ノート:世界美術大全集西洋編/過去ログ1

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2012年6月10日の削除依頼について

削除依頼を「参照読み込み」しました。--20世紀(前半)美術会話2012年6月23日 (土) 06:32 (UTC)

特にその必要がないのでリンクにしました。--氷鷺会話2012年6月24日 (日) 09:28 (UTC)

2012年6月22日の削除依頼について

Wikipedia:削除依頼/世界美術大全集西洋編

この記事の存続を希望している者ですが、その理由等について、以下に記します。

  • 1. 前回の削除依頼の際にはさしあげたご質問にどなたからもご回答いただけなかったので、今回もご回答をいただくのは無理かもしれませんが、この記事をなにがなんでも削除しなくてはならない、と何故お考えなのでしょうか? 削除にそれほどまでに固執なさっている理由が理解できません。現在加筆が進められている項目ですので、むしろ、このノートで記事改善のための意見交換をしていくべき案件ではないかと考えています。
  • 2. 懸念しておりますのは、この記事の「特筆性」に疑問をもっておられる方が削除に賛成している方の中におられるということです。その方には、削除依頼または削除賛成の前に、この全集をどの程度ご覧になったことがあるのか、そして、以前の他の美術全集とどの程度比較なさったことがあるのか、をお教えいただきたいものです。失礼な言い方で恐縮ですが、この全集の実物に接することなく削除に賛成している方が(前回の削除依頼も含めて)おられるのではないか、と懸念しております。もしそうだとしたら、その方による「特筆性」のご判断がほとんど信頼できないことになりますので、大変困ったことです。
  • 3. 最後に、最初の削除依頼がなされてから2週間程度で、この記事がこの程度は「成長」したのですから、1ヶ月後、3ヶ月後または、半年後には、もっと「成長」しているのではないかと思うのですが、もう少しお待ちいただいてはいかがでしょうか?

以上ですが、ご意見等いただければ幸いです。--20世紀(前半)美術会話2012年6月24日 (日) 09:22 (UTC)

コメント (1) 『現在加筆が進められている』事実がありません。(2) ウィキペディアンによる個人的な(特筆性云々ですらない)感想は排除されるべきです。現物を見て「すげー」と言っているだけではただの独自研究です。(3) 『この程度は「成長」した』事実がありません。--氷鷺会話2012年6月24日 (日) 09:38 (UTC)
コメント 削除審議でも申しましたが、本項は検証可能性の点で大いに問題があります。前回の削除審議以来、しきりに「まず現物を観ろ」と仰っていますが、記事対象そのもの(一次出典)を見て感じたことや思ったことを記載するのは独自研究ですし、出版社などの主張する「本書の利点」を記載すれば中立的な観点を損ないます。例えば「図版が多い」と記述するにも、ご自分で「多いなぁ」と感じたことを記載するのではなく、誰によって(二次出典)そう評されたかを明らかにして頂く必要があります。また、削除依頼の提出者・投票者共に記事対象に触れる義務は無く、むしろ存続をお望みの方にこそ出典をお示しいただく義務があります(上述「検証可能性」に明記されています)。敢えて特筆性という言葉を使うなら、特筆性のあるものは、記事対象に全く触れずとも、二次情報のみで相応に百科事典的な記事を作ることができます。今後改善なさるお考えでしたら、本書を持っていない人にも記述の正確性を検証できる第三者による出典をお示し頂くのが良いと考えます。--おきた会話2012年6月24日 (日) 13:01 (UTC)

氷鷺さん、おきたさん、コメントをいただきありがとうございます。以下のとおり、ご回答申し上げます。

  • 1. 上記第1点について明確なご回答がありませんが、ご回答いただければ幸いです。なお、2点目については、明確なご回答はありませんが、ご回答がないということは、実物はご覧になっていないと理解しました。そうだとしますと、お二人の「特筆性」についてのご判断には信頼性がない可能性があるということになりそうです。また、3点目についても、明確なご回答はありませんが、お二人からいただいたコメントから推測して、おそらく、「1日も待てない、すぐにでも削除したい」というお考えなのだと理解しました。
  • 2. 氷鷺さんに対しては、以下のとおりお聞きします。
    • 2.1. 『現在加筆が進められている』事実がありません、について、意味がよくわかりません。氷鷺さんにとっては、何が「加筆」なのでしょうか? この記事に具体的に即して、何がどうなることが加筆なのか、さらにご説明をよろしくお願いいたします。(それとも「現在改訂が進められている」または「現在変更が進められている」と表現を改めればいいのでしょうか?)
    • 2.2. 「感想は排除されるべきです」とありますが、具体的にこの記事のどの部分が感想なのでしょうか? この記事に即して、ご指摘をよろしくお願いいたします。
    • 2.3. 『この程度は「成長」した』事実がありません、とありますが、この記事に具体的に即して、氷鷺さんにとっては、何が「成長」に該当するのでしょうか? 具体的にお教えいただきますようお願いいたします。
    • 以上の問題点を整理しますと、意図的に簡潔に書くことですまそうとなさりすぎて、結局相手に何も伝わらず、全部問い直さないと対話にならない(要するに対話を避け、抽象論だけで「加筆」「感想」「成長」についての言葉遊びをなさろうとしているかのよう)、ということかと思います。よろしくお願いします。
  • 3. おきたさんに対しては、以下のとおりお聞きします。こちらの理解が悪くて申し訳ないのですが、私が少々混乱しておりますのは、削除賛成の理由が不明確ではないかいうことです。「特筆性」の問題でしょうか? 「独自研究」の問題でしょうか? 「出典の明記」の問題でしょうか? このうちのすべてでしょうか? それともまだまだ他にもあるのでしょうか? ごちゃごちゃになっていないでしょうか? また、具体的にこの記事のどの部分にどの問題があるのか(そして可能であれば、どのように修正すべきか)をご指摘ください。なぜ、「どのように修正すべきか」まで書かねばならないか、と疑問をお持ちかもしれませんが、具体的には、以下に例を記載しますように、「どこまで修正したらご満足いただけるのか」という問題が常に付きまとうからです。具体的に書きます。おきたさんは、「例えば」として、「多いなぁ」と感じたことを記載するのではなく、と書いておられますが、これは本文のどの部分を意味しておられるのでしょうか? 確かに本文には「とりわけ掲載図版が多く」との記載があり、この部分かとも思いますが、本当にここでしょうか? (ただ、私は、一般的には約14000点を超える図版が掲載されているのならば、「多い」と記載しても問題ない(感想ではなく客観的な表現に過ぎない)と思っています。それとも、一般論として「多い」という表現(または、それに類する表現)を用いる場合には、まさにその言葉を用いた「二次資料」が必須である、ということでしょうか? それとも、例外があるのでしょうか?) では、この部分のみだと仮定して、これを「とりわけ掲載図版が約14000点以上にのぼっており」と修正すればよろしいでしょうか、それとも「とりわけ」を削除せねばならないのでしょうか、それともこの部分全体を削除しなければ「特筆性を失う」または「独自研究となる」(それともその両方?)というご趣旨なのでしょうか? このように、詳細にコメントをいただかないと、前に進みません。これは1つの例ですので、問題であるとお考えのすべての部分について、お手数ですが、個別に詳細をお教えいただきたく、よろしくお願いいたします。なお、「特筆性」や「独自研究」や「出典の明記」が削除賛成の理由だということであれば、せっかくテンプレートもあるわけですので、(1週間程度で結論が出てしまう)性急な削除の手続ではなく、テンプレートを貼り付けたうえで「編集」で対応することで十分であり、そのほうが一般的な対処ではないかと思っております。

