ノート:ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム

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ストーリー項で起きた編集合戦について[編集]

私がストーリー項で行った編集の目的は、大きく分けて2つあります。1つ目は、私が編集する以前のものは英語版の翻訳であり、固有名詞の誤訳(例:瘴気、天変地異)や、日本語として不自然な点が多く見られたためです。2つ目は、私が削除した後半部分はゲーム内で流れた映像以外に出典が存在しないからです。例えば現在編集中のブレスオブザワイルドではマスターワークスなどの二次資料がたくさんありますが、今作は発売から1ヶ月にも満たない為、冒頭部分こそ公式含め各種サイトに載っているものの後半部分は存在しません。なのでエンディングまで書くのは時期早々だと判断しました。2つ目には異論が出るかも知れませんが1つ目には異論が出る余地など無い為、そこも直さずに差し戻すのは止めて下さい。--Nkhebxuq会話2023年6月7日 (水) 06:54 (UTC)[返信]

  • コメント 横から失礼します。まず、Nkhebxuqさんは「Wikipedia:ネタバレ」をお読みください。この中にあるように、Wikipediaのガイドラインでは「ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません」というルールになっています。Nkhebxuqさんが除去する前のあらすじを見る限り、不正確な固有名詞や不自然な日本語表現はちらほらあるものの物語の大筋は特に間違っていないようです。このため、間違った部分の修正や文章構成の変更などであればまだしも、時期尚早という理由で物語の序盤以降の記述を全て除去する編集は明確にルール違反ということになります。--Highcollar会話2023年6月7日 (水) 09:36 (UTC)[返信]
    私が後半部分を除去した理由はネタバレの回避が目的ではなく、独自研究の回避が目的です。「Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料」にある通り、基本的に記載には信頼出来る二次資料が必要です。これを当てはまると、ゲーム本編は一次資料に当たり、前作でのマスターワークスのような設定資料集が二次資料に当たります。ですが今作でそういった二次資料が出るのは当分先であり、またゲーム本編は基本的に映像なので、それを勝手に解釈して書くのは独自研究に当たるからです。--Nkhebxuq会話2023年6月7日 (水) 10:57 (UTC)[返信]
    • 返信 すみませんが、Nkhebxuqさんが示した「Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料」の中では、「たとえば、ある小説についてあらすじを記述する場合、その小説の文章を出典とすることは可能ですが、それについての解釈には二次資料が必要です。」と記載されています。この記事に限らず、あらすじに書かれているのは物語の内容に即した事実についてであり個人の解釈は含まれていません。リンク先の文章を見る限り、「その小説の文章を出典とすることは可能」というのは「あらすじを書く際に二次資料は必要なく独自研究にはあたらない」という意味だと私は解釈しているのですが、いかがでしょうか?--Highcollar会話2023年6月7日 (水) 11:24 (UTC)[返信]
      小説などの文章なら解釈の必要な場面はそうそう無いでしょうが、ゲームのストーリーは一部を除いて一回のプレイで一度切りしか流れない映像であり、それを文章に起こすとなるとどうしても解釈することが必要になります。なので公式などの信頼出来る二次資料が出るのを待った方が良いと私は思います。
      なお繰り返し見る事ができる映像に付けられた解説文や人物名鑑などの文章で書かれたものは解釈の必要も無く、またゲーム本編を元にした二次資料と捉える事も出来るのでそれらは使っても良いと思います。もっとも人物名鑑の内容は登場人物項に書いたほうが良いですし、解説文の付いている映像は大半が過去に渡ったゼルダの記憶であってストーリーとの直接の関わりは無いため別の項に纏めた方が良いと思いますが。--Nkhebxuq会話2023年6月7日 (水) 13:05 (UTC)[返信]
      • 返信 「一回のプレイで一度切りしか流れない映像」だから「解釈することが必要」という理屈は全く理解できません。小説でもゲームでも映画でもドラマでも、何度も見返すことは可能です。一度切りしか見てはいけないという制限などありません。
