ノート:カリアスの和約

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編集箇所および理由[編集]

「概要」の節の「紀元前480年のペルシア王クセルクセス1世によるギリシア侵攻の失敗の後、アテナイ率いるデロス同盟は紀元前450年キュプロス遠征を行い、時のペルシア王アルタクセルクセス1世はデロス同盟との講和を決定した、と使節は所属ポリスの市民に語った」のくだりから「と使節は所属ポリスの市民に語った」を、その次の文の「こうしてデロス同盟との間に和平が成りデロス同盟の遠征軍はキュプロスから撤退したと語られた」から「と語られた」を削除。そんな情報は参考文献に挙げられている典拠には何一つとしてないし、勝手に誰だか分からない使節の言い分にしているため、この部分は要出典タグだとか言葉を濁さないタグを付けられても文句が言えない記述です。それにコメントアウト内に「ディオドロスの著述した和訳そのものの実在が否定されているので前段階の優勢も信憑性が無い」とありますが、典拠にあるYahoo!百科事典の「カリアスの和約」の記事を見ても分かるようにディオドロスの記述が嘘であることはあらゆる研究者の総意ないし支配的な意見であるとは書かれていないので、典拠を挙げてもらわない限りははっきり言ってこれらは単なる言いがかりでしかありません。それに、ディオドロスが言っていることが主要な原典になっている以上、それが捏造だろうといまいが代替するものがない限りは(留保をつけつつも)過程についてはありもしない使節を挟んだりせずにディドロスに準拠しつつ書くのが順当でしょう。

もう一点は「カリアスの和約は実在したのか」の節の最後の文の「「カリアスの和約」を踏まえた条件が何一つ存在しないどころか大きく矛盾する条文があるため、実在したと考える研究者はほとんどいない」の末尾の「実在したと考える研究者はほとんどいない」を「実在を疑う研究者が絶えない」に変更。註で典拠に挙げられているYahoo!百科事典の「カリアスの和約」の記事では「今日でも、その信憑(しんぴょう)性を否定する人が絶えない」とは書かれていても「実在したと考える研究者はほとんどいない」とは書かれていないし、それらは同義ではないので、出典に書かれていないことをさも書かれているかのように示すことになるため、出典の偽造に当たります。--183.77.94.155 2011年4月2日 (土) 06:30 (UTC)[返信]

まず始めに、Yahoo!百科事典は典拠には成り得ないw 次に、カリアスの和約の中身は、使節がポリスで語ったとされる事を記録したものです、何1つ文書にされてはいません。参考文献読んでますか? それと、和約が実在したと考える研究者もディオドロスの記述が真実であるとする研究者もほとんどいない。トゥキュディデスの「戦史」を和訳した訳者の言に依ればだけども、少なくともYahoo!百科事典より遥かに信憑性がある。--122.103.149.81 2011年4月4日 (月) 07:43 (UTC)[返信]

いくつか述べることはありますが、こちらも参照したいし、122.103.149.81さんの発言に確実性を与えるためにも、出典なり根拠を挙げて話をしてはいただけませんでしょうか。何の根拠も典拠にも示さずに断言するよりはまだYahoo!百科事典であろうと出典に挙げる態度のほうがまだましではないでしょうか。
第一点ですが、記録者をすっ飛ばして記録にもない使節を根拠にする理由は何なのでしょうか。どんなに史料の信憑性が薄かろうと、「プルタルコスによれば」なり「ヘロドトスの伝えるところでは」、あるいは「ディオドロス, XII. 4」という風に記録者を典拠として書くのが(専門家であろうと素人であろうと)一般的な態度です。そのように名もなき使節を根拠にするというのは聞いたことがありません。
第二点ですが、「トゥキュディデスの「戦史」を和訳した訳者の言に依れば」とおっしゃいますが、それはどの訳本の訳者でしょうか? ちなみに、手元にあります京都大学出版会から出ている訳本(これが今ある最新の邦訳、つまり邦訳の中では最も新しい研究成果を踏まえたもの)の訳者による解説では「ほとんどいない」とはあらず、「その存在については疑問視する研究者もあるが」(p.462)と控えめに書かれているだけです。
第三点ですが、「Yahoo!百科事典は典拠には成り得ない」とおっしゃっていますが、項目執筆者の真下英信さんは調べてみれば分かるように論文も本をいくつも書いているきちんとした研究者の方であって我々のような素人ではありません。出版物に比べればワンランク落ちるにしても、「典拠には成り得ない」と断言する理由は何なのでしょうか。--183.77.100.178 2011年4月8日 (金) 10:18 (UTC)[返信]
第一点ですが、使者とは要するに「カリアス」なる人物のことで、和訳と称するものは同時代の碑文にも文献記録にも一切存在せず、突然ディオドロスが著作の中で言い出し始めたわけです。「ディオドロスが著作物の中で主張するところによれば」とでもしておくのが正しい態度ではないでしょうか。
第二点ですが、岩波の久保正彰訳です。史実性を否定する研究としてcambrige ancient history Ⅴの469-471Pを挙げ、訳者自身は史実性を否定してます。ペルシャ帝国とスパルタ、ペルシャ帝国とアテナイ、いづれの条約締結場面でも数十年しか経過していない紛争当事国の当事者及び著者が一切触れてませんが、そんな条約がありえるものでしょうか?いや、ない。
第三点ですが、これは私の早とちりでした。Yahoo~という時点で我々のような素人が書いたものと即断してました。めんご^^;--219.161.36.226 2011年4月16日 (土) 16:13 (UTC)[返信]
以上の議論から、第一点目については意見の同意ができ、二点目については出典を示していただき、第三点については誤解が解けたので、あらかた問題は片付いたものと思います(まだ話は終わってない、という場合は遠慮なくどうぞ)。議論におつきあいいただきありがとうございました。
以下は老婆心から述べるのですが、今後記事を書いたり、編集をなさる場合には出典を明記することをお勧めします。というのも、そうすれば今回のようにノートページでわざわざ議論をする労を避けることができるでしょうし、「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです」(Wikipedia:検証可能性より)という方針もあるようですし。また、これまでの発言なり編集内容から219.161.36.226さんはこの条約の存在については否定的な考えをお持ちと推察します。ですが、「実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです」(Wikipedia:検証可能性より)とありますことですし、そのような主張をするにしても、状況証拠からの推論よりも、何かしらの公表・出版されている典拠を示す方がより説得力を持つことができるのではないかと存じます。
それでは失礼しました。--183.77.92.224 2011年4月19日 (火) 11:53 (UTC)[返信]

要出典箇所について[編集]

219.161.36.226というIP利用者の方が何度か要出典テンプレートをはがしていますが、独断でテンプレートをはがすことはすべきではないこととされていますのでおやめください。また、記事の正確性を担保するためにも「記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです」(Wikipedia:検証可能性より)。無言でテンプレートをはがすというやり方では誰も主張内容に納得も同意もしてくれませんし、同じことを繰り返すだけでしょう。それよりは、(きちんとした出典がある情報であるならば)出典を示す方が圧倒的に合理的・説得的です。出典の書き方が分からないのであればWikipedia:チュートリアル 出典をご覧ください。--Tantalos 2011年5月6日 (金) 10:07 (UTC)[返信]