全体を通して申し上げると、またもや失礼な書き方で申し訳ありませんが、お二人とも、おそらく、「削除せねばならない」という思いに取り付かれ、その視点でしかこの記事を見ておられないので、より具体的な指摘をなさることについて「(どうせはじめから削除されることがわかっているのに、この記事に関して手間や時間をかけることは)無駄だ」(だから手を抜きたい、おざなりな対応ですませたい)、けれど具体的な指摘をしないとその点を批判されるので、とにかく、たくさん「要出典」をつけまくっておけばいいでしょ(氷鷺さん)、と考えておられるのではないかと懸念します。

以上、よろしくお願いいたします。--20世紀(前半)美術会話2012年6月26日 (火) 12:11 (UTC)

コメント ご回答ありがとうございます。また、加筆・修正のほど、お疲れ様です。さて、私の投票理由ですが、率直に申しますと「出典の不備による特筆性の欠如、並びに独自研究の疑い」となります。私が投票いたしました時点では出典が「本全集そのもの、本全集に関する、公立図書館、ネット書店、ネット古書店等の書誌情報・解説等」とあり、上記コメントを書いた時点でも国立国会図書館に関する記載が見られたくらいで、いずれも検証可能性を満たすとは言えない状態でした。現在は、加筆いただきました出典によりかなり改善され、少なくとも特筆性の問題は無くなったと見えますので積極的に削除すべき状態は脱したかな、とも思いますが、独自研究の部分については、殊に「全体の概要」節に、まだ問題が多いように思います。以下、改めてご説明申し上げます。
私の例示いたしました点(多い云々)は、ご推察の個所で間違いありません。「多い(少ない)」あるいは「豊富」という表現は、他と比較して使われる表現ではないでしょうか。比較対照を明示しない場合は同種のもの、本項で言えば「他の美術全集と比較して図版が多い」という解釈になろうかと思います。何らかの出典でそう表現されていれば問題ありませんが、「14000点の図版は『多い』」とのご判断で記載なさいますと、主観による評価(=独自研究)になってしまいます。「出典に沿って書く」というウィキペディアの原則に従えば、(新聞各紙の書評を出典とし)「14000点の図版を収録している」旨の記載で十分だと思います(それが多いか否かの判断は、読者に委ねましょう)。
他の点では、例えば「2012年現在の最新版」との表現がありますが、これはご提示いただいた出典にはありませんし、より新しい美術全集が刊行されると古くなる表現ですから、あまり適切とは申せません(ご自分で「他に新しいものは無い」ことをお調べになっての表現なら独自研究になりますし、より新しい全集が刊行されたとき、本項を更新されなかったり、その新しい全集についての記事が作成されなければ、あたかも本項が「最新の全集」であるかのように見えるおそれもあります)。氷鷺さんのご指摘になった「要出典範囲」は、どんな出典を要求なさっているか不明な点もありますが、その大部分に、わざわざ特記すべき事項か否か、疑問が残る点は一致します。「各巻のサイズ…堅牢である。」の部分は、そう評した出典が必要だと私も思いますし、価格はウィキペディアにおいては一般に触れるべきでありません(ウィキペディアは名鑑ではありませんの「5.販売カタログ」参照)。「編集や執筆は…専門家が担当している。」は、「編集委員」節や「各巻タイトル・編者・発行年月日」節で分かることを改めて強調する必要があるか疑問です。「別巻は『総索引』であり…便利である。」は、「便利だ」と感じたのがどなたなのか出典が必要で、もしそう感じたのがご自身ならば独自研究として除去されるべき表現です。「各地の美術館の図書室をはじめとして…あることがわかる。」についても、そう記した出典が無ければ、適切とは申せません(美術館の図書室の所蔵状況を示す出典や、「古書店で需要がある」と述べた出典があれば、問題ないと思いますが)。「「参考文献」として利用・参照されることが多い」も、同様に出典が無ければ適切とは言い難い表現です。上述の幾つかの箇所は、恐らくGoogleなどの検索結果を基になさったかと推察いたしますが、検索エンジンによる調査結果は、出典としてあまり有効ではありません。以上、細かいことを申し上げて恐縮ですが、積極的に改善の努力を頂けていますので、参考にして頂ければ幸いです。なお、氷鷺さんとは判断基準が異なるかもしれませんので、これらの改善を施していただいても十分ではないかもしれませんし、方向性が異なる可能性も否定できません。「各巻タイトル・編者・発行年月」節につけられた要出典範囲は…意図が分かりかねますが、どの巻の何ページに記載された情報かをご提示いただきたい、との意味かもしれません(脚注を使った出展明記をなさると良いかもしれません)。
20世紀(前半)美術さんは、恐らくこの全集に強い思い入れをなさっておいでで、執筆される際に、これをより良いものとして知らしめたいとのお気持ちが無意識に働いたのだろうと思うのですが、百科事典としてのウィキペディアでは、思い入れを極力排除し(独自研究は載せない)、出典に基づく記述を使って(検証可能性)、あくまで中立的な観点に立った記事とすべきですから、今後も改善をお願いいたします(本当に好きなものについて問題のない記事を作成することは、自分自身の記事を作るのと同様、大変に困難だと思います。故に、かく申す私も、本当に好きなものに関する記事には関与しないよう、意識して心がけています)。もっとも、私自身も、特に出典の疎かな記事の削除依頼には積極的に削除票を投じる傾向がありますが、その理由は、関係者によると思しき広告・宣伝記事の多くにそうした状況が見られ、それらの記事に対して反論の根拠(「『世界美術大全集西洋編』も出典は「本書そのもの」と書かれているから、ウチも「本書そのもの」が出典でいいじゃないか!!」など)とされないためである点をご理解いただけますと幸いです。さしあたり、私個人の判断では積極的に削除すべき理由は解消されたと考えますので、削除票は撤回いたしますが、上述のとおり問題が全て解消されたとは言えないとも考えますので、引き続き修正のほど、よろしくお願いいたします。以上、長文にて失礼致しました。--おきた会話2012年6月27日 (水) 02:55 (UTC)

おきたさん、詳細なコメントをいただきありがとうございます(と申しますか、詳細に書いていただかざるをえないような質問をさしあげて、申し訳ありません)。大変助かります。十分に参考にさせていただいて、さらに記事の見直しをいたします。また、削除票を保留に変更していただきありがとうございます。私の本項目における修正をある程度評価していただけたのかと、感謝いたします。

