ノート:くノ一/過去ログ2

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改稿について[編集]

先程、冒頭文をちょっと書き換えてみました(差分こちら)。これまでの議論を踏まえたつもりですが、問題あればお知らせください。--ぽん吉会話2017年11月2日 (木) 02:05 (UTC)


ぽん吉氏、コメントと編集、ありがとうございます。ただ、誠に申し訳ないのですが、現在私Yu0blueとMunch2015氏の間で合意の形成に向けて議論を行っている途中ですので、合意形成が済むまでの間は、基本的に本文の編集を止めておいていただきますようお願いいたします。せっかく編集していただきましたが、修正分は一旦差し戻させていただきます。ご了承ください。
現在、私のコメントに対するMunch2015氏の返答待ちの状態となっております。
修正していただいた序文についてですが、この書き方では山田雄司氏や吉丸雄哉氏らの「意見」を優先しているかのようにも見えますので、中立的な観点とはの「ある特定の観点を他方に優先して推進するものではありません」という方針に反するのではないかと思います。


「くノ一」とは、現在において一般的に「女の忍者」を指す言葉として認識されている言葉である。小説や漫画などの創作物(フィクション)で多く用いられる言葉である。フィクションにおいてくノ一が女忍者の意味に用いられるようになったのには、山田風太郎の忍法帖シリーズの影響が大きいとされる。


個人的には、序文は上記程度にまとめ、単語の語源についての記述と、学術研究の記述については各分類にまとめるのが適切であると考えております。記述方法について、ご意見がありましたら折り返しコメントをお願いいたします。--Yu0blue会話2017年11月2日 (木) 04:20 (UTC)
どうも議論中にすみません。
さて、私の書いた「女性忍者の存在については史料に記録がない」を「ある特定の観点」とお考えであれば、すみませんがそれ以外の観点(例:「くノ一の存在を示す史料・記録がある」など)を出典つけてお示しの上、本記事に記述願います。--ぽん吉会話2017年11月2日 (木) 05:46 (UTC)
「女性忍者の存在については史料に記録がない(存在したことを確実に示す史料は現時点で存在していない)」の記述についてですが、こちらは私が「2017年10月20日 (金) 02:29」分のコメントで述べている通り、「史料が存在している(見つかった)」とする出典の提示がないかぎりは「客観的事実」に該当すると思いますので、出典なしで記述しても構わないと考えております。
ただし、この記述だけでは「史料が存在しない=女忍者が存在しなかった」と誤解する読者を生み出してしまう可能性がありますので、「女忍者に関する資料は、女忍者が実在した可能性を記述している『万川集海』『正忍記』以外に存在していない(あるいは、『万川集海』『正忍記』等が存在する)」という客観的事実の記述とセットで記述するべきだと思います。
表記の問題として、ぽん吉氏の行われた「三重大学山田雄司、吉丸雄哉らによる近年の研究によれば~」という前文が付く記述方法では、「山田氏、吉丸氏が「史料が存在しない」とする「意見」を主張している」とも受け取れる為、記述内容のなにが「事実」で、なにが「意見」に該当するかが分かりづらくなるとも思いますので、適切ではないかと思います。また、山田氏、吉丸氏の研究以前に、この記述は「現状を表す事実」であると思いますので、特に「誰々が主張している(誰々の研究によれば)」という前置きは必要ないかと思います。
「女性忍者の存在については史料に記録がない(存在したことを確実に示す史料は現時点で存在していない)」の記述を行う事に異論はありませんが、学術研究に関する記述が序文に記載されていると読者の誤解を生みだす可能性がありますので、新たに「学術研究における女忍者」の大分類を作成し、学術研究に関する記述は、すべてそちらにまとめた方がいいと思います。
引き続き、合意形成に向けてMunch2015氏の返答を待ちますので、合意の形成まで本項の編集は止めた状態で、ご意見がありましたらノートにご返答いただきますようお願いいたします。--Yu0blue会話2017年11月2日 (木) 07:26 (UTC)
あれ?私は「男性と同じように偵察や破壊活動を行った女性忍者の存在については史料に記録がない」と書いたんですけど、、、
『万川集海』『正忍記』には「男性と同じように偵察や破壊活動を行った女性忍者の存在」についての記述などありませんよね?すみませんが出典ご確認願います。--ぽん吉会話2017年11月2日 (木) 09:00 (UTC)


ぽん吉さんに返答します。

>「くノ一(くのいち)とは、女性の忍者のこと」


「くノ一(くのいち)とは、遅くとも1970年台以降は女性の忍者を指す言葉」とするのはどうでしょう。「遅くとも…」がないと、語の意味の変化したという吉丸研究の部分を読んだ時に読者が混乱するので。


>「くノ一は小説、TVドラマ、映画、漫画など多数の創作物に登場するが」


同様の理由で「今日の多数の創作物に…」とかが良さそうです。

あと、前の書き込みでお名前をミスってぽん太とか書いてましたが申し訳ございません。--Munch2015会話2017年11月2日 (木) 11:07 (UTC)

  • Yu0blueさんのコメント依頼から来ました。Yu0blueさんの2017年11月2日 (木) 07:26の版は何度読んでも意味がわかりません。もっと簡潔に、要点をまとめて意見したらどうですか?
Yu0blueさんに伺います。「女忍者が存在した」という研究結果や史料は存在するのですか?まず、そこをハッキリしてください。そういう史料があるのなら、吉丸説との両論併記になります。実在史料がないのなら、吉丸説を「独自の偏った意見」という扱いは無茶です。まずここをハッキリさせてください。女忍者が実在したという史料があるのかないのか。上の方で「今後見つかる可能性がある〜」などと仰っていますがそういうのはいりません。今の話をしてください。
もし実在を示唆する史料がないのであれば、吉丸説を前面に出さざるをえないでしょう。それが読者の利益になります。Yu0blueさんがしきりに「読者の誤解」を懸念していますが、誤解させようとしているのは、他ならぬYu0blueさんではないですか。ここは個人の願望を実現させる場所では無いでしょう。そろそろ態度を改めないとまずいと思います。--むよむよ会話2017年11月4日 (土) 03:03 (UTC)


