ニコラ・ルヴァスール

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ルヴァスール

ニコラ・ルヴァスールまたはニコラ=プロスペル・ルヴァスールフランス語: Nicolas LevasseurまたはNicolas-Prosper Levasseur1791年3月9日1871年12月7日)は、フランスバス歌手でパリ・オペラ座などで活躍した。ピカルディブレルフランス語版で生まれ、パリで死去[1]

キャリア[編集]

1807年12月29日パリ音楽院に入学し、1811年からピエール=ジャン・ガラ英語版の歌唱クラスに参加した。舞台デビューは1813年オペラ座でのグレトリーが作曲した『カイロの隊商』のパシャ役だった。彼は大きな成功を収めたが、不思議なことに、その後パリの大衆は彼に興味を示さなかった。あまりの無関心に辟易した彼は1816年ロンドンへ赴き、1817年までキングズ劇場に出演した[2]

1820年に彼はイタリアに行き、ミラノスカラ座と契約した。1820年11月14日にはマイアベーアの『アンジュのマルゲリータフランス語版』でカルロ・デルモンテ役を創唱した。ミラノでの彼の成功は輝かしいものだった。その後、彼はパリに戻ることができたが、今度は評判が良く、すぐにパリイタリア劇場英語版フランス語版に契約し、そこで 5 年間舞台に立った。1827年に、彼はパリ・オペラ座(当時はサル・ペルティエ)と再契約した。そこで彼は特にジャコモ・マイアベーアフロマンタル・アレヴィの重要なオペラのバスの役を創唱した。1853年レジオンドヌール勲章を受賞した、1870年までパリ音楽院の教授を務めた[2]

ルヴァスールはモンマルトル墓地に埋葬されている。マリー=エルネスティーヌ・セレ英語版による彼の肖像画パリ音楽博物館フランス語版に所蔵されている[2]

ウォラックによれば「ルヴァスールは壮麗で正確な低音と洗練された表現の持ち主であった。劇的な感動には乏しかったが、厳格で品位のある役柄を最も得意とした」[3]

ギャラリー[編集]

主な出演作品[編集]

上演年 曲名 作曲家
1825 エジプトの十字軍 マイアベーア アラディーノ
1825 ランスへの旅、または黄金の百合咲く宿 ロッシーニ ドン・アルヴァーロ
1827 モイーズとファラオン ロッシーニ モイーズ
1828 オリー伯爵 ロッシーニ 教育係
1829 ギヨーム・テル ロッシーニ 領主
1831 悪魔のロベール マイアベーア ベルトラム
1835 ユダヤの女 アレヴィ ブロニ
1836 ユグノー教徒 マイアベーア マルセル
1836 ラ・エスメラルダ ルイーズ・ベルタン英語版 クロード・フロロ
1838 ギドとジネヴラ英語版 アレヴィ コジモ・デ・メディチ
1840 ラ・ファヴォリート ドニゼッティ バルタザール
1843 ドン・セバスティアン英語版 ドニゼッティ 大司祭
1849 預言者 マイアベーア ザッカリー

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ ニューグローヴ世界音楽大事典』(第19巻)P60
  2. ^ a b c Karl Leich-Galland, Fromental Halévy, sa vie, sa musique (deux tomes : 163 p. & 214 p.), Éditions Lucie Galland, 2020) – Tome I : vie : ISBN 978-3-9406-0329-6 et tome II : Musique : ISMN : M-700284-17-6).
  3. ^ 『オックスフォードオペラ大事典』P746

参考文献[編集]

外部リンク[編集]