とりあえず、さきほど本文の参考文献に新たに追加した「日本の参考図書」の該当部分を以下に引用します。

(引用開始)

世界美術大全集 西洋編 第1-28巻 小学館 1992-1997 28冊 37cm 各20000円
世界の美術を時代順・地域様式別に巻立てし、豊富なカラー図版を用い、執筆者の署名入りで解説した図録。収録対象は先史時代から現代まで、世界70余国の絵画・彫刻・工芸品・建造物など約1万4000点。各巻とも図版、解説、テーマ特集、作品解説からなる。各図版には作家名・作品名・制作年・素材・技法・寸法・所蔵(所在地)の順に作品データを記載。各巻末に資料編として参考文献のほか、巻によって地図、年表、用語解説、主要作家年表などを付す。別巻の総索引は、主な収録作品、五十音順総索引、資料索引、地図索引、著者索引を収める。1998年現在刊行中の続編である東洋編(全17巻の予定)は、従来少なかった東洋美術を概観できる資料として貴重。5716

(引用終了)

最後の「5716」は、この本に掲載されているすべての資料に付された一連番号のようです。

なお、この文献に基づく本文の加筆修正は、氷鷺さんからまだご返事をいただいておりませんので、もう少しお待ちしたうえで行いたいと思います。とともに、おきたさんも一部ご指摘のとおり、氷鷺さんの「要出典」には不明確な部分があったり、意味がわからない部分があったりし、氷鷺さんに別途質問を差し上げたうえで、加筆修正をせねばならないと思っておりますが、できれば、今週末の休み中までには、質問を投げかけたいと思っています。

最後に、ご参考までに、私がこの記事に思い入れを持っている理由ですが、根本的には、自分で書き始めた記事ではない(自分のアイデアではない)、ということです。変更履歴が失われてしまっていますので、「出典」がありませんが(笑)、あるIP利用者の方が書き始め、当初から書誌情報ばかり(図書館の情報のコピー)だと問題が指摘されていました。この記事を知った私は、「なるほど、こういう記事でも成立しうるかもしれない」と考えて、記事を存続させるべく、多少なりとも記事を膨らませようと、若干の加筆をしていたのですが(図書館情報のコピーでは無理な内容にと)、編集に参加なさるかたがほとんどいないまま、また、ノートでの問題点のご指摘もないまま、かなりの時間が経過し、私の加筆も鈍っていたところに、いきなり「削除依頼」が提出されて、おやおやと重い腰を上げた次第です。「削除依頼」ではなく、このノートでの問題提起であれば、もう少し落ち着いて動けたのではないかとも反省しているのですが…。「削除依頼」への対応は、露骨な「敵対関係」から始まるので、正直苦手です。

取り急ぎ以上ですが、当方に無礼な書きぶりが多々あったのではないかと思いますので、その点をお詫びしつつ、引き続き、よろしくお願い申しあげます。なお、本項目に関連して問題となっている「2次資料」について、いくつか具体的な疑問があり、この記事の修正にも関わることから、後日、このノートにて、「2次資料」について疑問点を挙げようと考えております。お時間がおありでしたら、ご拝読いただき、ご意見賜りたく。ただ、やや一般論も含みますので、何らご回答を義務付けようなどという趣旨ではございません。--20世紀(前半)美術会話2012年6月27日 (水) 12:23 (UTC)

前回、氷鷺さんへの質問を「できれば、今週末の休み中までには」(7月1日までの意味)などと書きましたが、現実的には無理そうですので、来週の日曜日(7月8日)までとさせてください。申し訳ありません。ただ、それまでお待ちいただく必要はありません。その間でも、適宜ご回答、ご説明等をよろしくお願いします。

ただ、何もなしというのもなんですので、先行して、新しい節(「2次資料の必要性」)を作成しましたので、ご覧いただきますようよろしくお願いいたします。--20世紀(前半)美術会話2012年7月1日 (日) 07:28 (UTC)


まず、本書は特筆性を十分に有しております。普段よりお世話になっての考えです。紙の本がこれまでにない冷遇を受けている時代、今後取り分けて日本になじみがあるわけでも、人気があるわけでもない西洋美術の大全集など刊行されるはずもないと思いますので、本書が日本において最大級にして、最後の西洋美術全集となると思います。ブリタニカ百科事典のように特別な歴史を有しているわけでもありませんし、研究者しか知らないような芸術家まで深くカバーし、解説を行っているというわけでもありませんので、宣伝や独自研究の記述が禁止となると、書く内容に事欠いてしまうかもしれません。英語版では秀逸な記事に先行されているようですが、JAWPにおいては、世界的に有名なブリタニカでさえ大した内容の記事となってはいない現状を鑑みれば、精一杯加筆しても、本書も内容の薄い記事となってしまうのは仕方ないでしょう。
20世紀(前半)美術さんは態々20年前の新聞を探してきて記載するなど、実にすばらしい編集をなさっていると思います。しかし所々感想のような記述が見られたり(『7行目:ハードカバーの本であり、造本も堅牢である。』『17行目:また、ネットで調べると、古書店業界でも需要があることがわかる。』など)、「全体概要」の項もいくらか記述を削除しなければならないかもしれません。もう1つ、私も「要出典」の付け方に疑問を感じます。「各巻タイトル・編者・発行年月」の項の編者の出典など、そもそも何を要求しているのか全く分かりませんし、そんな記載に出典は必要ありません。出典を付けないのは極めて問題のある行為ですが、付け過ぎで可読性を悪化させるのもまた問題です。いくらか納得できる「要出典」もありますが、1、3、5、8-9行目と19行目冒頭の「要出典」は理解し難いものです。--くれもな会話2012年7月4日 (水) 23:16 (UTC)
くれもなさん、「存続」へのご投票、そしてコメントをいただきありがとうございます。私の書いた部分にも反省すべき部分はあると思いますので、さらに見直しは続け、できる限りのことはしたいと思います。引き続き、よろしくお願いします。ただ、この記事をどの程度迅速に修正できるのかは、氷鷺さんのご対応にかかっているかと思います。なお、ご興味があれば、Wikipedia:コメント依頼/氷鷺もご参照ください。--20世紀(前半)美術会話2012年7月6日 (金) 15:45 (UTC)

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── お気づきでないのかもしれませんが、おそらく相手の方から御返事は頂けないかと思います。どうしても、と仰るのであれば相手の方の会話ページにて対話の呼びかけをなさるのをお勧めしますが、私はこのまま削除依頼のクローズを待った方がよいと思います。2週間反応なさらないところをみると、本件にはもう興味がないのでしょう。--くれもな会話2012年7月8日 (日) 01:09 (UTC)

くれもなさん、加筆および再コメントありがとうございます。書いておられる、氷鷺さんの「会話ページ」での呼びかけですが、私も考えていました。くれもなさんとTiyoringoさんがこの項目をかなり編集してくださったので、もしかすると、氷鷺さんは、もう質問への回答は必要ないとお考えかもしれませんが、削除依頼も残っておりますし、ご回答はまだ必要で、それを氷鷺さんが理解しておられないのであれば、大変困ります。少しお待ちして「会話ページ」に呼びかけをする方向も考えます。また、あまりにご回答がない場合には、Wikipedia:コメント依頼/氷鷺の利用も考えねばなりません。引き続き、よろしくお願いします。--20世紀(前半)美術会話2012年7月8日 (日) 06:04 (UTC)

