ノート:キンカン

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小諸城主とは誰でしょうか。[編集]

歴史節に「1648年に小諸城主がキンカンを食した記録がある」とありますが、この小諸城主とは誰でしょうか。1648年に小諸藩主となった青山宗俊のことでしたら、記事がありますのでリンクしていただけないでしょうか。彼が小諸藩に移封されてくる前に松本藩から城主が派遣されていて、その人が食したのかもしれませんが…。―霧木諒二会話2017年2月25日 (土) 11:06 (UTC)[返信]

Qurren会話)と申します。当該部分を加筆なさった利用者:Sakusakusaku1234会話 / 投稿記録さんの投稿内容について調査しております(経緯は会話ページノート:佐久地域を参照)。
ニンポウキンカンですが、出典によると1826年の伝来とされ、その直前の「それ以前から日本に渡っていたという説もある」という一文を裏付ける記述として、1648年に小諸城主が食した記録があると加筆したものと考えられます。
しかし前出の出典によれば、他のキンカンの種は鎌倉末期 - 室町初期の伝来とされております。そもそも1648年に小諸城主が食したのはニンポウキンカンなのでしょうか。出典となった1998年1月1日の『小諸新聞』を確認したわけではありませんが、佐久ホテルブログ記事を読む限り、ニンポウキンカンであるとは特定できないのではないでしょうか。1648年に小諸城主が食したのが、遅くとも室町初期には伝来していたキンカン(もしくは鶏のキンカン?)であるとすれば、特筆すべき事柄ではないと考えます。出典をもとに、「それ以前から日本に渡っていたという説もある」という一文とともに編集除去いたしました。--Qurren会話2017年6月19日 (月) 10:45 (UTC)[返信]
レスが遅れて申し訳ありません。ご提示のブログによれば当該の小諸藩主は青山宗俊で間違いないようですが、そもそもニンポウキンカンかどうかが怪しいので記載すべきではないということですね。調査と出典追加ありがとうございました。霧木諒二会話2017年7月21日 (金) 13:32 (UTC)[返信]