ジョゼフ=アントワーヌ・ブーラン

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ジョゼフ=アントワーヌ・ブーラン

アベ・ジョゼフ=アントワーヌ・ブーラン(Joseph-Antoine Boullan、1824年2月18日タルヌ=エ=ガロンヌ県サン=ポルキエ英語版 – 1893年1月4日リヨン)は、フランスのしばしば悪魔主義者と指弾されてきたローマ・カトリック教会の司祭(後に還俗)。

ブーランは作家のジョリス=カルル・ユイスマンスの友人であり、彼に影響を与えてきた[1][2]。ブーランはスタニスラス・ド・ガイタ英語版侯爵との間で著名な呪術戦を行っており、ユイスマンスとアンリ・アントワーヌ・ジュール=ボア英語版はこの戦いでブーランを支持している[3]

参考文献[編集]

  1. ^ Liukkonen, Petri. “Joris-Karl Huysmans”. Books and Writers (kirjasto.sci.fi)'. Finland: Kuusankoski Public Library. 2007年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月18日閲覧。, Robert Graham Irwin, The Lust of Knowing (2006) p. 220.
  2. ^ Lucie-Smith, Edward. (1972) Symbolist Art. London: Thames & Hudson, p. 110. ISBN 0500201250
  3. ^ The Invisible Basilica: Gerard Encausse (Papus)