ノート:こどもの国駅 (愛知県)

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こどもの国駅 (愛知県)の駅舎はなくなったのか?[編集]

こどもの国駅 (愛知県)の駅舎は、無くなったとされているが、無くなったのは三角屋根の小屋のみで、高架の部分へ上がる階段、トイレなどの部分が駅舎ではないのか?大門駅 (愛知県)などの駅舎と大して違わないように見える。 

--HQA02330会話2022年11月27日 (日) 06:25 (UTC)[返信]

大門駅の高架下にあるような窓口機能がこどもの国駅の三角小屋にもありました。一方、階段通路しかない篠原駅は「駅舎がない」ということになっています。ただしその線引きは曖昧で、山吹駅のように簡易な待合スペースしかないものを「駅舎」と呼ぶ情報源が存在したりすることもあるので、結局はこの駅構造を外部情報源がどう評価するかでしょうね。--ButuCC+Mtp 2022年11月27日 (日) 09:05 (UTC)[返信]

報告 - 「三角屋根の駅舎は撤去された」とする情報源がありました。あとは残された構造物を指して「駅舎」と呼ぶ情報源がない限り、当該構造物の撤去をもってこの駅に駅舎は無いことになります。--ButuCC+Mtp 2023年1月12日 (木) 15:20 (UTC)[返信]

こどもの国駅 (愛知県)の駅舎はかつては南側にあった?[編集]

名古屋鉄道各駅停車(洋泉社)の写真をみると昭和51年の時点では駅舎は、三角屋根の物とは別物で、ホームの南側にあったように見える。--HQA02330会話2023年1月14日 (土) 06:46 (UTC)[返信]

同書の写真は把握していましたが、掲載された昭和51年の写真の右半分に写っているホーム屋根や架線柱の向きからしてこれと同じく北西方向から南東に向けて撮影されたと思われ、この駅舎も三角屋根の駅舎と同じくホーム北側にあることになるかと。ちなみに三角屋根の駅舎は『名鉄の支線、廃線』に掲載された1981年時点の写真に写っており、さらに言えば1977年の空中写真にも『名鉄の支線、廃線』掲載写真にもある6色の庇(末期には存在せず、撤去時期不明)つきの三角屋根駅舎と駅前ロータリーが確認できることから、『名古屋鉄道各駅停車』に掲載された旧駅舎および駅前構造で供用されていたのはごく短い期間(1974年移転から改称を経た1977年以前)だったものと考えられます。
(以下は推測で、実際に検討するには資料不足ですが)逆に言えばそのごく短い期間の間、例えば三角屋根駅舎と現行ホームができるまでホームも仮の状態だったとしたら(つまり現行ホームの反対側に仮設ホームがあったとしたら)、『名古屋鉄道各駅停車』の写真は南東側から北西方向(これと同じ向き)で撮られたと考えることができ、現在とは反対側に駅舎とホームがあった可能性を見出せます。実際、背後の山の形状は『北西側からみた南東方向』より『南東側からみた北西方向』の方が昭和51年の写真に近いんですよね…。移設直後の洲崎駅について更なる調査が待たれます。--ButuCC+Mtp 2023年1月14日 (土) 11:49 (UTC)[返信]