タイピンヌ

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タイピンヌモンゴル語: Taipingnu中国語: 太平訥、生没年不詳)は、大元ウルスの皇族で、文宗トク・テムルの息子。『元史』などの漢文史料では太平訥(tàipíngnè)と記される。

概要[編集]

トク・テムルの息子として生まれ、兄にはアラトナダラエル・テグスらがいた。

タイピンヌは元々は「宝寧」という名前であったが、父のトク・テムルが「天暦の内乱」を制してジャヤガトゥ・カアンとして即位した天暦元年(1328年)、「タイピンヌ(太平訥)」という名前に改めた。

また、この頃トク・テムルは大司農のバイジュにバイジュの家でタイピンヌを育てるよう命じている[1][2]

しかしこの後タイピンヌに関する記述はほとんど見られなくなり、タイピンヌがどのような生涯を送ったかはほとんど不明である。『元史』巻107表2宗室世系表には兄のアラトナダラ、エル・テグスとともに子孫がいなかったと記されており[3]、タイピンヌらの死によってトク・テムルの家系は早くに断絶してしまった。

懐王トク・テムル家[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『元史』巻32文宗本紀,「[天暦元年十一月]壬午、第三皇子宝寧易名太平訥、命大司農買住保養於其家」
  2. ^ 宮2018,392頁
  3. ^ 『元史』巻107表2宗室世系表,「文宗皇帝、三子長皇太子阿剌忒納答剌、早薨、無後。次二燕帖古思太子、次三太平訥太子、倶早隕、無後」

参考文献[編集]

  • 宮紀子『モンゴル時代の「知」の東西』名古屋大学出版会、2018年
  • 新元史』巻114列伝11
  • 蒙兀児史記』巻77列伝59