ノート:いい旅チャレンジ20,000km

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チャレンジ2万・・なつかしい言葉ですね。当時は1970年頃に始まったディスカバージャパンキャンペーンが下火になりかけた頃でした。ちょうど私のカニ族時代が終わる頃に始まったため、『もう少し早く始まってたら・・』と悔しい思いをしました。今で言う完乗の走りですね。あの頃は急行列車がたくさん運行されており周遊券も有効期間が長かったので、完乗は今よりも楽しく達成できたはずです。思い入れのある項目は書きにくいのでここに感想と当時の気分を置いておきます。Miya.m 2006年1月3日 (火) 12:31 (UTC) [返信]

JR発足直後に生まれた自分としては、当時の熱狂の程など知るすべがありませんが、自分がまだ足を踏み入れていないJR北海道辺りでこのようなキャンペーンを行って欲しいと思いました。JR西日本のキャンペーンが行われたときは、既に同社の路線は山陽新幹線三江線福塩線木次線芸備線位しか未乗区間がなかっため、新たにやり直す気にもなりませんでしたし・・・・・。貴重な話をお聞かせいただいて有難うございました。Shinkansen 2006年2月19日 (日) 13:34 (UTC)[返信]