ノート:パン
パンを食べるときのマナーとか、そういう情報もほしい。—以上の署名の無いコメントは、Yoshioka(会話・履歴)氏によるものです。
今日やった編集と提案、それにお願い
[編集]--Omitugiといいます。(1)これまでの書き方では、第一文(「パンとは」で始まる文)で定義したものの例外を第五文(「生地を薄くのばして」で始まる文)で提示していましたので、それぞれを発酵パン、無発酵パンと明確にしました。(2)第一文には定義の他に「ベーカリー(Bakery)、ブレッド(Bread)などともいい」という呼称のことが書かれています。これは「歴史……日本」に書かれている部分と一緒に「表記と呼称」という節を作るべきだと思っていますが、いかがでしょう。(3)「歴史……日本」の中に「江川太郎左衛門をパン祖と呼ぶ」とあります。こう呼び始めたのが誰なのか、ご存じの方いらっしゃいませんか。『パンの明治百年史』には口絵に徳富蘇峰の書いた二本の掛け軸の写真が載っています。一本は「パン祖江川坦庵(異体字)先生邸」という記念碑表面のための揮毫。もうひとつは、江川先生は偉い人だ、という意味の短いもの。でもこの本の本文に蘇峰との関係は何も書かれていないように見えます。 --Omitugi 2007年6月17日 (日) 12:52 (UTC)
項目の羅列
[編集]項目の羅列がまだ多すぎて、雑多であり、特に後半は記事の体をなしていません。思い切って削除して、基本的な製法か代表的なレシピでも載せた方がよいでしょう。--24.5.184.255 2008年3月13日 (木) 13:51 (UTC)
外国語の併記の必要性と日本語における「パン」という単語の適応範囲
[編集]「パン」という単語は、外来語と広く認識されているものの、国語化が進んだ単語であるので、わざわざ冒頭に外来語を併記する必要はあるのでしょうか。たとえば、同様に国語化が進んだかるた、タバコのような項目は現地の表記を併記していません。私はポルトガル語やスペイン語に関しては全くの無知ですが、こんな風に数世紀間に渡って用いられた単語は、もはや語源となった単語と一対一対応していないように思います。冒頭の原語表記に関するガイドラインは、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#原語表記で少し触れられています。このガイドラインは導入部を対象としたもので、見出しの併記については漠然としていますが、私は以下のように解釈しています。
- ジョゼ・ソクラテス、カスカイスのような特に音訳、意訳のない固有名詞
- インターネット、ヒスタミンのように原語の音写で、且つ意味が一対一対応している単語
- 物理学、経済のように近代まで国内にその概念が存在せず、原語を元に造語された単語
以上のような単語は冒頭で外国語の併記を積極的に行うべきだと思います。翻って仮にポルトガル語の“pão”という単語が「小麦粉をこねたものを発酵させて焼いた食品」を意味し、それが日本語の「パン」という単語と一対一対応するならば、ポルトガル語を併記するべきだと思います。しかし現状で「蒸しパン」「米粉パン」のような用例が散見されることから、「パン」という単語が「穀物粉をこねて加熱した食品を包括した総称」ならば、今の記事に改善の余地があると思ったのですが、いかがでしょう?--Damena 2008年7月6日 (日) 12:17 (UTC)
文章に信憑性が無さ過ぎます
[編集]江戸時代に日本人がパンを食べたという記録はほとんど無い。
上記に関しまして、江戸時代の日記や武家文書に長崎土産としてパンが度々書かれています。また、18世紀に編纂された蘭日辞書に「ブロート…所謂パンのこと」と、表記されており、知識人の間ではパンは普通に知られている言葉と認識されます。
日本人が、最初にパンを焼いたのは江戸時代の末の江川英龍とされ、彼をパン祖と呼ぶ。
上記に関しましては、江川英龍が焼いたのはハードタック(堅パン)であり、現代日本人が認識するパンではありません。ハードタック(堅パン)は福岡では駄菓子として普及しており、また非常食の乾パンはハードタック(堅パン)の亜流です。よって江川英龍が作ったのは焼菓子と解釈するべきです。—以上の署名の無いコメントは、118.22.197.126(会話/whois)さんが[2009年1月20日 (火) 13:07 (TOKYO)]に投稿したものです(Damenaによる付記)。
「パン」という日本語の由来について