返答が遅れてしまい、申し訳ございません。コメント投稿を再開いたします。


ぽん吉氏へ
「男性と同じように偵察や破壊活動を行った女性忍者の存在については史料に記録がない」という記述については、それらの存在を示す史料が存在しない現時点においては「事実」と認定していいと思います。
ただし、山田雄司氏や吉丸雄哉氏が、著書の中で女忍者の事を「男性と同じように偵察や破壊活動を行った」という表現を用いて記述しているのであれば、それは両氏が女忍者について論じる際の、両氏の自論の前提となる「女忍者の定義付け」に該当すると思いますので、この「定義付け」は「意見」に該当することになり、この場合、「事実」と「意見」がこの文章の中に含まれていることになります。
その為、この文章は序文に含めるのではなく、学術研究の分類に含める形で、「山田雄司や吉丸雄哉は、女忍者について『男性(忍者)と同じように偵察や破壊活動を行った者』と定義付けた上で、『それらの女忍者の存在については史料に記録がない』と主張している」と記述するのが適切かと思います。
少し面倒なやり方かもしれませんが、両氏が「男性(忍者)と同じように偵察や破壊活動を行った者」を女忍者の定義としているのであれば、逆に言うと、両氏が「自分達の主張した定義以外の存在は『女忍者』に該当しない」と「意見」を主張している状態でもあると思いますので、両氏による定義付けの主張は、それが「意見」とわかるように記述する必要があると思います。


Munch2015氏へ
「近代の創作物における用例と意味」の分類の内容についてですが、こちらも「事実」と「意見」を明確に分ける必要があると主張させていただきます。


「創作物においてくノ一が女忍者の意味に用いられるようになったのは山田風太郎の忍法帖シリーズの影響が大きい」
「題名から「くノ一」=「女忍者」と解釈した人もいた可能性がある」
「このあたりで「くノ一」=「女忍者」が普及したものと思われる」


このあたりの記述は、吉丸氏の「意見」に該当する部分だと思いますので、「吉丸雄哉は、『創作物においてくノ一が女忍者の意味に用いられるようになったのは山田風太郎の忍法帖シリーズの影響が大きい』と主張している」といった客観的な表現に置き換えるべきだと思います。
ただし、「創作物においてくノ一が女忍者の意味に用いられるようになったのは山田風太郎の忍法帖シリーズの影響が大きい」の部分に関しては、他にも同様の主張を行われている研究者や作家などがおられるかもしれませんので、同様の主張をしておられる研究者や作家の出典を複数提示できるのであれば、研究者や作家によるある程度の共通合意が成立しているものと判断して、「山田風太郎の忍法帖シリーズの影響が大きいとされる」といった程度の表現に置き替えても構わないのではないかと思います。
「くノ一」という単語が、「女忍者」を指す言葉として一般的に定着したのが戦後の事であるのはおそらく間違いないと思いますが、その経緯の詳細については、Munch2015氏の主張された「くノ一(くのいち)とは、遅くとも1970年台以降は女性の忍者を指す言葉」といった断定的な表現を極力用いずに記述していくことが望ましいと思います。


むよむよ氏へ
コメントいただき、ありがとうございます。
早速で申し訳ないのですが、私Yu0blueの「2017年11月2日 (木) 07:26」分のコメントを読んでとのことですが、私はその日のその時間にコメントを投稿しておりませんので、どのコメントの内容の事か分かりかねます。
お手数ですが、コメントの投稿日時を再度ご確認いただき、折り返しの対応をお願いいたします。
返答できる部分に返答させていただきます。
まず、「「女忍者が存在した」という研究結果や史料は存在するのですか?」という質問ですが、これは研究結果と史料の出典が現時点で確認できておりません。存在しないのか、存在していて私が知らないだけなのかはわかりませんが。
「そういう史料があるのなら、吉丸説との両論併記になります。実在史料がないのなら、吉丸説を「独自の偏った意見」という扱いは無茶です」とのことですが、私は、吉丸氏の著書の主張を「独自の偏った意見」とは言っておりません。吉丸氏の学説に対する対論の出典が皆無であっても、吉丸氏の学説が「事実」と認定されたとする証明ができていないため、用語の定義にて「事実」と「意見」が別のものである事、中立的な観点とはにおいて「意見を事実として記さない」という方針があることに基づき、吉丸氏の学説を「『事実』認定を受けていない『意見』」として記述するべきと一貫して主張しております。
吉丸氏の学説に対する対論・反論が存在していないにしても、吉丸氏の学説が「意見」にすぎないものである事は変わりません。Wikipediaの方針・ガイドラインのいずれにも「『意見』の出典が1つのみで、その意見に対する対論が存在しないのであれば、それを全面に出していい(「『一つの意見』以外の扱いをしていい」などとは定められておりませんが、むよむよ氏は一体どのような根拠に基づいてそのような事をおっしゃられているのでしょうか?
私は、吉丸氏・山田氏の「意見」を記述する上で、その対論の出典の有無はまったく意味がないものであると考えておりますので、「両論併記」はなんの意味もないと一貫して主張しております(対論があろうとなかろうと、吉丸氏・山田氏の学説が「事実認定を受けていない意見」にすぎないことは変わりませんので)
吉丸氏の学説が公式に事実認定を受けたとする事実が無い以上、その学説は「意見」でしかありませんので、吉丸氏の学説に対する対論・反論の存在有無に関わらず、その「意見」の記述には「吉丸氏は、〇〇と主張している」といった客観的な表現を用いるほかなく、その「意見」が「事実」であるかのような誤解、あるいは極めて信憑性の高い学説であるかのような誤解を読者に与えかねないリスクを防ぐ事こそ、Wikipdia編集者としての読者の為に行う務めであると考えております。
「それが読者の利益になります」とおっしゃられましたが、「事実認定されていない意見」をWikipediaの方針とガイドラインに則って「意見」として記述する以外、なにが読者の利益になるというのでしょうか?私にはむよむよ氏のおっしゃる「読者の利益」というものがまったく理解できません。吉丸氏・山田氏の「意見」を、それ以外の何かであるかのように記述するのであれば、それは独自研究に該当すると主張させていただきます。


当方の都合により、一旦ここでコメント返答を終わらせていただきます。--Yu0blue会話2017年11月8日 (水) 05:17 (UTC)
  • ちょっと話になりません・・・。誰も吉丸氏・山田氏らの研究結果を100%揺るがない事実など主張していないでしょう。だからちゃんと「吉丸氏・山田氏によれば〜」って皆さん書いてるじゃないですか。で、それすらもYu0blueさんは否定してリバートしてますよね。だいたい吉丸氏・山田氏らの学説は「公式認定されてない」とか言ってますけど、公式認定って何なんですか。そういう考えが出てくる時点で、歴史記事には手を出さない方がよろしいのでは?
Yu0blueさんがくノ一に並々ならぬ思いを抱いているのはわかります。で、その熱意はあくまでフィクション上のくノ一分野の編集にとどめてください。くノ一の歴史的実在性に関する記述には手を出すべきではないですよ。あなたのその熱意が、Wikipediaの方針であったり、研究者の研究結果を蔑ろにしているように私には感じるんですよ。Yu0blueさんの「女忍者が実在していて欲しい」という気持ちが、悪い方向に作用してるようにしか見えないんです。そろそろ手を引かれたほうがよろしいかと。
ちなみに「2017年11月2日 (木) 07:26」はこのノートのコメントのことです[1]。--むよむよ会話2017年11月9日 (木) 02:31 (UTC)


