ドリアン・イエーツ

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ドリアン・イエーツDorian Yates1962年4月19日 - )は、イギリスの元IFBBプロボディビルダーで、ミスター・オリンピア優勝者(1992年-1997年)。イングランドサットン・コールドフィールド出身。身長177cm。

人物[編集]

マイク・メンツァーの著書によって世に広く知られるようになったトレーニング理論であるヘビー・デューティー法を実践していた事で知られる。

ヘビー・デューティー法によって鍛え上げられた肉体は他の追随を許さないほどの重量感を持っていた。特に背中の発達が著しく、広さ・厚み・ディテールのどれを取っても抜きん出ていた。またコンテスト時の体重120kgは当時、歴代ミスター・オリンピアの中でも最重量であった。

また、高重量を中心としたトレーニング法ゆえ、怪我に悩まされた(後述)。 1994年Mrオリンピア直前、トレーニング中に左の上腕二頭筋を断裂。 手術をせず自然治癒を選択。そのままオリンピアに出場し優勝。 しかし完治後も二頭筋の形は崩れたままで、腕を延ばした状態でも短くなってしまっている。バイセップスポーズをとってもほとんど隆起しなくなった。

顔が俳優のように整っていたため映画会社から役者へのオファーがあった。しかしアメリカの商業主義が嫌と全て断っている。

大会にはミスター・オリンピア以外には殆ど出場せず、ゲストポーズ出演も極端に少ないことから、アーノルド・シュワルツェネッガーに「ファンサービスが足りない」と批判されることもあった。これはアーノルド・クラシック出場を再三オファーされたものの、断ったことが原因とされている。

ミスター・オリンピアにしか姿を現さず、所有するイギリスの地下にある暗く劣化したジムで高重量トレーニングをし、更にその寡黙な性格から「ハードコア」のキャラクターとして扱われるようになる。歴代の陽気で華のある王者達とはタイプが違うことも注目を浴びた。

来歴[編集]

  • プロ活動初期、コンテストに突如エントリーし、優勝を持っていってしまう事から「シャドウ」の異名を取った。
  • 1991年、初のミスター・オリンピア出場で2位を獲得。過去最高の状態で優勝(8連覇を達成)したヘイニーとのスコアは僅差であった。
  • 1992年、ミスター・オリンピアのタイトルを獲得し、翌年以降連覇を重ねる事になる。この年リーヘイニーは出場していなかった。この年のイエーツの体重はおよそ109kg
  • 1993年、前年度より7kg増量しミスター・オリンピアに出場し勝利。「サイズ重視」時代の幕開けを印象付ける。この年の体重は116kg
  • 1994年、左上腕二頭筋断裂というボディビル生命を脅かす重傷に見舞われるが、精彩を欠いた仕上がりながらもタイトルを防衛。
  • 1997年アーノルド・シュワルツェネッガーに並ぶ6連勝を記録するが、肩と上腕三頭筋を負傷(重傷)したまま出場したことが判明。
  • 1998年、肩の治療経過が思わしくない事を理由にミスター・オリンピアを不出場した後、引退を表明した。

影響[編集]

過去に重量級と言われたセルジオ・オリバにしてもアーノルド・シュワルツェネッガーにしても、当時の前チャンピオンであったリー・ヘイニーにしても、筋量だけでなく、理想的な部位に筋肉が発達している、いわゆるプロポーションの良さも兼ね備えていた。

ところが、イエーツの登場によって、審査基準が筋量重視に傾き、その後続々と「モンスター」と形容される重量級の選手達が現れる事になった。勿論そこには筋肉増強のドーピングとしてアナボリックステロイドのみならず、成長ホルモンインスリンといった新たな「方法」が暗躍し始めた事を忘れてはならないが、イエーツという「実例」によって、それまでは長時間をトレーニング・ジムで費やしていたボディービルダー達が、高強度・低頻度のヘビー・デューティー法に乗り換えていった等、トレーニングへの考え方にも影響を与えた点も見逃せない。

外部リンク[編集]