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テイムラズ1世 (ムフラニ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テイムラズ1世
თეიმურაზ I

ムフラニ公
在位期間
1580年1625年
先代 ヴァフタング1世
次代 カイホスログルジア語版

出生 1572年7月16日
死亡 1625年7月1日
マラブダ
家名 ムフラニ家グルジア語版
父親 ヴァフタング1世
母親 ホラムゼwikidata
配偶者 アナwikidata
信仰 ジョージア正教会
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ムフラニ公テイムラズ1世グルジア語: თეიმურაზ I მუხრანბატონიグルジア語ラテン翻字: Teimuraz I Mukhranbatoni1572年7月16日[1]1625年7月1日)は、カルトリ王国バグラティオニ王家グルジア語版の傍系であるムフラニ家グルジア語版の貴族(タヴァディグルジア語版)。1580年に父ヴァフタングからムフラニ公(バトニ)の地位を継いだ。内カルトリグルジア語版軍管区グルジア語版職権上の司令官であり、カルトリ王国の摂政も務めた。サファヴィー朝イランとの戦争において、マラブダの戦いグルジア語版で戦死した。

生い立ち

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テイムラズはムフラニ公ヴァフタング1世とその妻ホラムゼwikidataの長男として誕生。弟にカイホスログルジア語版とバグラトがいた。歴史家キリル・トゥマノフの研究によると、テイムラズとバグラトは同一人物であり、バグラトはムフラニ公の地位に就いた際に名乗った名前とされる[1]

1580年に父ヴァフタングが死去すると、テイムラズはムフラニ公を継承した。当時のテイムラズは幼かったため、テイムラズの叔父エレクレ1世英語版が摂政を務めた。この時期、カルトリ王国はイスラム王朝間で対立していたオスマン帝国サファヴィー朝イランの戦場となっていた。1582年、ムフラニの地が大規模な衝突の場となり、カルトリ王シモン1世は侵入してきたオスマン軍を破った[2]

戦争と死

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1609年、テイムラズはタシスカリの戦いグルジア語版に直接立ち会った。この戦いではギオルギ・サアカゼグルジア語版がカルトリ王国の軍を指揮し、オスマン帝国と同盟を組んでいたクリミア・タタール軍を全滅させ、カルトリの若き王ルアルサブ2世グルジア語版を救い出した。

1623年、サファヴィー朝の傀儡に不満を抱いたカルトリの貴族たちは、ムフラニ公テイムラズをカルトリ王国の摂政に選出した[2][3]。1625年、テイムラズはギオルギ・サアカゼとともに、サファヴィー朝の覇権に対する反乱に加わった。アッバース1世は6万人の大規模な懲罰軍を送り、1625年7月1日にマラブダでカルトリとカヘティの連合軍2万人と衝突した(マラブダの戦いグルジア語版)。18世紀の歴史学者ヴァフシティ・バグラティオニによると、テイムラズはこの戦いで勇敢に戦い、戦死したと記述している。戦いは人数と装備の面で有利なサファヴィー朝が圧倒し、カルトリ=カヘティ連合軍は丸一日の戦いの末に敗北した[2][4]。ムフラニ公の地位は弟カイホスログルジア語版に引き継がれた。

結婚と子女

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テイムラズ1世は1624年にアラグヴィ公グルジア語版ナグザルグルジア語版の娘アナwikidataと結婚し、子供7人をもうけた。

注釈

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  1. ^ a b Toumanoff, Cyrille (1990) (French). Les dynasties de la Caucasie Chrétienne: de l'Antiquité jusqu'au XIXe siècle: tables généalogiques et chronologique [Dynasties of Christian Caucasia from Antiquity to the 19th century: genealogical and chronological tables]. Rome. p. 556 
  2. ^ a b c Bagrationi, Vakhushti (1976). Nakashidze, N.T.. ed (Russian). [History of the Kingdom of Georgia]. Tbilisi: Metsniereba. pp. 25–33. オリジナルの2013-10-29時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131029195829/http://www.nplg.gov.ge/dlibrary/collect/0001/000029/Istoria_Carstva_Gruzinskogo.pdf 
  3. ^ Allen, W.E.D., ed (1970). Russian Embassies to the Georgian Kings, 1589-1605. Cambridge: Cambridge University Press. p. 547 
  4. ^ Rayfield, Donald (2012). Edge of Empires: A History of Georgia. London: Reaktion Books. p. 194. ISBN 978-1780230306 
  5. ^ Metreveli, Roin, ed (2003) (Georgian, English). ბაგრატიონები. სამეცნიერო და კულტურული მემკვიდრეობა [Scientific and Cultural Heritage of the Bagrationis]. Tbilisi: Neostudia. p. Table 8. ISBN 99928-0-623-0 

参考文献

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