Yu0blueさん、あのですね、前にも書きましたが、出典のないものは書けないんですよ。

だからここでいくら主張しても時間の無駄です。

「専門家による出典を探している最中」との事でしたが、議論を開始してすでに一月以上経過しています。捜す時間は十分あったでしょう。

専門家による出典のないものは執筆しない事、専門家による出典をみつけるまでこの記事から手を引くことを合意してください


何度か言ってますが、出典を出すべしというルールを無視するのはブロック事由です。

そしてコメント依頼ってのは、ブロックの一歩手前です--Munch2015会話2017年11月9日 (木) 13:28 (UTC)

むよむよさん、議論への参加、ありがとうございます。--Munch2015会話2017年11月9日 (木) 13:41 (UTC)
(Munch2015さんへ)吉丸p.168「はじめに」のところに「くノ一は女忍者の普通名詞となっている」とあるように、現在は「くノ一 = 女忍者」が一般的な認識と思い、あえて定義文に条件付けや修飾語句を付けない方が読者が抵抗なく理解しやすいと考えました。なおWikipedia:スタイルマニュアル#導入部に「導入部は(略)記事全体の要約が示された、それ自体ひとつの小さな百科事典の記事」とあるように、まずは本体の記述を充実させたほうがよかったですね。すみません。あと、ご参考まで、磯田道史『歴史の愉しみ方』中公新書という本を読んだところ、p.4に「忍者の学術的研究は進められてこなかった。」とあるのですが、くノ一(女忍者)に言及していたのはp.10 に「女忍者の実態は謎のままである。」とあるくらいでした。なかなか記述に使えそうな情報源は限られますね。(P.S. 私の名前はポンタでもなんでも、全然気にしないでください)--ぽん吉会話2017年11月10日 (金) 06:39 (UTC)
(Yu0blueさんへ)「山田雄司や吉丸雄哉は、女忍者について『男性(忍者)と同じように偵察や破壊活動を行った者』と定義付けた上で~」とお書きでしたけど、山田雄司氏の著作を読めば山田氏はそんな定義付けは行っていないことはお分かりのはずなのですが。もっと言えば以前私が引用したように山田氏は「女性の忍びは(中略)、コミュニケーション能力を用いて情報を聞き出すのに使われた。」と言っているのですが。山田『忍者の歴史』読まずに私の記述だけをもとに記事に手をいれようとして、結果として出典に書いていないこと(ウソ)を記述しようとされる形になっています。前から変だなと思ってましたが出典の確認お願いします。--ぽん吉会話2017年11月10日 (金) 06:39 (UTC)


申し訳ございませんが、今週末が多忙の為、コメント返信は週明けになる予定です。少々お待ちください。--Yu0blue会話2017年11月10日 (金) 07:29 (UTC)
三者三様に出典を出すよう求めているので、出典に関して明確な返答をください--Munch2015会話2017年11月12日 (日) 07:51 (UTC)


返信が遅れてしまい、申し訳ございません。本日から再開いたします。
むよむよ氏へ
私が当初、Munch2015氏によって大幅修正された本項『2017年8月17日 (木) 14:28』分の差し戻しを行ったのは、吉丸氏の著書の内容がむよむよ氏のおっしゃるような「吉丸氏・山田氏によれば〜」などという表現による記述ではなく、冒頭文に「『くノ一』は元来は女性を指す隠語であり~」「ただしそもそも歴史上は女の忍者は存在しない」といった断定的な表現が記述されていた事によるものです。
私が差し戻しを行った後、Munch2015氏によって再度差し戻しが行われ、本ノートでの議論が始まりましたが、Munch2015氏はその際に、「(くノ一)の語源は元来は女を指す隠語である」「歴史上は女の忍者は存在しません」と、『2017年9月25日 (月) 08:51』分にて、はっきりと主張しておりますので、「だからちゃんと「吉丸氏・山田氏によれば〜」って皆さん書いてるじゃないですか」と私を批判なさるのは見当違いです(私は不毛な差し戻し合戦を行うつもりはありませんので、途中で一旦差し戻しを止めており、現時点の本項は、Munch2015氏が大幅修正を行った内容が基本となっております)
私は現時点の本項の記述内容が適正であると思っておりませんので、『2017年9月30日 (土) 01:51』分のコメントにて、「全体的に断定的な記述が多いように感じます。研究者の著書の主張を出典を提示して記述している以上、その主張の記述を「論争の余地のない主張」であるかのように記述するのは適切とは言い難いと思います」と主張しており、現在も一貫してその主張の基に議論を行っております。
なにをもってして「『学説』が事実認定されたとするか」については議論があっていいと思います。ちなみに、事実認定の件について、私は『2017年9月28日 (木) 07:55』分において、「学会の学報への記述」「メディアによる報道」が出典として提示されないかぎりは「学説」を「事実」としては認定できないと主張しております。
また、同コメントにおいて、「吉丸氏・山田氏の著書を出典として提示するのみでは、学説を事実認定できない」とも主張しております。「学説の事実認定」についてむよむよ氏のご意見があれば、おっしゃっていただければと思います。