氷鷺さんへの質問

(読みにくくなってきましたので、分節します)

自主的なご回答がいただけるかという期待を持っていたのですが、全く無視されましたので仕方ありません。以下のとおり、具体的に質問を差し上げます。

あらためて氷鷺さん、「要出典」の貼付によって、問題点をご指摘いただきありがとうございます。ただ、「要出典」が貼り付けられている部分が長い部分にわたっている場合が多く、その趣旨・内容の明確化(まずもって、どこが要出典に該当するとご主張なのかの明確化)のために、具体的にご質問をさしあげたいと思います。それがわからないと、どのような修正を目指してどのような「出典」を探し、現実にどのように修正したらいいのかが判断できないからです。

なお、はじめにお断りしておきますが、誠に申し訳ありませんが、やむをえず質問内容は詳細にわたります。氷鷺さんの今までのご様子、例えば、こちらからの質問になかなかご回答いただけない、ご回答をいただいても抽象的でよくわかずさらに質問せざるを得ない、ご回答をいただけないにもかかわらず突然に「要出典」の大量貼り付けをなさり、「要出典」の内容が不明確であるとの(抽象的な)指摘や説明の依頼に対してもご説明などのご対応がなく、また、こちらの編集についてお考えに沿っていない(?)と、詳細な(事前)説明もなく即刻リバートをなさるなどの編集態度を拝見すると、かなり厳格で相手を容赦せず、他人からはなかなか推測できないお考えを持っておられる(他人が推測しても間違える可能性が高い)、と考えております。「要出典」が貼り付けられた場合、通常ですと、「どの部分に問題があるかを執筆者側が推測も交えて判断し、それに沿って出典の参照、表現の変更などの編集したうえで、『要出典』を取る」という対応になるかと思いますが、相手が氷鷺さんの場合、容易に推測されることは、「要出典」をはずして間もなく氷鷺さんによりリバートがなされ、その要約欄には、「出典不十分」や「要出典タグの趣旨を理解できていない」のような記載はあるものの、ノートにおける詳細な説明はない、という事態が繰り返される、ノートで質問をしてもなかなかご回答をいただけないということかと思います。その結果、こちらがリバートされた部分を(さらに推測を加えて)変更して戻しても、またリバート、また変更して戻しても、またリバート、というような編集合戦になる懸念すらあります。また、私も、例えば、遠くの図書館等に行って文献を確認せねばならない場合が出てくると思いますが、調査をして、「ここまで調べれば大丈夫だろう」と思って戻ってきて編集をすると、リバートされて、こちらからしつこく理由をお尋ねしてはじめて「これこれこういう問題点がある」とのご指摘があって、「それなら、はじめからそう説明していただきたい。再度、図書館へ行って調査せねばならないではないか。二度手間、三度手間だ。」という結果になることを懸念しております(実際にすでにそういう事態が起こっています)。説明が長くなり言い訳めいて申し訳ありませんが、以下のような長々しい質問になるのは、お相手が氷鷺さんだからである、ということをご理解いただきたいと思います。

なお、出典として主として用いるものは本文の「参考文献」にも掲げた(とともに、その内容そのものを上に引用した)「日本の参考図書」になると思いますので、以下、これを出典Aと呼ぶこととします。

