ジャガト・シング (アンベール王)

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ジャガト・シング
Jagat Singh
アンベール王
在位 1803年 - 1818年
別号 マハーラージャ

出生 不詳
ジャイプル
死去 1818年11月21日
ジャイプル
子女 ジャイ・シング3世
王朝 カチワーハー朝
父親 プラタープ・シング
宗教 ヒンドゥー教
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ジャガト・シング(Jagat Singh, 生年不詳 - 1818年11月21日)は、北インドラージャスターン地方アンベール王国及びジャイプル藩王国の君主(在位:1803年 - 1818年)。

生涯[編集]

アンベール王国の君主プラタープ・シングの息子として、ジャイプルで誕生した[1][2]

1803年8月、父王プラタープ・シングが死亡したことにより、王位を継承した[1][2]

1818年4月2日第三次マラーター戦争のさなか、ジャガト・シングはイギリスと軍事保護条約を締結した[3]。これにより、アンベール王国はイギリスに従属するジャイプル藩王国となった。

同年11月21日、ジャガト・シングはジャイプルで死亡した[1][2]

出典・脚注[編集]

関連項目[編集]