トゥトゥシュ

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トゥトゥシュ(?- 1095年)は、シリア・セルジューク朝の始祖(在位:1085年 - 1095年)。

生涯[編集]

父は大セルジューク朝の第2代スルタンであるアルプ・アルスラーン。兄に第3代スルタンのマリク・シャーがいる。シリアはマリク・シャー時代の頃はエジプトファーティマ朝の支配下に置かれていたが、宗教的にはイスラム教シーア派スンナ派ドゥルーズ派ヌサイリー派など諸派が入り乱れ、キリスト教の影響もあって複雑な地域に化していた。1078年、セルジューク軍の尖兵としてシリアに入っていたトゥルクマーンの指導者であるアトスズの要請を受けたマリク・シャーは弟のトゥトゥシュを送り込んで同地を支配した。1079年にはアトスズを処刑してダマスクスまで支配下に置いた。

1086年6月にはアレッポの支配権をめぐってスライマーン・イブン・クタルミシュルーム・セルジューク朝の始祖)と衝突し、スライマーンを敗死せしめた。だが兄のマリク・シャーがトゥトゥシュの勢力拡大を危険視して自らシリアにまで親征したため[1]、やむなく兄に従ってダマスクスまで退いた。

1092年にマリク・シャーが急死してその息子らによる後継者争いが起こると、トゥトゥシュは1093年にアレッポやアンティオキアを攻略。さらに東進してマリク・シャーの長男であるバルキヤールクと戦うも、1095年にイランレイ近郊の戦いで敗死した。

トゥトゥシュの死後、彼の息子であるドゥカークリドワーンはダマスクスとアレッポに分裂してシリア・セルジューク朝は急速に衰退する[2]

脚注[編集]

  1. ^ マリク・シャーは自らの武将をアンティオキアやアレッポに配置してトゥトゥシュを牽制している
  2. ^ トゥトゥシュの死の翌年から十字軍遠征が始まるも、この兄弟は一致して対抗しなかったために十字軍に敗れた

参考文献[編集]

先代
シリア・セルジューク朝
1085年 - 1095年
次代
ドゥカークリドワーン