むよむよ氏も吉丸氏・山田氏の学説が「事実」であるとは主張しておられず、他の編集者からも異論はありませんので、本ノートにおいて「両氏の「学説」は「事実」に該当しない」という合意は形成されていると判断いたします。そして、用語の定義において「事実」と「意見」が異なるものとして定義されている事、中立的な観点とはにおいて「意見を事実として記さない」という方針が示されている事から、両氏の「学説」は、本項において「意見」として扱う以外の記述方法はないはずであり、この件に関して認めきれずにあれこれと言い続けるのであれば、それは、いつまでも「納得」しないに該当する行為であると思います。
また、むよむよ氏は「Yu0blueさんがくノ一に並々ならぬ思いを抱いているのはわかります。で、その熱意はあくまでフィクション上のくノ一分野の編集にとどめてください」と、まるで私が個人の主観の基に本項の編集に参加しているかのようにおっしゃられておりますが、こういった物言いは個人攻撃に該当する行為ですので、今後はお控えいただきますようお願いいたします。Wikipedia編集者としてWikipedia:礼儀を忘れないを心掛けてください。
念の為に申し上げておきますが、私は個人の主観で本項の編集に参加してはおらず、あくまでWikipedia編集者として、客観的な立場から本項の編集に参加しております。「研究者の研究結果を蔑ろにしているように私には感じるんですよ」とのことですが、Wikipediaの方針とガイドラインの基では、その研究結果をあくまでも「意見」として取り扱う事しかできませんので、そう取り扱っているだけです。そして、もちろんこれらの「意見」が正式に「事実」と認定される事があれば、それは当然「事実」として記述するべきだと考えております。
こう申し上げてはなんですが、私の目には、「現状では出典が出ている山田・吉丸両氏の学説のみに従って本記事を記載する」と主張されたMunch2015氏、「もし実在を示唆する史料がないのであれば、吉丸説を前面に出さざるをえないでしょう。それが読者の利益になります」と主張されたむよむよ氏こそ、山田氏・吉丸氏の著書の内容についてかなり主観的であるように感じられます。
ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありませんので、本項は山田氏・吉丸氏の著書の宣伝の為の場所ではありません。それを踏まえて、Wikipedia:議論が白熱しても冷静にを心掛けた議論参加をお願いいたします。--Yu0blue会話2017年11月16日 (木) 05:54 (UTC)


Munch2015氏へ
「そこまでいうなら「○○のケースでは出典を出さずに編集してよい」というルールを見つけ出して明記してください」というコメントに対し、『2017年10月30日 (月) 07:50』分のコメントで返答済です。Munch2015氏のおっしゃる通り、「ルールを見つけ出して明記」いたしましたので、「出典を提示せよ」は反論として成立しないものと考えております。
また、Munch2015氏は何度も「出典を提示できるものを記述するべき」とおっしゃられておりますが、Munch2015氏が差し替えを行う前のページ『2017年7月9日 (日) 17:23』分の『語源』の分類において、「作家の戸部新十郎が、著書「忍者と忍術」において「九一ノ道」説を述べている」といった文章があり、きちんと出典が存在する事が明記されております(脚注をつけるという記述方法ではありませんでしたが)。
出典が存在する事が示されているこの文章を一方的に削除した上で差し替えを行った事は、他者の提示した出典を勝手に削除したという事になりますので、Munch2015氏が何度もおっしゃられている原則に反するものです。この文章につきましては、私の方で戸部氏の著書を確認した上で、記述が確認された場合は、議論中ではありますが本項への記述の差し戻しを行わせていただきます事をご了承ください。
また、この『「九一ノ道」説』に関する記述も、その内容自体が現時点で事実とも虚実とも認定されていない為に「作家の戸部新十郎がそう述べている(主張している)」という客観的な表現での記述となっておりましたので、これが「事実確定していない学説」を記述する際の見本になると思います。--Yu0blue会話2017年11月16日 (木) 06:35 (UTC)


ぽん吉氏へ
私は山田氏の著書については未読ですので、「(出典元は未読ですが)山田氏や吉丸氏が著書の中でそういった表現を用いて記述しているのであれば、それはこう判断するべきではないでしょうか」と、未読の者の立場から意見を述べさせていただきました。私がそう返答したこと自体については、出典を未読である立場の編集者の対応として何の問題もないと思います。私が山田氏の著書を確認できる状況で、山田氏の著書にそのような記述が存在していないのであれば、私は「そのような事は記述されていない」と返答しております。
「結果として出典に書いていないこと(ウソ)を記述しようとされる形になっています」とおっしゃいますが、出典を提示した上で記述を行ったのはぽん吉氏ご自身ですので、ぽん吉氏が意図的に虚偽の記述を行ったというだけの話でしかないと思いますが?
私はWikipedia:善意にとるのガイドラインに従って編集に参加しておりますので、ぽん吉氏を含め、他の編集者が出典を提示して記述を行ったのであれば、当然その記述内容は出典元に記述されているという前提でおります。記述内容が虚偽であるならば、その責任はそれを記述した編集者(今回の場合はぽん吉氏)にあり、その記述内容が出典元に記述されているかどうかをチェックしなかった私Yu0blueにはありません。
こういった虚偽の記述は、Wikipedia:妨害的編集に該当すると思いますので、今後は絶対に行わないようにしてください。次に行われた場合は、即時ブロック依頼を行われていただきます。
「山田『忍者の歴史』読まずに私の記述だけをもとに記事に手をいれようとして~」と、さも私が楽をして出典を手に入れようとしているかのようにおっしゃられていますが、「自分の持っている出典を、手に入れる努力をしていない他の編集者が手に入れてしまうのが嫌だ」というのであれば、出典を提示して記述する事をしなければいいだけの話です。
そして、今までの議論の流れを見た上で、本ノートでの議論も経ずになぜ冒頭文にあのような文章を一方的に挿入したのかも理解いたしかねます。本ノートでの議論にご参加されないのであれば、本項の編集へのご参加はお控えいただきますようお願いいたします。--Yu0blue会話2017年11月16日 (木) 07:23 (UTC)
A. 山田は、男性と同じように偵察や破壊活動を行った女性忍者の存在については史料に記録がないと述べた。(by ぽん吉)
B. 山田は、女忍者について『男性(忍者)と同じように偵察や破壊活動を行った者』と定義付けた。(by YuOblue)
AからBは導けません。何か勘違いされてますよ。--ぽん吉会話2017年11月16日 (木) 09:53 (UTC)
ぽん吉氏へ
折り返しのコメントが遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
史料が存在していない事に言及するだけであれば、「女性忍者の存在については史料に記録がない」とだけ書けばいいはずですが、前文に「男性と同じように偵察や破壊活動を行った」と記述されておりましたので、山田氏の著書にそのような記述が存在するのであれば、その前文が山田氏にとっての「女忍者の定義」に該当するのではないかと考察いたしました。
著書を未読であれば、その文章の前後の文脈まではわかりませんので、この考察が特におかしなものだとは思いません。


先日、当方も山田氏の『忍者の歴史』の記述内容を確認いたしましたが、序章には


『万川集海』にはくノ一を一字とした者(すなわち女)を忍びに入れることを「くノ一の術」というと記述しており、男性の忍びと同様の活動を行うわけではなかった。


と記述されており、「くノ一の術」の項目には、ぽん吉氏のおっしゃられた通り、


女性の忍びは塀を乗り越えたりするのではなく、コミュニケーション能力を用いて情報を聞き出すのに使われた。


と記述されている事を確認いたしました。
山田氏は、著書の中で「女忍者が実在した」とも「女忍者は実在しない」ともはっきりとは明言しておられませんが、上記の記述を見るかぎりでは、実質的に「女忍者は実在した」とおっしゃられているのと同じ事になると受け取れます。
山田氏の主張を本項に記述する場合は、