  • 要出典範囲(1)2012年現在、最新の日本語による大型西洋美術全集であり、他の美術全集と異なり、現在でも入手可能である。[要出典]
    • 1-1: どの部分が「要出典」なのでしょうか? 以下、分節いたしますので、それぞれについて、該当/非該当、をお教えください。
      • 2012年現在、
      • 最新の
      • 日本語による
      • 大型
      • 西洋美術全集であり、
      • 他の美術全集と異なり、
      • 現在でも
      • 入手可能である。
    • 個別の部分についての質問は、本来はこの「1-1」にご回答をいただいてから、該当部分に絞って質問させていただいたほうが全体量が減りますが、ご回答をお待ちしていたら時間がかかると思いますので、あえて、私が「該当」であろうという部分について、以下質問をさしあげます。なお、個別に私の考えも記載しております。以下各要出典範囲について同じです。
      コメント そのすべてです。言い換えるなら「2012年現在、最新の日本語による大型西洋美術全集であり」「他の美術全集と異なり、現在でも入手可能である」の2点です。何故、その一部だと考えるようなことが可能なのでしょうか。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 1-2: 「2012年現在、」について、例えば「2012年6月現在」または「2012年6月○日」と限定せよとのご趣旨でしょうか? 私は、この「2012年」という程度の限定で問題ないと考えております。
      コメント 問題ない訳がないでしょう。いい加減に書いているだけであれば削ってください。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 1-3: 「最新の」について、どのような出典が必要なのでしょうか? それとも、「2012年現在」をより特定すれれば大丈夫でしょうか?
      コメント そういう出典を挙げてください。ないのなら削ってください。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 1-4: 「大型」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 「大型」はそもそも、大部である(全体の巻数が多い)という意味とサイズが大きいという意味に受け取れるかと思います。ここではもともと前者、すなわち「全28巻は巻数が多い」という趣旨だったのですが、その点を踏まえていただき、ご回答ください。私は、「全28巻」という情報があるので出典は足りると考えております。それとも、何か「比較」をしなければならないのでしょうか? なお、もう1つのサイズについての議論は「要出典範囲(4)」についての質問をご参照ください。
      コメント 曖昧な「大型」という表現であれば尚更、あなたの感覚で適当に書かないでください。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 1-5: 「他の美術全集と異なり」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 例えば、Amazonなどのネット書店の検索結果を見れば、誰でも他の美術全集は入手不可能であることがわかります。これでは不足なのでしょうか? それとも、「Amazon等のネット書店のページにて見ることができる」と付記しておけばいいでしょうか? それとも、もっと厳密する必要があり、その各々のページを引用しておけ(さらに厳密に、「閲覧日も記載しておけ」?)、というご趣旨でしょうか? それとも、「ネットの検索結果を見る」ということだけで、すでに「独自研究」になってしまう、というお考えなのでしょうか?
      コメント (1-6と合わせて回答)--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 1-6: 「入手可能である。」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 例えば、Amazonなどのネット書店の検索結果を見れば、誰でも入手可能であることがわかります。これでは不足なのでしょうか? それとも、「Amazon等のネット書店のページにて見ることができる」と付記しておけばいいでしょうか? それとも、もっと厳密する必要があり、その各々のページを引用しておけ(28巻+別巻1の29のページ。さらに厳密に、「閲覧日も記載しておけ」?)、というご趣旨でしょうか? それとも、「ネットの検索結果を見る」ということだけで、すでに「独自研究」になってしまう、というお考えなのでしょうか? また、問題点は異なり、直前の「現在」を明確化するために、例えば「2012年6月現在」とすればそれだけでよろしいということでしょうか?
      コメント 書籍の「入手可能」という出典なら、普通『Amazonなどのネット書店の検索結果』などではなく http://www.books.or.jp でしょう。『他の美術全集と異なり』の出典にはなり得ませんが、少なくともこの全集が入手可能という出典としては利用できます。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
  • 要出典範囲(2)建築や写真も対象としている点にも特徴がある[要出典]
    • 2-1: どの部分が「要出典」なのでしょうか? 以下、分節いたしますので、それぞれについて、該当/非該当、をお教えください。
      • 建築や写真も対象としている点にも
      • 特徴がある
      コメント その両方です。絶対的に・相対的に、それがこの全集の特徴であるという出典を挙げてください。ただのあなたの感想であれば消してください。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 2-2: 「建築や写真も対象としている点にも」について、まず「建築」については資料Aに「建造物」という表現があるので、出典はあった、と考えてよろしいでしょうか? 次に「写真」については、どのような出典が必要なのでしょうか? 実物を見さえすれば、写真が対象となっていることはわかります。私は、そのことで出典は足りていると考えております。くわしくは「2次資料の必要性」の節をご覧ください。
      コメント もし『建築や写真も対象としている』というだけの記述であれば、実物を出典とすることも可能でしょう。しかしこれは「他の全集にない特徴」であるかというところですから、建築物や写真の扱いのレベルについても確実に「特徴」と言える程度のものか明確にすべきでしょう。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 2-3: 「特徴がある」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 「特徴がある」という表現が「比較だ」というご趣旨であれば、比較対象の何らかの美術全集(建築や写真を対象としていないもの)を一例として記載すればいいのでしょうか?
      コメント 別の(特定の)美術全集との比較のみで「特徴」とするのは独自研究ですし、それにしてもいい加減です。真にそこが特徴なのであれば、そういう出典がない筈がありません。ないのなら――あなたの感想なら、消してください。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
  • 要出典範囲(3)特に、図版が豊富であり、1巻当たり400点以上(だいたいその半分はカラー図版である)、全28巻で約14000点の図版が掲載されている。[要出典]
    • 3-1: どの部分が「要出典」なのでしょうか? 以下、分節いたしますので、それぞれについて、該当/非該当、をお教えください。
      • 特に、
      • 図版が
      • 豊富であり、
      • 1巻当たり400点以上
      • (だいたい
      • その半分は
      • カラー図版である)、
      • 全28巻で約14000点の図版が掲載されている
      コメント その全てです。「1巻当たり」というのは全巻の図版数がどこかにあればクリア出来るでしょう。新聞記事に数字があるのならそれで問題ないでしょう。『特に、図版が豊富であり』『だいたいその半分はカラー図版である』については、資料A『日本の参考図書』に沿った記述にすれば問題ないでしょう。個人的には、単に(カラーとは限らない)図版が豊富なのは美術全集としては当然のことのように思いますし、それが特長・売り――記事に記述すべき情報とも思いません。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 3-2: 「特に」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 私は、3-3以下に解消されており、ここだけを取り上げる必要はないと考えております。
      コメント (上でまとめて回答)--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 3-3: 「図版が」について、資料Aの記載から、この部分は使用可能という理解でよろしいでしょうか? それとも、資料Aは「カラー図版」であるから、本項目でも「カラー」を追加せねばならない、「カラー」を追加しない限り出典は見つかっているとはいえない、ということになりますか? 私は、出典はあったと判断しております。(カラー図版が豊富であれば、図版が豊富だと言うと考えますので)
      コメント (上でまとめて回答)--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 3-4: 「豊富であり」について、資料Aに正に同じ語が使われているので、出典はあった、すなわち使用可能という理解でよろしいですね? それとも、資料Aでは「豊富な」という形容詞的な語であり、現在の本項目は「豊富であり」という述語的な語であるから、意味が異なる。したがって出典は見つかっているとはいえない、ということになりますか? 私は、出典は存在したと判断しております。
      コメント (上でまとめて回答)--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 3-5: 「1巻当たり400点以上」「(だいたい」「その半分は」「カラー図版である)」については、別途「2次資料の必要性」の節にご回答ください。私は、この点については、単に数えればいいものであり、そもそも2次資料は不要であるとの考えです。
      コメント (上でまとめて回答)--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 3-6: 「全28巻で約14000点の図版が掲載されている」について、新聞記事があるので、出典はあった、すなわち使用可能という理解でよろしいでしょうか? 私は出典は存在したと理解しております。
      コメント (上でまとめて回答)--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
  • 要出典範囲(4)各巻のサイズもかなり大きく(見開きでだいたいA2サイズで、他の美術全集に比較しても大きい)、従って、図版も大きなサイズで掲載されており、(特にカラー図版の場合に)再現性が優れている。ハードカバーの本であり、造本も堅牢である。[要出典]
    • 4-1: どの部分が「要出典」なのでしょうか? 以下、分節いたしますので、それぞれについて、該当/非該当、をお教えください。
      • 各巻のサイズも
      • かなり
      • 大きく
      • (見開きで
      • だいたいA2サイズで、
      • 他の美術全集に比較しても大きい)、
      • 従って、図版も大きなサイズで
      • 掲載されており、
      • (特にカラー図版の場合に)
      • 再現性が優れている。
      • ハードカバーの本であり、
      • 造本も堅牢である。
      コメント すべてです。下で個別に回答します。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 4-2: 「かなり大きく」について、どのような出典が必要なのでしょうか? まさに、「(かなり)大きい」と明記された2次文献が必要ということでしょうか? 4-5の記載が認められれば「かなり大きく」も認められるのではないでしょうか?
      コメント 「かなり大きい」と明記された、あるいは日本で出版された美術全集を網羅のうえ比較した文献があれば大丈夫でしょう。個人的に、個別の美術全集と比較して勝手に「かなり大きく」と表現しているのであれば削ってください。それが記述に値することであれば、出典がある筈です。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 4-3: 「(見開きで」について、どのような出典が必要なのでしょうか? まさに「見開き」と記載された文献が必要なのでしょうか? 私は、見開きでないサイズに出典があれば、見開きでサイズを記すことにも出典があるといえると考えます。
      コメント 美術全集の世界では「見開きで」大きさを言うのが標準なのでしょうか。普通は1ページのサイズでしょう。A3判なら美術全集として特筆に価するレベルではなさそうですが。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 4-4: 「だいたいA2サイズで、」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 私は実物から明らかなので特に2次資料は必要ないと考えております。「2次資料の必要性」の節もご覧ください。
      コメント そもそもそれが記述に値することであれば、出典がある筈ですよね、出版社なり文献紹介なりで。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 4-5: 「他の美術全集に比較しても大きい)、」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 2~3の美術全集のサイズを出典(公立図書館の書誌情報)とともに示せばいいでしょうか?
      コメント それでは駄目です。あなたの知識の範囲内でどうして『他の美術全集に比較しても大きい』などといった大言壮語ができるのでしょう。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 4-6: 「従って、図版も大きなサイズで」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 仮に本自体が大きなサイズであっても図版が大きなサイズとは限らないから、「図版が大きい」という2次文献が必要である、ということでしょうか? 本自体のサイズが大きいのに図版のサイズが小さいなどということは、「常識的には考えられない」(図版のサイズを大きくしたいがために本自体のサイズを大きくするものだから)ので、特に出典は不要、とは考えられないでしょうか?
      コメント 普通に、そう明らかに分かる出典が必要です。しかし、常識的であれば、その独自研究を書く必要がない筈でしょう。実際にはある程度余白をもたせているものから、割と端まで使っているものもありますし、見開きを避けているものもありますから、同じ版型でもそれなりに差があるような気がしますが。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 4-7: 「(特にカラー図版の場合に)」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 仮に「再現性が優れている」という点は記載できたとしても、カラー図版に言及した2次文献がなければいけない、という結論でしょうか?
      コメント そうです。単なるあなたの感想なら削ってください。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 4-8: 「再現性が優れている。」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 例えば、引用した新聞記事では、「再現性追求をするため、大部分が撮り下ろし」とありますが、これでは不十分でしょうか? この記事では「再現性が優れている」とまでは書いていませんが、「追求をするため」とわざわざ書いてあるのですから、この記事は再現性を認めていることにほぼ等しく、この記事を読んだ読者は、常識的に再現性に期待すると思うのですが?
      コメント それを独自研究といいます。ある目的を追求した結果が、例外なくそれを高いレベルで実現できている筈だとでも仰るのでしょうか。出典を探すか、適切な形に訂正してください。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 4-9 「ハードカバーの本であり、」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 私は、本全集自体を見れば明らかなので、出典は必要ないと考えています。くわしくは「2次資料の必要性」の節をご参照ください。
      コメント 不要でしょう。もし仮に、装丁について特筆している資料があれば別ですが。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
    • 4-10: 「造本も堅牢である。」について、どのような出典が必要なのでしょうか? やはり、「堅牢」または類似の表現を使った2次資料が必要だということでしょうか?
      コメント 当然です。そもそも堅牢・ハードカバーでない装丁の美術全集のほうが少数派でしょうし、出典もなく特筆すべき事柄ではありません。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)
  • 要出典範囲(5)編集や執筆は、大学の美術・美学関係の教授・助教授(現在の准教授)、美術館の学芸員、またはもともとそれらの役職についていた人等の日本を代表する、のべ200人以上の美術分野の専門家が担当している。[要出典]
    • 5-1: どの部分が「要出典」なのでしょうか? 以下、分節いたしますので、それぞれについて、該当/非該当、をお教えください。
      • 編集や執筆は、
      • 大学の美術・美学関係の教授・助教授(現在の准教授)、美術館の学芸員、またはもともとそれらの役職についていた人等の
      • 日本を代表する、
      • のべ200人以上の
      • 美術分野の専門家が
      • 担当している。
    • 5-2: 「編集や執筆は、」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 「編者」については国立国会図書館などの書誌情報に掲載されているが、「執筆者」については掲載されていないではないか、ということでしょうか? 私は、本全集自体を見れば明らかなので、出典は必要ないと考えています。わしくは「2次資料の必要性」の節をご参照ください。
    • 5-3: 「大学の美術・美学関係の教授・助教授(現在の准教授)、美術館の学芸員、またはもともとそれらの役職についていた人等の」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 私は、本全集自体を見れば明らかなので、出典は必要ないと考えています。くわしくは「2次資料の必要性」の節をご参照ください。
    • 5-4: 「日本を代表する、」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 1人1人について、「日本を代表する」の言及した2次資料が必要なのでしょうか? 
    • 5-5: 「のべ200人以上の」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 私は本全集そのものに掲載されている人の数を単に数えればいいので、出典は必要ないと考えています。くわしくは「2次資料の必要性」の節をご参照ください。
    • 5-6: 「美術分野の専門家が」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 「最大級」(出典は本項目記載の日経新聞)の美術全集の編集・執筆ができるのは、明らかに「美術分野の専門家」であり、出典は必要ないと考えています。要出典の問題ではなく、むしろ、記載する必要があるかどうかの問題でしょうか? それならこの部分の削除が義務だとの結論にはならないと考えます。(ましてや、この項目の削除理由には、なおさらならないと考えます)
  • 要出典範囲(6)別巻は「総索引」であり、探している記事、作家、作品等がどの巻に収録されているかがわからないときに便利である。[要出典]
    • 6-1: どの部分が「要出典」なのでしょうか? 以下、分節いたしますので、それぞれについて、該当/非該当、をお教えください。
      • 別巻は「総索引」であり、
      • 探している記事、作家、作品等が
      • どの巻に収録されているかがわからないときに
      • 便利である。
    • 6-2: 「便利である」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 便利であるかどうかわからない、ということでしょうか? 総索引が便利なのは当然のことであり、主観的な表現ともいえないと考えますので、私は出典は必要ないと考えます。? それとも、当たり前のことを書くな、という問題でしょうか? それならこの部分の削除が義務だとの結論にはならないと考えます。(ましてや、この項目の削除理由には、なおさらならないと考えます)
  • 要出典範囲(7)各地の美術館の図書室をはじめとして、日本国内の多くの公立図書館で所蔵されており、比較的容易に眼にすることができる。また、ネットで調べると、古書店業界でも需要があることがわかる。[要出典]
    • 7-1: どの部分が「要出典」なのでしょうか? 以下、分節いたしますので、それぞれについて、該当/非該当、をお教えください。
      • 各地の美術館の図書室をはじめとして、
      • 日本国内の
      • 多くの公立図書館で所蔵されており、
      • 比較的
      • 容易に眼にすることができる。
      • また、ネットで調べると、
      • 古書店業界でも需要があることがわかる。
    • 7-2: 「各地の美術館の図書室をはじめとして、」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 具体的な美術館図書室の名称を例示して、ウエブ上の各美術館図書室の検索結果のページのURLまたは(検索結果のURLが使えないケースもあるので)検索用のページのURLを引用すれば、それで足りるでしょうか?
    • 7-3: 「多くの公立図書館で所蔵されており、」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 例えば、47都道府県立図書館の検索結果を引用すればよろしいでしょうか? それとも、もっと多くの図書館の検索結果が必要なのでしょうか? 7-2もご参照ください。
    • 7-4: 「比較的」について、どのような出典が必要なのでしょうか? もともとの意味合いは、本全集は全28巻とかなり大部なので、「47都道府県立図書館」くらいには所蔵されているだろうが、市区町村のレベルではかなり差が出るのではないか、と思ったため、入れた言葉です。
    • 7-5: 「容易に眼にすることができる。」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 7-3の部分が残れば、当然「容易に眼にすることができる」わけですから、特にこの部分だけ出典が必要だとはならないという理解です。
    • 7-6: 「古書店業界でも需要があることがわかる。」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 「多い」ではなく「ある」としか記載しておりませんので、いくつかの古書店のウエブページを引用すればよろしいでしょうか?
  • 要出典範囲(8)2012年現在最新[要出典]
    • 8-1: 1-2および1-3をご参照ください
  • 要出典範囲(9)図版の時代的な網羅性とともに、総索引の存在(検索の容易さ)、独立した作品解説の存在が強調されている。[要出典]
    • 9-1: どの部分が「要出典」なのでしょうか? 以下、分節いたしますので、それぞれについて、該当/非該当、をお教えください。
      • 図版の時代的な網羅性とともに、
      • 総索引の存在(検索の容易さ)、
      • 独立した作品解説の存在が
      • 強調されている。
    • 9-2: 「総索引の存在(検索の容易さ)」、について、どのような出典が必要なのでしょうか? 「」の部分を削除せよとのご趣旨でしょうか? 総索引が存在すれば明らかに検索が容易なわけですから(すぐにわかることですが、どの巻に掲載されているかを知らない場合には、総索引がなければ、28冊全部を調べなければならなくなる)、出典など必要ないと考えております。
    • 9-3: 「強調されている」について、どのような出典が必要なのでしょうか? 資料Aと比較すれば、この紹介文では短い中であえてこの3点だけを取り上げているわけですから、強調されていることは明らかではないでしょうか? 「資料A」と比較して、と書けばよろしいでしょうか?
  • 要出典範囲(10)青柳正規・大貫良夫編[要出典]等同様の25項目
    • 10-1: ご指摘の範囲はせまいので「要出典」の対象部分は明確かと思いますが、趣旨が分かりません。二次資料として、「いちいち、国立国会図書館の検索結果のページのURLを張り付けよ」、というご趣旨でしょうか? 国立国会図書館の書誌情報についてはすでに「参考文献」には挙げているのですが、それでは不十分で、もっと具体的に特定せよ、というご趣旨でしょうか? 実態としてはそうすることは可能ですが、それでは、URLばっかりの項目になってしまいます。本当にそういうことをするべきだというご趣旨でしょうか?

