ノート:マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ (1683-1754)

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改名提案[編集]

他のマリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒとの区別のためにも、この項目の人物は「マリア・アンナ (ポルトガル王妃)」への改名を提案します。桜の国 2009年2月3日 (火) 07:52 (UTC) [返信]

(追記)ポルトガル語読みで「マリア・アナ (ポルトガル王妃)」もありですね。桜の国 2009年2月3日 (火) 07:59 (UTC)[返信]
再提案に伴う取り消し線 桜の国 2009年2月11日 (水) 00:25 (UTC)[返信]
(反対)この人物の同族の同名マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ (1654-1689)が生没年入りで既に記事としてある以上、十分区別が付いていると思います。カッコ付きの『ポルトガル王妃』に変える必要性を感じません。--Magyon 2009年2月4日 (水) 02:47 (UTC)[返信]
(反対)家名を省く方向への改名は、十分に納得のいく理由が示されない限り賛成しかねます。そもそも曖昧さ回避ならすでにできていますし。--モンゴルの白い虎 2009年2月5日 (木) 17:33 (UTC)[返信]
(反対)マリアナ・ビクトリア・デ・ボルボーンが独語版でde:Maria Anna von Spanien (1718–1781)となっているため、家名がないと却って曖昧さが増す可能性がある。なお英独仏蘭では「マリア・アンナ・ヨーゼファ」ではなく「マリア・アンナ」となっているため、彼女は全名は「マリア・アンナ・ヨーゼファ」だが一般的には「マリア・アンナ」と名乗ったのではないかと考えられ、マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1683-1754)への改名は検討の余地がある。--アイランズ卿 2009年2月7日 (土) 00:51 (UTC)[返信]
(別案)「マリア・アナ・デ・アウストリア」でも良いでしょう。曖昧さ回避が気になるなら「マリア・アナ・デ・アウストリア (ポルトガル王妃)」なり「マリア・アナ・デ・アウストリア (1683-1754)」で。--モンゴルの白い虎 2009年2月7日 (土) 09:53 (UTC)[返信]
(コメント)「マリア・アナ・デ・アウストリア」だと、フェリペ4世妃「マリアナ・デ・アウストリア」とかぶりそうに感じました(この人物のドイツ語版項目名はde:Maria Anna von Österreich (1634–1696)ですが)。マリア・アンナが多いため(そもそもヨーゼファまでついていたのは、複数いるマリア・アンナ・フォン・エスターライヒから区別するためかも?)、家名付きでカッコ内が生没年であれば、ドイツ語表記であっても、スペイン語・ポルトガル語の表記であっても良いと思います。--Magyon 2009年2月7日 (土) 11:49 (UTC)[返信]

再提案[編集]

反対が多いようなので、家名は残す方向で、モンゴルの白い虎氏の別案にあったように「マリア・アナ・デ・アウストリア (ポルトガル王妃)」ないし「マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (ポルトガル王妃)」ではいかがですか?同名の人物が多く、この人物の場合より区別しやすい称号をつけることが可能なのに、生没年表記を乱用するのはいかがなものかと思います。()内はジョアン5世妃でも良いのですが。桜の国 2009年2月11日 (水) 00:25 (UTC)[返信]
生没年による曖昧さ回避の無制限な使用についてはノート:ヨーク公リチャードでも批判が挙がっており、少なくとも改名の必要があった際に議論抜きで採用して良いものとは思えません。ただ、本項人物の場合は恐らく問題にならないだろうとは思います。--モンゴルの白い虎 2009年2月11日 (水) 13:14 (UTC)[返信]
(コメント)私が()の年号入りにこだわったのは、ドイツ語を用いるオーストリア・ハプスブルク家の成員として当該人物のタイトルを考えたためで、ポルトガル王妃となった人物として見るとなると、嫁した先のポルトガル語表記された名前+()内ポルトガル王妃で十分だと思います。マリア・アナ・デ・アウストリア (ジョアン5世妃)については、ポルトガル語版内でのポルトガル王妃カテゴリを確認したところ、同姓同名の人物が他にいたら有効な表示ですが、他にマリア・アナなるポルトガル王妃はなくこの人物一人でしたので、(ポルトガル王妃)で良いと考えます(例として、カッコ内が違うアレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ1世皇后)アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)は、ロシア皇后に同じ名前の人物が2人存在したため、区別が必要だからです)。
私が一度指摘したマリアナ・デ・アウストリアについて。スペイン語版ではマリアナ(es:Mariana de Austria)、ポルトガル語版ではマリア・アナ(pt:Maria Ana de Áustria, Rainha de Espanha)となっていますが、彼女はポルトガル再独立(1640年)以後にフェリペ4世と結婚しており、ポルトガル王妃には分類されないので、マリア・アナ・デ・アウストリア (ポルトガル王妃)とはかぶらないと判断しました。--Magyon 2009年2月12日 (木) 04:43 (UTC)[返信]
括弧内が一意に決まり曖昧さがまったくない(同姓同名で生没年が同じ人物はまずいないと考えられる)生没年表記ではなく、毎度毎度確認や議論をしなければならない称号表記にこだわるのはいかがなものかと思います。--アイランズ卿 2009年2月14日 (土) 02:38 (UTC)[返信]
逆に言うと、今回のように確認ができてしまえば、わざわざ生没年を使う必要もないわけですよね。--モンゴルの白い虎 2009年2月14日 (土) 14:13 (UTC)[返信]
貴方が、記事名の重複は起こりえないか、誤リンクが発生していないか、リンク切れが発生していないか、といったことを既存新着問わずあらゆる王族の記事について未来永劫完璧にチェックして下さるならそれでもいいですよ。一意に決まるということはそういう労力が要らないという利点があるのです。--アイランズ卿 2009年2月21日 (土) 08:03 (UTC)[返信]
(コメント)Wikipediaを利用する方にはもちろん素人の方もいるわけですから、利便性をとれば(生没年)よりも(ポルトガル王妃)の方がわかりやすいという考えは理解できます。桜の国さんはご存じでないかもしれませんが、英語版など他言語版では、過去の君主やその家系に属した人物の記事タイトルは、家名まできちんとつけ、同姓同名者がいれば生没年を加え、称号を省く傾向にあります。家名を入れるとタイトルが長くなるからカッコをつけたいというのは、改名提案の理由にはならないです。ニコライ1世皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ1世皇后)の英語版での記事タイトルはen:Alexandra Feodorovna (Charlotte of Prussia)、独語版ではde:Charlotte von Preußen (1798–1860)と、あくまで元々の名前を家名付きで出しており、それぞれdiscussionページで議論がなされています。日本語版でも、ノート:フランツ・フェルディナント大公ノート:ドミトリー・パヴロヴィチで称号を抜くべきであるという議論がなされていますね。日本語版では慣例として称号をタイトルにつけてきたため、家名をつけたタイトルよりも、称号を含めた『日本国内で通用している名にしてほしい』との意見が出ます。その気持ちも分からないではないのですが、家名まで入れれば同姓同名人物と区別がつくのだから、やみくもに(○○王)(○○妃)をつけるのもいかがなものかと個人的には思っています。しかしあまり厳しくすると、王侯の下のあまたある公爵侯爵伯爵男爵子爵含めて膨大になっていく危険があります。これに関してはルールがまだ決まっておらず、議論の段階です。--Magyon 2009年2月16日 (月) 07:55 (UTC)[返信]