山田雄司は、「『くノ一の術』の記述は、女忍者が男忍者と同じような活動をしていなかった事を示すものであり、女忍者はコミュニケーション能力を用いて情報を聞き出すのに使われた」と主張している。


といった表現でまとめるのが適切ではないかと思います。
山田氏が女忍者の実在について明言しておりませんので、それについて考慮した記述にするべきかと思います。
他の著書についても確認してまいりましたので、そちらにつきましては後程コメントさせていただきます。--Yu0blue会話2017年11月24日 (金) 06:58 (UTC)
お返事遅くなりましてすみません。「他の著書」はてっきり山田か吉丸の著書で、つづきのお話かと思いこんでましたが、どうも別の著書だったようですね。
さて上でお示しの文案は、冒頭文にもってくるにはちょっと唐突ではないか(いきなり「『くノ一の術』の記述は~」とこられても読者は「それ何?」となるのではないか)と思いますので、申し訳ないですがあまり良いように思えません。
ただ、議論が長引き、あまり参加者もいないので、本節冒頭で提案した私の修正案につきましては一旦取り下げることとします。記事本体、節は多いですが文章量が少ないので、もうちょっとちゃんと手入れした方がいいみたいですね。--ぽん吉会話2018年1月5日 (金) 05:34 (UTC)
ぽん吉氏へ
以前もMunch2015氏との議論の中で一度申し上げましたが、記事のスタイルにも「冒頭の段落は明確で簡潔な定義から」と記述されておりますので、そもそも研究者の出典の内容を冒頭文に記述すること自体があまり望ましいことであると思えません。
私は以前、冒頭分と分類について、下記のように改訂する事を提案いたしましたので、ご参考までにご覧いただければと思います。
①冒頭文を、下記内容とする。
「くノ一」とは、現代において一般的に「女の忍者」を指す言葉として認識されている言葉である。小説や漫画などの創作物(フィクション)で多く用いられる言葉である。
②『江戸期における「くノ一」の語』を、『「くノ一」の語源』『学術研究における女忍者』の分類に分割し、語源の学説、実在論その他に関する学説をまとめる。
冒頭分に学者の主張を記述すると、その主張がさも特別なものであるかのような印象を読者に与えてしまいかねず、ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありませんに抵触しかねないとも思いますので、学者の主張は基本的に分類内にまとめて記述することが望ましいと思います。--Yu0blue会話2018年1月8日 (月) 13:36 (UTC)

ガイドラインによれば導入部は「それ自体ひとつの小さな百科事典の記事となるようにします。」のが理想的なんじゃないでしょうか。記事本体に研究者の出典の内容が書かれていれば、それを要約して冒頭文に記述するのはガイドラインに沿った編集です。もうよろしいでしょうか。--ぽん吉会話2018年1月9日 (火) 07:53 (UTC)

記述内容について[編集]

今年の8月に、Munch2015氏が主に吉丸雄哉氏の著書の記述内容を反映させる形で、本項の大幅な改訂を行い(参照:2017年8月18日 (金) 03:01)、私Yu0blueが、その改訂内容が不適切であるとして差し戻しを行ったことに端を発し、Munch2015氏と私Yu0blueの間で本項の記述内容についての議論が起こりましたが、

私Yu0blueが議論相手の各編集者に対して返答した下記のコメントに対する返信が今までなく、現時点で議論が止まった状態となっております。


私Yu0blueは、現時点での本項の記述内容が適切なものではない為、今までの議論の中で私が主張してきた方向性に基づいて記述内容の修正を行うべきだと考えておりますので、今年12月31日までに各編集者からご返答が無い場合、現在の状況を「各編集者が本ノートでの議論を放棄したもの」と判断し、1月1日以降から私Yu0blueの主張する方向性に基づいて記述内容の修正を行った上で、コメント依頼にて他の編集者のご意見も伺った上で記述内容の精査を行い、本項の記述内容を改訂させてただきます。--Yu0blue会話2017年12月28日 (木) 07:29 (UTC)

>他の著書についても確認してまいりましたので、そちらにつきましては後程コメントさせていただきます。

と発言したから、皆、それを待っていたわけですが。--Munch2015会話2018年1月4日 (木) 15:20 (UTC)

史実として存在するという出典は持っていません。 しかし、Munch2015さんの示した学者の学説を持って存在しないとすることも誤りです。 これはYu0blueさんの「今後存在する説の出典が示される可能性があるが今は出せない」を正当化するものではありません。 歴史学においては考古学であれ文献学であれ「今後存在する説の出典が示される可能性があるが今は出せない」は学説であり仮説です。同時に意見であり、Wikipediaにおいては意見があるという事実であり、その出典が出されればWikipedia:検証可能性を満たすことができます。 つまり学問の常識とWikipediaのルールは別のものなのです。 そして、Yu0blueさんの言う「その学説は学会で定説になっていないや報道されていない」に賛同するものです。 女忍者が史実として存在するはYu0blueさんに限らず出せません。しかし同時に創作物において、一部実在する人物が忍者であったというものまであり、これら女性の忍者が存在したというのは創作と史実の混同ではあるものの、一般に広まっている解釈です。普通、この一般に広まっている解釈は別の言い方では常識といいます。また通説や定説とも言います。 しかし、女性の忍者はいないという異論・異説を示した学者がいるという事実がありました。しかしその学説は仮説にとどまります。単に学者が出版しただけであって権威ある第三者、学会に査読された上で今までの常識を覆す定説と認められるほどのものではありません。これらは以下のWikipediaのルールに明記されています。

Wikipedia:信頼できる情報源

特別な主張には特別な証拠が求められる 広く知られてはいない、驚くべきまたは重要な主張

情報源の評価 編集者は複数の情報源の信頼性を評価し、できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から、出典を幅広く選ぶようにして下さい。信頼できる情報源であるかぎり出典は一つである必要はなく、複数挙げられていることがむしろ好ましいです。学術的な主題についてはたいていの分野で、その分野の学術雑誌に見られるような査読と評価についての制度を持っています。例えば歴史では、アメリカン・ヒストリカル・レビュー (American Historical Review) 誌は毎年約 1,000 冊の書籍を査読しています。『アメリカ歴史学会の史学文献に関する指針』(1995年)では、歴史の全分野に関する27,000 冊の書籍と記事についての評価をまとめています[4]。権威ある情報源を見つけるために、編集者はこのような公表物を探し出して利用すべきです。権威ある情報源の間での不一致は、それが信頼できる情報源に基づくかぎり許容されます。しかしその不一致については明白な形で記事中で示されるべきです。 詳細はWikipedia:独自研究は載せないおよびWikipedia:検証可能性をご覧ください。