        二次資料がなければあらすじを除去するというNkhebxuqさんの姿勢には納得できないので、第三者からの意見を伺うためにコメント依頼を提出しました。--Highcollar会話2023年6月8日 (木) 09:06 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼から来ました。 Nkhebxuqさんは「解釈」という言葉について、かなり独特な理解をしているように思います。
ここでいう「解釈」というのは、作中で明示されていない内容を読み取ることだと理解しています。
「この登場人物は裏ではこのように動いていたのだ」「この人物の行動はこのような意図で行われた」「この箇所は◯◯という作品へのオマージュである」「この行動は✕✕のメタファーである」といったことを、明示されていないのに記述するのは避けるべきだということです。
「小説などの文章なら解釈の必要な場面はそうそう無いが~」という主張は、「映像で表現されたものを文章に起こす際にはどうしてもそのままにはならない」という意味だろうかと想像はできるのですが、たとい元が小説だとして、Wikipediaのあらすじにふさわしく、自分の言葉でまとめる時点で、元の文章とまったく等価のものとはなり得ません。媒体は関係なく、どうしても生じるぶれが、許容範囲に収まるかどうかです。
その後の「一度切りしか流れない映像であり~」というのもどうにも前と繋がりがないように思えますが、これはもう「うろ覚え」や「思い込み」といった、解釈云々とは全然別の話になってくるのではないでしょうか。--回廊洞穴会話2023年6月8日 (木) 12:11 (UTC)[返信]
私は、現時点ではあらすじをまとめる際に生じるぶれが許容範囲内に収まらないと考えます。大抵こういったものを書く場合は作品を何周もして正確に理解したり、二次資料を参考にしたりして作ります。ですが参考になるような二次資料は現時点では存在せず、繰り返し確認しようにもこの作品は一周するのに数十時間かかるので、ウィキペディアの編集のために2周も3周もした人も発売から1ヶ月にも満たない現時点では存在しないと思われます。--Nkhebxuq会話2023年6月8日 (木) 13:14 (UTC)[返信]
前提が色々とおかしいです。作品を正確に理解しておくのが望ましいのはそのとおりですが、そのために何回も通しプレイをすることは、必ずしも必要ではありませんし、「一周するのに数十時間かかる」というのも、フィールドをめぐったり、サブシナリオをこなしたりとゲームプレイを満喫した場合の話であって、あらすじに書くような主要な物語を追うだけならば、もっと短い時間で済むでしょう。それに、プレイ時間が長いと言っても、色々な人物の様々な思惑が複雑に絡み合っていて、整理するのが困難だ、というような物語ではないように思われます(私自身は「満喫している」プレイヤーなので、最終盤にはまだ至っていませんが)。
もっと重要なことは、あなたが具体的な編集内容に目を向けていないということです。あなたが取り除いた記述が、誤りを多く含んでいるようなら、それは消されても致し方ないといえるでしょう。ですが、あなたは誤りを多く含んでいるに決まっているという臆断に基づいて編集をしています。これが教条主義的なものならまだ議論の余地はあるのかもしれませんが、実際のところ独自の解釈にすぎないのではないでしょうか。--回廊洞穴会話2023年6月8日 (木) 15:42 (UTC)[返信]
誤りを多く含むと決めつけているのではなく、誤りを多く含む可能性がありそれを確かめられる人がまだ少ないということです。確かに私が編集する以前の内容に大きな誤りはありませんでしたが(もっとも固有名詞の誤訳や不自然な日本語表現が多すぎて編集の土台とするには難しいですが)仮に誤りがあったとしてそれを確かめられるのはメインストーリーをクリアした人だけであり、発売から1ヶ月に満たない時点でそれを検証できる人は非常に少ないのではないでしょうか。