かなり長く、しかも細かい質問ばかりで、忙しいのに困るな、などとお考えかもしれませんが、「要出典」が10個以上もあれば当然の事態ですし、しかもお相手が氷鷺さんであれば、なおさらです。いちいち問題の例示等をすると極めて煩雑になり、負担も大きいので、やめようかとも思いましたが、あえて書きました。それとも、「どの部分が要出典なのかが不明確なので、ひとつひとつ明確化していただき、それぞれ具体的にどういう出典が必要なのかを例示してください。」という1つの文章による質問だけで私が困らない程度に詳細に説明を書いていただけますか? 今までの冷淡ともいえるご対応から推測して、そんな親切なことをしていただけるとは決して思えません。氷鷺さんは、今回のケースで(今回に限らず?)比較的「気楽」に「要出典」を貼り付けなさったのでしょうが、一般論としても普通に執筆している者が「要出典」への対応にかなり苦慮しているということ(上記のとおり、「執筆者」の立場で突き詰めて考えれば、どう対応していいのかがかなり難しいことがお分かりいただけると思います)、特に氷鷺さんの「要出典」がどれ程(余計な)負担を生み出しているのかをご理解いただける機会になれば幸いです。また、ぜひとも、「執筆者の立場に立って、現在の内容を保持するにはどうしたらいいか」という視点でもお考えいただきたいと思います(そんなことを考える義理はないと、おっしゃるかとは思いますが)。