Wikipedia:検証可能性

信頼できる情報源 何を信頼できる情報源とするか

とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。 それ以外でも、大学レベルの教科書・権威的な出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは信頼できる情報源です。 電子的な出版物でも同等の基準を満たしていれば使用できます。202.215.177.71 2018年1月4日 (木) 23:40 (UTC)


Munch2015氏へ

こちらの都合により、その後の追記が遅れてしまい、申し訳ありません。当方が確認した分につきましては、この後本項に反映させていく予定です。

とりあえず、作家の戸部新十郎氏の「九一ノ道説」につきましては、著書「忍者と忍術」における記述が確認できましたので、まずはこちらを本項に反映させていただきます。

また、上記の私のコメントに対するご返答は、本項の記述修正に関係なく行っていただけるものだと思いますので、ご意見がある場合はご返答をお願いいたします。コメントへのご返答が無い場合、以前も申し上げた通り、Munch2015氏が本ノートにおける議論を放棄したものと判断させていただきます。--Yu0blue会話2018年1月5日 (金) 04:04 (UTC)


自分の都合で遅れておきながら、「返信しないと放棄したとみなす」は論外でしょ。

>当方が確認した分につきましては、この後本項に反映させていく予定です。

これまで「出典探し中」と「出す出す詐欺」を繰り返してきたので、「今後」と言われても全く信用できません。

あと何日で出典を出すか明言してください。

小説家の記述に出典つけたのはOKです。しかしこちらが要求したのは「専門家の説」のはずです。--Munch2015会話2018年1月6日 (土) 04:47 (UTC)


>小説家の記述に出典つけたのはOKです。しかしこちらが要求したのは「専門家の説」のはずです。

なぜ、「専門家の説の出典」が必要なのでしょうか?

「吉丸氏の主張は『事実』に該当しない」(つまり、『意見』に該当する)という点については、本ノート上ですでに合意が形成されているものと私は認識しておりますので、あとは、「吉丸雄哉は、『くノ一とは、元々女を指す隠語である』と主張している」と、学者が未確定の意見の主張を行っている事を客観的表現で記述するだけではないのでしょうか?

現在の本項のように、冒頭文に「未確定の意見」を断定的表現で記述することは、まるでその意見が「確定した事実」であるかのように読者に誤解を与えかねませんので、独自研究に該当する不適当な記述です。

「専門家の意見」なのでそのように記述していいなどという方針・ガイドラインは存在しません。意見を主張した者が大学教授・准教授であろうと、あるいは作家であろうと、Wikipedia:信頼できる情報源の要件を満たしている出典であれば、その「意見」の記述の扱いは本項の上では同じであるはずです。

そして、Wikipedia:信頼できる情報源の要件を満たしている者の主張であっても、それが「事実」として確定していない主張であれば、それは「意見」として記述する以外はできないはずです。

再度、「吉丸氏の主張=意見」を客観的表現に修正するべきだと主張させていただきます。--Yu0blue会話2018年1月6日 (土) 14:14 (UTC)


>「吉丸氏の主張は『事実』に該当しない」(つまり、『意見』に該当する)という点については、本ノート上ですでに合意が形成されている


勝手に合意を捏造しないでください。--Munch2015会話2018年1月6日 (土) 23:21 (UTC)


それでは、Munch2015氏が当初「事実である」と主張された(参照:2017年9月25日 (月) 08:51「歴史上、女の忍者は存在しない」「(くノ一の)語源は元来は女を指す隠語である」をはじめとする吉丸氏の著書の主張が、用語の定義に定められている「事実」と「意見」のどちらに該当するとお考えなのかについて、ご回答をお願いいたします。

Munch2015氏の主張は、その後「(吉丸氏の主張が)別に「学術的に確定した」とは主張してないですよ?事実確定してないようですし」(参照:2017年10月18日 (水) 23:54 、「私は「吉丸説は事実だ」とは一言も言ってない」(参照:2017年10月25日 (水) 16:06と変化しておられますね。

私は、Munch2015氏のこのコメントをもって、「Munch2015氏が吉丸氏の学説が『事実』に該当しないと認めた」と認識しており、この点をもって「Yu0blueとMunch2015氏の間に、「吉丸氏の学説は『事実』に該当しない」「つまり、吉丸氏の学説は『意見』に該当する」という合意が形成されたものと認識しております。

この私の認識を「合意の捏造」とおっしゃり否定されるのであれば、それは「吉丸氏の学説が『事実』に該当する」という事でしかないと思いますが、吉丸氏の学説のどの部分が「事実」に該当するのか、ご返答をお願いいたします。--Yu0blue会話2018年1月8日 (月) 13:13 (UTC)


>「合意の捏造」とおっしゃり否定されるのであれば


あなたの個人的意見に私(や他のユーザ)が「合意」したというなら、過去ログから私の記述を具体的に抽出して提示してください。--Munch2015会話) 2018年1月9日 (火) 01:24 (UTC)誤植修正--Munch2015会話2018年1月9日 (火) 08:59 (UTC)


「合意が成立した根拠」については、上記に既に提示済です。相手のコメントはきちんと確認した上で、それに対して言及した返答してください。


私の主張を「個人的意見」とおっしゃるのであれば、Munch2015氏に確認させていただきたい「Munch2015氏ご自身の主張と、その主張に基づく記述」がありますので、まずはこちらにご回答いただければとおもいます。

①Munch2015氏は当初、吉丸氏の「歴史上、女の忍者は存在しない」「(くノ一の)語源は元来は女を指す隠語である」の2つの主張を「事実である」と主張し(2017年9月25日 (月) 08:51)、その後、ぽん吉氏の指摘を受け(2017年9月28日 (木) 09:30)、山田雄司氏の著書『忍者の歴史』に「女忍者が存在する」という記述があることを理由に、本項の冒頭文の「ただしそもそも歴史上は女の忍者は存在しない」の部分を「ただし歴史上、女は男の忍者ほどの活躍をみせず、論者によってこれを「女の忍び」とみなすものと、そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる」と書き換え、その後吉丸氏の主張が事実に該当しないのではないかと質問したNazox氏に対し、「(吉丸氏の主張が)別に「学術的に確定した」とは主張してないですよ?事実確定してないようですし」(2017年10月18日 (水) 23:54)と返答しておりますが、Munch2015氏にとって「歴史上は女の忍者は存在しない」という吉丸氏の主張が「事実」から「事実確定していない主張(つまり「意見」)」に変わった根拠は、山田氏の「女忍者が存在する」という学説の出典が確認されたから、という認識でよろしいのでしょうか?

