カルトリ王国
| カルトリ王国 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| ქართლის სამეფო | |||||
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1490年のジョージアの地図 | |||||
| 公用語 | ジョージア語 | ||||
| 宗教 | グルジア正教会 | ||||
| 首都 | トビリシ | ||||
| 国王 | |||||
| 1466年 - 1478年 | バグラト6世 | ||||
| 1578年 - 1599年 | シモン1世 | ||||
| 1716年 - 1724年 | ヴァフタング6世 | ||||
| 1724年 - 1727年 | イエセ | ||||
| 1744年 - 1762年 | テイムラズ2世 | ||||
| 変遷 | |||||
| 建国 | 1462年 | ||||
| サファヴィー朝の封土 | 1555年-1578年、1612年-1723年、1736年-1747年 | ||||
| オスマン帝国の封土 | 1578年-1612年、1723年-1736年 | ||||
| カヘティ王国と統一 | 1762年 | ||||
| 現在 |
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カルトリ王国(ジョージア語: ქართლის სამეფო、カルトリス・サメポ )は、1466年から1762年までジョージア中部に存在したトビリシを首都とする王国である。存在した期間の大半はサファヴィー朝の封臣だったが、末期の1747年にその支配を脱した[1]。
歴史
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長い経済的、政治的な衰退を経て、グルジア王国は15世紀には西に攻撃的な隣国オスマン帝国を抱え、さらに16世紀には東のサファヴィー朝が追加された。両国の影響で王国は存在した300年間、長年戦争状態にあるか、ペルシアに統治されている状態にある。
ジョージアは社会の不安、封臣たちの分離主義、そして内戦に悩まされた。1463年、王族バグラト6世がイメレティ王を称して反乱、チホリの戦いで迎撃したグルジア王ギオルギ8世が大敗したことでグルジア王国は解体しはじめた。1465年、ギオルギ8世は捕らえられて廃位され、バグラト6世は権力の空白に乗じてカルトリ王を名乗り、1466年にカルトリを制圧した。バグラト6世の権力が大きすぎることを嫌った貴族たちはギオルギ8世を解放したが、彼は王位を取り戻せずカヘティ王しか名乗れなかったことで王国の分裂はさらに進行した[1]。
バグラト6世はそのままカルトリを統治したが、1478年に王族のコンスタンティネ2世に反乱をおこされ廃位された[2]:187, 215。コンスタンティネ2世も貴族反乱に悩まされ、1483年にアラデティの戦いで貴族に敗北したことでバグラト6世の子アレクサンドレ2世はイメレティ王を名乗った。コンスタンティネ2世は1489年にイメレティ王国に侵攻しようとしたが失敗し、1490年にグルジア王国の分裂を追認せざるをえなかった。この時点でジョージアにはイメレティ王国、カヘティ王国、カルトリ王国と3つの王国が並立した[2]:219。
この3王国間の平和は長続きしなかった。カヘティ王ギオルギ2世が1511年に即位するとすぐにカルトリに遠征した。彼はカルトリ王ダヴィド10世を追放してカルトリを併合しようとしたが、ダヴィド10世の弟バグラト1世に防がれ、逆に捕虜にされて獄死した。ダヴィド10世は機に乗じてカヘティ全土に侵攻、占領した[3][4]。カヘティ王国は1520年、ギオルギ2世の子レヴァン(レヴァニ)を支持した貴族たちにより王に推されたことで復活した[5]。カルトリ王国の西もイメレティ王アレクサンドレ2世の攻撃に悩まされたが、イメレティがオスマン帝国の略奪を受けたことで彼は引き返し、まもなく死去した。
16世紀中期から1747年まで、カルトリ王国はペルシア統治をうけ、毎年軍馬や酒などの貢物を献上した[6]。しかし、1747年にアフシャール朝のナーディル・シャーが暗殺されると、精力的な王エレクレ2世がペルシア人を撃退し、父のカルトリ王テイムラズ2世死去後はその領域をも継承して、1762年、トビリシに都を置くカルトリ・カヘティ王国を建てた。その後、王国は1783年のゲオルギエフスク条約でロシア帝国の保護国となったが、1795年にガージャール朝の創始者アーガー・モハンマド・シャーの侵攻を受けたときはロシアが条約を無視して援助せず、ジョージアは敗北。ロシアはそのまま衰退したジョージアを1802年に併合し、1813年のゴレスターン条約でガージャール朝にも認めさせた[7]。
歴代君主
[編集]| 代数 | 君主名 | 在位期間 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1 | バグラト5世(Bagrat VI) | 1466–1478 | 1463年にイメレティ王として即位し、1466年にはカルトリ(ギオルギ8世が放棄した地域)の王位に就き、イメレティと再統合した。 |
| 2 | コンスタンティネ2世(Constantine II) | 1478–1505 | |
| 3 | ダヴィト10世(David X) | 1505–1526 | コンスタンティネ2世の息子。 |
| 4 | ギオルギ9世(George IX) | 1525–1527 | コンスタンティネ2世の息子。 |