これはこの作品に限らずフィクション一般に言えることですが、作品が公開された直後から、その内容を理解した人から順に書き始めるのではなく、公開から何週間とか何ヶ月とかの期間が経ってから一斉に書き始める方が良いのではないかと思います。--Nkhebxuq会話2023年6月9日 (金) 03:57 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼より失礼します。ウィキペディアには様々な人が編集に訪れています。ある人が「発売直後なのにあらすじを書けるわけがない」と思っていても、ちゃんとプレイしてあらすじを理解している人にとっては余計なお世話かもしれません。◆それはともかく、フィクション作品のあらすじは、作品そのものにより検証可能です。二次資料が世に出ればそれを出典とすることは適切ですが、出るまで編集してはならないとか、ソフト発売XX日後まで編集してはならないという合意はありません。そのような状態で、二次資料が出るまで編集合戦のリスクを抱え続けるというのは不健全な編集環境でしょう(ほとんどの編集者はこのノートを読まず、保護の影響を受けても編集合戦は気にしない一時の編集者です)。誰かがあらすじを書いても、仮にそれが間違っていれば後から来た人がその間違いを修正できますから、自然に任せておけばいいと思います。◆もう一つ。ゲームシステム節、登場人物節、アイテム節、舞台節の検証可能性はいかがですか。あらすじと比較にならないほど大量に、もちろんゲームプレイ体験そのままに加筆されると予想します。二次資料が出ている(しかし使われていない)前作の記事を見るに、不安しかないです。--メリース会話2023年6月9日 (金) 13:50 (UTC)[返信]
    それでは、私は作品の公開からあらすじ等の本格的な編集の開始まで一定の期間(ジャンルによる)を開けることを提案します。理由は前述のように、発売直後はちゃんとプレイしてあらすじを理解している人がごく少数にとどまるため、間違いを見つけた人が修正するという機能があまり働かないからです。こういった規制は私が知っているものだと大河ドラマがあり、これは初公開から2週間は規制が掛かっています。
    ゲームシステム節等については、私は前作での整理、加筆修正が済み次第とりかかろうと思っています。私の個人的な編集方針としては、前作との紐づけをしたうえで今作の相違点等を記載する予定です。--Nkhebxuq会話2023年6月9日 (金) 23:44 (UTC)[返信]
    返信 本作では発売の8日後には初めてあらすじが書かれたのであり、その時点でその編集者は加筆した範囲のあらすじを理解していたと考えるべきです。「発売直後はちゃんとプレイしてあらすじを理解している人がごく少数にとどまるため、間違いを見つけた人が修正するという機能があまり働かない」という主張にはそれなりの根拠が必要でしょう。それに、本作は発売からすでに4週間も経過しており、合意成立はさらに後日です。なおも編集禁止期間を設けるというのは実効的でありません。--メリース会話2023年6月10日 (土) 12:35 (UTC)[返信]
    私の主張の根拠としては、こういったストーリー性の高いゲームはメインストーリーをクリアするのに数十時間かかるので、大半の人はクリアするのに数週間から数ヶ月かかるということです。例えば発売初日に徹夜で全クリした人があらすじを書いたとして、その内容の正誤を他の人が検証出来るのはメインストーリーをクリアした数週間後であり、それまで内容の正誤が不明のものが放置されてしまうということです。
    制限の期間としては私も1ヶ月程度が妥当だと考えているのでもうこの作品では不要かもしれませんが、私はこの作品に限らずストーリー性の高いテレビゲーム一般に適応したいと考えているので提案させていただきます。--Nkhebxuq会話2023年6月11日 (日) 03:16 (UTC)[返信]
    返信 個別の作品ではなく一般に適用させたいのであれば、本ノートではなく、例えばプロジェクト:コンピュータゲームで提案すればいいと思います。--メリース会話2023年6月11日 (日) 04:08 (UTC)[返信]
  • コメント しばらく議論を静観していましたが、Nkhebxuqさんの主張は、失礼ながら、勝手に独自ルールを設定して決めつけるということの繰り返しに終始していると思います。例えば、Nkhebxuqさんが直近で主張した「発売初日に徹夜で全クリした人があらすじを書いたとして、その内容の正誤を他の人が検証出来るのはメインストーリーをクリアした数週間後であり、それまで内容の正誤が不明のものが放置されてしまうということです」という意見も決めつけだらけです。「発売初日に徹夜で全クリした人」が書いたあらすじは間違っているはずだ、メインストーリーをクリアするのは数週間後のはずだ、正誤が不明のものが放置されてしまうはずだ、と。これらの主張は、発売から日が浅い時点で動画サイトにクリア動画が多数アップされているという事実を直視すれば前提が成立しないことが理解できると思います。
