インドの総督

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1885年から1947年のインド総督旗

インドの総督(いんどのそうとく Governor-General of India)は、イギリス政府(1858年まではイギリス東インド会社)が植民地インドに置いていた総督である。

歴史[編集]

1824年のカルカッタのベンガル総督官邸英語版を描いた絵画(ジェイムズ・バイリー・フレイザー画)
1902年12月29日、に乗るインド副王兼総督カーゾン卿夫妻。

イギリス東インド会社がインドに置いていた3つの商館(ボンベイマドラスカルカッタ)の獲得領土は管区(Presidency)と呼ばれ、それぞれに知事(Governor)が置かれていた(ボンベイ知事、マドラス知事、ベンガル知事)[1]。この3つの商館と知事の権限ははじめ同等だったが、経済的に最も重要なのはカルカッタ(ベンガル)だったため、1773年規正法によりカルカッタの商館が「最高商館(Supreme council)」、ベンガル知事がベンガル総督(Governor-General)に昇格し、他の2つの管区政府の監督権を与えられるに至った[2]

さらに1833年の特許法でベンガル総督はインド総督と改称された。ここに名実ともにカルカッタの最高商館がイギリス東インド会社領の中央政府となった[3]

1773年規正法ではベンガル総督の任免は東インド会社役員会の専権事項とされていたが、1784年に首相ウィリアム・ピット(小ピット)がインド法を制定し、イギリス政府内に東インド会社の監督を行うインド庁Board of Control)を設置した。インド庁は法律上東インド会社の政務にだけ参画することになっていたが、実際には商務にも口を出すことが多く、やがて会社役員会を差し置いて会社を支配するようになった。総督の任免もイギリス政府が事実上決定し、会社役員会はイギリス政府の人選に都合が悪いと感じた場合に拒否権を発動するに留まった。そのため徐々に役員会は不要と考えられるようになり、1833年特許法では会社役員会はインド庁の諮問機関に格下げされるに至った[4]

形式的には東インド会社役員会も商務や人事権を残したので、1858年までインドはイギリス本国政府と東インド会社の二重支配状態に置かれていたといえる。しかし1858年のインド大反乱を機に東インド会社の統治は正式に廃され、以降インドはヴィクトリア女王(実質的には女王陛下の政府)の直接統治下に置かれることになった(英領インド帝国)。これに伴い本国のインド庁はインド担当省英語版に昇格、またインド総督はインド内において副王(Viceroy)の称号を使用するようになった[5]

総督の権限は英領インド帝国時代全期を通じて専制君主に等しいほど巨大であったが、1947年のインド独立でインド連邦総督に改組され、名目上の国家元首となる。更に1950年に共和政へ移行する憲法が定められたことで総督ポストは廃止された[6]

人選[編集]

インド総督の人選は基本的に首相がインド担当大臣と相談して決めることが多かったが、インド担当大臣の判断のみで決まったり、王が独断で取り決めるケースもあり、一様ではない[7]

総督に任命された者の経歴は、政治家、軍人、外交官、インド政府行政官と各自ばらばらである[8]。政治家から任命された者の中には後に首相候補となるような大物政治家もいたが(ウェルズリー卿ランズダウン卿カーゾン卿ハリファックス卿など)、実際に首相になった者はいない[9]

権能[編集]

インド総督は、インドにおいて国家元首(儀礼行為)と首相(行政)を兼ねた役割を果たす[10]。内閣に相当する行政参事会(Executive Council)と軍事力を掌握するインド軍総司令官英語版の補佐を受けながら、インド統治にあたる[6]。一応立法議会も存在し、改革のたびに少しずつその権能や公選の範囲が拡張されたものの、結局総督の諮問機関以上の存在にはならず、1947年のインド独立まで総督はインドにおいて専制君主も同然の独裁権力を保持し続けた[6]

イギリス本国との関係において、インド総督はインド担当大臣に責任を負っているが、イギリス議会には責任を負わない。インド総督はインド担当大臣に従うべきと考えられており(ただし総督はあくまでイギリス国王インド皇帝)の名代であって、インド担当大臣の代理人ではなかった)、両者が意見対立した場合にはインド総督が辞職するのが慣例になっていた。そのため一般的傾向として1870年にインドとイギリス本国に電信が開通した後、本国からの影響力が強まったと言える[10]

任期は基本的に5年である[6]

待遇[編集]

インド総督は1773年規正法以来、2万5000ポンドの年俸を受ける高給取りだった(19世紀初頭のイギリス閣僚の年俸は5000ポンド)。この年俸に惹かれて総督職を引き受けた者は多いと見られる[11]

歴代総督[編集]

ベンガル総督[編集]

1773年イギリス東インド会社ベンガル知事がベンガル総督に昇格し、他の知事より優越的地位に立つ。任命者はイギリス東インド会社。

インド総督[編集]

1833年に、ベンガル総督をインド総督に改称。任命者はイギリス東インド会社。

インド副王兼総督[編集]

1858年にイギリス政府の直接統治下へ移行(英領インド帝国)。任命者は国王(女王)であり、以降、副王の称号も使用。

インド連邦総督[編集]

マウントバッテンの在任中、インド・パキスタン分離独立。マウントバッテンは独立国インド連邦の総督に横滑りする。

インドが憲法の施行によって共和国になったことにともない、総督ポストは廃止。インドの大統領がこれを引き継ぐ。

出典[編集]

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  1. ^ 浜渦(1999) p.22
  2. ^ 浜渦(1999) p.22-23/36
  3. ^ 浜渦(1999) p.36
  4. ^ 浜渦(1999) p.30-31/37-38
  5. ^ 浜渦(1999) p.41-42
  6. ^ a b c d 世界大百科事典(1988) 「インド総督」の項目
  7. ^ 浜渦(1999) p.39-40
  8. ^ 浜渦(1999) p.45
  9. ^ 浜渦(1999) p.47-48
  10. ^ a b 浜渦(1999) p.42
  11. ^ 浜渦(1999) p.43

参考文献[編集]

関連項目[編集]