シネフィル

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シネフィルcinéfil-本来はcinéphile)とは映画通、映画狂を意味するフランス語。「cinéma」(映画)と「phil」(「愛する」という意味の接尾辞)をもとにした造語である。

単なる映画ファンや映画好きと言うより「ジャンルを問わず、映画そのものをこよなく愛する」「古今東西の映画を浴びるように見た経験を持つ」として、賞賛の意味を込めて用いられる。映画作家・映画監督達の多くはシネフィルであり、ヌーヴェルヴァーグの面々やマーティン・スコセッシデニス・ホッパージム・ジャームッシュなどのアメリカン・ニューシネマ以降の作家達のシネフィルぶりは有名。

映画が多ジャンル化した昨今の傾向として、シネフィルとは言い難い映画通も増えている。例えばクエンティン・タランティーノも一般にはシネフィル(=映画通)として知られており、実際に映画通であるが、彼は東映ヤクザ映画や香港カンフー映画など、いわゆるB級映画の偏愛者という面も強いため、本来のシネフィルの意味からは少し外れている。これは単なるホラー映画だけのファンやアニメマニアをシネフィルとは呼べないのと同じである。

そもそも、シネフィルをこのような意味合いで用い始めたのは、アンドレ・バザンとその一党─ヌーヴェルヴァーグの批評家達である。彼らは「全ての映画は既に撮られてしまっており、自分たちが為し得るのは過去の映画の引用と反復でしかない」という意識と反省から映画を批評し、自ら映画を制作した。従って、彼らにとっては古今東西の映画を見続けることは自明であると同時に、アイデンティティでもあった。その象徴的作品は、映画史を語ることによって映画そのものを創り上げたゴダールの『映画史』であると言えよう。

しかし、こうした引用論は彼らのオリジナルではなく、マルセル・デュシャンレディ・メイド作品『泉』(1917年)を出発点とする現代美術/芸術論にある。「芸術は全て、過去の遺産の引用の織物であり、オリジナリティーなどというものはない」と唱える主張だが、20世紀初頭にはこうした考えがあらゆる芸術領域に行き渡り、美術、音楽、文学などにおいて「引用の織物」説を前提とした様々な試みがなされた。1890年代末に誕生した映画はこの潮流に乗るには余りに若すぎたため、1950年代になってやっと「現代芸術の通過儀礼」を経験したと理解すべきであろう。

シネフィルを描いた作品[編集]

  • 映画「シネマニア」(2002年) - アンジェラ・クリストリーブ監督のドキュメンタリー。ニューヨークの5人の男女の「映画ばかり見て暮らす日常」が描かれる。

関連項目[編集]