    そもそも、Nkhebxuqさんが冒頭で主張していた記述除去の理由は二次資料がないからということだったはずなのに、いつのまにか期間の制限という主張にすり替わっているのはどういうことですか?一定期間が過ぎれば二次資料がなくても記述OKという意味であれば、まさしく私が冒頭で指摘したネタバレを理由とする除去ということになります。直近で主張している「制限の期間としては私も1ヶ月程度が妥当だと考えているのでもうこの作品では不要かもしれませんが」という言葉は、Nkhebxuqさんが除去した記述を復帰させてもよいと解釈できると思いますが、いかがでしょうか?異論がなければ記述を復帰させたいと思います。--Highcollar会話2023年6月11日 (日) 08:13 (UTC)[返信]
    二次資料が必要というのは独自研究の回避や検証可能性が目的であり、このためには二次資料か多くの人の目が必要だと考えていました。ですが二次資料については数々のご指摘の結果、現実的ではないと判断し撤回させていただきました。そして多くの人の目については、それがあまり働かない発売直後の編集に規制を掛けることを改めて提案させていただきました。
    決めつけについては、最初のあらすじが間違っていると決めつけたのではなく正誤を誰も検証出来ないと言っただけでありそもそも大事なのは内容が真実かではなく検証が可能かです。そしてその後のクリアに数週間かかるというのは一般論であり、クリア動画を上げている人のほうが例外的では無いでしょうか。そして正誤不明のものが放置されることは、私が編集するまで誤訳だらけのものが放置されたことがその一例です。これは未クリアの人はあらすじをそもそも見ようとしないからだと推測されます。
    なお私が削除したストーリーの後半部分については、不正確な固有名詞や不自然な日本語訳をすべて直していただけるのであれば構いません。--Nkhebxuq会話2023年6月12日 (月) 03:26 (UTC)[返信]
    Nkhebxuqさんは、Wikipediaの検証可能性についてきちんと理解していらっしゃいますか? 「大事なのは内容が真実かではなく検証が可能か」とおっしゃっていますね。そうですね。そして検証はできます。Nkhebxuqさんは「すでに検証可能なだけの知識を有している人がいるかどうか」で考えていらっしゃるようですが、極端な話、そんな人は誰一人いなくったって構わないんですよ。これから出典を参照して検証できるんですから。
    そして、またしても決めつけていますね。「クリアに数週間かかるというのは一般論であり、クリア動画を上げている人のほうが例外的では無いでしょうか」と仰っていますが、Highcollarさんは「投稿動画という証拠によって、日が浅い段階でクリアしている人が多数いることが確認できる」ということを言っています。プレイ人数に比して例外的なのはどちらかというと動画投稿をしていることでしょうが、まあそれはそれとして、仮に例外的であろうと、それなりの人がすでにクリアしているわけです。どのくらいの人がクリアしたら満足するんですか? そしてそれをどうやって確かめるんですか?
    「これは未クリアの人はあらすじをそもそも見ようとしないからだと推測されます。」なるほど。じゃあ自分もちょっと推測してみますね。
    クリア済みの人も、Wikipediaのあらすじを見ようと思う人ばかりではないでしょう。なぜなら自分でプレイして体験しているので。
    仮に見たとしましょう。そもそも記述を問題視しないかもしれません。Nkhebxuqさんも「不正確な固有名詞や不自然な日本語訳をすべて直していただけるのであれば構いません」と言っているように、表現は妙でも、言いたいこと自体は間違ってないようですから。
    仮に「これどうなの?」と思ったとしましょう。Wikipediaはただ見るだけのものであって、自分で編集しようとは思わない人かもしれません。Wikipediaの編集をする人でも、あらすじを書くのは不慣れな人もいるでしょう。
    表現が妙だったとしても、独自研究だとか、内容過剰だとかでなければ、ばっさり削除するのも避けたいですね。
    Wikipediaの編集をするにも、結構色々とハードルがあるんです。--回廊洞穴会話2023年6月12日 (月) 12:15 (UTC)[返信]
  • 報告 最後のコメントから2週間以上が経過し、記述の復帰についてNkhebxuqさんや他の方々から反対意見が出なかったため、ストーリー節を以前の状態に戻したうえで文章の変更を行いました。当初の目的が達成されたため、議論はここで終了としたいと思います。--Highcollar会話2023年6月27日 (火) 12:59 (UTC)[返信]