ジャック・キャフェリー
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ジャック・キャフェリー | ||||
選手情報 | ||||
フルネーム | ジョン「ジャック」・ピーター・キャフェリー | |||
国籍 | カナダ | |||
種目 | マラソン | |||
所属 | St. Patrick's Athletic Association/St. Patrick's Athletic Club | |||
生年月日 | 1879年5月21日 | |||
生誕地 | カナダ・オンタリオ州ハミルトン | |||
没年月日 | 1919年2月2日(39歳没) | |||
死没地 | カナダ・オンタリオ州ハミルトン | |||
自己ベスト | マラソン:2時間29分23秒(1901年) | |||
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ジャック・キャフェリー(John "Jack" Peter Caffery、1879年5月21日 - 1919年2月2日)は、カナダの陸上競技選手である。20世紀初頭に活躍した彼は当時の名高いマラソン選手であり、1900年と1901年のボストンマラソンに2年連続で優勝した。
経歴
[編集]アイルランド系移民の家庭に生まれ、運転手として働いていた[1]。彼はマラソンに取り組み、1900年に開催された第4回ボストンマラソンでは2時間39分44秒の当時のコース記録で優勝し、1901年の第5回ボストンマラソンでは、自己の記録を10分以上縮める2時間29分23秒で連覇を果たしている[1][2][3][4][5][6]。
キャフェリーは、1908年ロンドンオリンピックでマラソンに出場した。このマラソンは、イタリア代表だったドランド・ピエトリの劇的なゴールシーンとその顛末(ドランドの悲劇)でよく知られている。7月24日に開催されたマラソンは、失格になったピエトリを除いて27人の選手が完走し、キャフェリーは3時間12分46秒0の記録で11位となった[7][8]。
スペインかぜの合併症により、1915年に故郷のハミルトンで死去している。
マラソンの成績
[編集]年 | 大会 | 場所 | 結果 | 記録 |
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1900 | ボストンマラソン | ボストン(アメリカ) | 1位 | 2時間39分44秒 |
1901 | ボストンマラソン | ボストン(アメリカ) | 1位 | 2時間29分23秒 |
1908 | ロンドンオリンピック | ロンドン(イギリス) | 11位 | 3時間12分46秒0 |
脚注
[編集]- ^ a b The American marathon 著者: Pamela Lynne Cooper 2011年9月1日閲覧。
- ^ ボストンマラソンの距離は、1897年から1923年の間は39.429kmだった。
- ^ In 1900 Caffery and Sherring dominated Boston[リンク切れ] 2011年9月1日閲覧。
- ^ 1900 The Marathon Goes International; Canadians Dominate Boston Marathon history 2011年9月1日閲覧。
- ^ 1901 Peerless Runner John Caffrey Again Wins the Marathon Race,Cuts 10 Minutes From the Record He Made Last Year Boston Marathon history 2011年9月1日閲覧。
- ^ 1900年のボストンマラソンでキャフェリーに次いで2位に入ったウィリアム・シェリングは、1906年に開催されたアテネオリンピックのマラソンで金メダルを獲得している。
- ^ Athletics at the 1908 London Summer Games:Men's Marathon[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2011年9月1日閲覧。
- ^ ロンドンオリンピックのマラソンは、現行と同じく42.195キロメートルの距離で実施された。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ジャック・キャフェリー - Olympedia
- Around the Bay Road Race History 2011年9月1日閲覧。
- list of Canadian athletes 2011年9月1日閲覧。