ノート:ロープマジック

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インド総督だったロンズデール卿?[編集]

インド総督だったロンズデール卿とは誰でしょうか。インドの総督の一覧にはロンズデール卿という人物はいませんし、ロンズデール伯爵にはインドの総督を務めたという人物はいません(英語版に各人の項目があります)。en:Lonsdaleも見ましたが、ロンズデールという姓のインド総督はいないようです。出典の <前川道介 『アブラカダブラ 奇術の世界史』 白水社、1991年、62頁。> を機会があったら見てみようと思いますが…。―霧木諒二 2010年2月27日 (土) 06:14 (UTC)[返信]

(追記)英語版にそのものズバリen:Indian rope trickという記事がありました。そこでは懸賞金をかけた団体としてen:The Magic Circleのみが挙げられています(en:John Nevil Maskelyneには彼も懸賞をかけたということが書かれています。en:Howard Thurstonには言及がない)。なおこれによればこのマジックはシカゴ・トリビューンen:John Wilkieが1890年に書いた虚構記事の可能性が高いということです。―霧木諒二 2010年2月27日 (土) 15:30 (UTC)[返信]
前川道介さんの『アブラカダブラ 奇術の世界史』の62頁を引用しておくと、
一八七五年、英国のエドワード七世が皇太子としてインドを訪れたとき、インド総督だったロンズデール卿は歓迎のため一万ポンドの懸賞で、この術の出来る者を募ったが、応募者はなかった。
と書いてあります。インドの総督をみると1875年の時点でのインド総督はトマス・ベアリングという人みたいですし、仮に出典元の「インド総督だった」という表現が「(1875年にはインド総督ではなかったが)かつてはインド総督だった」という意味であったとしても、霧木諒二さんがおっしゃるとおり歴代インド総督の中にロンズデールという人はいないようなのでどうもおかしいですね。詳細が判明するまでこの部分は削っておいたほうがいいかもしれません。エドワード7世が1875年にインドへ行ったこと自体は英語版のen:Edward VII of the United Kingdomに出典付きで書いてあるので正しいと思うのですが。
ちなみに1890年の『シカゴ・トリビューン』の記事が虚構記事であるという話は『アブラカダブラ 奇術の世界史』の60-61頁に記載されていますが、英語版に書かれているような「1890年以前には、インディアン・ロープ・トリックに対する言及がない」というところまで踏み込んだ記述はありませんでした。--貿易風 2010年3月5日 (金) 03:22 (UTC)[返信]
情報ありがとうございます。
英語版の外部リンクにあった[1](pdfファイル)の脚注4(26頁)に記述を見つけました。1875年当時のインド総督であったen:Thomas Baring, 1st Earl of Northbrookが懸賞をかけてこの手品ができる者を探したとされる、ということがこの奇術が19世紀半ばに広く知られていたことを示す証拠として挙げられるが、だれもその出典を明らかにしていない、とあります。筆者はエディンバラ大学のResearch Fellowでマジシャンでもあるen:Peter Lamont (historian)です。
どうやら前川道介氏(もしくは氏が参照した資料の著者)が、このノースブルック卿をロンズデール卿と誤記したのではないかと推測するのが整合性がありそうに思います。そして総督の名前とは別に、そもそも皇太子訪印時に懸賞がかけられたということが事実か、というのが問題になりそうです。―霧木諒二 2010年3月7日 (日) 07:20 (UTC)[返信]

(インデント戻し)なるほど、ありがとうございます。当時のインド総督が懸賞金をかけたという話自体の信憑性も高くはないようですが、少なくとも「ロンズデール卿が懸賞金をかけた」という現在の記載は明らかにまずいようなので、削っておきました(差分)。--貿易風 2010年3月8日 (月) 06:22 (UTC)[返信]

妥当な対処だと思います。{{告知}}を除去しました。お手数おかけしました。―霧木諒二 2010年3月13日 (土) 06:55 (UTC)[返信]