トートロジー
トートロジー(英語:tautology, ギリシャ語:ταυτολογία, 語源はギリシャ語で「同じ」を意味するταυτοから)とは、ある事柄を述べるのに、同義語[1]または類語[2]または同語[3]を反復させる修辞技法のこと。同義語反復、類語反復、同語反復等と訳される。関連した概念に冗語があり、しばしば同じ意味で使われることもある。また、撞着語法はトートロジーの反対の技法である。
同語反復[編集]
同語反復(どうごはんぷく)とは「私は私であり、君は君である」のように、等値を示す語によって同じ言葉を繰り返すことである。 文学、評論等、言語表現における技巧のひとつとして用いられる。
「AはAである」は、例えば「AはあくまでAであって他のものとは異なる」という注意喚起、あるいは「Aは所詮Aであってそれ以上ではない」という主張、等々の筆者(話者)の意図を含み得る。また同様に「AはAであり、BはBである」は、例えば「AとBを混同すべきではない」という注意喚起、あるいは「AとBは(ある文脈で)異質である」という主張、等々を含意し得る。
言葉遊びとしては、「非AとはAに非ざること也」「ABとはAをBすること也」といった、説明を避けて相手をけむにまく表現がある。
例[編集]
- トートロジーはトートロジーであり、トートロジー以外の何物でもない。
- 無関心とは、関心がないということだ。
- 知る人ぞ知る。
- 初めましての方は初めまして。
- "Oh, East is East, and West is West, and never the twain shall meet, ..." — キップリング "The Ballad of East and West" (q:en, s:en, [1]) より
同義語反復[編集]
- 私の親は男の父だ。
- 頭痛が痛い。
- 馬から落馬した。
これらのような表現も、言い換えによる広義トートロジーとされる[5]。