② ①を解釈すると、Munch2015氏にとって「女の忍者は存在しない」といった「断定的な表現」を用いている時は、吉丸氏の主張は用語の定義が定める「事実」に該当し、「論者によってこれを「女の忍び」とみなすものと、そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる」といった客観的・中立的な表現を用いている時は、吉丸氏の主張は「意見」に該当する、となるわけですが、この認識で間違いないでしょうか?

③「ただしそもそも歴史上は女の忍者は存在しない」の記述を修正し、その件について「事実確定していない」と主張された後も、「(くノ一の)語源は元来は女を指す隠語である」という記述の方はそのままとなっておりますが、Munch2015氏は現在もこの記述が「事実」に該当すると主張しておられる、という認識でよろしいでしょうか?

④つまり①と②と③を考え合わせると、Munch2015氏にとって、自身が提示した吉丸氏の主張が「事実」に該当するか「意見」に該当するかの根拠は、Munch2015氏が何度も私に対して主張しておられた「(吉丸氏の学説と)同レベルの文献が提示され、(吉丸氏の学説と)両論併記できるかどうか」(2017年9月25日 (月) 09:25という事になりますが、この認識で間違いないでしょうか?

⑤ ④の認識で正しい場合、「Wikipedia:信頼できる情報源の出典(研究者の著書)に記述されている研究者の主張に対論の主張が存在しない場合、その主張はWikipediaにおいて「事実」と認定される」「その主張に、Wikipedia:信頼できる情報源の出典に記述されている対論が提示されれば、その主張はWikipediaにおいて「意見」と認定される」という事になるわけですが、Wikipediaの方針・ガイドラインのどこにそのような根拠が定められているのでしょうか? 私はWikipediaの方針・ガイドラインを探しましたが、「事実」と「意見」の認定に関するそのような記述は見つけることができませんでした。Munch2015氏がその根拠をご存知でしたら提示していただきますようお願いいたします。


まずは上記の質問へのご回答をお願いいたします。

Munch2015氏自身が主張し、その主張を本項に反映させたもので、現在も本項の記述はそのままとなっておりますので、編集者として自身が編集を行った記述内容については説明責任があるはずです。必ずご回答ください。--Yu0blue会話2018年1月10日 (水) 14:56 (UTC)

すいません。この議論はいったいどんな結論を目指して行われているものなんでしょうか?どなたか簡潔に教えていただけないでしょうか?--座頭の雷蔵会話2018年1月11日 (木) 01:27 (UTC)


座頭の雷蔵氏、はじめまして。Yu0blueと申します。 コメントをいただき、ありがとうございます。簡潔に、とのことですので、できる限り完結に、Yu0blue側からの見解を述べさせていただきます。


まず、この議論の発端は、以前の本項の記述(2017年7月9日 (日) 17:23)を、Munch2015氏が、自身の提示した出典(吉丸雄哉『忍者の誕生』)の記述を元にして大幅な改訂を行い(2017年8月18日 (金) 03:01)、その改訂が適切ではないと判断した私Yu0blueが、一旦Munch2015氏の改訂版以前の版への差し戻しを行い、その差し戻しに異を唱えたMunch2015氏が再度改訂版に差し戻しを実施、その後、改訂版の記述内容について、Munch2015氏と私Yu0blueの間で議論が開始された事によります。


Munch2015氏は当初、自身が出典として提示した吉丸雄哉氏の学説「歴史上は女の忍者は存在しない」と「(くノ一の)語源は元来は女を指す隠語である」の2つの主張を「事実である」と主張し(2017年9月25日 (月) 08:51)、改訂版にもそれらの学説を断定的表現で記述しておりましたが、その後、ぽん吉氏の指摘を受け(2017年9月28日 (木) 09:30)、本項の冒頭文の「ただしそもそも歴史上は女の忍者は存在しない」の部分を「ただし歴史上、女は男の忍者ほどの活躍をみせず、論者によってこれを「女の忍び」とみなすものと、そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる」と客観的・中立的な表現に書き換えましたが、もう片方の「(くノ一の)語源は元来は女を指す隠語である」については、現在の本項でも当初からの断定的表現のままとなっております。


私Yu0blueは、議論の当初から「吉丸氏の著書を出典として提示しただけでは、吉丸氏の主張が「事実」に該当することにはならない。吉丸氏の主張は現時点では「意見」に該当する」(その為、吉丸氏の学説は断定的表現ではなく客観的表現で記述するべき)と主張しておりましたが、Munch2015氏はこれに対して「それならば、吉丸氏の著書(研究者の研究書)と同レベルの出典を提示してください」と主張しており(2017年9月25日 (月) 09:25、両者の議論はかみ合わずに平行線をたどっておりました。

ですが、その後Munch2015氏の主張が、「(吉丸氏の主張が)別に「学術的に確定した」とは主張してないですよ?事実確定してないようですし」(2017年10月18日 (水) 23:54)、「私は「吉丸説は事実だ」とは一言も言ってない」(参照:2017年10月25日 (水) 16:06)と変化いたしましたので、私はこれらのMunch2015氏の主張をもって、Munch2015氏と私Yu0blueの間に「吉丸氏の著書を出典として提示しただけでは、吉丸氏の主張は「意見」に該当する」という点において合意が形成されているものと判断したと主張いたしましたが、Munch2015氏からは「勝手に合意を捏造しないでください」との返答がありました(2018年1月6日 (土) 23:21)。


私Yu0blueは、現在の本項の内容が適切ではない為、内容の修正を行う必要があると主張しておりますが、私の一存で修正を実施するとMunch2015氏が反発があると思いますので、上記の経緯から、まずは現在の本項の大元を記述されたMunch2015氏の主張を明確にしていただく必要があると判断し、上記の質問(2018年1月10日 (水) 14:56)をMunch2015氏に対して行わせていただきました。


分かりづらい点も多々あるかと思いますが、ご確認いただければ幸いです。私へのご質問がありましたら、本ノートへのコメント投稿をお願いいたします。

なお、議論の当事者である私Yu0blueからの見解となりますので、Munch2015氏側の見解、その他の編集者の方の見解につきましては、ご本人にご確認いただきますようお願いいたします。--Yu0blue会話2018年1月11日 (木) 07:36 (UTC)