[編集]「ポルトガル語のパン(pão)に由来する」という個所に要出典タグを付加させていただきました。このように断言するからには学術的な明確な裏付けが必要なのではないかと考えたからです。日本に渡来した最初の欧米人はポルトガル人であることは明白な事実だと思います。そして、当時の日本人がこの「パン」というものを指す言葉を最初に聞いた言語はポルトガル語であったであろうということも、おそらくそうであろうとは思います。しかし、これだけで当時の日本人がこのポルトガル語由来の語彙を使ったとはいえないのではないか、いつから日本人がこの「パン」という語彙を使ったのか?スペイン語では「パン」をpanといいます。スペイン人が初めて日本に渡ったのはいつなのか、そのときにはすでに「パン」は日本人は使っていたのか?そうであるなら、ポルトガル語由来ということが明白になりますが、スペイン人渡来以降なら、スペイン語の可能性も排除できないのではないでしょうか。両言語の可能性もあることになります。実際日本人といわゆる「南蛮人」との交流はイエズス会等の「バテレン」を通じて盛んになったと思いますが、例えばポルトガルの船にはポルトガル人以外のスペイン人等も乗っていたようですし、、、日本語の「語源学」の、日本とポルトガル、あるいはスペインとの交流についての学術的出典を求めたいと思います。--Xapones(会話) 2014年5月27日 (火) 15:35 (UTC)
- こんばんは。とりあえず、下記文献.1のp.97などでポルトガル語あるいはスペイン語、という観点が見られます。一方で文献.1でも参照している文献.2(ちょと古い版ですが)によれば、ポルトガル語を語源としており、スペイン語およびフランス語を「姉妹語」としてカッコでくくって表記しています。
- 次に用例ですが、文献.2にのってた用例で一番古いのは1591年『サン フランシスコの御作業』における「パンと水ばかりを御用ひあり」とあるそうです(このサンフランシスコがフランチェスコをさすかザビエルをさすかは原典みてないので不明です。1591年時点で聖をつけるなら前者かな?とは思いますが。そういえばザビエルはイスパニア人だったような)。他に1593年の『伊曽保物語』(天草版か?)にも出てくるそうです。
- 学術的、というと2次資料的なものかと思いますが、文献.2にいくつか詳しそうな文献がのってました。興味ありましたらそのへんから調べてみてください。
- (余談)ちなみに最初にみたのは文献.3なのですが、これは主題も題名も『日葡辞書』なのでここでpãoだけだからポルトガル、っていうのはナシだと思い、この巻末の参考文献から(たまたま有った)文献.2をあたり、さいごに文献.1を発見した、という流れでした。
- 文献.1
- 中川清 (2003), “南蛮菓子と和蘭陀菓子の系譜”, 論集 (駒澤大学外国語部): pp. 69-125, ISSN 03899837
- 文献.2
- 荒川惣兵衛『角川外来語辞典』角川書店、1975年 。、41刷?版?多分刷。
- 文献3
- 以上です。おそらくこれ以上こちらで調べることはないでしょう。情報提供ということで。。。--Mizuhara gumi(会話) 2014年5月28日 (水) 13:12 (UTC)
- 文献のご紹介ありがとうございます。ポルトガルとの関係のほうがスペインより深かく、時期も早かったので、より影響を与えたであろうことは考えられるものの、ポルトガルのpãoがそのまま日本語に入ったという決め手はないというところでしょうか。ポルトガル語とスペイン語は近い言語ですし、日本を訪れたスペイン人も少なからずいたので、スペイン語もそれなりの影響は与えた可能性を否定はできない、ただその後のポルトガルとの関係がスペインよりも長く深かったので、ポルトガル語起源の形のものがスペイン語起源の形よりも残った・定着した(例えばキリシタンはポルトガル語起源の形と思われる。ポルトガル語cristão、スペイン語cristiano)。しかし「パン」についてはスペイン語形はpanなので、スペイン語起源のものがそこに影響しなかったとは言い切れない、というところでしょうか(どちらも日本語転記した場合同じになる可能性が高いので、カナ転記した場合どちらも「パン」が最も自然)。これ以上はわかりようがないようですね。タグはとりあえずこのままにしておきたいと思います。将来の研究で明らかになるときが来るかもしれませんから(実際には相当困難な気も致しますが)。ありがとうございました。--Xapones(会話) 2014年5月30日 (金) 06:05 (UTC)