スィルチャン

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スィルチャンロシア語: Сырчан)は、12世紀前半のポロヴェツ族ハンである。シャルカンの子。

概要[編集]

スィルチャンの率いるオルダは、ルーシの公ウラジーミル2世と、その子のムスチスラフ1世の積極的な遠征によって、何度も遊牧地を変えた。その後、ドネツ川右岸の支流に面したステップを居留地に定め、遊牧した。1118年にグルジア王ダヴィド4世(ru)の招きによってグルジアに移住したオトロクは、スィルチャンの兄弟にあたる。

イパーチー年代記』には、スィルチャンがグルジアへ使者を送り、オトロクを呼び戻したいきさつに関する、以下のような詩的な物語が記述されている。この記述によれば、1125年、スィルチャンは、オトロクに故郷へ帰ることをうながすために、歌い手のオレフを遣わした。オトロクはオレフの歌を聞いても感ずるところはなく、帰還をためらった。するとオレフは、スィルチャンの命令に従って、故郷のステップのヨモギ[注 1]を差し出した。これによって、望郷の念を思い起こされたオトロクは、まもなくステップへと戻ってきたという。

文学作品[編集]

スィルチャンは、帝政ロシアの詩人アポロン・マイコフ(ru)の詩・『蓬草』[注 2]において、主要人物の一人として登場している。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ オレフの差し出したヨモギはロシア語: емшанと表記され、『原初年代記』・イパーチー写本の1201年の頁に言及がある[1]。 また、емшанロシア語: Полыньと同義であるとされる。Полыньは厳密にはヨモギ属を指す。
  2. ^ 詩の表題はロシア語: емшанの意訳による。

出典[編集]

  1. ^ Макс Фасмер евшан//Этимологический словарь русского языка (1950).

参考文献[編集]

  • Плетнёва С. А. Половцы. — М.: Наука, 1990.

外部リンク[編集]