シンコロブエ鉱山

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座標: 南緯11度02分 東経26度35分 / 南緯11.033度 東経26.583度 / -11.033; 26.583

シンコロブエ鉱山

シンコロブエ鉱山(シンコロブエこうざん)とは、かつてコンゴ民主共和国カタンガ州に存在したウラン鉱山2004年、ウランの盗掘をきっかけとして国際的な注目を浴びた。

鉱山の概要[編集]

シンコロブエ鉱山はユニオン・ミニエール社によって開発され、1960年代までは世界有数のウラン鉱山だった。マンハッタン計画時にはここで採掘されたウランがアメリカ合衆国へと提供され、原子爆弾が製造された。1948年時点、アメリカ合衆国は国内のウラン鉱床を約100万トン分しか見つけられていなかったので、需要量の90%をベルギー領コンゴに頼っていた。金鉱の屑鉱、低品位の燐酸鉱物頁岩の三つから回収される八酸化三ウランをポンドあたり30から40ドルで購入していた。[1]

鉱山におけるウランの採掘は1960年代に終了、長らく閉山していたが、1990年代コバルト鉱石の採掘を政府が許可したことから、地元の中小業者が採掘を行っていた。やがてコバルト鉱石から、微量のウランが採取されることが知れ渡り、採掘の目的がコバルト本体ではなくウランの盗掘へ変化していった。

2004年3月、コンゴ政府が首都のキンシャサ市内で100kgにも達する大量のイエローケーキウラン鉱石を粗精錬したウラン精鉱)を押収した。2004年7月、シンコロブエ鉱山にて落盤事故が発生。8名の死傷者を出したことがきっかけで、同鉱山にてウランが採掘されていたことが露呈する。コンゴ政府は立ち入り禁止を決定[2][3]

国際的な調査[編集]

出典[編集]

  1. ^ 「調査時報」、富士銀行調査部、1958年3月。 
  2. ^ UNEPコンゴ・ウラン鉱山事故後の環境影響調査を実施”. EICネット. 2011年1月8日閲覧。
  3. ^ "UN Assesses Uranium Mine in Democratic Republic of Congo" (Press release). UNEP. 2011年1月8日閲覧