  • 座頭の雷蔵さんへ。Yu0blueさんは主に2つの主張をしてきました。
1.「実在説と否定説を両論併記すべきだ」
2.「実在しなかったと断定してはいけない、帰属化しろ」

これ、実はどっちもすでに解決してるんです。 1に関しては、議論参加者がみな了承しています。「ちゃんとした出典があれば、どうぞ実在説を書いてください」って認めてるんですよ。でも実在説を唱える出典をいつまでもYさんが出さないから話が進まない。出せない理由を数万バイトも使って色々と書いていらっしゃいますが、読む価値はありません。忍者は隠密行動をするから記録に残らないので実在説も存在しないとか、そういうことばっか書いてます。 2についても10月3日時点でとっくに解決しています[2][3]

じゃあ解決してるはずの話がなぜここまでこじれてるのか。Yu0blueさんはね、要求してることや主張がころころ変わるんですよ。多分本人も無意識のうちに。だから議論のゴール地点が変わっちゃうんです。また、主張してることの論理的破綻を指摘されても対応しないし、論点をすり替えて別の話をしだす。例えば今は「冒頭に実在説も否定説も書くべきじゃない」みたいな新しい論点を主張しだしました。その要求の正当性はともかくとして(私は賛成です)、それまでの議論が解決してないのにまた別の話をしだすんです。こういうことの繰り返しです。だからみんな疲弊する。私はYu0blueさんの個々の主張全てを否定はしません。しかし、控えめに言っても支離滅裂なことを言い過ぎです。むよむよ会話2018年1月11日 (木) 08:37 (UTC)

お二方、回答ありがとうございます。Yu0blueさん

「私Yu0blueは、現在の本項の内容が適切ではない為、内容の修正を行う必要があると主張しておりますが」

とのことなんですが、適切ではないというのは具体的にどの部分がどのように適切ではないということなんでしょうか?そしてその適切ではないとおっしゃる部分をどのように修正しようとお考えですか?こちらもできれば簡潔に教えていただきたいです。--座頭の雷蔵会話2018年1月11日 (木) 10:06 (UTC)

コメント返信が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。

むよむよ氏へ
1.「実在説と否定説を両論併記すべきだ」
私はこのような主張を行ったことはありませんので、むよむよ氏の認識が間違っております。
「私の方で出した出典は大学に所属する専門家によるものですので、それと同等ないしそれ以上に信頼できる出典に基づいての記述をお願いします。」(2017年9月23日 (土) 00:00)と、『両論併記』を最初に主張したのはMunch2015氏側であり、私は議論の初期の段階から、「吉丸氏の主張の対論の出典の有無に関係なく、吉丸氏の主張が『意見』であることは変わらない」、つまり「『両論併記』ができるかどうかは、なんの意味もない」と一貫して申し上げております。
そして、現在も私のこの主張は変わっておりませんので、現時点でMunch2015氏に対して『両論併記』の根拠を問いただしております(2018年1月10日 (水) 14:56)。
今までのログを見返していただければ、少なくとも私が『両論併記』に納得していない事はご理解いただけるはずだと思いますが、なぜこのような認識に至るのかが理解いたしかねます。正直、むよむよ氏の読解力を疑わざるをえない、と申し上げておきます。


2.「実在しなかったと断定してはいけない、帰属化しろ」
「(女忍者は)実在しなかった」とする吉丸氏の主張が記述された著書を出典として提示しただけでは、Wikipediaの方針・ガイドラインに従い、その主張を「事実」と断定できないのは当たり前の話です。内容が事実と断定できない記述である以上、その記述を帰属化・明確化することはWikipedia:中立的な観点の方針に従った編集方法です。
私の主張にとりとめがない部分があるのは、私自身も自覚し反省している部分もありますが、私の主張は、途中での部分的な修正こそあるものの、その根本的な部分は基本的に変わっておりません。
「ゴール地点を変えた」「主張してることが論理的破綻している」「論点をすり替えて別の話をしだす」とおっしゃるのであれば、私がどこでそれを行ったのかご指摘いただければ幸いです。きちんと申し開きをさせていただき、私に過ちがあるのであれば、その件につきましては訂正し、謝罪いたします。
議論開始当初は、私も今以上に編集者として拙い状態でしたので、主張をうまくまとめきれない部分もありました。あとから見返してみて、補足説明しなければいけない部分、また取り下げなければいけない部分もあると認識しております。
座頭の雷蔵氏のように、後から議論を追い始めた方には分かりづらい点も多々あるかと思いますので、私の現時点の主張については、再度まとめさせていただきます。
とりあえず、
①「研究者の著書」を出典として提示しても、その出典の提示のみでは、その記述の内容(学説の主張)を「事実」とは断定できない。
②私Yu0blueは『両論併記』を主張したことはなく、本ノートにおいて『両論併記』の合意が成立したと認識していない。むしろ、『両論併記』に何の意味もない為、そのような主張に合意することはできない。
以上の2点につきましては、議論の当初から主張が変わっていないことをお伝えしておきます。
また、「私はYu0blueさんの個々の主張全てを否定はしません」とのことですが、私の主張に同意いただける部分、私の主張に非同意の部分について、箇条書きでも結構ですのでお伝えいただければ幸いです。
座頭の雷蔵氏へ
お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。
具体的な修正内容につきましては、すでに提示済です。(2017年11月10日 (金) 06:59
個人的に修正が必要だと感じる点は他にも多々あります。ただ、私の思う修正をすべて行うとかなり大幅な修正になってしまいますので、とりあえずはポイントを絞って改訂案を提示いたしました。
冒頭文に関しましては、ぽん吉氏からガイドラインの指摘(2018年1月9日 (火) 07:53)もありましたので、こちらも考慮して記述内容を決めていく必要があると思います。
私の提示した改訂案は一つの案にすぎませんが、冒頭分に関しましては、「読者に余計な先入観、偏見を抱かせない」という前提の元に記述内容を決めるべきだと思います。
長くなりましたので、この辺で失礼いたします。--Yu0blue会話2018年1月17日 (水) 15:32 (UTC)
何度読み返しても、Yu0blueさんがWikipediaの三大方針を理解しているのかしていないのかさっぱりわかりません。理解しているとしたら何故ここまで議論が長引いているのか…議論の長さから見ればほんの一瞬関わったに過ぎませんが、正直読み返すだけで辛い。もう金輪際この議論に関わりたくないです。申し訳ありませんが議論から退かせていただきます。失礼しました。--座頭の雷蔵会話2018年1月17日 (水) 16:05 (UTC)
Yu0blueさんは無期限ブロックとなりました。--Haetenai会話2018年1月18日 (木) 17:05 (UTC)