| 5 | ルアルサブ1世(Luarsab I) | 1527–1556 | サファヴィー朝ペルシアの侵略に対する抵抗を貫き、彼はガリシの戦いで戦死した。 |
| 6 | シモン1世(Simon I) | 1556–1569 | ルアルサブ1世の息子。 |
| 7 | ダヴィト11世(David XI) | 1569–1578 | イスラム教に改宗した彼は、1562年(実質的には1569年から)から1578年まで、サファヴィー朝のシャー・タフマースプ1世によってカルトリのハンに任命された。 |
| 8 | シモン1世(Simon I) | 1578–1599 | 復位 |
| 9 | ギオルギ10世(George X) | 1599–1606 | シモン1世の息子。 |
| 10 | ルアルサブ2世(Luarsab II) | 1606–1615 | サファヴィー朝のアッバース1世の手によって殉教したことで知られている。グルジア正教会は彼を聖人として崇敬し、彼の命日である7月1日を記念日としている。 |
| 11 | バグラト12世(Bagrat VII) | 1615–1619 | ダヴィト11世の息子。 |
| 12 | シモン2世(Simon II) | 1619–1630 | バグラト12世の息子。 |
| 13 | ロストム(Rostom) | 1633–1668 | ダヴィト11世の息子。 |
| 14 | ヴァフタング5世(Vakhtang V) | 1658–1675 | サファヴィー朝の宗主国との平和的な関係を維持し、カルトリ地方の経済を立て直すことに成功した。また、他のグルジアの諸侯国を支配下に置くべく尽力した。 |
| 15 | ギオルギ11世(George XI) | 1675–1688 | シーア派イスラム教に改宗した。サファヴィー朝に併合。 |
| 16 | ヘラクレイオス1世(Heraclius I) | 1688–1703 | カヘティ王。 |
| 17 | ギオルギ11世(Kaikhosro) | 1709–1711 | 復位 |
| 18 | カイホスロ(George XI) | 1703–1709 | レヴァン王子の息子。サファヴィー朝に |
| 19 | イェセ(Jesse) | 1714–1716 | レヴァン王子の息子。 |
| 20 | ヴァフタング6世(Vakhtang VI) | 1716–1724 | レヴァン王子の息子。 |
| 21 | イェセ(Jesse) | 1724–1727 | 復位 |
| 22 | タマル2世(Tamar II) | 1744–1746 | 女王。ヴァフタング6世の娘。 |
| 共治 | テイムラズ2世(Teimuraz II) | 1744-1762 | カヘティ王。タマル2世と結婚。 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 1 2 Khazanov, Anatoly M. (1996-01-01). Department of Anthropology, University of Michigan. ed. Post-Soviet Eurasia: Anthropological Perspectives on a World in Transition. ISBN 9781889480008
- 1 2 Toumanoff, Cyril (1949–1951). “The fifteenth-century Bagratids and the institution of collegial sovereignty in Georgia”. Traditio 7: 169–221. JSTOR 27830207.
- ↑ Guchua, V.; Oniani, Sh. (1977). “ბაგრატ მუხრანბატონი” [Bagrat Mukhranbatoni]. ქართული საბჭოთა ენციკლოპედია Georgian Soviet Encyclopedia (ジョージア語). Vol. 2. Tbilisi. p. 132.
{{cite encyclopedia}}: CS1メンテナンス: publisherのないlocation (カテゴリ) - ↑ Rayfield, Donald (2012). Edge of Empires: A History of Georgia. London: Reaktion Books. p. 165. ISBN 1780230303
- ↑ Georgian Soviet Encyclopedia, Vol. 10, pg. 466–469, Tb., 1986
- ↑ Berdzenishvili, ed., 1973, pp. 252–254
- ↑ Timothy C. Dowling Russia at War: From the Mongol Conquest to Afghanistan, Chechnya, and Beyond p 728 ABC-CLIO, 2 dec. 2014 ISBN 1598849484
参考資料
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関連項目
[編集]| グルジアの歴史 საქართველოს ისტორია | ||||||||||||||||||||||||||||
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