最後に、誤解いただかないよう書いておきますが、私は、「要出典」とご指摘いただいた部分につき「すべて、とにかく何が何でも残そう」というつもりではありません。むしろ、1)(せっかくあるのだから)残せるものならば残したいという程度であり、2)また、他のケースでの参考にしたい(言葉は悪いですが、「勉強」的な意味合い)、という趣旨もあり、いろいろとお聞きしております。

以上ですが、お忙しいところ恐縮ですが、ご回答方、よろしくお願いいたします。--20世紀(前半)美術会話2012年7月6日 (金) 15:36 (UTC)

コメント とりあえず1から4について、回答しました。--氷鷺会話2012年7月8日 (日) 12:36 (UTC)

氷鷺さんご回答ありがとうございます。ご回答の残りをお待ちしつつ、まずは、次の3点についてコメントおよび質問を差し上げます。ご対応方、よろしくお願いいたします。

  • 1.今のところのご回答を拝見すると、たいへん申し訳ない言い方になりますが、やっつけ仕事、とりあえず回答しておけば文句ないだろ、という今までと同じ態度がうかがえます。別途コメント依頼(Wikipedia:コメント依頼/氷鷺)が提出されているので、それを考慮したおざなりの回答(コメント依頼において、「やっぱり質問を無視している」と主張されないようにすることのみを目的として回答しているのではないか?)とかんぐってしまいます。お聞きしたかったこと(どの部分が問題で、どのように解決すべきか(どのような資料が必要か)?)については、何も回答されていません。ひとこと「要出典と下線を引いた部分全体が問題であり、その部分の表現をそのまま記載してある出典を示せ」と書いておられるだけで、結局、1から10まですべてを再度お聞きしなければなりません。何故、氷鷺さんのご回答が役に立たないか、ご自身でおわかりでしょうか? それは、「この回答で相手の役に立とう」ひいては「対話をしよう」と考えておられないからです。「とにかく、回答だけしておくから、あとはそちらで勝手に考えて、勝手にどうぞ、でも、気に入らなかったら、いつでもリバートしますよ」という対話を拒否・拒絶するお考えが一貫してすべてのご発言の底にあるので、回答自体も役に立たない無駄なものになっているわけです。要するに、「形式的に回答しておけば『無視』とは非難されないだろ」というお考えで、「実質的な回答拒否」、かつ、「対話拒否」(対話拒絶)という状況だといわざるを得ません。

今回の氷鷺さんからのようなご回答をいただくと、その相手はもうこれ以上質問するのはあきらめよう思う、とか、いくら質問しても埒が明かないと思う、とか、質問はやめて極端な編集に走ってしまおうと思う、ということが起こりがちではないかと思いますが、仮にそうなるとすれば、氷鷺さんは「しめしめ、思い通りだ」とお考えになるということかと思います。これすなわち、相手方に対話をあきらめさせるという、巧妙な「対話の拒否」です。

なお、以上は、別に「誠実さ」といった精神的なものを求めているわけではありません。現実問題として、対話にならない、と申し上げているのです。

この点については、氷鷺さんはどのようにお考えですか? ご回答ください。この点について、どのようにご回答いただけるかは、氷鷺さんが対話を拒否・拒絶しているのかどうかの評価の対象ともなりますので、その点もご理解のうえご回答ください。

