佐久ホテル

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佐久ホテル
ホテル概要
正式名称 佐久ホテル
運営 篠澤明剛
所有者 篠澤明剛
部屋数 20部屋室
敷地面積 3000坪 m²
駐車場 60台
開業 1428年 11月10日
最寄駅 北陸新幹線佐久平駅
最寄IC 上信越自動車道佐久IC
所在地 〒385-0022
 長野県佐久市岩村田中山道今宿553番地
公式サイト 公式サイト
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佐久ホテル(さくホテル)は長野県佐久市にある宿泊施設(ホテル)。

歴史[編集]

ホテルの歴史は1428年正長元年)、領主として篠澤河内守がこの場所に住み始めたことに遡り[1]、長野県内の企業では最古の歴史を持つ[2]

室町時代に宿を創め、明治時代にホテルとなり、現在も篠澤家が同じ場所で営業を継承している。創業から現代までの文献が多数現存しているが、なかでも足利将軍徳川将軍から賜った礼状は20点近い[3]

1531年には篠澤信重が武田信玄を接待し『感状軸』を拝領。信玄が邸内の井戸水を沸かした風呂に入浴したとの伝承もある[4]。以降、明治後期まで『旭湯温泉』とも呼ばれ、江戸時代の文献には諸国大名に料理・風呂・寝具などを提供したと記されている。

慶安年間の献立には鯉料理が2種類記載されているが、これが佐久鯉料理の最古の記録とされている[5]1691年元禄3年)に岩村田祇園祭の御振舞之儀を承り、以来300年以上の長きにわたり、岩村田祇園祭では約150名分の鰻蒲焼、豆腐料理、天茶、刺身、前菜、酒肴、酒、飲物等を無料で振舞っている。

1750年寛延3年)篠澤佐五右衛門滋包淑が、岩村田藩内藤正弼の法要料理を菩提寺である西念寺へ届けたという記録があり、260年以上経った現在でも西念寺への法事料理の出前を行っている[6]

明治時代には宮内省の命を受け明治天皇の専用室を建設し『佐久ホテル』と命名される[7]。戦時中は農兵隊宿舎となり、終戦まで毎日200名以上の隊員が宿泊をした[5]

長野県最古の企業(現存)[編集]

室町時代1428年創業の長野県内で最長寿企業として「信州の老舗」表彰を受ける[8]

佐久鯉料理の発祥[編集]

慶安元年(1648年 江戸時代・徳川家光の時代)篠澤佐五右衛門滋野重長が小諸城青山宗俊に献上したとされる献立に鯉料理が2種類記載されており、これが佐久鯉料理の最古の記録として佐久史学会より認定されている[9]。併せて1648年(慶安元年)に小諸城主、家老に鯉料理を振る舞ったととする記録が佐久市岩村田の佐久ホテル(篠澤家)より見つかっているが、これが佐久鯉最古の資料とされている[10]。1746年(延享三年)に佐久ホテル(篠澤家)に伊勢神宮神官福嶋鳥羽太夫を招いて鯉こくを提供した記録が残っている[11]。また鯉こくのタレは江戸中期からこの宿で継ぎ足しで守らている[12]

脚注[編集]

  1. ^ 竹田忍「200年企業――成長と持続の条件222 領主の奉仕精神 脈々と 佐久ホテル、鯉料理で歓待」日本経済新聞2013年(平成25年)9月30日付朝刊13面。
  2. ^ 「創業100年以上の企業の割合 県内3.08%で全国7位 民間まとめ」日本経済新聞』2013年10月11日付地方経済面(長野)。
  3. ^ 「The Brand 暖簾」平成21年3月佐久商工会議所発行 全64ページの中の3ページ目
  4. ^ 『信濃毎日新聞』2012年8月27日付22面。
  5. ^ a b 2006年佐久史学会『佐久』No.48・49合併号/全204頁中22頁に記載
  6. ^ 毎日新聞2001年10月4日21面
  7. ^ 「篠澤明剛 佐久ホテル 代表取締役 伝統を生かした丁寧な暮らし それが長い歴史につながる」『環境会議』第40号、 事業構想大学院大学出版部、2013年9月、72-76ページ。
  8. ^ 長野県産業労働部産業政策課発行「信州の老舗」2014年 長野県産業労働部産業政策課
  9. ^ 小諸新聞1998年1月1日15面
  10. ^ 信濃毎日新聞、2007年(平成19年)1月12日
  11. ^ 2000年(平成12年)3月15日、飲食産業新聞
  12. ^ 『望月歴史民俗資料館編集特別展街道文化佐久の中山道宿場展佐久市を貫く中山道今に伝える宿場町』佐久市教育委員会発行 全28頁中8頁 望月歴史民俗資料館展示資料

関連項目[編集]

外部リンク[編集]