ジョン・ドリュー・バリモア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・ドリュー・バリモア
John Drew Barrymore
John Drew Barrymore
アン・ヘルム(左)、ジョン・ドリュー・バリモア(右)
本名 John Sidney Blythe Barrymore Jr.
別名義 ジョン・バリモア・ジュニア
生年月日 (1932-06-04) 1932年6月4日
没年月日 (2004-11-29) 2004年11月29日(72歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス
死没地 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 俳優
ジャンル 映画、テレビ
配偶者 カーラ・ウィリアムズ(1952年 - 1959年)
ガブリエラ・パラッツォーリ(1960年 - ?)
ジャイド・バリモア(1971年 - 1984年)
ニナ・ウェイン(1985年 - 1994年)
著名な家族 ジョン・バリモア(父)
ドロレス・コステロ(母)
ライオネル・バリモア(伯父)
エセル・バリモア(伯母)
ドリュー・バリモア(娘)
テンプレートを表示

ジョン・ドリュー・バリモア(John Drew Barrymore、1932年6月4日 - 2004年11月29日)は、アメリカロサンゼルス出身の俳優。デビュー当初はジョン・バリモア・ジュニアと名乗っていた。

女優ドリュー・バリモアの父として知られる。

父親はサイレント期から活躍した映画スターの一人であるジョン・バリモア、母親はその3番目の妻である女優のドロレス・コステロ。オスカー俳優であるライオネル・バリモアエセル・バリモアを伯父・伯母に持つなど、家族や親戚の多くが俳優という芸能一家に生まれた。名門「バリモア」を名乗りながらも、プライベートに問題があり、その名前に見合うほどの実績を遺せないまま亡くなったが、テレビでの活躍を認められ、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれている。

来歴[編集]

1932年ロサンゼルスで生まれる。同母姉が1人、また異母姉に女優のダイアナ・バリモアがいる。1934年に両親が離婚し、母の許で育てられる。1942年に父がアルコール中毒で落ちぶれた末に失意と貧困の中で死去する。父と会った記憶は1度きりだった。第二次世界大戦中は年齢を偽って海軍に入隊する。

17歳の時、俳優の仕事をして欲しくなかった(大学に進学して欲しかった)母に反発して映画会社と契約する。しかし、端役から地道に演技を学ぶことを嫌がり、いきなり主演でのデビューを希望しておきながら、途中で逃げ出すなどの問題を起こす。さらに、泥酔しての乱行や妻への暴行などによる逮捕を繰り返す。

1958年に芸名をジョン・ドリュー・バリモア[1]に変え、心機一転をはかる。その後、何本かの映画に主演する。また、テレビドラマにも出演するが、問題行動が直ることはなく、結局、父親と同じように落ちぶれることとなる。

2003年に浮浪者にまで落ちぶれていたところを、それまで疎遠だった娘のドリュー・バリモアが引き取り、治療費などの面倒をみる。その後、2004年に癌で死去した。

主な出演作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ミドルネームの「ドリュー(Drew)」は父方の祖母ジョージアナ・ドリュー (Georgiana Drewの姓である。

外部リンク[編集]