  • 2.本件において、今までのご自分の対応方法が悪かったとは思いませんか? そして、今ここでとにかく回答しておけば、今までの「無視」は帳消しになるとお考えですか? 「説明なく大量に『要出典』を貼り付ける」ということについては、問題がないとお考えですか? 「(すでにトラブルになっている場面で)『説明なきリバート』などの事前説明のない編集を多く行う」ことについては、どうでしょうか? いずれも、氷鷺さんのお考えをお示しください。そして、この項目でなされた以上の各点について、これからどうなさるおつもりですか? 放置しておけばいい、というお考えなのでしょうか? この辺りの問題が、まさに、「対話の拒否(拒絶)」につながっているというか、周りの誤解を生み、その誤解を深め、結局氷鷺さんを「おざなりの回答」や「対話の拒否(拒絶)」に追い込み、やがては「コメント依頼」の対象とされ、「ブロック依頼」も視野に入って来ている原因だと思います。
  • 3.幸いにして、この記事については、Tiyoringoさんとくれもなさんが加筆してくださいました(待望の私以外の方による加筆です)。それを経た現在のこの記事について、なお削除手続継続の必要性があるとお考えですか? ご回答ください。もし必要性があるということであれば、この記事のどの部分が削除の理由に該当するのるかをご指摘ください。なお、ご指摘は、まずはこのノートにてしていただきたく、よろしくお願いします。くれぐれも、以前のように「説明なく大量に『要出典』を貼り付ける」というようなことは避けてください。おそらく、氷鷺さんとしては、「ノートで事前に指摘せねばならないというような、そんなルールはない、従う義務はない(『要出典』を貼ればそれでおしまいだ)」とお考えではないかと思います。もしかしたらルール上はそれが正しいのかもしれませんが、それは関係ありません。ここでは個別のルールを守って欲しいというお願いをしているのではなく、対話へお誘いしているのです。その点がおわかりにならないとしたら、この記事の置かれている状況をご理解いただいていないということです。大量の「要出典」貼り付けなどというような編集をしていただくことは、対話をさらに拒否・拒絶して問題を解決から一層遠ざけるということにほかなりません。せっかくのTiyoringoさんとくれもなさんの加筆なりお考えを無にする行為です。従来から対話を拒否(拒絶)しておられる氷鷺さんとしては、対話によって記事を改善していくという進め方は「慣れていない」「面倒だ」「不得意だ」ということかと思います。その結果、あちこちでトラブルを起こしておられるのではないかと懸念します。しかし、本件では、(実質的にはあまり意味がなかったとは言え)ご回答をいただけました。これは、氷鷺さんにとっては、確実に大きな前進です。対話成立までもう一歩ですので、ぜひとも、ここで引き返すことなく、もう少しがんばってください。なお、削除手続の必要性がないとお考えであれば、削除依頼の取り下げをよろしくお願いいたします。

そういたしましたら、以上の3点、加えて、「要出典」の残りの部分、次の節の「2次資料の必要性」の部分、そして、この節以前に差し上げた質問もお忘れなく、ご回答をよろしくお願いいたします。もちろん、お考えを改めたうえでご回答ください。

なお、誤解なきように書いておきますが、私のほうに、氷鷺さんをとにかく責め立てようとか、Wikipediaから追い出そうなどという考えはありません。もしかすると、従来「とんでもない利用者」への対策として「対話を拒否する・拒絶する」という手段をおとりになっていたのかもしれませんが、それが行き過ぎて、とうとう氷鷺さんご自身が「とんでもない利用者」になりかけているというのが現在の状況だと思います。これはもったいない。この記事を契機に、ぜひとも対話を受け入れていただき、「まともな利用者」への道をお進みいただければと思います。そのほうが、氷鷺さんにとってもWikipediaにとっても有益であることは間違いありません。そして、私はそれが可能であると信じております。例えば、Tiyoringoさんなどは、この項目の膠着状態に対して自ら仲裁を買って出るという行動に出ておられますが、それも、氷鷺さんの変化への期待があるからではないかと推測します。なお、Wikipedia:コメント依頼/氷鷺のほうにもコメントをなさってはいかがでしょうか?(「被依頼者コメント」の節を削除するとは、「無視・拒絶の氷鷺」としてはあまりにも中途半端で子供っぽいではないですか?)

最後に、「対話を拒否・拒絶なさる状態の」氷鷺さんから予想されるご回答をあらかじめ書いておきます。

  • 1. 「要出典」を理解できていない質問であり、回答の必要性は全くない。
  • 2. 放置も何も、問題ですらない。したがって、回答の必要性は全くない。
  • 3. 削除依頼手続は継続する必要がある。どの部分がその理由に該当するのかわからないなどという理解力のない無責任な利用者には、Wikipedia参加の資格はない。即刻、Wikipediaから自主的に立ち去るべきである。

以上となりますが、よろしくお願いいたします。--20世紀(前半)美術会話2012年7月9日 (月) 13:04 (UTC)

何か勘違いされているようですが、あなたのすべきことはこんな所でつまらない時間稼ぎをすることではなく、このいい加減な「ページ」の始末をすることです。どうやら時間だけは十分あるようですから、あなたの能力か、記事の主題に問題があるということでしょう。--氷鷺会話2012年7月9日 (月) 14:53 (UTC)

せっかく急いで一生懸命に返事を差し上げ、なるべく早く対話により問題を解決しようとしているのに、また「どうやら時間だけは十分あるようですから」といやみをいわれるのもさすがにいやですので、回答にあえて時間をおきました。我慢強く再三再四対話を求めておりますが、大変残念ながらどうもご理解いただけないようです。私に十分に時間があるわけではなく、「自分が対話を徹底的に拒否しているせいで(加えて、その代わりに対話の進展にまったく役に立たないいやみだけを書いているせいで)、相手に時間の無駄使いをさせてしまっている」、とはお考えにはなれないのでしょう。根拠なく自分がとにかく正しいと考え、相手の立場でものを考えられない、それが、まだ対話のできない状態の氷鷺さんの限界です(別に、「自分のためにわざわざ時間を割いてくれているのだな」、と思っていただきたい、とまでは期待しておりません)。

今回の私のやり方、「相手の質問の一部に対してやっと回答をし、続けて残りについて回答しようとしていたら、予想外にまた新しい質問が来て、せっかく書いた回答もダメ出しされてしまう」、というやり方ですが、どう対応していいかわからず、困惑なさり、ひいてはご回答の続きもお忘れになるくらいご立腹のご様子ですね。お気づきのとおり、このように相手を追い詰めるやり方は、氷鷺さんがなさった(なさっている)ことです(少しは、ご自分がなさっていることを振り返ってみていただきたいと思います)。このやり方は、個人的には納得いかず自分ではしようとは思いませんが、今回は、氷鷺さんの真似をして、あえてこのやり方をかなり精神的にも無理をしつつやってみたのですが、これにより、ご自分のやり方について何かお分かりいただけましたか?

以上、よろしくお願いいたします。--20世紀(前半)美術会話2012年7月16日 (月) 10:20 (UTC)

人に言われずとも、この記事の惨状を見てもあなたは何も改善方法が浮かばないのでしょうか。責任転嫁で時間を稼ぐよりも、少しは自分の頭を使うことも検討してみてください。無理ならば手を引いていただいたほうがウィキペディアのためになるかと思います。--氷鷺会話2012年7月16日 (月) 13:53 (UTC)