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テアトル甲府

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テアトル甲府(テアトルこうふ)はかつて山梨県甲府市にあった映画館である。

概要[編集]

1956年(昭和31年)に甲府市緑町(現在の若松町)に「スカラ座」として開業。当時の映画雑誌によると鉄筋ブロック建築2階建てで定員800名、冷暖房装置が完備していたと記されている[1]

1961年(昭和36年)5月3日に経営が南嶺興業からボウリング場を経営する東日本興行へ移行し、「甲府スカラ座」と改称[2]。上映作品は東映系作品であったが地域住民の要望により翌年に洋画向けとなっている[3]。その後1968年(昭和43年)のゼンリン地図では甲府スカラ座の場所がボウリング場となっており、映画館名簿にも甲府スカラ座の名前が消えていたことから映画館としては一時閉館したと推測される。

1975年(昭和50年)ゼンリン地図で甲府スカラ座があった場所に映画館として「テアトル甲府」の名前があり、映画館名簿にも名前が確認されていることから事実上復活。1985年(昭和60年)よりスクリーン数を増やしていき、1991年(平成3年)には4スクリーンまで増やしていた[4]

しかし1990年代後半以降になるとグランパーク東宝8甲府武蔵野シネマ・ファイブといったシネマコンプレックスが相次いで開業し、既存の甲府東映セントラルもスクリーン数を増やすなど対抗したことで、2001年(平成13年)時点で人口20万人足らずの甲府市に27スクリーンという[5]「人口に対するスクリーンの多さが全国1、2を争う」激戦区となった[4]。この結果甲府市の映画館は客の奪い合いとなり、テアトル甲府の利用者は1996年(平成8年)から2000年(平成12年)の間に半分以下まで落ち込み、駐車場が無料のグランパーク東宝8の開業で客足はさらに遠のいた[4]。テアトル甲府も車での来場者に料金を割り引くなどで対抗したが[6]、2001年2月28日にこれ以上の経営は不可能となり、閉館となった[7]。映画館で使用されていた座席を希望者に無料で譲渡された[7]のち建物は解体され、製麺所の駐車場となっている。

系列にテアトル石和があり、2018年(平成30年)2月28日まで営業を続けている。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 「新館紹介」『キネマ旬報』第159号、キネマ旬報社、1956年11月1日。 [要ページ番号]
  2. ^ 「映画館ニュース」『キネマ旬報』第284号、キネマ旬報社、1961年5月1日。 [要ページ番号]
  3. ^ 「映画館ニュース」『キネマ旬報』第303号、キネマ旬報社、1962年1月15日。 [要ページ番号]
  4. ^ a b c 「テアトル甲府 月内に幕 シネコン増加で客分散 営業半世紀 郊外への展開も検討」『山梨日日新聞』2001年2月4日。[要ページ番号]
  5. ^ 「さよなら『テアトル甲府』 今月末、半世紀の営業に幕」『毎日新聞』2001年2月19日。[要ページ番号]
  6. ^ 「惜しまれ半世紀の歴史に幕 テアトル甲府、今月限りで閉館」『朝日新聞』2001年2月7日。[要ページ番号]
  7. ^ a b 「テアトル甲府 半世紀の歴史に幕 最終上映で別れ惜しむテアトル甲府 半世紀の歴史に幕 最終上映で別れ惜しむ」『山梨日日新聞』2001年3月3日。[要ページ番号]