によっては、熱帯性のイモ類が作物として作られていない場合、主食をマメ類で代用している地域もあるのですが、どうでしょうか?--218.217.170.168 2008年11月21日 (金) 12:47 (UTC)[返信]

すみません、何を云わんとしているのか判じかねています。その「どうでしょうか」は何に掛かるのかを教えてください。なお具体的に該当地域・主食として利用されているマメ科植物・どのように調理されるかなどが判明しているのであれば、主食#各国の主食の節に一文設けるのも一つの手かとは存じます。挑戦されてみては如何ですか?--夜飛/ 2008年11月22日 (土) 08:15 (UTC)[返信]


この記事では、民族が主たるエネルギー源とする食物という意味との主食と、1つの食事の中で主となる料理という意味の主食が混在している。--210.198.181.107 2009年7月22日 (水) 11:30 (UTC)[返信]

米と米飯、白米と白米飯の定義も混乱しています。日本民族の主食は米であり、米を精白したものが白米で、それを調理したものが白米飯です。また、米に対応するものは、パンやパスタ、ラーメンやうどんではなく小麦であり、小麦も芋も日本民族が主たるエネルギー源とする食物ではありません。--125.203.175.249 2014年12月20日 (土) 00:21 (UTC)[返信]
うどんやすいとんは、食物なのか料理なのかわかりませんが、上の方で小麦や大麦、トウモロコシ等に言及しているのに、ここへ来て突然麺類やすいとんになってしまうのは極めて奇異ですので、とりあえず書き直してみました。とりあえずですので、編集していただき内容を充実させていただければ有り難いと思います。なお出典が無いのですがそれを理由に削除していただくことの方が、むしろ好ましいような気もします。--125.203.175.249 2014年12月20日 (土) 15:10 (UTC)[返信]

米飯が普及した時期について[編集]

松下幸子『江戸料理事典』の10頁は、配給制を知らない私には、「1940年に米が配給制になったことにより白米飯が日本全国に普及した」としか読めないのですが、戦時体制下の食糧難で米不足になって食糧管理法により統制物資になったわけですから、「配給制になる以前は、例え米が2割の麦飯にしろ日本全国で食べられていたわけではない、米が配給制になったのは、1940年に戦時体制が確立したためである」という意味だと思われます。そういうことで、表現を工夫してみました。出典を『江戸料理事典』ではなく、もっと適切なものに替えていただければありがたいと思います。--114.160.142.35 2014年12月10日 (水) 01:46 (UTC)[返信]

江原絢子他『日本食物史』 ISBN 978-4-642-08023-1 に替えさせていただきました。--125.203.175.249 2014年12月20日 (土) 00:21 (UTC)[返信]

「主食」の定義について[編集]

デジタル大辞泉を参照すると、

主食:日常の食事で、主となる食べ物。米飯・パンなど。⇔副食。

となっています。これは、米飯、パン、などとしていることからもわかる通り、明らかに、食事中での料理品目を意図した言葉であって、辞書的意味としては、それ以外の含意が見いだせません。

一方、本項の冒頭での定義は、

主食(しゅしょく)とは、食事の中心として主要なエネルギー供給源になる食物のこと。食糧(しょくりょう)。栄養素として炭水化物が豊富な作物が選ばれる。

とあります。この定義をすることの出典など根拠はあるのでしょうか。 また、仮にこの定義の根拠があったとしても、一般的な辞書の意味を全く取り上げずに、この記述だけを定義として述べることは、中立的な観点の問題があると考えます。

また、IPユーザー125.203.175.249さんの編集コメントに、

この記事の主食は、主たる食物のことで、食事の中で主となる料理のことではありません。

とあります。これは、本記事の項目の冒頭の定義に従うという意図の発言かと思います。このように、今後もこの問題に手を付けずにおくと、既存の言葉の定義を蔑ろにし、出典の無い定義を根拠に記事の肉付けが進み、(仮に全く出典がないとなれば)Wikipedia独自の解釈として、項目全体が誤った方向に膨らんでいく可能性があり、かなりまずい状態にあると考えます。

ノートでの議論に慣れていないもので申し訳ないのですが、このことに関して、何らかの改善をできる方、お願いしたいと思います。 --220.9.188.2 2015年10月14日 (水) 21:12 (UTC)[返信]

導入部の出典[編集]

2016年1月31日と2月2日に編集した、60.34.193.133、60.34.120.7 と同一人物です。利用者‐会話:60.34.193.133にあるように、一旦は、新谷尚紀 『民俗小事典 食』の「主食」を出典とし、導入部を「主食(しゅしょく)とは、生きていくためにエネルギー供給源として必要な食物のうち、中心となる主要な食物のこと、つまり常食としての主食を指すことのほか、日本人の主食は米といわれるように、その民族が最も重要と考える食物、観念としての主食とする捉え方もある。」としたのですが、導入部はその記事を代表するわけですから、中身と合っていることが大切なわけで、つまり、中身に出典が付いていれば良いはずです。そういうことで、導入部をややこしくすると判り難くなり、本末転倒になるので簡単にしたわけです。なお、導入部に出典が付いていない記事はいくらでもあるということも理由のひとつです。--60.34.120.194 2016年5月27日 (金) 10:30 (UTC)[返信]

追加ですが、定義は宣言なわけですから、証明するものではありません。従って定義に出典は付けるべきではない筈です。導入部になら出典を付けても間違いではないということだと思います。--60.34.120.194 2016年5月27日 (金) 12:08 (UTC)[返信]

定義文で偏った独自研究を書きこむな[編集]

投稿者が偏った出典を使って偏った方向付け、変な方向付けをするな。定義文はもっと一般的なレファレンスを出典に選べよ。わざわざ偏ったテーマに絞られた民俗小事典なんて選ぶなよ。ましてや定義文で投稿者が出典に書かれていない文まで勝手に書きくわえてふくらませて、独自研究をでっちあげて、投稿者の主観で偏向の度合いをさらに強めるなんて、ウィキペディアでは絶対に禁止に決まっているだろ。--白波点描会話2021年8月13日 (金) 20:49 (UTC)[返信]