トマス・サウスウェル (第4代サウスウェル子爵)
第4代サウスウェル子爵トマス・アーサー・ジョセフ・サウスウェル(英語: Thomas Arthur Joseph Southwell, 4th Viscount Southwell KP、1836年4月6日 – 1878年4月26日)は、アイルランド貴族。
生涯
[編集]アーサー・フランシス・サウスウェル(Arthur Francis Southwell、1789年2月6日 – 1849年2月17日、第2代サウスウェル子爵トマス・アーサー・サウスウェルの三男)とメアリー・アン・アグネス・ディロン(Mary Anne Agnes Dillon、トマス・ディロンの娘)の長男として[1]、1836年4月6日にダブリン県マウント・ディロン(Mount Dillon)で生まれた[2]。1855年10月2日、軽竜騎兵第13連隊のコルネットへの辞令を購入して軍人となる[3]。1860年1月4日、ヨーマンリーに属するランカシャー・ハッサーズ(Lancashire Hussars)のコルネットに転じた[4]。
1860年2月29日に伯父にあたる第3代サウスウェル子爵トマス・アンソニー・サウスウェルが死去すると、サウスウェル子爵位を継承した[2]。
1871年8月2日、聖パトリック勲章を授与された[2]。その後、1872年9月10日にリートリム統監に任命され、1878年に死去するまで務めた[5]。
1878年4月26日にサリーのフリムリーで死去、5月3日にダブリンで埋葬された[2]。息子アーサー・ロバート・ピアースが爵位を継承した[2]。
家族
[編集]1871年8月24日、シャーロット・メアリー・バーバラ・モスティン(Charlotte Mary Barbara Mostyn、1849年9月14日 – 1929年2月4日、第8代準男爵サー・ピアース・モスティンの娘)と結婚、1男1女をもうけた[1]。
- アーサー・ロバート・ピアース(1872年11月16日 – 1944年10月5日) - 第5代サウスウェル子爵
- フランシス・メアリー・ウィニフレド(Frances Mary Winifred、1874年4月4日 – 1950年3月7日) - 1898年6月8日、ハーバート・マーマデューク・ジョセフ・ストートン(Herbert Marmaduke Joseph Stourton、1873年12月30日 – 1932年8月20日、アルバート・ジョセフ・ストートン閣下の息子)と結婚、子供あり
出典
[編集]- ^ a b "Southwell, Viscount (I, 1776)". Cracroft's Peerage (英語). 12 January 2012. 2020年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 201–202.
- ^ "No. 21792". The London Gazette (英語). 2 October 1855. p. 3652.
- ^ "No. 22345". The London Gazette (英語). 13 January 1860. p. 112.
- ^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lords-Lieutenants (Ireland) 1831-". Institute of Historical Research (英語). 2018年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月21日閲覧。
外部リンク
[編集]名誉職 | ||
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先代 グラナード伯爵 |
リートリム統監 1872年 – 1878年 |
次代 ハーレック男爵 |
アイルランドの爵位 | ||
先代 トマス・アンソニー・サウスウェル |
サウスウェル子爵 1860年 – 1878年 |
次代 アーサー・サウスウェル |